第4.5話 巻き肩を治すマッサージ(フィオナ視点)
ハルカワさんにいきなり「ローブを脱いでくれる?」と言われた時は、驚きで喉から手が出てしまいそうだった。
マッサージするのに必要な事だから、と言われて恥ずかしさを押し殺して脱いだのに、結局は服を着させられちゃうし。
――ローブの下が下着だって、本当に知らなかったのかなぁ。
ベッドの上でハルカワさんに背中を向けながら、私は心の中で首を傾げる。
どうやら遠いところから来たみたいだけど、そんな事ってあるのかな。ただ私の下着を見たかっただけなんじゃないかな、とつい勘ぐってしまう。
でも現にハルカワさんのおかげで肩の痛みが楽になったし、こうして家に招いてもおかしな事をする様子はない。
少しは信頼しても良いのかな、と思い直すことにした。
――とはいえ、いくらマッサージに興味があったとしても、いきなり男の人を家に入れるのはやり過ぎだったかなぁ。
私って意外と大胆だったんだ。心の中で、くすりと笑った。
「じゃあ、早速マッサージをしていこうか。『痛気持ちいい』ぐらいがちょうどいいから、もし痛すぎたりしたら言ってね」
「わかりましたっ。お願いします!」
私はハルカワさんに勢いよく頭を下げた。
マッサージに少し不安な気持ちがあったから、それを払拭するために大きな声が出てしまって恥ずかしい。
それから少しして、ハルカワさんの大きな手のひらが私の肩に触れる。
まだ『痛気持ちいい』というマッサージはしないようで、手のひらで肩周りを擦っているだけだった。
――でも、擦っているだけなのに、すっごく気持ちいい。
身体がポカポカと火照ってきて、じんわりと汗ばんでくる。
……ローブを着たままで正解だった。もし下着姿だったら、汗が恥ずかしくって倒れていたかも知れない。
ハルカワさんはしばらく肩周りを擦り続けていた。
少しずつ眠気が出てきて、目を開けるのも辛くなってしまう。
うつらうつらしていた私は、首がカクンと揺れた際にパチリと目を覚ました。
――どうしよう。気持ち良すぎて寝ちゃってたみたいだ。せっかくマッサージしてくれているハルカワさんに申し訳ない。
「……ちょっと、寝ちゃってたかもです」
私が正直にそう言うと、ハルカワさんは優しい声音で「全然、気持ちよかったら寝ててもいいよ」と言ってくれた。
「いえっ、起きてますっ。何だか申し訳ないのでっ」
私は眠気を覚ますために、手のひらで両目をゴシゴシと擦った。
そしてパチクリと目を何度も開けたり閉じたりする。
……うん。少しは目が覚めたみたいだ。
私が覚醒したのとほぼ同時に、肩に痛気持ちいい刺激がやってきた。
どうやら本格的にマッサージが始まったらしい。
ググッググッグググッ――。
ハルカワさんの親指が、私の背中を心地よく押してくる。
押された直後は「痛いっ」と思うけど、その苦しみはすぐに「気持ちいいっ、もっとっ」に昇華する。
なるほど、これがハルカワさんの言う「痛気持ちいい」なのか。痛いのに気持ちいいなんて、何とも不思議な感覚だ。
グッグッグッグッ――。
ハルカワさんの指のリズムが変化する。さっきよりも押される間隔が短くなっているようだ。
小刻みに身体全体が前後するから、まるでゆりかごにでも乗っているような気持ちになる。
やがてハルカワさんの手が、私の腕に触れる。
そしてローブ越しにまさぐった後に、関節の上あたりを少し強めに押した。
その瞬間、まるで刃物で刺されたかのような鋭い痛みが腕を襲う。
いや、もちろん刃物で刺されたことなんてないけど、そう思えるぐらいキレのある痛みだった。
でもそんな痛みも、すぐに「気持ちいい」という感覚に変わる。
「何かそこ、すっごく痛いです……」
私は眠そうな声でハルカワさんに言った。
