28.いつまでも
空腹と貧血気味をルートが訴えたので、エレーナはすぐに何か買ってくる、と部屋を出た。
ホテルのモーニングは終わっているので、ホテルに併設のパン屋に入り、スクランブルエッグやベーコンが乗ったパンを10個ほど買った。
膨らんだ紙袋を見たルートは「多っ」と驚いたが、それでもすぐに半分をたいらげた。
エレーナも傍らに腰かけて、パンの一つを時間をかけて咀嚼していった。
「それにしても」食事を終えたルートは、ベッドから上体を起こしたまま低く言った。「あの女はどこまで僕を追い詰めれば気が済むんだ。エレーナがポーションを買ってきてくれたんだろ? 助かったよ」
「っ、それは……」
エレーナの意識は懐に仕舞われている、くしゃくしゃの紙切れに向かった。
ルートへの想いが偽りでなかったこと、今までの行動が本意ではなかったとも取れる、ローザのあの手紙。
(このまま渡さずにいれば、ルゥはあの女を、恨んだままでいてくれる)
脳裏によぎった考えがじわじわと重みを増していって、いつしか頭の中で支配的になっていく。
(彼女はルゥを、私の夫を殺そうとした。いくらその気が無かったからと言って、だからと言って心臓にナイフを突き立てた……! 許せるはずがない……!)
因果応報、その言葉を思い浮かべたときだった。
一つの記憶が投射された。
――お主の犯した過ちが、巡り巡ってお主に還ってきたのじゃ。お主はなるべくして、かような姿となった。身に降りかかる罰を受け入れなければならぬ――
(そうだった、私は……。この身に降りかかることは何もかも、受け入れて、善き方向に導かないと――)
気が付けばくしゃくしゃの紙を、ルートの手に握らせていた。
「これは?」と彼は問う。「手紙、かい?」
コクリ、と頷くと、それ以上の追及もせずに彼は手紙に見入った。
夫の顔を見れずに、膝の上で作った両手の拳を見つめていると、「ああ、そんな」との嘆きが聞こえてくる。
遅れて大きなため息が聴こえた。
いてもたってもいられなくて、彼の隣から立ち上がる。
「まって」と背後から言われるも、一度逃げ始めた足は止められそうもない。
だがルートもそう簡単に諦めてはくれなかった。
毛布から抜け出して、部屋の扉へと進んでいくエレーナの肩に手をかけた。
しかし、遅れてやってきた立ち眩みに足がもつれ、前のめりに姿勢を崩す。
結果、二人はもつれ合いながら転んでしまった。ルートが下になる形で転んだ。
「たはは……ちょっと立ち眩みがしちゃって」と額を抑えるルート。「ごめん、怪我はなかった?」
「……怪我人がいうセリフ?」呆れながらエレーナは彼の顔の横に手をついて体を起こす。
「もう治ったし」
「血は戻ってないんだよ」とうなだれるエレーナ。「ほら、早くベッドに戻って。私は大丈夫だから」
「どうしてさっき逃げたんだい」
「逃げてない」
「気に、なるの?」
「なにが」
「僕が、ローザに対してどうおもっているのか」
「別に」彼女は吐き捨てた。「いいんだよ、分かってるから」
「わかってるって?」
「本気で好きだったんでしょ、彼女のこと。なんなら今だって――」
体を離そうとするエレーナを、ルートはきつく抱き寄せた。
「ひゃっ……!? ちょ、ちょっと……」
「昔はね」
「無理しなくていいよ……! 離してったら!」
「無理なんかしてない」
彼の腕の力が一層強くなった。
いつもより力も入りにくいだろうに、力強い抱擁だった。
「離してよ――……」
エレーナの抵抗が次第に弱まっていく。
「僕には君しかいない」
「ルゥ……」
彼女の手が彼の腕にそっと這わされた。
「私も」
「……うん」
木の葉のさざめきが聴こえ、やわらかな風がカーテンを揺らし、二人の肌を撫でた。
「私にも、あなたしかいない……」
相手の存在を確かめ合うように手と手を、肌と肌を寄り添わせていく。
「エレーナ、僕は――」
「ルゥ、私ね――」
声が重なったことに気が付くと、すぐに相手に譲り合った。
再びルートが譲ったので、発言権はエレーナに巡ってきた。
ルゥ、私ね、と同じことを繰り返す。
彼女の体重が次第に夫に委ねられ、夫もそれに気が付いた。
「こんな時に言うことじゃないかもしれないけど――体が熱くて……すぐに終わるからじっとしてて」
彼女の手はするするとルートの服の隙間から中へと入っていった。
「っ、待って、エレーナ」
だが反対にルートは相手の肩を押し返した。
瞬間、我に返ったような、それでいて泣き出しそうな表情がエレーナの顔に浮かぶ。
「ご、ごめんなさい私……」
謝罪の言葉を、ルートは一つの言葉で押し潰した。
「好きだよ」
この直後から陽が落ちきるまでの時間を、二人はほとんど覚えていなかった。
後に残ったのは一つの感覚。
体中の熱を注ぎ合って、相手の体をあたためていたぬくもりが、今自分の持つぬくもりの全てになっているという感覚だけだった。




