異世界 ランタ森近くの王国
ひんやりとした感覚がレイを覚醒させた。
それを契機に、耳には雑踏が、鼻には泥臭い香りが、そして視界には焦げ茶色のレンガ造りの壁が目に飛び込む。
レイは辺りを見回した。
ここはどうやら、家と家の間、誰も見向きしないような路地裏のようだ。
ふっと、日の光が強い通りに目がいった。ここからでは少し明るく、見辛い。
レイはそちらへ歩みを進めてみる。そして、大通りに出た。暗がりにいたせいで、一瞬目を庇う。
日光の眩しさに目が慣れてくると、およそ日本の光景とは思えない光景が視界を埋め尽くした。
それは教科書で見たような、古い時代の衣装をまとった人々、汗臭い男や深く濃い色を讃えたローブを纏った女、看板もあるが読めない文字が描かれている。、そして何より、男たちがほぼ携えている武器が日本育ちのレイには印象強い。
一度も目にしたことが無い光景のはずなのに、どこか懐かしい心躍る音楽が聞こえてきそうだ。
レイは、もう一つ気付いたことに目をやる。
レイ自身の服もいつの間にか変わっていたのだ。
学生服に身を包んでいたはずだが、ごわごわと生地の厚い布が張り付いていた。
地味な色に包まれたレイの服は、しかしこの古臭い街並みに溶け込んでいるようで、誰も見向きしない。
本当に、異世界なのか?
もう一度、目を擦ってみたり、肌をつねってみる。しかし現実は歪まなかったし、肌は痛い。
現実に、あの老人が言った異世界転移なるものを果たしていた。
生き返ったという表現の方が正しいのかどうかはさておき、二度と触れることができないと思っていた自分の体も、もう一度確かめる。脈が力強く鼓動している。
途端に、冷や汗が流れ落ちた。
そういえばこれから先、どうすればいいのかわからない。知り合いも、住む場所も養ってくれていた人も誰もいない。明日どころか今日の食い扶持すらない状況だ。
考えろ、考えろ……レイに焦りがこびり付いていく。
もう一度路地に戻ろうかと体を捻ると、大声が耳に飛び込んできた。
「腕に覚えのあるやつは誰でも来てくれ! 国王からの直々の依頼だ! ここでもう一度名を挙げてチャンスを掴まないか!」
ここで日本語が飛んでくるという疑問も投げ捨て、その方向に視線を向けた。そこには図体だけが大きい男が一人、大きな看板を抱えて呼び込みをしている。
「国が戦士を必要としている! 剣と防具は買い直さなくていい! 国から支給されるから、今すぐにでも戦士に復帰だ!」
その言葉にふわっと安堵が広がる。
レイはすぐさま駆け寄り、その男の前に躍り出た。
「俺もいい、か?」
おっかなびっくり声をかけると、レイに視線を移したその男がニカッと笑う。
「お前……まぁ良いか。そうだよ、お前みたいなやつを待ってたんだ!」
バシバシと肩を叩いてくる。最初言いよどんだのは、恐らくレイはひょろいからか。
それくらい大男や周囲の男よりも、レイは背が小さかった。
「じゃ、じゃあ剣と防具をくれるっていうのは……」
「あぁ勿論! 国王から、国民でも誰でも、魔物討伐に参加してくれるやつには武器を支給するから名を挙げろって話だな、前金も出るみたいだぞ?」
これはレイにとって逃せない話だ。なにより、先ほどの老人の話と同じ匂いがする。
異世界に飛ばされた直後に、武器と金が手に入る。心配も綺麗に溶けた。だが、また小さな心配が顔をのぞかせる。
「その、魔物討伐って言うのは……」
レイにとって、そこだけが不安のタネだ。魔物とはなんなのか、まさか特攻するために駆り出されるわけではないだろうか。
声色が突然消えかかったせいなのか、大男は爆発したように唾を飛ばしながら笑う。
「お前さんも知ってるだろ? ここから西のランタ森に雑魚の魔物がうようよいるんだが、繁殖したのか集まったのか知らねぇが、もう滅茶苦茶に数が多いって話で、放っておいたらこの国が危ねぇらしいんだ。でよ、こっちもそれなりに数を用意しちまえば、後は一人一匹ずつやっちまえば良いって話だよ、わかるか?」
なるほど、とレイは頷くしかない。
この国が何を考えているのかレイにはさっぱりだが、とにかく何でもいいから人手がいる、魔物自体はそれほどじゃない、だからしっかり危険を回避して戻ってこれれば、タダで剣とお金が手に入る。
目立たず騒がず、生きる手段を獲得できるのだ。レイがどれほど消極的であっても、これを受けない手はない。あとは、原因はゆっくり探せばいいのだ。
「あぁそうそう、もうじき出陣するんでこの募集も締め切るぞ?」大男が太い指をレイの前に持ってきて振る。「どうするんだ? やるのか、やらないのか」
大男が畳みかけて来るより前に、レイの腹は決まっている。
「やる」
言い切るやいなや、またバシバシと叩かれた。この世界は暴力に塗れているのかもしれない。
「よぉし! それじゃあ奥に進みな。契約が済んだら、この道を向こうにまっすぐ進めば、お前も晴れて王国軍の仲間入りだ!」
豪胆に笑う彼をよそに、その建物を見る。ギルドと言ったその建物は、特徴的な帽子と剣が描かれていた。
その扉を潜ると、中には既に人だかりができていた。どうやらこの依頼は人気があるようだ。
ますます、レイには安堵の念が押し寄せホッと息をつくことができた。
ひとまず、難なく契約と武器の受け取りを済ませ、横に逸れて、皮をなめした胸当てを上から被る。そして剣を手に取った。よく見ると少し古びているような感覚があるが、れっきとした“戦う”為の武器だった。今まではおもちゃや競技目的での道具を触ったことはあるものの、こうした本物の武器を持つことで、レイにある種の現実味が沸き起こる。
初めて魔物を殺すということには少し不安を感じるが、後方でひとまず戦っているふりをすればいいだろう。
剣は腰に携えておけた。流石にずっと持ちっぱなしでは辛いくらいには重かったのでありがたい。
それくらいこの国は豊かなのだろうか……そういえば、レイはまだこの国の名前を知らない。
契約を済ませたレイは男に案内された通り、道を進む。
通りは見れば見るほど日本ではなかった。
知らない文字、知らない街並み……ただ、耳に届く言語だけは同じだったことが唯一の救いだった。
国情報
???国 ランタ森の東に位置する、のどかな国。四方は森に囲まれ、資源も豊富。