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絶望して、見捨てられ、そして拾う

 行軍なのだろうが、さながら雰囲気はどこか近所へ遊びに行くように、周囲はがやがやと騒がしかった。

 本当に余裕げな空気はレイの緊張をかなり緩めていた。


 城を出ると、辺りは綺麗な草原になっており、遠くに綺麗に生えそろう木々が一望できる。素晴らしい景色に、いつもは周囲を気にしないレイでも驚きが勝っていた。

 

 本当に、現代とは違う異世界に来たのか。


 そう思って目に緑を映していると、隣からふと気になる会話が耳に入ってきた。


「いやぁ、それにしてもあの姫様を拝めただけでも、依頼を受けた甲斐があったなぁ」

「あぁ、なんと言っても、あの“清白の姫騎士”、お姿が美しかった……」

「普通はスカートのドレスなんだろうが、あのパンツもぴたっとしていて、姫の体の線が浮き出て素晴らしい……」

「お前は相変わらず変態だなぁ! ……だが、姫なのに、魔法も剣もどっちもやるとはなぁ」

「あー……あの“不器用姫”の噂か?」

「あぁ。どっちもそれなりに優秀らしいが……どっちかに絞れば、最強の姫騎士、もしくは伝説の魔女になれたかもしれねぇってのにな」

「かーッ! いけねぇ! そいつはもったいねぇな!」


 ちげぇねぇ! ははははははっ!


 そんな姫の噂を、レイは静かに聞いていた。


 約一時間行軍し、丁度太陽がてっぺんまで昇ったところで魔物を見ることができた。森の中での乱戦になるかと思われたが、平地で相対している。


 前方に見えるのは、姿形は獣によく似ている魔物たちだ。森に生息する生物だからだろうか。

 しかし決定的に異なるのはその大きさ。

 それぞれ肥大している箇所やまき散らすオーラが禍々しい。どよめきは伝播した。つい先ほどまで馬鹿話や自慢話で持ちきりだった周囲も、その姿を認めると一気に緊張が張りつめた。


 浮遊感がレイの体を覆い尽くしていることはわかりきっている。殺気がまるで視線の刃のようにレイの心を切り裂く。よく似た視線をレイは知っている。


 そして退避する暇もなく、人間よりも強靭な魔物はレイたちよりも先に襲いかかってきた。


 後方から軍を鼓舞する声が響く。


「剣を抜け! 勇気を奮え! やつらは決して勝てない相手ではない!」


 向かう先に現れた魔物たちはその台詞通りの印象を微塵も感じない。

 レイの手には緊張の汗が滲み始める。言葉通り、あれは見かけ倒しなのだろうか。

 砂埃を巻きあげ、随所から魔法の光が点々と散らばるあの大群は、この世界の基準ではザコなのだろうか。そう思うことで、レイはやっとのことで剣を持つ。それはとても重かった。


「イグニス、焼き払え!」

「グラキエス、貫きなさい!」

「ウェントス、切り裂いて!」


 レイの後方、至る所から唱える声が上がる。

 

 直後、燃え上がる火の玉、煌めく氷のつぶて、目に見えるほど鋭利な風の刃が魔物たちに降り注ぐ。それ自体はかなり小さいが、混ざり合って線を引き、幕を閉じる。魔物も相当消耗するのではないかとレイは一抹の期待を抱く。


 あちこちで砂煙が舞い、魔物たちを覆う。


「やったか……⁉」


 レイの隣で誰かが呟く。その不吉な言葉にレイもすがる。

 頼むから、あの屈強な魔物たちの半分くらいは削ってほしい。本当は、あれはザコなのだと証明してほしい。


 砂煙が晴れる。


 晴れた先には、なんら変わらない光景。さっきよりも雑踏がより大きく地を揺らしている。

 彼らは目で見なくてもわかるくらい、激怒していた。


 どうすればいい。魔物は一切傷ついている様子はない。魔法の耐性があるのか、全て外れたのか。もしくは、魔女たちの攻撃力が、彼らの皮膚を貫けなかったのか。

 レイの剣がカタカタ震えだす。勝てるのか? 生き残れるのか?

