第3話 黒いローブ
フィオナに案内された二階の部屋は、やけに質素だった。
木製の棚とベッドが一つあるだけの、素朴な寝室。大きな窓から陽光が差し込んでいるから、部屋全体は明るい印象だった。
フィオナは杖を入り口近くの棚に置くと、ベッドに腰掛けた。ギシッという、木のたわむ事が聞こえる。
「ハルカワさんも、どうぞ腰を掛けてください」
フィオナは隣のスペースをポンポンと叩いた。
しかし俺は頭を振って「俺は立ったままでいいよ」と答える。
年端も行かぬ少女の隣に座るのは、心のどこかで抵抗感があったのだ。
「それより、マッサージの話をしよっか。フィオナはマッサージの事を知らないみたいだったから、ザックリと概要から話すね」
俺は咳払いを一つすると、マッサージについて端的に説明を始めた。
――マッサージは、リンパや血液の流れを良くしたり、筋肉を弛緩させる為に行うものである。
特に肩こりは、肩の筋肉が硬くなって血流が悪くなっているのが主な原因とされている。
だからマッサージで筋肉を解して血流を良くしてあげれば、肩こりの解消に効果的なのだ。
また人体には経穴(ツボ)と呼ばれている部位がある。
ツボには神経や血管がたくさんあるので、そこを刺激する事で痛みを和らげたり、解消する事ができる。
「さっきフィオナにマッサージした時も『肩外兪』っていう肩のツボを刺激したんだ。結構効果あったでしょ?」
「はいっ、すっごく効果ありました! 何だか、急に肩にツバサが生えたみたいに軽くなって。……でも、今は少し肩が痛くなってきました。重いというか」
フィオナは右腕をぐるんっと回しながら、小首を傾げた。
さっきは簡易的なマッサージしかしていなかったから、もう既に筋肉が硬くなってきたのだろう。
「それじゃあ本格的にマッサージしよっか。ローブを脱いでくれる?」
「えっ。ろ、ローブを……ですか?!」
何故かどぎまぎしているフィオナに対して、俺は「うん」と頷いてから続ける。
「ローブの上からだと、筋肉の調子とかが良く分からないんだ。さっきは緊急だったからローブの上からやったけどね」
「そっ、そうなんですね……。――あのっ。本当に脱がないと……ダメですか?」
「そりゃあそうだけど……?」
抵抗するフィオナに疑問が湧く。
ローブの下にだってシャツか何かを着ているだろうに、どうしてそこまで嫌がるのか。
とはいえ、フィオナも恐らく思春期の年頃。色々と複雑なのかも知れないな、と思い直す。
「あっ、でも嫌だったらそのままでもいいよ。さっきローブの上からやっても効果あったし、何とかなるでしょ」
気を遣った俺の発言に、フィオナは「大丈夫ですっ」と頭をぶんぶんと左右に振る。
「脱ぐ、脱ぎますっ。ただちょっと恥ずかしいので、あっち向いててもらってもいいですか?」
「あっち? 別にいいけど……」
釈然としない気持ちになりつつ、俺はフィオナの言う通りに入り口の方を向いた。
すると少ししてから、布の擦れる音が聞こえてくる。
バサッというローブがベッドの上に置かれたらしき音がしてから数十秒後、フィオナが「もう良いですよ」と言った。
「ありがとう。それじゃあ早速――」
フィオナの方に振り向いた俺の動きが止まる。
まるで時が止まったかのように、フィオナの立ち姿に釘付けになった。
――フィオナはあられもない下着姿で、その場に立ち尽くしていた。
右腕で胸元を包み込み、左腕でお腹周りを隠している。
純白の下着が窓から差し込む陽光に溶け込んで、何とも言えない神秘的な雰囲気を醸し出していた。
華奢で細身なシルエットが、また何かの彫刻を彷彿とさせる。
「……なんで、下着姿になってるの?」
振り向きざま、ようやく俺の口から出た言葉は、そんな感想だった。
「あなたが脱いでと言ったんじゃないですかっ」
フィオナは頬を赤らめて、俺に対して怒るように言った。
ベッドの上に置かれた着衣に視線を移す。
ベッドの上には黒いローブしかない。――まさかっ。
「もしかしてフィオナって、ローブの下は下着だったの?」
「当たり前じゃないですか! ローブの下に服を着る人なんていませんよっ!」
フィオナが目を細めながら、俺を威嚇するように吠える。
さながらさっき見たケルベロスのような形相だった。
――そうか。ファンタジー世界の作品だと、ローブの下にシャツを着ていたから想像もしていなかった。
だからさっきはあんなに拒否していたのか。というか、逆によく脱ぐ気になったな。
「ごめんっ、知らなかったんだ。……もうローブは着ていいよ。お互いやりにくいだろうし」
「……何ですか、それっ。最初から言ってくださいよっ」
フィオナは「もうっ」と悪態をつきながら、再び黒いローブを身にまとった。
実際ローブの上からだと肩を動かしにくいだろうけど、この際は仕方ないだろう。何より下着姿の少女を相手に、マッサージをする気にはなれない。
「――それじゃあ、気を取り直して。マッサージを始めようか」
俺はそう言って、ベッドの縁に腰掛けているフィオナの前に立つ。
フィオナは俺の失態に対してふくれっ面をしているが、どうやらこのままマッサージをさせてくれるようだった。