25.崩壊
ルートとシェリーはホテルのロビーに降り、出入り口の回転扉をくぐるまで無言だった。道路に続く石階段にさしかかったとき、ルートはオリハルコンが入った袋を差し出した。
「はい、これ。しっかり頼みますよ」
「わ、わかりました……わざわざありがとうございます……」
辺りに人の気配はなかった。
それだけに近くの茂みで草が少し揺れただけでシェリーは縮み上がった。
軟禁(便宜上)されている自宅に戻るまでの夜道を思うと身震いに拍車がかかった。
「じゃあおやすみ」
踵を返して帰っていくルートだったが、投げられた声に足を止めた。
「あの一つ聞いてもいいですか……!」
「ん?」
「ぼすはエレーナさんとしてるですよね、結婚……」
「してますよ」
「で、ですよね……でも二人を見ていると、うちの両親みたいだなって思う時があるんです。どこか冷めてるというか。表面だけ仲良くしてるような……ご、ごめんなさいぃ……すごく失礼なことを……」
ルートの視線がさまよった。
「いや、間違ってない、むしろ正しい。僕たちの関係は利害関係ですから。エレーナも別に僕のことを異性として好きとかそういう風に見ていないから……」
「――はっ?」
自分ってこんな声も出るんだな、とシェリーは思った。
「へ?」
前へ向けた手のひらを左右にぶんぶんと振りながら、咎めるような口調で勢いよく言い切る。
「いやいやいやさっきあなたのことを『かわいい』とか言ってワインがぶ飲みしてたじゃないですかあの人」
「え、女性が男に『かわいい』って言うのはペット的な感覚だろ? 彼女の方が年上みたいだし、多分手のかかる弟みたいに思ってるんだよ。きっと」
あはは、と笑うルートにシェリーは思わず両手で自分の頬を挟み込んだ。唇が「O」の字のようになる。
この人、何もわかってないんだ。まさか雇い主がここまで朴念仁だとは。
エレーナがことあるごとにルートの一挙手一投足を見ていたり、それを見るたびに微笑んだり、目を輝かせているのを知らないのか。
第一、二人にはそれなりの肉体関係があると聞いた。
その過程でお互いの本心など見えてきそうなものなのに……。
「でも二人は寝てますよね? 何度も」
驚くほど冷静に口が次の言葉を紡いでいた。まるで裁判官にでもなった気分がした。
言われた途端、顔を隠すように彼はうなじに手をあてがってはそこを揉みながら、明後日の方を見る。
「え……あ……あれはほら、生産活動だから……」
「生産活動?」
「工場で製品を生み出すのと同じだよ。みんなで協力して一つの製品を生み出す。僕とエレーナで、オリハルコンができる。その為に行っているんだ」
言い訳として苦しすぎる。
「ちょっと気持ち悪いです……」
ルートは愕然としたが、直後に自分の発言を顧みたのかため息を吐き、首を横に振った。「そうだよね。すまない」
「そもそも生産活動だって言うのならもっと機械的にできたはずですよね……。唾液や汗をビーカーや器に溜める。それを消しゴムにする。エレーナさんが触れる。オリハルコンの完成。ほらぁ」
降伏するように雇い主は石段の一段目に腰かけた。シェリーも近くに行き、同じようにした。
彼は眉間にしわを寄せていて、それを解きほぐそうと一心不乱に揉んでいた。
やがて手を止めて言った。
「言えないだろ今さら。彼女と触れ合っていると落ち着く、二人の時間がもっと欲しいなんて。好き嫌いは金稼ぎには関係ない。……効率的じゃないよ」
「好き嫌いのことだからこそ、したいようにできるんじゃないですか。仕事なんて関係ないですよ……」
「そういうもんか」
「そういうもんです。……知らんけど」
悩みの糸が切れたように、ルートがはにかんだ。
「シェリーさんを採用して正解だったよ」
「へへへ……でしょ?」
照れ隠しにガシガシと頭を掻く。
ルートが立ち上がり、ホテルへと向き直る。ロビーのまぶしい明かりに目がくらんだのか、目を細めた。
「彼女が目を覚ましたら話してみるよ。二人の事も――」
その時、ルートはかろうじて見える視界の端に、急速に近づいてくる何かを認めた。
人だ。キラリと光るものを手に持っている……あれは――刃物だ。
「シェリーさん!」
直線状にいたシェリーをかばうように、ルートは近づく影の正面に立った。
そして左胸に異物が入ってくるのが分かった。
目の前にはかつての恋人であったローザの顔があった。
「ジー……ナ」
「お久しぶりですねルート。相変わらずお優しいこと」
刃物を握った手が離される。
「ぼすから離れろおおおお!」
シェリーが懐から取り出した小型の装置を操作すると、装置の銃口のように伸びた穴から指先ほどの小さな光線が放たれた。
的確にローザの額を打ち抜く軌道だ。
だが、歌姫としてダンスの才覚も知られるローザの柔軟性に躱されてしまった。
もっとも前髪の一部を軽く焦がしはしたのだが。
「その武器は……っ? 高位魔法クラスの破壊力ね」ローザの反応からも動揺していることがわかった。「まあ、いいでしょう。それよりもルート。あなたは調子に乗りすぎた。身の程をわきまえるべきだったのです。……ヴァルダルは誰にも容赦しない」
そういうとローザはいつの間にかかすめ取っていた袋を覗き込んで、その中にあるものがオリハルコンであることを検めた。
「あぅわ! いつのまにっ……!」
問い詰めるシェリーを一瞥すると、彼女は不敵に、歌姫と人々から愛されているポスター通りの笑みを浮かべた。
そして暗がりに溶けるように去っていった。
「……あっ! ぼす!!」
シェリーがルートの元へ駆け寄ると、その時初めて彼の容態が明らかになった。
左胸を深々と刺され、周囲の布地に鮮血がにじんでいる。
彼は気を失う寸前に彼女へ告げた。
「右の………ポケッ……エレ…………ナ」
エレーナはようやく眠りから覚めた。最後の記憶は定かではないが、酔いの熱も冷めていた。
「なんだか変な夢を見てた気分……ルート? いないの? シェリーさんも」
水差しからコップ一杯分を注ぎ一気に飲み干す。
部屋が不気味なほど暗い。月明りさえもほとんど届いていなかった。よほど暗雲が立ち込めているのだろう。
ドン、と扉を叩く音にビクリとする。
「っ!?」
敵か、ルートが警戒していた妨害工作か。そう思いベッド脇のオリハル剣に手を伸ばす。
しかしドアの向こうから聞こえてきた声に彼女は剣の存在すらも忘れてしまった。
「エレーナざぁん! あけてください! ぼすが! ぼすがぁ~~! あああぁーーー!」
泣きわめくその声が事態の深刻さを物語っていた。




