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二人牢屋の中で

 レイは軽く手当だけされた後、薄暗い牢屋に運ばれた。


 レイは一切動かなかった。もはや鉄格子も意味をなさず、まるで最初からそこに住んでいたかのように息を吐く。


 レイができるその気にはならなかった。ここに運ばれたのは断罪の為ではなく、レイを逃がすためなのかもしれないと不思議と感謝の念が膨れ上がる。ここにいれば非難の声はレイを突き刺さない。


 目を閉じる。


 冷たい床はレイを心地よく冷やす。自分の体重がかなり軽いことがわかった。血を流しすぎた。回復をしても血は戻らない。どうせ死ぬのなら、血があってもなくても変わりはしない。


 全く時間が経っていないかもしれないし、ひと眠りしてしまっていたかもしれない。うつらうつらとどこかの境をさまよっていると、カツ、カツ、と小さい音が聞こえてくる。

 誰かがまた入れられたのか。どうでも良いと意識を再度手放そうとすると、レイ、と呼び鈴を鳴らされた。


「まだ、生きていますよね」


 イデアの願うような声色に返事はしなかった。


「私……嬉しかったのは、本当です。あなたに二度も助けられ、私を見てくれた唯一の人ですから」


 同じ言語、お互いに通じる言葉のはずなのに、なぜかレイには理解ができない。口には入るが嚙み切れない肉のようなその言葉は、噛むごとに変形し、ぐちゃぐちゃになり、ますますレイの喉を通らなくなる。


「助けてないなんてわかっただろう」


 外では、レイは多くの兵士や魔女を巻き込んだ自作自演を行った、魔王の力を持つ大罪人だ。


「ですが、私が生きていることもまた事実です」

「それは俺が利用したことになってるだろ」

「あなたには命以外も救ってもらっています」


 何を救ったのだろうか。


 彼女の家族だろうか、愛する国民だろうか。


 目を開き、そっとイデアに視線を移す。その表情の名前を、レイは知らなかった。

 目はじっとレイを見据えている。口は真一文字に結ばれている。その表情は無だろうか。しかし、口から紡がれる言葉は無ではない。もっと違うものが含まれている。


「私は以前にも言った通り、レイ、あなたに感謝しています」


 その言葉が出た時、イデアの表情は陽炎のように揺らいでいた。レイに感謝しているようにも取れる。レイに怒っているかのように聞こえる。レイを憐れんでいるようにも思える。その表情の要領がつかめない。


「こんな私を認めてくれた……とっても、嬉しかったんです」


 鉄格子にそっと手で触れる。それは何よりも冷たいはずなのに、まるで別のものを撫でているかのよう。


 届かない手とぐるぐると移り行く表情を見ていると、何かが沸き上がってくる気がする。悪いデジャブのようで、気分が俯いていく。レイは上に向き直り、目を閉じる。


 ため息が漏れた。どちらのだろうか。そっぽを向いてしまったレイに対しての呆れか、信じてもらえなかった感情の吐露か、それともレイ自身の心がそうさせたのか。


「……あまり自分のことを語らないのですね」


 飛んできた言葉は、あまりにも軽い。


「ねぇ……今からでもレイのこと、教えてくださいませんか?」


 故郷のこと、家族のこと。どんな風に育ってきたのか、何が好きなのか。


 楽しそうなお喋りに似たそれは、イデアの単語を弾ませる。


「私は生まれてからずっとこの国で育ちましたから、是非ともあなたのこと、お聞かせくださいな」


 イデアは努めて続ける。

 この国のこと、育ててくれたメイドや執事、魔女学園の教師のこと。時には優しく時には厳しく、姫としての教育を受け続けてきたこと。


「……幼い頃に、母は亡くなりました。けれど寂しくはありません。皆さんが私によくしてくださいますから」


 気丈に笑う姿。必死に飲み込もうとする彼女が見える。周囲からの期待に応えようと頑張ってきた日々。姫としての所作、知識、知恵。将来この国を背負うものとして必要なモノ全てを吸収してきた。それは姫によくしてくれた人たちに応えるため。