自信がぐらぐら揺らぐ。

 周囲も同じようだ。


「何をしているッ! 皆の者、かかれぇッ!」


 怒声がレイたちの背中を押しあげる。だが、進ませるには声に震えが混ざっていた。


 一瞬、周囲は静まり返る。


 たった一瞬、無音が波のように伝わる。

 そして波が戻ってくるように、おたけびがあがる。


 人間たちは走り出した。自らを沸き立てる大声を喉から放ち、魔物の恐怖に負けまいと剣を突き出す。レイも同じようにした。初めての戦闘の恐れを潰すように、魔物に剣先を向けて走る。

 魔法のつぶてが四方八方に飛び散る。

 レイは向かってくる光球をなんとかかわし、魔物に向かってひたすら走る。自身の喉も擦り切れるくらい声を張り上げ突っ込む。


「この戦いでぶった斬って、おれは認められてやるぜぇッ!」


 前の男がイキって剣を振り上げ進む。


 ドン。


 地面が唸った。

 立ち止まってしまったレイは、錆びた機械のようにそちらを向く。

 そこは大声で叫んで突進した男がいた場所だ。

 そして辺りには強靭な脚力を誇った魔物たちが既に侵入していた。

 ドン、ドン、ドンと、無傷の魔物が待ち切れないといった表情を浮かべている。血に飢えている顔は、レイたちに凶暴な歯を覗かせる。

 ここで背中を向けられない。その場にいた全員の心が一致したのか、剣先を近くに降り立った緑色の巨体を持った魔物に突き刺そうと同時に突っ込む。レイも当然、その魔物の横腹めがけて剣を突き出す。


「あああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 しかし、その切っ先が魔物に届く前に、空を切る木の幹が暴力的な音を放つ。ふと視線だけ動かすと、レイの隣の三人がいつの間にかどこかへ消えている。背筋を怖気が走り、口から何かが漏れ出した。


 それが殴られてどこかへ飛んで行ったと理解した瞬間、棍棒がレイに襲いかかっていた。横殴りの衝撃は、避けたレイの脇腹を抉る。バランスを崩して倒れ伏したレイは、痛みと突沸した恐怖に転がっていく。


 勝てない、勝てない! あれはザコなんかじゃない!


 レイは苦悶に打ちひしがれながら脇腹を抑える。大量の血液がドクドク吹き出している気がする。けれど見れなかった。レイの中から希望が流れ落ちることから目を逸らしたかった。


 腹を庇いながら後方へ転がるように逃げる。逃げることに頭が支配されていた。けれど転がっていた一つの疑問に足を取られた。


 どうして周囲の男たちは逃げないのか。

 違った。彼らは逃げないんじゃない。逃げられないのだ。


 逃げる前に死んでしまってはどうしようもなかった。

 誰も助けられない悔しさがこみ上げる。いや、助けてどうするんだ。人は助けなきゃだめじゃないか。助けたところで何が欲しいんだ。なにも要らない。なにも欲しくないわけじゃない。だったらなんで助けようとするんだ。


 滅茶苦茶な感情がぐるぐると頭を駆けまわる。自分でも何をやっているのかわからなくなる。


 ドサ。


 レイの思考を遮るように、死体が落ちて潰れた。

 曲がらないはずの場所がひしゃげ、凄惨な拷問を受けた漫画の死に役のような男が、レイの前で鎮座している。それに、レイの背後にも殺気が主張している。


 振り返ってしまう。

 絶対に振り返らずに逃げればよかったものを、レイは振り返ってしまう。

 このままでは嫌だった。死の気配が肩を叩いている感触がする。今すぐ逃げたいほど恐怖が腹から吹き出しそうだ。レイの心は限界だった。


 だが、レイの体は言うことを聞かない。レイの逃げたいという思考と真逆のことをしている。逃げろ、逃げろ! 何をやってる、力のないお前がここで剣を握りしめてもできることなんか何もない。けれど、体は言うことを聞かない。


 剣を握る。

 対峙するのは、一個のまんまるとした黒い巨体。腕と足は何段にも折り重なった肉がだぶつき、とろそうに見える。


 ここだ。ここで一太刀、やるしかない。

 恐怖と希望と絶望がレイの頭をおかしくさせていることには気付いているが、レイは気の持ちようで、もしかしたらこの怪物も殺せるのではと虚勢を張る。


 やるしかない……やるしかないッ!

