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イデア

 空にはもう少しで頂点に達しようとしている太陽がきらめいて、少し汗ばんだレイたちをじんわり暖める。

 若い魔女たちから散々逃げ回り、いい加減息も上がったところで走るのを止めていた。

 丁度、人気のない魔女学園の庭の端の木陰で休んでいる。


「それで、今日は他にご予定が?」


 イデアに尋ねられて頭の中に探りを入れるが、今日というワードに引っかかるものはない。


「いや、もう疲れたから、あとはギルドに帰ってゆっくり……」

「でしたら!」がし! 手を掴まれる。「私のお部屋に来てくれますか?」


 げ、とあからさまに嫌そうな表情を浮かべてしまう。

 姫の部屋ということは王宮に行くことになり、そこにはまだレイの中から払しょくできていない汚れのようなものがうずまいている。


「い、いや、遠慮して――」

「どうしても! 来ていただきたいんです!」


 本当は魔女学園で良い雰囲気になってからお誘いしたかったのですけれど……とさも残念そうに舌を出す。


「もちろん、城の正面から入ろうなんて言いません」

「城の勝手口から入るのか?」


 確かにああいう城は他にも入り口があってもおかしくはない。

 だが、目の前のイデアは、んふふ、と不敵に微笑んでいる。


「もっと凄いところから入りましょ♪」


 イデアが周囲を見回して何かを確認すると、その場で壁に張りつきコンコンと壁を探る。

 すると、カチャと正方形に壁がくりぬかれたように開き、真っ暗な口を覗かせている。


 イデアは、さぁどうぞと言い残すとそのまま奥へ奥へと進んでいく。

 レイもそれに続いた。


 暗い迷路をおっかなびっくり進んでいく。

 暗く空気も淀んだ通路をイデアが灯す明かりを頼りになんとか手探りで追いかけた。

 一度左手へ曲がり、そして長い一本道をずっと突き進む。

 一度も分かれ道には出会わず、迷うことはなかった。


 やがて、人ひとりがなんとか通れる小汚い階段を上っていき、立ち止まる。


「ちょっと、待ってくださいね……」


 四角い取っ手が出てきたかと思うと、それを回したり引っ張ったりして、音もなく壁を開けた。

 急に光が差し込んできて、レイは一瞬目を細めてしまう。


「さ、遠慮なさらずに」


 手招きされた方へ歩を進めると、豪奢な内装、ふんわりとした香りが漂ってきた。

 姫の部屋というのは、もっと調度品やドレスや、整然としながらも物が溢れているイメージだった。

 だが、ここは姫の部屋というより、イデアそのものの部屋だ。


「あら、びっくりしました?」


 それなりの王家の部屋だということは雰囲気と香りでわかる。

 窓からは国全体の景色を一望でき、間近に見える庭は芸術そのものだ。

 小鳥のさえずりでさえ、まるでオーケストラかコンサート演奏のような心地がしてくる。

 広さも豪勢だ。かなり大きな広間のように天井も奥も広がっている。

 レイだったらこんなところでは落ち着けない。

 手前には天蓋付きでレースが降りたベッド、足元まで模様が美しいテーブルにクッションの網模様が綺麗な二つの椅子……部屋の中で目に映るもの全部がレイを恭しく出迎えているようだ。

