再起の拳
目を開きたくなかった。
薄暗いここでも、雨風は凌いでくれていることにさえうんざりしてしまう。
忘れていた……いや、捨てていた記憶が歪に修復されていく。度々痛んだなにかは、昔に壊れていた心の幻肢痛だった。
そうだ、レイは認められたいと思っていた。
けれど、それがどうしようもなく怖くて。
また、何かを失うんじゃないかと恐れて。
酷いことをしてしまっていた。その自覚が浮かんで気付いた。レイの頬に、なにか冷たいものがある。
はは、と笑いながら呻く。こんな俺でもまだ生きているのか。しぶといというのはこういうことなのかと理解できた気がした。
元居た世界でも、こんな歪んだ俺は、暴力沙汰を起こしたあの時に処刑でもされればよかったんだ。あの時はクラスと部活中に嫌われた。
今は国家の敵だ。今の状況の方が圧倒的に悪い。
それもこれも、努力したせい……いや、今回の方がもっと悪い。努力という対価すら支払わずに、認められようと魔王の力を手にしてしまっていたのだから。
旨い話には裏がある、か。
呟くと、ますますやりきれなくなる。だが、血が足りず、傷も癒やしていない。自分を懲らしめることもできない。
起きていると余計な考えを巡らせてしまう。だが眠るとまたあの夢を見てしまうかもしれない。
そして、自害するほどの勇気もない。どうしようもない自分が情けなくて、涙が出そうだ。
処刑が早く行われることを望んだ。前に意識を失ってから何分か、それとも何日眠っていたかは全くわからなかったが、もう辛い思いはしたくない。あの涙を見たくない。
願いが届いたのか。カツカツカツ、と三人の足音が近づいてくる。安堵のため息が漏れる。長い時間、苦しまなくて済みそうだ。
「おいッ! レイ!」
聞き覚えのある野太い声がレイの鼓膜を突き刺した。驚きが過ぎて、思わず牢の外を咄嗟に見てしまう。
口角を滅茶苦茶にあげたギルド長ダノスが目を線にして笑っている。
「おう! 生きててよかったぜ! とっととここから出るぞ!」
ふんぬぬぬぅぅ! 鉄格子をひっつかんで滅茶苦茶に力を加えている。
ダノスが引き抜くように腕を振り上げると、折れ曲がって鉄格子の扉は外れてしまった。変形したそれを投げ捨てて、ダノスたちが入ってくる。
レイの現状を認めたダノスは目を見開いた。
「お前、なんで治療してねぇんだよ! さっさと回復してこっから出るぞ!」
本気の心配がレイを叱咤する。
「レイ、よく聞いて。あなたを逃がすために私たちは来たの……あなたこのままだと処刑されてしまうのよ?」
「それに、イデア姫のこともあります。レイ、あなたの力が必要なのです」
レティとシプトンも急かす。わざわざレイを逃がすために、そしてイデアの為に動いていたのか。
何が起こっているのか、少しだけ気になった。
けれど。
「俺は……ここから出る気は、ない」
一瞬、何を言われたのかわからないという顔を浮かべる三人。
「どうしてだよ!」
「俺には、ここを出る資格も、生きる資格も……」
無い。吐き出すように答えた。
「俺は酷いことをした。この国にも、イデアにも」
そんな男が、生きていいはずがない。はっきりと罪を自覚しておいて恥を晒せない。
そして、イデアはレイの元にいるよりも、幸せになれるんじゃないだろうか。
「なんでよ……あなたは私たちを救ってくれたでしょう?」
「レティ……それが間違いだったんだ」
「間違いなはずがあるわけないじゃないですか! それならなぜ、私たちは生きているんですか!」
「ただの、俺の、エゴだったんだ……ごめん」
動きもしない体が動いて、人助けや、面倒なことに付き合っていたかを思い出した。全て自分の為だった。失くしたはずの場所が、レイを突き動かしていた。まるでゾンビのようだ。
また、自嘲気味に笑う。
「わがまま、だった……認められたいのに、認められたくないって、そっぽ向いて、格好つけて」
けれど、やっていたことは認められたいがための行動だった。多くを助けて、魔物を討伐して、魔法を見せて、イデアに付き合って。
「怖かったんだ……自分の感情を見られるのが、そういうことを見透かされるのが怖かった」
それはレイが心を捨てる傷になった。傷は周りを蝕んで、暗い欲望になっていた。きっと、魔物が来たのはそれが原因じゃないだろうか。
「全部俺が振り回して、滅茶苦茶にした結果なんだ」
下手な欲望は身を滅ぼす。レイの行き過ぎた力は国一つを滅ぼしかけた。
こんなことだったら、轢かれた後でも、魔物討伐に行った時でも、いっそのこと。
「だから、俺が全部、悪い」
認めてしまえば楽だった。俺は醜い。あとは心置きなく死ねるから。
「本当に、そう思っているのですか」
