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反転

※※イデア視点※※


 イデア・マギアミレス・ランタインは戦場を駆け抜けた。

 人よりも、魔物よりも、風よりも。

 なにより彼らの暴力と魔法からも速く駆けた。

 白い軌跡を残し、誰よりも希望の尾を長く引くように。


 左手先の杖から小さく魔法を連発させ、細身のレイピアを的確に突いて敵を伏せた。

 魔物の額を蹴り飛ばす反動でレイピアを抜き、その先でさらなる目くらましをかませてレイピアを突く。

 常に相手の攻撃をかいくぐり、黒の雷を逸らして穿つ。


 作業のように見える高度な攻撃。

 魔法は魔力量によって使用を制限される。

 まるで自分が魔法を使いたくなくなってくる抑制欲に、イデアは血反吐を吐き捨て魔物と自分を睨みつける。

 こんなことでは、民を守れないではないですか。


 魔法よりも素早い手の動きで魔物を屠る。

 絶命を確認してなどいられない。

 次の魔物に狙いを定める間、周囲ではその何倍もの兵士がすり潰されている。

 死んでなかったらまたもう一度やるまでだ。


 もっと速く、もっと強く。

 イデアの手でまた一匹を地に伏せたが、自分に付いてきた何人もの民も同時にくず折れる。


 魔物がこんなに強いとは思いもしなかった。

 ランタ森には、素人に剣と防具さえ持たせておけば、苦戦はするだろうが勝てるレベルの魔物しかいないはずだ。

 魔物が集合しすぎたことで、より強い魔物へと変化してしまったのだろうか。

 真実はわからない。


 わからないが、今の圧倒的劣勢から少しでも気を逸らして勇気をひねり出さなければならない。


 この中で強力な魔物に立ち向かえる戦士長と副戦士長はどうしたのか。

 しかし、彼らがいようといまいと魔物たちはかまわず牙をむく。

 イデアは体を翻し、鋭い視線と共にレイピアを突く。


 瞬間、横から空間を引き裂くような黒が見える。とてつもなく遅く見えた。


 だからイデアは避けようと身をよじる。

 だが身をよじれない。

 なんで、なんで。

 焦っても体は動かない。

 どうして。

 こんなところじゃ止まれないのに。


 クッ、と歯噛みした瞬間、イデアの体を黒が殴る。吹き飛ばされ、顔を地に擦る。


 自らを庇った両腕も、ガリガリと削られる音が骨を伝って頭まで響く。

 イデアはその感覚を忌避するように、悲鳴をあげた。


 加速していたのはイデアの視覚だけ。凄まじい危険を感じ取ったが故の緊急的な本能が差し迫る稲妻を捉えていた。


 悲鳴は、また上がる悲鳴でかき消される。

 その方がイデアは良かった。


 イデアはこれまでに悲鳴も、弱音さえも吐いてこなかった。

 弱音を吐く自分が嫌いだった。


 王家の一人娘として生を受けた。

 女として魔女の勉学に励み、また一方で王家に相応しい知恵、そして誰にも負けまいと剣を教わった。

 ドレスを拒んで、軽装を纏ってきた。

 姫だからと舐められないように努力してきたのに。


 一国の姫ではなく、一人前の人間として認められるように、姫としての自分を捨てて鍛錬に励んだ。一瞬も気を緩めたことなど、イデアには記憶にない。


 その自信が、後ろから不意に突かれた一発の魔法で吹き飛ばされた。さっきまで振るっていた勇気が剣と共に折れる。


 立ち上がれない。

 果敢に魔物を蹴り飛ばした足が、今はかよわく震えている。

 動いて、と願う自分の声も、今はただ祈るだけのお姫様だ。


 魔物の手が迫る。

 容赦も情けもかけられない。

 イデアを人質にすることもない。

 周囲の人間と等しく、殺される運命にあるようだ。

 しかし、イデアは目を閉じる。


 お父様。私は、国民と共に死にます。


 誇り高く、背など向けはしない。

 死神が、イデアを太陽から遮り、闇の世界へ堕とそうと鎌を振るう。

 皆の者。

 私が冥界への先頭に立って導く。

 だから信じて欲しい。

 私を女だなどと、姫だからと、ただの象徴としての置物ではないと。


 瞬間、空間を切り裂く音がイデアの鼓膜を突く。


 これが、死の音。


 視覚、聴覚に死の模様が刻まれるのか。

 そう思った。


 自然と痛みはない。

 生半可な衝撃ではないと思っていたイデアにとって、意外だった。


 だから、もう目の前には真っ白な光景が広がっていると、イデアはそっと目を開いた。


 しかし、そこは元居た戦場、元居た草原。

 さっきまで跋扈していた魔物たちが全て倒れ伏していた。


「これは……」


 言葉が続かない。

 本当に何が起こったのかわからなかった。さっきの音からして放たれた魔法は一度きり。

 