「私は頑張りました。今も頑張っています……姫として。そしてイデア・マギアミレス・ランタインとして」


 それをあなたは認めてくれたのです。床に置くようにつぶやく台詞が、こと、と音を響かせた。


「ねぇ、あなたのこと、聞かせてくれませんか?」


 震えていた。心も言葉も震えてレイに伝わった。


「あなたのこと、もっとよく知りたい……笑った顔や怒った顔、もっともっと見たかった……」


 声が段々下がっていく。か細くなっていき、崩れ落ちていく。

 レイはまた、上を向いた。


「あなたのことがわからなかったら、どうやって助けてあげれば良いのですか……」


 振り絞って答えるその声は、どこかすがるような思いを込めている。


「あなたは感情が表に出ませんでしたね……きっとそう教えられてきたんでしょう」

「……そういう、性格なだけだ」


 彼女の言葉で、自分もまた日本人だったのだと再認識する。


「けれど、あなたはギルドで依頼をこなしてきましたね……きっと、困っている人を救いたかったのでしょう?」

「……依頼をこなしただけだ。自分の力で、生きていかなきゃいけない」


 魔物を倒した力も、結局は他人から与えられた能力だ。自分のために使うなんて、体が引き裂かれるよりひどい。


「魔女学園で、あなたは惜しげもなく能力を発揮してくれました……私も含めて、彼女たちにも魔法の可能性を」

「むしろ絶望しただろ。女にしか使えない魔法を、男が、しかも魔王みたいな魔力を使ってる所を見せられたら」


 レイの口から絶望が突いて出た。今の彼女たちは、一瞬でも希望を持っていたとしても、それが魔王の力だったと知れば幻滅どころではないだろう。

 自分も軽率だったと恥じている。しかし、もう遅い。

 将来有望な魔女たちは思うだろう。努力もなく、知識もなく、けれど自分たちよりももっと自由に使える男の魔法使いの存在を、疎ましく思うに違いない。

 ふと、気になる音に顔を向ける。

 静かに落ちたそれは、ぽつり、ぽつりと、無機質な床を叩きつけている。


「それでは……私は、救ってもらった私は、どうすればいいんですか……!」


 そこに姫はいなかった。イデアも存在していない。

いたのは、傷ついた心で泣いている一人の少女。


「私は! 私、は……あなたが英雄だと、英雄だって、そう思っていました、今でもそうです、だってあなたを否定したら、私を認めてくれたあなたを否定したら、私はどうなってしまうんですか!」