シプトンが諭すように問いかける。詰問ではなかった。けれど、レイの心にかけられたそれは沁みて痛い。
「そんなこと……そんなことあるわけないじゃありませんの!」
レティも否定してくれた。
けれどそっぽを向いて、無言で返す。これ以上話すことはない。きっとダノスたちも、イデアのように――
「てめぇいい加減な事言ってんじゃねぇぞ!」
ガッと掴まれ、宙に浮かされダノスの顔が目を満たす。
「じゃあなんだ! 俺たちはてめぇのお遊びで生かされてるってのか!」
馬鹿みたいに笑っていた表情が、鬼のような形相でレイを映す。
陽気な笑い声が嘘のように、レイを殴りつけるような怒声が頭を殴り続ける。
「や、やめなさいよ筋肉バカ、レイは満身創痍なのよ?」
「うるせぇチビはだぁってろ! 体よりも頭を治してやらねぇとダメらしいからな!」
吐き捨てると、ダノスは一層怒りを宿した。
返す言葉がなかった。その通りなのかもしれない。
「……悪い」
「悪いんじゃねぇ! 逃げるな馬鹿野郎!」
頬に痛みが走る。
「認められてぇ? 自分のためぇ? 馬鹿じゃねぇのか、人間はいつもてめぇの為に生きてるに決まってんだろ!」
揺さぶられる。
「それをするのにつれぇのは当たり前だろが! てめぇを嫌がるやつもいる! そんなやつにいちいち構ってたら傷つくのなんか当たり前だろうが!」
だがな! 牢屋中に響き渡る。
「逆にそれに救われたやつもいる! 動機なんかどうでもいいんだ、嫌いな奴なんかほっとけ! てめぇに感謝してるやつらから目を逸らしてんじゃねぇ!」
レイは目を見開いた。血の代わりに全身を稲妻が駆け巡り、痺れが襲う。
今まさに、目の前にいるダノスとレティを一切見ていなかった。
そして、イデアのことも。
「……レイ、あなたのやっていたことは間違いではないのです」
ただ、見つめる方角が違っただけで。
レティが良い終わると、ダノスがようやくレイを降ろした。レイはされるがままに座る。脱力しきった体は、鞭うたれたかのよう。
しかし、頭はもう冴え渡っていた。常に張っていた霧が一気に吹き飛ばされたかのよう。
恐怖という名の靄に覆い隠されていた瞳に大量の光が入り込む。
「イデア……」
レイを認めようとしてくれたイデアの姿が映し出される。
くそ、何をやっていたんだ、俺は。自己嫌悪に、胸が苦しくなる。
そして同時に感じる、久方ぶりの暖かさ……。
頬を涙が伝う。
「すまない……すまなかった、間違えてた、俺は……」
「ガッハッハ! 泣くんじゃねぇバカ! あ、おい、景気づけに俺を殴れや!」
は? 泣きながら笑ってしまう。
「俺が殴っちまったんだからなぁ! おら、殴れ!」
殴れと凄んでくるダノスに、今更逆らう気が出てこない。
グーを作り、ダノスの胸に押し当てる。
「なぁんだよ弱ぇなぁ! がっはっは!」
「……うるさい、血が足りないんだ」
事実、起き上がらされただけでもめまいがする。血も取り戻すことはできていない。少しでも気を抜けばあっという間に眠りに落ちてしまう。
そんなレイを見かねてか、シプトンが近づく。
「いいですか、先ほども言ったように、そんな悠長なことを言っていられる事態ではないのですよ」
シプトンはレイに耳打ちする。端的な説明だが、それ以上の説明は必要なかった。
その内容は、レイの心のどこかに火をつけた。真っ赤に燃えて、一瞬で再び取り戻した心を燃え上がらせた。
怒りだった。レイも、イデアも、そして国中を巻き込んだことに対する、壮絶な激怒だ。
冷えた牢屋は、もはやレイを落ち着かせることはできない。
それでも人間なのか。疑いが燃料になってレイの血が突沸した。気体になった血が、足りない分までエネルギーを駆け巡らせる感覚。
しかし、どう対策すればいいのか。レイは魔法しか使えず、今は平常時よりも強い魔法を使える気もしない。ドーパミンのおかげでなんとか体を動かせている気分だ。
しかし、その怒りの源が、脳をかつてないほど活性化させる。
そして、見えた。激怒を収める方法が。
「わかった。俺にいい考えがある」
シプトンに頷いて答える。
遠くからガチャガチャと鎧が鳴り響く音が聞こえる。
「シプトン校長先生! 追手が来てしまいましたよ!」
レティが慌てる。
くそ、こんなことになるなら無理やりにでも逃げだせばよかった。選択は間違いばかり。
もう間違えられない。レイの目に、光を取り戻す。
「がっはっは! そうでなくちゃお返しできねぇだろ! 全部まとめて返り討ちにしてやるぜ!」
「レイ。準備はよろしいですか?」
ダノスは拳同士をぶつけては張りきり、シプトンとレティも杖を構えて応戦状態に。
レイも弱った体に鞭を打って、体だけは治療を済ませる。しかし、魔法をそう何度も連発はできなさそうだ。
「あぁ……イデアを救う」