 特徴的なのは、奥にボロボロの鎧をまとった木偶の棒が何体も立っており、さらにその周りには様々な武器が立てかけられていることだ。

 訓練部屋も部屋に作ってしまったということなのだろうか。

 さすが、イデアはやることが違うと納得してしまうレイがいた。


「さ、こちらにおかけになって」


 イデアが椅子を引き、レイを招く。

 レイが座ると、パンパン、と手を鳴らした。

 瞬時に扉が開き、同時に良い香りと複数人の召使が入ってくる。

 びっくりして固まっていると、音もたてずにレイに目の前には皿が所狭しと並べられていった。

 これこそ魔法なのではないかと疑いを隠せない。

 最後にナイフとフォークが置かれ、ドアは再び音もなく閉まった。


「さぁ、どうぞ」


 言われて、食欲をそそる甘いソースの香りでレイは我に返る。

 どうやらステーキっぽいようだ。

 ナイフとフォークを手に取って、ぶすりといただくか。


「……?」


 うまく力が入らない。

 肉が切れないのではない。

 ナイフとフォークが持てないのだ。


「まさか……」冷や汗が垂れた気がした。


 ギルドではパン食など、ほとんど食器すら使わなかったので気が付かなかったが、この鋭利な食器も、どうやらレイにとっては武器になりえる物らしい。

 呪いの重さというのを改めて思い知らされた。

 少し、気が遠くなる。

 イデアは怪訝そうな顔をしてこちらを見つめている。

 既に彼女は一切れ切り、小さくもぐもぐとやっている。


「どうかなさいましたか?」


 今、レイは猛烈にあの老人を呪っている。

 戦うことはおろか、日常生活にも支障が出るじゃないか。

 詐欺にもほどがある。


「い、いや、そういえば腹が空いてないことを思い出して」ぎゅ~っ。


 いっそのこと死んでやろうか。

 あの老人と一緒に死んでやる。


 ぐ、ぎぎと歯ぎしりをしていると、イデアが椅子を移動させながらこちらに近づいてきた。


「ナイフとフォークを使ったことが無いなら、そう言ってくださればいいのに」


 イデアはそのまま手に持っているナイフとフォークで湯気の立つステーキをさくさくと切り分け、一切れにフォークを立ててレイの口元に持ってくる。


「はい、あーん、してください」


 あーん、という言葉が何を意味するのか、本気で逡巡してしまった。


「ほら、口を開けることくらいはできますでしょ?」

「は?」

「はい、よくできました♪」


 そのまま口に突っ込まれた肉は、舌の上でとろけ、ソースが蕩けたタンパク質のとろみと絶妙に絡み合う。

 さすがは王宮で出される料理だが、危うくレイは堕ちかけるところだ。


「いかがですか?」

「うまい……けど、食べさせられるのは……」

「では、もう一切れ、食べてください」


 待った、しかもそれ……言いそびれてまた肉を咥えさせられた。

 確かに美味しいことこの上ないが。


「ほら、こちらもどうぞ」


 付け合わせや諸々全て、結局文句も言えずに、レイは彼女の手で完食させられてしまった。

 そんなイデアの表情はどこか満足気だ。

 イデアはそのまま自分の食事へと戻るが、レイに食べさせるのに使っていたナイフとフォークでそのまま食事を続けている。

 見続けるのは目に毒だが、他に視線をやれる場所もない。

 気恥ずかしさを耐え忍び、イデアの食事を見守り続ける。

 そんな時間は過ぎ、イデアが食事を終え、皿が全て片付けられた。


「こんな風に、誰かと食事をとるのはやはり楽しいですね」


 満面の笑みで言いながら立ち上がる。

 部屋の隅へ歩くイデアは、何かを手に取って戻ってくる。


「今日、お食事をご一緒させていただいたお礼です」


 そういって差し出してきたのは、金細工で小さく模様がかたどられたネックレスだった。


「これは、あなたにお似合いかと思いまして、私自らが作りました……どうか、受け取っていただけますか?」


 受け取ったそれをよく見ると不格好に折れ曲がっており、とても職人や手慣れた者が作ったとは思えない。

 明らかにイデアが作ったものみたいだ。

 レイはどのみち、この贈り物を受け取るほかはなかった。

 手渡されたそれを、黙って手のひらに収める。


「いきなりどうしたんだ」


 受け取るのは良いが、疑問なのはその理由だ。

 レイの浅学な知識では、こういう国の姫には許嫁だの、それでなくとも幼馴染や、他のいい男は腐るほどいるはずだ。

 どうしてぽっと出のレイにこんなことをするのだろうか。

 レイだったら、例え自分を産んだ親でも信頼しない。

 というか、こんな美少女に男の影がないはずがない。

 勝手に惚れてしっぺ返しに合うのはごめんだった。


「嬉しかったからでは、いけませんか?」

「俺が助けたことか?」

「はい」


 消え入るように答えたその“はい”は、はいじゃない。


「んふふ……嬉しかったんです。私だけの目の前に現れてくれたこと」


 それは、姫が独りで立ち向かおうとしていたから、まずいと思い咄嗟に動いただけだった。他人を信頼しないとはいえ、見捨てるような外道に成り下がるつもりはない。


