第2話 石造りの町
フィオナが案内してくれた町は、俺の想像を大きく裏切ってきた。
道の両端に石造りのような建物が所狭しと並んでいるだけの、質素なところだったのだ。
少し遠くには背の高い時計塔が見えるけど、きっとあれがこの町の観光名所なのだろう。
そして道行く人はみんなみすぼらしい服を着ていた。
男性は白い長袖のシャツに茶色のズボン。女性は緑や青色のワンピース。
――映画で見たことある、中世ヨーロッパの世界観だ。
俺は真っ先にそう思った。
もしかして何かの映画のセットなのかと思ったが、すぐにその考えを却下する。
いくら映画の小道具だとしても、杖から火の玉が出てくる筈がない。
「……何だか俺、みんなからの注目を集めてないか?」
石造りの町の中を歩きながら、俺はフィオナに話しかける。
すれ違う男性も女性も子どもも老人も、みな一様に俺のことを凝視してきた。中には二度見三度見してくる不届き者すらいる。
「そりゃあ、ハルカワさんは目立ちますからね。珍しい服装をしてますし。そういえばどこから来たんですか?」
「どこからって……どこなんだろう」
その質問に答えるには、まず俺から聞きたい事があった。
そもそもここはどこなのですか、日本なのですか、日本ではなくても地球なのですか――と。
「何ですか、それっ。ハルカワさんって面白い人ですね」
フィオナが無邪気にクスクスと笑った。
俺からしたらみんなの方が面白いんだけど――とは言わないでおいた。
それから五分ほど町の中を歩いて、フィオナが立ち止まる。
近くにある建物を指差して「ここが私のお家です」と言った。
そこにあったのは、二階建ての小さな家だった。
一階にも二階にも窓が多いのが印象的だ。どうやら屋根裏もあるらしく、屋根にも窓がついている。
フィオナが木製の扉を開けて中に入る。俺はまだ中には入らず、外から室内を窺った。
中は薄暗い。どうやら明かりはついていないようで、窓から差し込む陽光だけが室内を照らしているようだ。
「何もないところですけど、上がってくださいっ」
フィオナが手招きしてきたので、俺はゆっくりと室内に足を踏み入れた。
靴を脱ごうか迷ったが、フィオナが土足のままだってので、俺もそれに倣う。
フィオナが言うように、家の中は殺風景だった。
部屋の中央に木製のテーブルと椅子があるだけ。後は囲炉裏やら棚やらがあるが、テレビやエアコンといったハイカラな家電は置いてない。
「……あのさ。今って、西暦何年なのかな」
俺はテーブルの上に置いてある蝋燭を見てから、フィオナに問いかけた。
どう見てもこの家の様式や、外の景色は二十一世紀のものとは思えない。
――今が西暦何年なのか。
それを聞くのは怖かったが、知らないことには前にも進めないと思った。
「西暦? ――なんのことですか?」
フィオナは不思議そうに眉根を寄せた。
それはある意味で、俺の想像通りの反応だった。
「……年号の事だよ。年号は分かる?」
「あぁ、年号ですか? それならイグニア歴五百六十年ですけど……」
――イグニア歴。
フィオナのその言葉を、頭の中で何度も反芻する。
そんな年号は聞いた事がない。
映画や漫画の中ですら見た事がないだろう。
一体、この世界はなんなのか。
「……あの。ハルカワさんって、何者なんですか?」
その言葉で、思考の世界から現実に呼び戻される。
フィオナは俺の正体を勘ぐるように上目遣いをしていた。
「何だか他の人とは違う気がします。服装も、話し方も」
フィオナはそう付け加える。
俺は押し黙ったまま、室内をゆっくりと一望した。
電気やガスはもちろん、水道すらなさそうな石造りの家。確実にここの文明レベルは中世かそこらに違いない。
――もしかして、俺は死んだ拍子に異世界にでも飛ばされたのだろうか。
異世界。そんなものの存在は信じていなかったが、フィオナの魔法を見た以上、信じざるを得ない。
あんな杖から火の玉を出すなんて、二十一世紀でも無理だ。しかもフィオナはまだ子どもなのだ。
「……ハルカワさん?」
思考に耽っていて返事をしなかった俺の二の腕を、フィオナが軽く突く。
どうやら無視していると思われたみたいだ。少し唇を尖らせている。