 レイは自分の激痛に嘘をついて走る。剣先を突き立てる。剣技もなにもなく、ただレイの最高速度で巨躯に剣を突き立てる。

 簡単なほどスッと入った。

 血が滲むが、大した量は出ない。柄まで入った。魔物は微動だにしない。

 何か、断末魔が聞こえるとか、倒れ伏すとか、ないのか。レイはもう一度剣を抜いて別の場所に刺すことにする。


 しかし抜けない。まるで最初からそこに埋まっていたかのように抜けない。

 くそっ、クソッ!

 足蹴にしても抜けない。レイの手元に剣が帰ってこないことに、一気に焦燥感が燃えあがる。その暑さに汗をかく。


 奇妙な鳴き声らしいものが頭上から降ってくるのを見ると、その巨躯に似合わない剛腕がそこにある。あれが、さっきの投擲物を投げた正体。レイは考えるより早く剣から手を離して足をまわす。後ろで折れる音が虚しく鳴る。


 走る。もう武器は無い。ひたすら前だけを見て走ったはずなのに、横の光景がオオカミのような魔物は人々を貪り食らい、醜悪な濃い緑色の肌を持った人型の怪物はその手に持った棍棒で薙ぎ払い、一本角を掲げた灰色の巨体は辺りに閃光をばらまいて人を焼く。


 何度も何度も逃げ惑うレイに掠ったり、やられた人間の返り血が服を汚し、その上に泥がまた飛び散り、レイに何度も何度も死の恐怖を塗り重ねた。


 レイは、隣の人間が嚙み殺される隙に後ろを向き、魔物側から放たれた赤や緑の稲妻をなんとか土を被って避け、既に事切れた死体の陰に身を隠す。


 どうしてこうなったのか。レイにはわかなかった。


「この野郎ッ!」果敢に振り下ろされる剣。

「イグニス、走りなさい!」杖から迸る真っ赤な光。


 同じような光景がレイの周りで繰り返される。


 次の瞬間に、肉塊が増えるのもまた同じだった。


 目の前の希望に逃げ込もうと走る。きっと彼らはまだ素人で、後方に控えた鍛え抜かれた兵士たちがやって来てくれる。


 しかしレイの日本人的思考は、飛び込んできた視界に潰された。後ろも同じ光景が広がっていた。魔物どもに戦略なんてない。ただ襲う。その本能に感づいた時、レイは怖気以上の死を予感した。

 泣きだしそうになったレイの視界がいきなり目まぐるしく変わった。まるでレイの世界だけ急加速した感覚。


 それは背中から響き渡る激痛で、棍棒で殴り飛ばされたと知った時には絶望した。

 立てない。かなり後方まで下がれたというのに、背骨が折れたのか、まともに立てそうにない。

 防具も気付けばどこにもない。頼りになるものはすべて奪われてしまった。


 ここは安全地帯のはずだ。さっきまではのどかに時間が過ぎていたはずだ。俺は生きて帰れるはずだ。そう考えるたびに、生から遠のく感覚が背筋をなぞる。


 その時、近くを馬が走る音がした。レイはその方向になんとか顔を持ち上げる。視線の先には先ほど出立する前に壇上で見た、勇ましい男の姿があった。


「たっ……助けてくれっ!」


 レイは考えるよりも先に、痛みと共に声を絞り出した。

 彼は行軍中に耳にしたが、どうやら王国戦士を束ねる副長らしい。それなら助けてくれるかもしれない。


 顔を無理やり上げると、まるで新品のような白銀の輝きを持った鎧が中身の筋肉を想起させるように胸や腹が盛り上がって力強さを見せている。その顔には太い眉が逆立ち、髭がいかつさを滅茶苦茶に上げていた。そして、その頭の横からは、背負った大剣の柄が覗いている。

