最終話 退院
手術後の二日目三日目は、主に食事との戦いだった。先生からは、ご飯さえ食べられれば退院だと言われたので頑張るしかない。
通院期間中は、入院は長くて一週間だと言われていたのでできれば一日でも短くしたいと思っていたから。
普段の私は、食べることが大好き。私から食べることを取ったら何も残らないのに……って言っても良いくらい。そんな私が食べられない。物理的に食べられないって中々しんどい。
それでも痛み止めの薬を、日に四回飲みながら食べる。もはや、食べるのが仕事みたいな二日間だった。
そんな中でも、ベテラン看護師さんの助言に従いコンビニに行ってプリンを買いに。食べやすい物の代表格と言えばやはりプリンでしょう。
ひとえにプリンって言っても沢山種類あるからね。どれにしようか迷った。ちょっとリッチでクリームが乗っているやつを最初に取ったけれど、考え直して至って普通のノーマルプリンにする。
ここでまた調子に乗って、食べられないなんてことがあっても嫌だし。まずは基本からだと自分を律した。
夕食が終わってから食べたプリンは、絶品だった。病院食だとデザートって果物くらいしか出なくて、今の私じゃ食べられる訳がなくて……。その点、プリンはつるんとしているから飲み込みやすい。それでもちょっと痛いけど、他の食材に比べたらそんなの痛さのうちに入らない。
卵と牛乳でクリーミーな舌触り。程よい甘さが心地よくて、口に入れた瞬間に自然と顔がほころぶ。
(はぁー美味しい)
プリンで、こんなに幸せになれるって素敵なことよ。食事と格闘していること以外は、特に苦痛なことがある訳ではなく平和だった。
手術後、割と早く点滴が外れたこともあって特に看護師さんが私のところにくることもない。だから、自由な時間は一杯あった。
ほとんどの時間は、持ってきた本を読んでいたから無事に読み終わることができた。戦争の本だったので、胸にズドンとくるものがあった。読んでいた場所が病院だったこともあり、考えさせられることも多かった。
入院してみて感じたのは、今が超高齢化社会だってこと。入院患者さんも、お年寄りが大半。かなり長い期間入院されている方や、これから抗がん剤の治療を始める方。
そんな患者さんたちを見ていると、私が同じくらいの年齢になった時に、癌と戦う元気があるだろうかって思ってしまう。
私が高齢者と言われる歳になるには、まだ何十年もある。今回ほんの少しだけ、死と接する経験をした。自分に対する死に向き合ったのは、もしかしたら初めてだったのかも。だからか、これからの生き方みたいなのもぼんやりと考える時間になった。
先生から退院日を正式に通達されたのは土曜日の朝。週明けの月曜日に退院しましょうと言ってもらえた。退院する日が正式に決まってホッとする。
入院したのが水曜日だったので五日で退院することに。主人に連絡して、当日の朝に迎えに来てもらうことになった。入院する時は、一人で来たけど退院は一人でなくて良かった。
さすがにそれは寂しくないか? と少なからず思っていたので。
今日で最後だなと荷物を片づけていた入院最終日。その日の夜勤担当の看護師さんが、私の印象に強く残っている。
入院中に色々な看護師さんがいて、どの方も個性があって素敵だった。そんな中でも、最後に担当してくれたこの看護師さんはひときわ際立っていた。
いつものように、日勤と夜勤が変わるタイミングでそれぞれの看護師さんが挨拶にやってくる。初めて目にしたその看護師さんは、茶髪で可愛いピアスを付けていて黒縁眼鏡をかける若い看護師さんだった。
顔と名前を一発で覚えられるタイプだなと妙に関心を抱いてしまう私。
挨拶が終われば、後は夜ごはんを食べるだけなので大人しく夕飯の時間になるのを待っていた。
黒縁眼鏡ちゃんは、私の後も挨拶に回っていたのだけど聞こえてくる会話を聞いていたら今までの看護師さんたちとは一味違った。
担当になった看護師さんは、挨拶とともに最後に必ず「何か気になることは、ありますか?」 って聞いてくれる。
一人の患者さんが、毎回同じことを言っていたの。最近、足が弱っている気がして踏ん張りがきかないと。私はさ、毎回ちゃんと言っていて偉いなって思っていたの。
私だったら、一回言って改善されないならしょうがないなって思うし、何度も同じことを言う勇気もないからさ。
大体の看護師さんは、足を見て様子をみましょうとか先生に話してみますとかって言う返答だったの。それだってちゃんと、患者さんの話を聞いて返答しているから間違いではない。
でもその黒縁眼鏡ちゃんは、「そしたらリハビリの日課を入院に組み込んでもらいましょうか?」って提案していたの。
ええーこの子凄いなって、素直に感心した。今まで、どの看護師さんもそんなこと言ってくれなかったのに。
何度も言い続けることって大切だって思ったし、自分の中での最適解を患者さんに提案できるこの子もよく勉強しているなって。
もちろんこの子だけの判断は無理だから、先生に頼んでみますねって言っていたけど。
それに感心エピソードはそれだけじゃなくて、黒縁眼鏡ちゃんは薬の質問にも難なく答えていた。出ている薬の効能にあう症状が出ている訳じゃないのに、処方されている薬があったらしく、質問をしている別の患者さんがいた。
それには、抗がん剤治療が始まると出始める症状だから、前もって処方されているのだと思うと回答していた。
ほとんどの看護師さんは、先生に聞いてみますで済ませるような質問なのによどみなく答える黒縁眼鏡ちゃんに感動した。
夜は、必ず薬を飲んだかも聞かれるのだけど「何種類飲みました?」って聞かれたのは初めてだった。間違いなく飲んだかを確認する手法に、仕事が丁寧だわーと惚れ惚れする。
素敵な看護師さんは沢山いたけれど、黒縁眼鏡ちゃんは別格だった。これからもそのまま突き進んで頂きたい。
そして翌日、私は無事に退院することができた。最後の日勤担当が、クールな彼女だったのだけど……。
退院手続きの説明をされて、最後に「ではエレベーターホールで待ってて下さい」って言われる。てっきり、まだ何かあるのかな? って挨拶もそこそこに荷物を持ってエレベーターホールへ。
そこで最後の担当をしてくれたのは、事務員さんだった……。なんだよー、まだ何かあるのかと思ったから、お礼とか言えずに終わったじゃないか。さすがクールビューティー。
全ての手続きが終わって、荷物を持ってエレベーターに乗る。一階に到着して主人の顔を見たら、とてつもない安堵感が広がった。結婚して初めてだと思う。そう感じた自分にもびっくりだ。
最後に、会計窓口で入院費用やパジャマレンタル代を支払う。一体いくらになるのだろうと、恐る恐るだったけれど大丈夫だった。
昔は、高額医療費制度も手続きが面倒臭かったりしたけれど今は全くそんなことはない。なんの申請もすることなく、健康保険証さえ見せればノンストップで適用される。
日本ってさ、最近色々言われているけどさ、こういうのは本当に素晴らしいと思うよ。
そして、通い慣れた大学病院の出口を出た私。一歩外に出れば、また日常の始まり。
おしまい
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*あとがき*
最後までお読みいただき、ありがとうございました。思っていたよりも長くなってしまったエッセイ。楽しんでもらえていたら嬉しいです。
退院してからは暫く痛み止めを飲んではいたけれど、今ではそれほど痛みを感じることはなく元気に生活しております。
エッセイ書いてみて、やっぱり書くのは楽しいなってちゃんと感じられたのが良かったです。これからも、自分のペースで書くことを続けていきたいです。




