第5話 いざクラデシュへ
ダグリエル草原を歩いて、隣町であるクラデシュを目指す。
フィオナの話では、歩いて四十分ほどで着く距離らしい。つまり三キロ~四キロぐらい離れているのだろう。
「この草原ってさ。ケルベロスはどれぐらいの頻度で出てくるの?」
俺は周囲に目を走らせながら聞いた。いつケルベロスが襲ってくるんじゃないかと、ヒヤヒヤしていたのだ。
フィオナは顎に指先を当てて「うーん」と唸る。
「大体隣町に行こうとしたら、一回は遭遇しますね。なのでここを歩くなら、武器を持つのは必須です。……ところでハルカワさんは、どうやって武器も持たずにダグリエル草原に来たんですか?」
フィオナが訝しむような目で俺を見てくる。
もしかして、素性を疑われているのかも知れない。
「いや……実はさ。ここに来る途中に落としちゃって。その、剣を。ケルベロスに襲われている時に。だからあそこで、ふて寝してたんだよ。下手に動く訳にもいかないから、さ」
俺は身振り手振りを交えて、必死に言い訳を並べた。
咄嗟にしては悪くない出来だったからか、フィオナは合点がいったように頷いてくれた。
「そうだったんですね。剣を落としちゃったのってどこら辺ですか? 私が一緒なら拾いに行けると思いますよ?」
そう言ってフィオナは杖を大袈裟に振ってみせた。「ケルベロスが出た時は任せておいて」という事らしい。
しかしその申し入れは当然受け入れる事ができず、俺はまたも言い訳をするために頭を回転させた。
「いや、いいんだよ。間違えて地面にぶつけちゃった時に、切っ先の部分が欠けちゃって。だから使い物にならなかったんだ。回収しても意味ないし、ここはクラデシュに向かおう」
「へぇぇ。それだけで欠けちゃうなんて、随分と使い込んでたんですね。じゃあクラデシュに着いたら新しい武器を買わないとですねぇ」
「ははっ。そうなんだよ。ずっと愛用していた品でさぁ」
などと笑いながら受け答えをしていた俺は「新しく武器を買わないと」というフィオナの言葉を聞いて、冷や汗をかいていた。
――この世界って、通貨はどうなっているんだ?
間違いなく日本円は使えないだろう。というより会社のオフィスにいた時と服装が違うから、財布も持っていないし。つまりは武器を買うお金がないのだ。
――やっぱり早急にフィオナには事情を説明しておくべきかもしれない。
とはいえ、まずは図書館でこの世界についての情報を仕入れておかないと。
もしかしたら俺みたいな『別の世界から来た人間』が大勢いるかも知れないし。
それから三十分ほどダグリエル草原を歩く。
フィオナが言ったとおり、本当にケルベロスが出てきた。肩の調子が良くなったフィオナのおかげで楽々と撃退できたけど、こんな化け物が闊歩しているなんて恐ろしい世界である。
思えば、町の人たちはみんなガタイが良かった。
化け物が多いからこそ、それだけ常に研鑽を積んでいるって事なんだろうな。
やがて『クラデシュ』という看板が置かれた場所に着く。
その看板の近くには鎧を着た男性が立っていた。剣を持っているところを見ると、警備でもしているらしい。
明らかに『何度も修羅場をくぐってきた』という雰囲気を醸し出している男の表情を見て、思わずたじろいでしまった。
……変な風に誤解されて、取り締まられなきゃいいけど。
「こんにちはっ。今日もクラデシュに来ちゃいました」
フィオナは鎧の男に親しげに声をかけた。
鎧の男は険しい表情を崩し、笑顔でフィオナに手を振っている。
「こんにちは。今日も元気そうだね。――そっちの人は?」
鎧の男はフィオナと俺を交互に見ながら質問してきた。どうやら俺が新参者だから警戒しているらしい。
フィオナが何て答えるか読めず、背中にタラリと冷たい汗が流れる。……頼む、怪しまれるような事は言わないでくれっ。
「旅人さんです。クラデシュに用事があったみたいなので、案内してました」
「ふぅーん。旅人さん……ね」
鎧の男は俺を見定めるように、つま先から頭のてっぺんまでジロジロと視線を走らせてきた。
フィオナ曰く、俺はこの世界では異端の格好をしている。だから鎧の男の反応も無理はないだろう。
「ハルカワさんって言うんですけど、凄い方なんですよっ。私の肩の痛みを治してくれたんですっ」
「へぇ、そうなのか。ってことは魔法使いなのかい? 肩の痛みを治す魔法なんて、聞いた事がないけど」
鎧の男が俺の目を見据えて聞いてくる。
俺は鼻で大きく息を吸うと、勢いよく口から吐いて鎧の男に近付いた。
「えぇ、実はそうなんです。新しい魔法を研究……習得するために、旅をしていまして。その、書物を探しているんです。勉強中の身でして」
そう言って俺は鎧の男に右手を差し出した。
俺の右手を見下ろした鎧の男は、少し考え込むような仕草をした。
「……そうか。クラデシュには大きな図書館がある。お望みのものが見つかるといいな」
鎧の男は原木のように硬い手のひらで、俺の右手を握り返してくれた。
どうやらこの世界でも、握手は友好の証らしい。
「ではっ、私たちはクラデシュに行きますねっ」
ペコリ、と頭を下げてから、フィオナが先を急いだ。俺もそれに続く。
「……さっきの人、知り合いなの?」
後ろを振り返って、鎧の男が見えなくなってから、俺はフィオナに聞いた。
「そうですよ。クラデシュには私もよく行くんです。お使いとか、勉強をしに。なのですっかり仲良くなっちゃいました」
「なるほどね。お使いかぁ」
ということは、クラデシュにしかない物があるらしい。
どうやら隣町同士、交易をしながら生活をしているようだ。毎回ダグリエル草原を通らないといけない商人は大変だろうな。
「あっ、見えましたよ。クラデシュですっ」
そう言ってフィオナが遠くを指差した。目を細めると、確かにそこには町らしきものが見える。
パッと見た感じだと、エドレンシスより大きいようだ。
「少し早歩きしましょうか。図書館に行っている時間も考えると、帰る頃には日が暮れるかもしれないので」
俺は頷くと、少し歩速をはやめた。
もうすぐ図書館で書物が見られる。そうすればこの世界が何なのかも分かるだろう。俺は胸の鼓動が早まるのを感じていた。