実際、すぐにでも眠ってしまいそうだった。マッサージは痛いときもあるけど、それでも「心地いい」と感じてしまうのである。
「ここは巻き肩に効く『手五里』っていうツボがあるんだ。奥に響くような痛みがない?」
――テゴリ。ハルカワさんの言った言葉を頭の中で反芻させる。
そんな言葉は聞いた事がなかった。ハルカワさんは、随分と私が知らない事を知っている。
「はい……何だかジーンっていう感じがします……。巻き肩なのに、腕が原因なんですか?」
「うん。腕が捻れていると、肩にも負担がかかるんだ。だから実は肩が痛い時って、腕をマッサージするのも大事なんだよ」
「へぇぇ……マッサージって奥が深いんですねぇ」
言いながら、思わず欠伸が出てしまう。
眠たい頭で複雑な事を考えてしまっているから、上手く思考が整理できていない気がした。
「次は鎖骨の方をマッサージするから、ビックリしないでね」
ハルカワさんはそう言ってから、私の両肩に手を置いた。
そして徐々に鎖骨へと手を向かわせる。
その動きがまた、私の肌を刺激して、心地いい刺激を与えてくれる。
そしてハルカワさんは鎖骨の少し下にあるところをグッと押した。
あまりの痛さに、一瞬呼吸が止まってしまう。
――まるで腕が根本から切れたような痛みだ。
でもその痛みの奥深くには「気持ちいい」という感覚がある。
どうして痛いのに気持ちいいのか、この時に何となく分かった気がした。
痛みの直後にある「痛みが消え去った瞬間」が、とてつもなく気持ちいいのだ。解放感すらある。
そんなことを寝ぼけ眼で考えていたら、不意に涎が垂れてしまった。
ハルカワさんにバレないように涎を啜ってから、誤魔化すために咳払いをする。
――咳払いは余計だったかも。怪しまれてないといいけど。
「どうかな? 結構マッサージしたんだけど」
鎖骨へのマッサージが終わると、ハルカワさんは私から手を離して言った。
「ちょっと肩を回してみて」
言われるがままに両肩をぐるんっと回した私は、その軽快さに驚いた。感激すらしていた。
今までは両肩に岩でも乗っているのかというぐらい重かったのに、今は自由に動くのだ。
「すっごいです! さっきよりも格段に肩が動くようになりました! ……ちょっと、杖を取って貰えますか?!」
嬉しくなった私は、その場で座ったまま飛び跳ねながらハルカワさんに杖を持ってきてもらう。
杖を握った私は、そのままベッドの上でそれを振り始めた。
さっきまで、杖を振ろうとすると肩に痛みが走って、まともに魔法が使えなかった。
でも今ならどんな魔法でも自由自在に使えそうな気がした。
「すっごいですハルカワさん! どうしてマッサージだけでこんなに良くなるんですか?!」
杖を持ったまま振り返って、ハルカワさんに質問する。
でもハルカワさんは、何もない空間を見つめてボーっと立っているだけだった。
「ハルカワさん! ……ハルカワさん?」
何回か呼びかけて、ようやくハルカワさんが気付いてくれた。
「あぁ、ごめんごめん。もう肩周りは大丈夫かな?」
「はい、大丈夫ですっ! これならケルベロスが何匹襲ってこようと、全部退治できます!」
そう言って、私は杖を大きく振り下ろして見せる。
うん、これだけの動きをしても問題ない。本当に肩周りが良くなっている。
「ははっ。できればケルベロスとはあんまり遭遇したくないもんだなぁ」
ハルカワさんの冗談に、私は小首を傾げてしまっていた。
――そういえば、ハルカワさんはどうやって武器も持たずダグリエル草原に来られたんだろう。
あそこはケルベロスやスライムがたくさんいるから、近くの町では常に監視役がいるぐらいなのに。
ひょっとして、本当は魔法が使えるんだろうか。でも杖は持っていないし――。
「よし、じゃあ最後に軽くストレッチをしよっか。もう一回あっちを向いてくれる? あぁ、杖は俺がもとに戻しておくよ」