その力の象徴に、激痛に顔を歪ませながらもレイは手を挙げた。


 彼はしかし、その手を一瞥するだけだった。


「お前のような身の程を知らないやつがここにくるから悪いのだ。とっとと国のために、死ね」


 吐き捨てる言葉。


 一瞬、レイは意味を理解し損ねた。もう一度、レイは懇願する。


「頼む……こんな話だなんて、聞いて、ないんだ……」

「だから何だというのだ! もう戦士長は死んだ、逃げられる者だけ逃げよ」

「お、お前、は……見捨てる、のか……平民……命、を……」


 絞り出す。自分だけじゃない。他の皆の命も含めて乞い願う。


「だったら、もっと使える力を得るべきだったな。残念だが、お前に構っている暇はない」


 男は言い捨てると馬は嘶き、さらに後方、ランタインの方へと向かっていってしまった。その男の横では殺されていく人々が見えるが、一切目もくれずにひた走っていた。


 見捨てられた。

 

 見捨てられた?


 レイは信じられなかった。

 けれど、周囲にはもう助けてくれる人間はおろか、まともに生きている人間もどんどん消えていっている。

 悪夢なら覚めて欲しいが、体全身に伝う痛みがレイを縛って離さない。


 国の民を守るはずの戦士が、見捨てると言い残して去っていった。周囲の人間がただ魔物に蹂躙されていく中、男は馬を駆って見向きもせずに突っ走って、小さくなっていく。


 怒声、泣き声、事切れる絶叫、死の味が包み込む。


 死ぬのか。

 レイは口にしてしまう。


 もうダメなのか。

 レイの思考は過去にさかのぼり始める。


 また、誤ってしまった。どこで、どうして道を間違えたのか。レイには皆目見当がつかない。


 同じ過ちをしてしまったのだろうか。レイは力なく、拳を握る。出血が酷くなろうとも、悔しさを抑えきれずにクソ、クソと呻く。呻いた口から、また血液が流れ落ちる。


 レイの目の前の濁った土が姿を変える。ぐにゃぐにゃとまとまりきらない平面に、歪んだ自分の顔が浮かび上がる。これが走馬灯だと気づくまでに時間はかからなかった。


 まるで化けの皮をはがされ鏡で直視させられているようだ。しかし今となっては腹も立たない。後悔だけがレイの目を潤ませる。俺のやってきたことは無駄なうえ、ありえないチャンスまで棒に振っている。レイの心の奥底が、溺れるように溢れている。


 魔物が強かったという嘘よりも、最低な真実だ。


――魔法の力を受け取るのじゃ。


 あの老人の言葉が蘇る。まるで幻聴のように聞こえたそれはレイの後悔から来たのか。自嘲気味に笑い、また血反吐を吐く。


――魔法の力で、お前の望みを叶えたくはないのか。


 心当たりのないそれに触れられ、気持ち悪さがこみ上げる。お前は俺の何を知ってる?

 その魔法が俺の才能だったらな。誘い文句に悪態を吐きかけても、続きが聞こえる。


――次に死ねば、もうチャンスは訪れない。


 死ぬ。本当に死ぬのか。他人の言葉で、死が現実のものになってくる。


 レイの中で、恐怖が一気に大きくなる。暗闇の中で一生を過ごすことが心地いいはずなのに、体は震え、喉を抑えつけられている感覚が支配する。


――もう二度と、自分の足で立ち上がる可能性を失っても良いのか?


 クソ。

 レイの頭の中は、血液不足で考えがまとまらない。


 しかし、レイの中で大きくなっていく感情がある。沸き立つ思いがある。体の奥底から、ギリギリと噛み締める口を突く言葉がある。


 屍の手に己の望みはつかめない。


 だからせめて、レイ自身の手で、その力に手を伸ばす。

 それがレイにとっての、最大限の抵抗だった。


「だったらよこせ! その魔法の力!」


 感覚の無い手を伸ばす。今まではあり得なかった意思で手を伸ばす。


――よかろう。正しい道へあろうとする意志に。


 その言葉が途切れた瞬間、レイの世界が遠のいた。

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