第9話 独白
武器屋で手に入れたナイフをズボンの中に隠すと、俺は図書館に戻った。
そして一階で魔導書を読んでいるであろうフィオナを探す。一階を隅から隅まで見渡すと、端っこにフィオナの姿があった。棚の上をちょこんと立ちながら見つめている。
俺はフィオナに近づくと「何か欲しい本があるの?」と問いかけた。
驚いたような表情を浮かべながら、フィオナが振り向く。
「あっ、ハルカワさん。実は上にある本が欲しいんですけど、届かなくって……。脚立も他の人が使ってるんです」
フィオナが一冊の本を指差す。俺はこともなげに、その本をヒョイッと手に取った。
「はい。これで合ってる?」
手に取った本の表紙をフィオナに見せる。赤い背景に、幾何学模様が浮かんでいるような本だった。
その色から学生時代の赤本を思い出してしまって、つい顔をしかめてしまう。何もこんなデザインにしなくてもいいのに。
「そうですこれですっ! ありがとうございます! 背が高いっていいですねぇ」
フィオナは赤い本と俺を交互に見つめながら、羨ましそうに言った。
「背が高いって……そんなことはないけどね」
と言いつつ、ふとある事に気付く。確かにこの世界ですれ違う人々は、みんな俺よりも小柄だ。
もともと百七十センチメートルと、平均的な身長でしかない俺も、この世界では随分と大柄に見えるらしい。
「それじゃあ私はこの本を借りてきますね。ハルカワさんは何も借りなくっていいんですか?」
「俺はいいや。――じゃあ図書館の外で待ってるから」
カウンターへと向かうフィオナに手を振って、俺は図書館の外に向かう。
外に出ると、涼しい風を感じながらズボンのウエストバンドに挟んでいるナイフに触れた。
――エドレンシスに向かう道中に、フィオナに話すしかない。俺が異世界から来たって事を。
この世界で俺は宿なし職なしの浮浪者だ。誰かの協力を得られなければ、生きることすらままならない。
だったら幸運にもいい関係を築けているフィオナに事情を話して、しばらく匿ってもらうしかないだろう。
しかしもちろん、フィオナが俺を受け入れてくれるとは限らない。
放り出されるならまだしも、敵だと判断されて攻撃される恐れがある。このナイフはその時のための備えだ。
――つまり、俺は戦うことになるかも知れないのだ。さっきまで色々と教えてくれたフィオナと。年端も行かぬ少女と。
とはいえ、それは仕方のない事だ。あのオフィスで死んでしまったとはいえ、せっかく拾った命を無駄にする気はない。
俺はこの世界で生きてやるのだ。今度こそ社畜としてではなく、好きなことをして。
決意を固めた頃、図書館からフィオナが出てきた。片手には小さなナップザップのような物を持っている。
どうやら本はこのナップザップに入っているらしい。随分とサービスのいい図書館だな、と思った。
「お持たせしましたっ。それでは行きましょうか。そろそろ日も暮れる頃なので」
フィオナの言葉に頷きで返すと、二人でクラデシュを出た。
そしてダグリエル草原に入る。行きで出会った鎧の男は、相変わらず看板の近くに立っていた。
「どう? お目当ての本は見つかった?」
鎧の男が気さくにフィオナに話しかける。
フィオナは嬉しそうに「はいっ」と答えた。
「ずっと貸出中だった本がついに見つかったんです! しばらくはこの本で魔法を勉強しようかなって思ってます」
「そうかそうか。それは良かったなぁ。本に熱中して、あんまり夜更かしするんじゃないぞ?」
フィオナは鎧の男の小言に「はぁ~い」とだけ返事をすると、そのまま歩き始める。
俺は鎧の男には一切声をかけられなかった。人畜無害な男だと思ったのか、俺には興味をなくしたようだ。
もっともそれは俺的にも助かった。もし歴史の話でもされたら、どうやって受け答えすればいいか全く分からないし。