「あぁ、ごめん。……えっと。俺はちょっと遠い場所から来てさ。それで雰囲気が違うんだと思うよ」
俺はわざとらしく笑顔を作ってから言った。
実際それは嘘ではなかった。俺は日本という遠い国から来たのだから。
まだ「異世界から来たかもしれない事」は黙っておくことにした。
話しても混乱させるだけだし、何よりも「頭のおかしな人」と思われて追放されたくはない。
今の俺にとって、フィオナは唯一の生命線なのだ。フィオナ以外と良好なコミュニケーションを取れるとも限らないし。
「そうなんですねっ。ちなみに何ていう場所から来たんです?」
「……日本だよ。知ってるかな?」
「ニホン……ですか? 聞いたことないですねぇ」
フィオナは手のひらを頬に当てながら小首を少し傾けた。
「まぁ辺境の国だしね。そういえばここは何ていう国なの? たまたま流れ着いただけで、あんまりここら辺に詳しくなくって」
「クニ……? 何ですか、それって」
そのフィオナの反応にハッとする。
もしかしたらこの世界には『国』という概念そのものがないのかも知れない。
この町もかなり小さくて、数十分もあれば全部見て回れる程度の広さしかないし。
「いや、国じゃなくて……町。そう、町だ。この町の名前を知りたくって」
「あぁ、それなら『エドレンシス』ですよ。小さな町なので知らないのも無理はないと思いますけど」
「へぇ、エドレンシス……ね」
フィオナが教えてくれた町の名前を復唱しながら「という事は他にもっと大きな町があるのか」と考えを巡らせる。
「何もないところですけど、自然が豊かでいい町ですよっ。薬草とかもいっぱいあるので、よく怪我した冒険者さんたちが泊まりに来ますし」
冒険者。その言葉を聞いて、思わず頭がくらりとする。
本当にファンタジーの世界に迷い込んだような気がしてきた。
……とりあえず。この世界が一体なんなのか、それを解明しない事には始まらない。
「あのさ。この町って、図書館とかある? あぁ……えっと、本というか書物がたくさん置いてある場所のことなんだけど」
「図書館なら隣町の『クラデシュ』にありますよ。興味あるんですか?」
この世界にも図書館はあるんかいっ。
思わず内心で突っ込んでしまう。
二十一世紀と中途半端に文明が違うから、何が通じて何が通じないのかすら分からない。
もっともそんな悩みも、図書館に行って本を読めば分かるだろう。きっと歴史書なんかはあるだろうし。
「うん、興味がある。もし良かったらだけど、案内してくれないかな?」
玄関の近くにある窓から外を見る。
まだ空は明るいし、夜になる前に隣町へ行って帰ってくる事ぐらいはできるだろう。
まぁこの世界に夜なんて概念があるのかは知らないけど。
「別に良いですけど――」
フィオナは呟きながら、少しモジモジとしたように身体を左右に揺する。
そして両手を後ろで組むと、頬を赤らめながら俺の事を見つめてきた。
「その前にっ。マッサージの事を教えてくれませんか? あれから肩の痛みが良くなったので、どういう魔法だったのか知りたくってっ」
「あー、そっか。そういやそんな話をしてたな」
フィオナに言われて思い出す。
俺は『この世界が何なのかを知るためにフィオナに着いてきた』けど、向こうは向こうで『マッサージの事を知りたいから俺を家に入れた』のだ。
「そうだなぁ。説明するよりも実際に体験してもらうのが良いだろうから、フィオナの肩こりも治しちゃおうか。これからダグリエル草原……だっけ。ケルベロスのいるところも通るんだろうし、その時にまた肩が痛くなっちゃったらおしまいだからね」
「それは嬉しいですけど……そんな事できるんですか?!」
フィオナは喜々として目を大きく見開いた。
嬉しそうにその場でぴょんぴょんと飛び跳ねている。黒いローブのせいか少し大人びて見えるけど、中身はやはりただの子どものようだ。
「分からないけど、さっきのマッサージで良くなったなら意外とすぐに治ると思うよ。隣町に行く前にサクッとやっちゃおうか。このお家ってベッドはある?」
「二階にありますっ。案内しますね!」
そう言って、フィオナは右手で手招きをして二階へと駆け上がっていった。