もう、何も
豪奢な飾りつけは誰のためにあるのか、何度も繰り返した問いを感じながらイデアは広くおびただしい王宮の階段をのぼる。
途中、履き慣れないスカートの裾を踏みそうになり、立ち止まった。こんなものを履いていては自由に歩き回れる気がしない。
けれど早く慣れなければ。姫である自分自身のために。
途中、召使たちがイデアに深々と頭を下げて通り過ぎていく。「姫様、ご機嫌麗しゅう」
イデアも通り過ぎていく。なにも感じず。
上がりきって、玉座の間へとたどり着いた。晴れやかな雰囲気に包まれている。まるでどこか遠い世界のようだ。
「あぁ、これで安泰だ……国を真に思ってくれているお前に、あとを頼めるのだからな」
ハ、ハ、ハ。年老いた王の乾いた笑い声が玉座を薄く包む。
「戦士長は死んでしまったが、より才能あるお前がいてくれて誇りに思う、ガインよ」
はっ。息の合った呼吸でガインが肯定する。
ガインは副戦士長だったが、戦士長は先の魔物討伐で敗れ、繰り上がるようにガインが戦士長に昇格したらしかった。そして彼は、国を守護するために命を投げ捨てることができる。
王もまた、長年を国のために費やしてきた。その点はイデアも否定する余地はない。王が王たらしめたのか、それとも王は生まれた時から王だったのか。どちらかは彼自身しか知り得ないが、王は王だった。
「おぉ。戻って来ていたか」
イデアに気付いた王が一瞥する。
「決心が済んだようでなによりだ。まぁ、元々知らない者との婚姻ではないのだから当然ではあるか」
「そうであるならば私としてもありがたい幸せです」
王がガインに向かって喋り、ガインが答える。そのどちらの顔にも、満ち足りた空気が流れている。どちらの視線にもイデアは存在していない。
「私もこの国のために貢献できて嬉しく思いますわ、お父様」
スカートの裾を持ち上げ、姫らしくちょこんとご挨拶申し上げた。これ以上イデアが何かを言う必要はなかったが、言わなければならないという気持ちがイデアの口をついていた。
「そうか……そのように思ってくれて、嬉しいぞ」
王は乾いた声で返す。
自分は王の娘であることに変わりはない。
イデアが結婚しなければ、姫が女王として君臨していたのだろうか。
イデアが結婚すれば、その夫は王になるだろう。
別にイデアが姫でなくとも、姫と結婚した者は王になることができる。
それでは。そう言って、肌に合わない暖かさから逃げるように玉座を離れる。
誰に対して頭を下げているのかわからない従者からも逃げるように、イデアは広い自室に逃げ込もうとする。しかし、一組の兵士に声をかけられた。
「姫様、ご結婚、誠におめでとうございます」
頭を下げた兵士たちの戦闘の男がそう言った。
「……お早いのですね」
「なぁに、我々は姫様をお守りする役目もあるのです。そういった情報がすぐにでも掴んでいるのは当然のこと」
顔をあげたのは、ロイ。イデアを連れ戻そうとしていた兵士だ。
彼の顔は忠誠心を誓う屈強な兵士そのものだが、果たして心の中身はわからない。
「……そうですか、頼りになります」
「おぉ! 姫様からそう言ってくださるのは光栄の極みですな」
ははは。周りの兵士も薄く笑う。
「まぁ、姫様、我々にお任せして、姫は姫としてのお役目を全うされてください」
そのつもりです、と言い残して去ろうとしたその時。
くれぐれも、とロイは続ける。
「“不器用姫”だなどと嘲笑われることの無いよう……」
先ほどよりも強い笑いが響く。
ありがとうございます、肝に銘じます。声にならない声で返答し、バタンと強く扉を締め切った。もう、何も聞こえない。
ここだけは私の部屋だ。私の居場所だ。
だって、自分が選んだベッド、本棚、剣に防具、イデアが長年傷を積み重ねた甲冑がある。それに、イス、テーブル。
ふと、誰かと時間を共有している気がして振り返る。けれどここはどうしようもなくイデアだけの部屋だった。そのはずだ。
途端にどうしようもない感情が心に注ぎ込まれていく気がした。
やめて、それ以上入れないで。
注ぎ込んでいるのもまた自分であることに目を逸らしたい。ベッドに顔を埋めて、自分にさえ表情を隠す。
誰もイデアの顔を見てくれる人はいなかった。




