01. お前、クビ
「君はクビだ、ルート」
勇者ヴァルダルはそう告げた。
「そ、そんな! まだ入って一週間なのに……」
酒場の客たちは食器の音一つ立てず、「最強」が下す解雇劇に見入っていた。
「私だって残念さ。4年ぶりの『S級判定者』……。だが、君の能力は人を馬鹿にしているよ! 我々『セブン・ペガサス』の品位を損なうだけでなく、王国の名に泥をぬりたくっている! おおかた判定機の故障だったのだろうさ!」
「で……でもみんなは! パーティのみんなは賛成したんですか? ローザにはまだ聴いていないでしょう?」
青年ルートは恋人になったばかりの歌姫ローザを思い浮かべていた。 王国中の男たちの憧れの的、優しく美しい歌姫ローザ……。
彼女がこんな横暴を黙っているはずがない。 きっとリーダーであるヴァルダルの独断だと彼は思っていた。
「ローザか……くくっ……ハッハッハッハッハ!」
しかしリーダーは大声で嘲笑う。
「何がおかしいんです! ローザに何かあったんですか!」
「馬鹿だよなあ君も!」
ヴァルダルは突如、親友のようにルートの肩に手を回した。 あまりに強い力になすがまま縛り付けられる。
「君をクビにしようと真っ先に言い出したのは誰だと思う?
――ローザだよ! 君が”役立たず”と分かった夜、彼女がなんて言ったか!
『あれ、ゴミだよ。明日追い出そう』
って言ったんだ! 俺にまたがりながらなぁ!」
ルートの顔は真っ青になる。
「信じない、そんなわけあるか!」
じたばたともがくものの、腕力で鎮圧されてしまう。
「嘘じゃないさ。なあ? ローザ」
勇者は青年の顎を掴み、ぐるりと栓をひねるように横を向かせた。
視線の先、二階に続く階段に、ローザがいた。金糸と見まがう、ウェーブがかった金髪、すれ違う人皆振り返る美貌……。
ローザ、と呼ぼうとするルート。だが下あごは強く掴まれ声は出なかった。
「ヴァルダル!」
ローザは悲鳴に近い声を上げて、階段を駆け下りて走ってくる。
やっぱり彼女は僕の味方だ、とルートが思ったのもつかの間。ローザは彼を見て、鼻で嘲笑った。
「あっ…まだ、いたんだ…」
そして彼を拘束して離さないヴァルダルの体に抱き着くと、舌を絡めた口づけを始めた。
ルートは「んー!んー!」と声にならない音を上げた。
手の平になにか生暖かい液体が落ちてきた。
それはローザとヴァルダルのどちらのとも知れない、口端からもれた唾液だった。
形をもたない唾液は、哀れな男の手のひらに触れて、白く小さいものに変わった。
鉛筆のないこの世界において役立たずでしかないもの。
『消しゴム』である。
「ハッ、そんなわけのわからないものが何の役に立つ!」
キスに満足したヴァルダルはルートを突き飛ばした。よろめきながら酒場の入り口にもたれかかる。ぐわんぐわんと背中にひびく痛みに顔をしかめる。
「……ちくしょう」
彼らを見る目にはいつしか憎しみが宿っていた。
「改めてはっきりさせておこう!」
ヴァルダルは酒場中に、王国中に聞こえるほど声を張った。
「ローザは俺のもの! 国中が求め続けた理想のカップルだ!」
酒場はワッ、と歓声に包まれた。ジョッキが高くかかげられ、黄金の飛沫があちこちで舞う。
勇者万歳、歌姫万歳の合唱がキンキン鳴る。
「そしてルート! 嘘にまみれた愚か者よ! 国を騙し、我が愛しのローザをも騙した! 貴様に与えた装備や道具の一切を没収する! もちろん、給与として払った金貨10枚もな!
お前は――クビだ!」
大樹をへし折る豪脚がルートの腹に叩きつけられた。
放たれた矢のように酒場を飛び出し、石畳の上をゴロゴロと転がって、大通りのど真ん中へと仰向けに大の字になる。
「い……ってえ……」
快晴で、陽がまぶしかった。
酒場ではもう誰もルートを覚えていない。盛大な酒盛りが始まっている。
「ちくしょう……ちくしょう……」
ルートは鼻血を袖でぬぐった。
かわりに涙が流れそうになる。
目の前を馬車が通りがかった。
馬が糞をボトボト、と鼻先に落としていった。
涙が引っ込んだルートは、馬の糞を頭からかぶらなかっただけマシだ、と思いはじめた。
捨てる神あれば拾う神ありだ。
すると、背後が何やらにぎやかだと気が付く。
さきほどいた酒場の真向かい、もう一軒の大きな酒場『わだち』から聞こえる。
なにやら揉めているらしい。ガラスが割れ、木材が折れる音がした。
すると次の瞬間、
「いてっ! 噛みやがったなこのクソアマ! てめえは……クビだ!」
「ちょっ、ウソでしょ待っ…ぎゃああああああああ!」
「クビ仲間が増えた…」とつぶやいたのもつかの間。
一人の女性がすさまじい勢いで酒場から蹴り出され、ルートのいる方へと転がってきた。
「えっ……ちょっ、来るな来るな来」
満身創痍の彼に避けられるはずもない。
女性を受け止め、勢いそのまま後頭部を馬糞へ突っ込んだ。
ヌッチャ……と両耳が嫌な音とあたたかさに包まれた。
転生して二週間弱。
「し、死にてえ~」とルートは思った。
【ルート 資産】
金貨 0
銀貨 0
銅貨 0