 強力な魔法が駆け抜けたはずだ。

 なのに、生きているのは人間だけ。

 周囲の魔物は口から煙を立ち上らせている。


 ここにいる魔女にこんな芸当ができるはずがない。

 辺りを見渡した。


 また魔法が飛び散った。

 鮮やかな黄色が辺りを包み、はるか先で生き残っていた魔物に降り注ぐ。


 その中心に立っていた者を見つけた。

 イデアが探すまでもなかった。


 思わず目を擦ってしまう。

 自分さえも忘れてそれに視線を注いでしまう。

 はためく銀髪が顔を撫でても、うざったいと感じないほどに。


 ありえない、そんなはずが。


 自然と言葉が漏れるくらい、イデアの常識に反することが起きている。

 それは、魔女でも魔物でもない。


 男だった。


 後ろで大きな音が地を揺らす。

 歴史を揺るがすほどの光景を見て放心しすぎていた。

 まだ魔物が生き残っていたことに気が付けなかった。


 屹立していたのは魔法が効かない厄介な魔物だった。


 醜悪すぎる角を頭から一本生やした、憎悪の化身のような四本足が地面を削る。

 自身も周囲に魔法の壁を作り、魔法の侵入を防ぐ。

 刺突や打撃は効くが、残念ながら魔物の攻撃力自体も高く、近づくのは容易ではない。当然知識としてしか知らない。

 ランタ森にいるはずのない魔物だ。


 今のイデアに先ほどの俊敏な動きはできない。

 戦えない。今はかよわい、一人の姫。


 大きな角を震わせ向かってくる。杖さえ上げることができず、目くらましもできない。


 しかし、安堵感はあった。


 あの魔物の群れが国へ向かっていくことは無いだろう。

 だから私がいなくてもいい。親不孝だろうが、父は立派に務めを果たしたと、娘の死を国の推進力に使ってくれるだろう。


「私が死のうとも! 英雄がいる!」


 自らを鼓舞する。

 勇気から出た威勢か、蛮勇から出た虚言か。どちらでもいい。


 姫ではなく、イデアとして死ねる。これ以上の幸運はない。


 目を逸らさない。イデアはイデア自身の死を見つめる。

 来る。

 魔物が襲いかかる。


 逃げない。

 国に背を向け、恥をさらすような女であるものか。


 全身に力を入れる。土が舞う。血が滴る。千切れそうな意識を繋げる。


 しかし、最後に願ってしまう。


 助けて――


 目の前に、男が立った。


 唱えた瞬間、目の前に先の男が上から降ってきた。

 はるか先で魔法を操っていたはずなのに、今はイデアの目の前に立っている。


 イデアとほぼ同じ背格好に見えるその青年は、魔物に手をかざしている。魔法を打つ気だとすぐにわかった。

 まずい。


「危ない! そいつは――」


 魔法が効かない。


 イデアは咄嗟に吼えるが、その時すでに雷が弾けていた。

 この魔法を使う青年が一体なんなのかはわからないが、魔法が効かなければイデアの代わりに角の餌食になるのは彼だ。


 イデアの声が届く前に、青年の手から放たれた閃光が魔物に向かう。


 はじき返される。そう思ったイデアの瞳には青年の死体が浮かぶ。

 グッと全身に力を入れる。

 青年の死を利用して逃げるしかない。

 そんな浅ましい考えに、イデアは顔を両腕で覆ってしまう。


 魔物の嘶きは、聞こえなかった。


 顔を上げるが、そこには先ほどとほとんど変わらない光景があった。


 彼の背中がイデアの視界に大きく広がり、そしてその先に魔物が離れた場所で立っている。


 その魔物の胴体は大きな穴が開いていた。向こう側を見通す穴に、血が滴り落ちる。

 魔法が効かないとされていた魔物を、魔法で倒した。


 先ほどの魔法は奇跡的に当たらなかったから偶然にも生きていたのだろうか、それとも威力をあげて倒したのか、至近距離だから倒せたのか。

 呼吸も忘れてイデアは目の前の現実を受け入れようと必死になる。


「大丈夫か?」


 心配を意味する言葉をかけられ、イデアの緊張が張りつめる顔に血の気が戻って息を再開する。

 およそ姫に対する畏まった物言いじゃない。

 格好も奇妙だ。それにその振り返った顔は、悲しいほど。


 魔女でもない、魔物でもない。

 そんな彼に、イデアとして言える言葉はただ一つだった。


「あり、が、とう……」

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