そう言ってハルカワさんは手を差し出してきた。
私は言われるがままに杖を手渡す。
――まぁ、疑問はあとで質問すればいいよね。
今はマッサージに集中したかった私は、そう思うことにした。
「まずは肘を曲げたまま、両手を横に上げてもらえる?」
――あれっ。マッサージって、私の方も動く必要があるんだ。
そういえばさっき『ストレッチ』と言っていた。どうやら今までとは違う事をするみたいだ。
私は少し戸惑いつつも、言われた通りに肘を曲げて両手を横に上げた。
「そしてそのまま、胸を張って。肩甲骨が引き締まるのをよく感じてほしい」
「肩甲骨……って、どこですか?」
私が聞くと、ハルカワさんは背中にある骨をググッと押してくれた。
そして「ここだよ」と教えてくれる。
どうやら肩の付け根部分の骨のことらしい。
「こう……ですか?」
胸を張った私は、不安になりながらハルカワさんに聞いた。
すぐに「その調子」と言ってくれたから、ホッと一安心する。
「そのまま後ろに腕を伸ばしてみよっか。倒れても俺が支えてるから大丈夫だよ」
私の両手首を掴んでハルカワさんは言った。
ゆっくりと腕を後ろに伸ばした私は、その気持ちよさに思わず「ん~~~~っ」という変な声を漏らしてしまった。
腕を後ろに伸ばすのは、想像を絶する快感だった。
ググーッと伸びるのと同時に、上半身の疲れが手の先から出ていくような感覚がする。
伸ばしている間は自然と息が止まってしまうから、腕を元に戻した時は大きく息を吐いてしまう。
その時には身体中の疲れが、吐く息から放出されるような感覚に陥るのだ。
――どうしよう。マッサージとストレッチ、ハマってしまうかも。
今までの十二年間、こんな気持ちいいことを知らずに生きていただなんて。
……でもお母さんは――大人たちは、そもそも知っているんだろうか。こんなものがあるなんて、今まで聞いた事がなかったけど。
それから十回ほど腕を伸ばすのを繰り返して、マッサージを終える。
終わった時は思わず「はぁぁぁ」と一段と大きく息を吐いてしまった。
「これ……すっごいですね。何だかよく眠れそうです……」
全身から疲労感が抜けたからか、身体に力が入らない。
今すぐにベッドに横になれば、ものの数秒で眠りにつける自信があった。
「今は寝たら困るけどさ、マッサージやストレッチは自分でもできるから、これからは定期的にやるといいよ」
ハルカワさんはそう言うと、棚の上にある杖を持ち上げた。
どうして持ち上げたんだろうと思ったけど、ハルカワさんに「クラデシュに行こう」と言われて、ハッとする。
そうだった。これからクラデシュに行くんだ。
その準備として、ハルカワさんは私にマッサージやらをしてくれたのだ。
私は杖を受け取ると、がっちりと握り込んでからハルカワさんに頷いてみせた。
そして二人で一緒に家を出る。
外はまだ明るくって、これならクラデシュに行っても夜になるまでには帰ってこれそうだった。
私の先導でエドレンシスを出つつ、しきりに肩をぐるぐると回す。
まるで肩を入れ替えたかのように、スムーズに動いてくれた。痛みだってない。
肩や身体の調子が悪いのは、何も私だけではない。
この町の人たち――いや世界中の人たちは、日々魔物と戦っているから、心身がとても弱っていた。
それが原因で魔王を倒す事ができず、劣勢を強いられている。
魔王城の近くにある町が、どんどん魔物に侵略されていると聞いた事がある。
だから早急に対抗しなければいけないけど……それだけの力が、今の人間たちにはなかった。
――でも。もしハルカワさんが私にしたみたいに、マッサージで痛みや不調が治せるのであれば。
――元気になった仲間たちで、魔王だって倒せるかも知れない。
ダグリエル草原を歩く私は、持っている杖を力強く握りしめた。