「あなたが、私の父でなくて、本当に良かった」


 本当にそうだといった目で、レイの瞳をじっと見つめる。真意はそこに含まれておらず、レイは少し覗き込むように見つめ返してしまう。


「それは、どういう……」

「ねぇ、レイ? 私は一体、何に見える?」


 んふふ、と座ったまま、優雅な動きを見せる。

 ちらとところどころに見える肢体が美しい。

 日々手入れを怠らず、姫としての矜持を保っている証拠だ。

 姫、と答えようとして、ふとイデアの顔を見つめた。


 そこにはイデアがいた。

 当たり前だがそこにはイデアがいるのだ。

 柔らかな微笑みに、淡くにじんだ水の色。

 湿り気が伝わる。そこに、一瞬レイの鏡を錯覚させた。


「……お前は、イデアだろ」


 至極当然のことを答えた。

 俺は俺。

 イデアはイデア。

 そのはずだ。


 入れ替わっていない限り、レイはレイで、イデアはイデアなはずだ。

 レイがイデアで、イデアがレイのはずはない。


「んふふ、正解です」


 嬉しそうな花が咲く。


「けれど、みなさんは私を姫と呼びます。私はランタイン国の姫君」


 その意味をレイは捕え損ねた。それもまた正解ではないかと思ったからだ。

 イデアは立ち上がり、窓の方へ歩む。

 小奇麗にスカートの裾を持つ仕草をしながら、その場で軽く回る。優雅さは、まさに姫だ。


「私は姫であり、誰でもない」


 小鳥が飛んで、また違う木にとまる。


「ですから、姫もまた、他になり得るのです」


 声色や口調は全く変わっていなかった。

 だが、空気をわずかに震わせた何かがそこには存在している。


「でも、それを、あなたはイデアと答えてくれました。それは、なぜですか?」


 振り返るイデアの瞳が、曇りも淀みもなく、真っすぐにこちらを捕えて離さない。

 いや、逆だった。

 レイがその純粋な眼から視線を逸らせなかった。

 逸らせば何かが消えてしまうと、直感がレイの喉元にナイフを突き立てている。

 しかし、答えられなかった。

 決して適当に答えたわけではないから、レイ自身も答えられると思っていた。

 けれど、実際にその質問を目の前にして、返せる言葉が見つからない。

 そこにあったはずなのに、失くしてしまったかのような。


 しかし、喉のナイフが少しめり込み、赤黒い液が心臓に満たされていく。


「イデアは、イデア、だからだ」


 圧迫された喉をなんとか振り絞って答える。

 ただのオウム返しだ。

 しかし、レイにはそれ以外の答えを持ち合わせない。


「レイは、私の欲しい答えをくれるんですね。本当に偉大な魔女みたい」


 あ、女ではありませんでしたね。くすりと笑うイデアに、レイはつられて気がほぐれた。

 しかし、レイには、失くしたそれが、大事なモノだったはずだと漠然と考える。

 それを意識すると、それに手を伸ばしたくなった。

 イデアの顔に灯った光が、急に恋しく思い始めた。長らく感じていなかった感情はここ最近、見え隠れしている。


「だから、私は……あなたのことを……」


 愛したんです。

 まるで落雷が体を貫いたような衝撃で、レイを後ろに振り向かせる。

 いつの間にかイデアは、レイの後ろへ移動していたらしい。そして、顔も近くへ寄せていた。


 レイの唇に、暖かく、甘く、イデアの唇が添えられていた。


 事実を認識するのに時間はかからなかった。

 唇に触れた唇が、感じたことの無い温もりを感じている。


 自分がなにをしてしまったのかを認識した瞬間、バチッ! とレイの頭で何かが爆発し、意識を手放そうとしていた。

 レイ自身もわかっている、とんでもないことが起こったと自覚し、レイの心がそれを受け止めきれずに自己防衛をしようとしているのだ。

 レイは、気絶してしまった。


※※イデア視点※※


「あら……」


 急に静けさを取り戻したイデアの部屋に、レイが机に突っ伏して倒れ込んでしまった。


 彼には刺激が強すぎたのか。

 可愛いところが英雄にもあると思うと、さきほどの愛おしさがもっと大きく膨れ上がるように感じる。


 その人の頭を優しく撫でた。

 自分とは対照的な黒髪。

 強そうで、頼りになりそうなそれは、けれど触れてみれば柔らかく暖かい。


 いつまでもこうしていたい。

 イデア自身をイデアと認めてくれた彼をこのまま。その光景を傍から覗くと、笑みが零れてしまう。

 しかし、彼自身のことも考える。

 彼も、また彼として人生を歩んでいる。それをイデアが止める権利はない。

 ゆっくりとその場を離れて、部屋の外にいる召使に馬車を呼ばせる。

 イデアがイデア自身であるためには、イデア自身で道を切り開かなければならない。

 レイには、その勇気をもらった。

 あとは、イデア自身が頑張らなければ。

 ゆっくりと運ばれていくレイを見つめる。胸に決意を宿して。

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