 止まらない涙のように、悲痛な訴えが流れていく。


「でも、あなたの魔法が国を滅茶苦茶にしたのも事実……レイの魔法は、私たちを守ってくれる優しい魔法なのだと思っていたのに……!」


 レイもできればそうでありたかった。そして、さっきの魔法もそんなつもりで放ったわけではないことも訴えたかった。

 けれど、それを言ったところでイデアの涙を止められないことはわかりきっている。レイの魔法に、イデアの涙を止める力はなかった。


 レイは、なぜ俺に魔法なんかあるんだ、と言いたかった。


「……わかりません」


 肩を震わせ、そう告げた。


「私、レイのことが、わからなくなってしまいました……」


 顔を上げたイデアは、口角だけを無理やりあげて問いかける。


「レイは、どうして、知ってほしくないんですか……?」


 まるで胸から腹まで、大きく切り裂くような疑問だった。


 レイを見通そうと、レイの中身を暴こうとするその言葉は胸を深く抉りとる。


「レイは、どうして魔王の力を持っているのですか……?」


 そんなつもりはなかった。周囲に疎まれるような力を欲しがったつもりも、邪な思いで能力を獲得したつもりもなかった。


 けれど、目の前の少女は揺らいでいる。小刻みに揺れる肩は、だんだんレイから離れていくような気がして。

 ただ、あの時は生き延びたかった。単純で明快な生きる本能に従っただけだ。普通なら責められるいわれはないはずだった。

 けれど、今ではそれが本当に正しいことだったのか、レイも揺らぎ始めていた。だって、俺が能力を持つことで、涙を流す少女が目の前にいる。


 それ以上、レイは口を塞いでいられなかった。急激にレイの背中にせり上がるようにして押し出した。


「……力が、欲しかった……生きるために」


 それだけだった。すぐにその目的は達成された。


「では、あなたが生きるために傷ついた人たちは……」


 違う。傷つけてなんかいない。全力でやらなかったら、こちらが殺されていた。


「ねぇ……私を見てくれた優しいレイは、どこへ行ったのですか……」


 その目はレイを見ている。見ているはずだ。なのになぜ、何かを探すように、レイではない誰かを見つめている気がするのは、なぜなのか。

 きっと。呟いた言葉が落ちていく。


「私たちは、間違っていたのかもしれません」

「なにを間違っていたんだ」

「なにもかも、です」

「そんなはずは」

「そうなんですッ!」


 鉄格子を震わせる絶叫。レイの言葉は切り裂かれ、口は宙に浮いたまま。


「レイが讃えられたのも、私が一緒にいたことも、魔物を退治したことも……」


 そして。まるでそれが元凶だと言うように。


「私とレイが、生き延びたことも」


 全部が間違いだったらこんなことにはなっていなかった。

 全てが嘘なら、こんな気持ちを抱いていなかった。

 イデアもレイも、苦しむことなんてなかったのに。


「ねぇ、レイ……私を支えてください……前みたいに、もう一度私の名前を呼んで」


 いますぐにでもぐちゃぐちゃになった気持ちを捨てたい。こんなに苦しい思いをするなら、私はイデアじゃなくて良かった。ただのお姫様で、幸せに死ねたのに。

 悲しい笑顔は、涙で煌めいて。

 その表情はどこかで見たことがある。思い出したくて、イデアを見つめ続けた。永遠に見つめ続けた気がした。やがてそっぽを向いてしまった。レイはまた、思い出せなかった。


「……私は、王の提案を受けようと思うんです」


 涙をシルクの手袋に含ませ、表情を作り変えていた。


「王は、王国戦士長と私を結婚させたいと、そう言ってきたんです」


 涙声はどこかへすっかり消えていた。そこには姫としてあるべき姿だけが残されている。


「国を救った戦士に、国を任せたいということだそうです……王も、もう先は長くありません」


 責任がまとわりついていた。そして、イデアはその責務を務め上げ、国のためになるよう行動しようとしている。


「王は私をどのように考えているのかはわかりません。わかりませんが、国のことを考えていることには間違いありません」


 イデアの信頼はどこまでも厚い。それはつい最近まで、レイが妙だとさえ感じていたものと同じだった。

 淡く透明になった表情は、何を映し出そうとしているのかわからなくなった。

 そこにはもはや何も映されていなかった。

 変わって王国戦士長の顔が浮かぶ。あいつはレイを見捨てた男だ。そんな男がイデアと結婚し、ゆくゆくはこの国の国王になる。

 レイの体をかきむしりたい衝動に駆られる。ガインのことが嫌いだからではない。


 ガインは一貫していた。見捨てた時も、レイに攻撃を仕掛けてきたときも。

 彼は最初からレイがそういう人物だと見抜いていたのだろうか。最初からでなくとも、あとからレイのことには気が付いたのだろうか。

 だったら教えてほしい。俺は、一体どうしたかったのか。


 しかしもはやどうでもいいことだ。


「レイ……あなたは処刑されるでしょう。けれど、あなたの力なら逃げることなんて簡単でしょう?」


 だから、この国から逃げて、どこか遠くで幸せになって。

 手切れ金のように渡されたそれを置いて、イデアは来た時と同じように去っていく。視点がようやく合ったレイに映し出されたイデアは、きちんとした姫の装いだった。

 小さくなる靴の響き。再び戻った静寂。まるでここもお前の居場所ではないと突きつけられたような。

 イデアの否定、イデアの結婚、イデアが去った。

 残骸が頭の中を回り続け、ここ数日の奇妙な感情に頭を浸す。

 レイはあることにたどり着いた。シンプルで、納得のいく答えが見つかった。

 けれど受け入れられなかった。


 受け入れたら、レイそのものがどうなるかわからない。

 国中に疎まれ、イデアが去って、残された感情を拾い上げたくなかった。

 けれど、レイの空いた穴に、それは奇妙なほどしっくり来た。他人事のように納得せざるを得ないそれは、レイの呼吸、心臓の鼓動、認識をひどくゆっくりとさせていく。


 レイは処刑される。そうイデアは言っていたが、既に執行されたのではないかという疑問を抱く。心臓を止めることだけが何も死ではない。今も、既に死んだかのような気持ちだった。

 余計なことをしなければよかった。ひどく後悔を覚える。

 それは、授与式に出なければよかったことか。ギルドに所属しなければよかったことか。

 この国を救ったことか。それとも、転生したことだろうか。

 いっそ死んだ方がマシとはこのことだと、改めて目を閉じる。

 いつの間にか、レイはひどく疲れを感じていたらしい。

 眠っていたと自覚するのにそう時間はかからなかった。


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