そしてダグリエル草原を歩き続けて二十分ほど経った頃。ちょうどいい木陰を見つけた俺は、そこで足を止めてフィオナに向き直った。
「どうしたんですか? 早く行かないと日が暮れますよ?」
突然俺が立ち止まった事に対して、フィオナが不思議そうに首を傾げる。
俺はその言葉を無視して、フィオナに「話がある」と切り出す。
「大事な話なんだ。できればエドレンシスに戻る前に話しておきたい。聞いてくれるか?」
「そりゃあ……話があるなら聞きますけど……?」
俺の意図が読めないのか、フィオナは困惑した表情を浮かべている。
これから続く話がその困惑を払拭できるかは分からないが、俺はとにかく自分の身の上を一気にすべて話し始めた。
もともとは別の世界にいたこと。そこで死んでこの世界に来てしまったこと。本当はこの世界について何も知らないこと――。
そのすべてを話し終えたとき、どれだけ時間が経っていたのかは分からない。
しかしカラカラに乾いた俺の喉が、口から吐き出した言葉の量を物語っていた。
俺の独白を聞いたあと、フィオナは一層表情を険しくさせていた
俺の独白を聞いている最中、フィオナは一層表情を険しくさせていた。
現に俺が話し終えた後も、一向に口を開こうとしない。
それはただ単に、俺の話が整理できていないからなのか。
それとも俺のこれからの処遇を考えているからなのか。
俺は服の外から、ウエストバンドにあるナイフのケースを擦った。硬い感触がある。
いざとなったら、これに頼る他はない――。
俺が再び自分の決意を確かめた頃、ようやくフィオナの唇がかすかに動いた。
しかしまだ言葉までは聞こえてこない。思わず耳を傾けてしまう。
「すっ……すっごいです――!」
フィオナがようやく紡ぎ出したものは、そんな賞賛の言葉だった。
「異世界?! そんなものが本当にあるんですか?! それに……その、パソコンですか? すごいですね! そんなカラクリがあるなんて!」
フィオナは目を輝かせて言った。
さっき身の上を話す際に俺がWebサイト制作の仕事をしていた事を伝えていたから、それについて驚いているらしい。
しかし驚いているのは俺の方だった。
「……信じるのか? 俺が別の世界から来たってことに」
恐る恐る俺が尋ねると、フィオナはこくり、と頷いた。
「はい。だって、よくよく考えてみればおかしいですもん。そんな服装で草原に寝そべってたり、マッサージのことを知っていたり。むしろ別の世界から来たって方が納得できますっ」
「そうか……そういうもんなんだ」
てっきり色々と押し問答になると思っていたから、フィオナのあっけらかんとした反応に拍子抜けしてしまった。
でもここは魔法が使える世界だ。逆に『異世界』という存在を信じない方がおかしいのかも知れない。
「じゃあ、さ。もし良かったらなんだけど……フィオナの家にしばらく住まわせてもらう事はできないかな? もちろん家族が許してくれる範囲で大丈夫だから」
「それぐらいなら大丈夫ですよっ! お母さんは仕事でいつも家を出てますし。小さいですけど、部屋ならひとつ空いていますから」
トントン拍子で話が進んでいく。
なんだ、俺が勝手に身構えていただけだったのか。こんなナイフまで用意して損した。
何より、こんなにも素直でいい娘のことを警戒してしまって自己嫌悪に陥る。
「とりあえずこれからの話もしたいので、私の家に行きませんか? そろそろ日も暮れちゃいますし!」
フィオナの言葉を聞いて空を見上げると、確かに少し赤らんでいた。
この世界でも日暮れは同じように訪れるらしい。ということは、この世界の宇宙にも太陽が存在するって事なのだろうか。不思議である。
「うん、そうだね。じゃあまたお邪魔してもいいかな?」
「ぜひぜひ! 美味しい料理作っておもてなししますよっ」
そう言ってフィオナは嬉しそうにガッツポーズを取ってみせた。