魔法の代償
レイは進もうとするが、進めなかった。
「目の前を見てください……」
イデアに肩を掴まれていた。
はっと目の前に顔を上げる。
いつの間にか、下を向いて歩きだそうとしていた。
そこには灰色がいた。
さっきまで深い緑で染まっていた空間に、ぽっかりと灰色が沈んでいる。
それくらい、キングウルフは大きかった。
事前に言われた通り、左足には切り傷、灰色に尖った毛並み、違うのは体の大きさだけだった。十倍以上はある。
レイは思わず、気おされてしまった。
道中、ダノスに聞いた話を思い出した。
キングウルフはファングウルフから素質のある個体が、その体を大きく、そして群れの統率者となる。
つまり、こいつは才能があって、多くのファングウルフに認められ、キングになったのだ。こいつ自信の能力で、キングにまで上り詰めていた。
キングと呼ばれるだけあり、その毛並みは荒々しくも王者の風格を放っている。
こいつをやれば……!
そう思って手をかざすが、すでにそこにはいなかった。レイの目にも止まらない速さでどこかに消えている。水の表面を打ち付けられる焦燥感がわく。
「あぶねぇ!」
キングウルフを明後日の方向に探していた。
意識が呼び戻されたことに気付いた時、ダノスがレイたちを突き飛ばし、自身も反対方向へ飛んで攻撃を回避している
「レイ! 立て! 次来るぞ!」
見ると、キングウルフはイデアへ狙いを定めてまた跳びあがっている。
今度は逃げられない。
気を逸らしていたせいで二人を危険にさらし、イデアは今にも鋭い爪と牙の餌食になりかけている。その表情は、まだなにも受け入れていなくて。
冗談じゃない。レイでも不思議なくらい憤る。
怒りという感情を受け入れたのは久しかった。
それくらいレイには縁がなかった。
レイ自身も、どう扱えば良いのかわからない。
ただ、レイの感情が急激にぐらぐら煮立ち、キングウルフを襲うのを受け入れるだけ。理性ではなく、突き動かされる情動で。
そうしたら、レイの胸から鋭い雷光が怒りをあげて、一瞬でその巨躯を貫いた。
空気と、肉と、水が一瞬で弾け飛ぶ。
電撃を受けたそれは、体中からはじけ、空中で進む力を失ってその場で倒れ伏した。
あとには、動かない獣、倒れた三人。周囲には、沢山の氷像が見つめている。
ダノスもイデアも、他人事のように呆気に取られていた。
巨大で俊敏な魔物を一撃で倒してしまった。
レイは、自分の体から飛び出していった雷光の感触に、思わず手を滑らせ確かめる。
確かにここにあったはずのモノがなくなっている。
落ち着いたというより、綺麗さっぱり抜け落ちていったような、放出しきったかのような感覚。まるで腰も抜けている。
イデアがハッと我に返り、すぐさまレイの元へ駆け寄る。
「レイ、レイ! あなたのおかげで、助かりました……!」
レイの手を両手で包み込み、震えながらさする。
ほっと暖かな気持ちが、手元から浸透してくる。
長い間感じていなかったその感情はなんだっけ。
「あ、あぁ……」
イデアの綻んだ顔を見ていると、一気に膨れ上がった風船がしぼんでいく。
気付けば、別の感情が頭をもたげ始めたので、イデアに挟まれた手をそっと抜いた。
「……すげぇ! レイすげぇなお前! 誰も倒せなかったキングウルフを一発で仕留めるのか!」
こいつは良いやつをギルドに入れられたぜ! ダノスは騒ぎながら、キングウルフの頭を触っている。
「これで依頼は達成ですか?」
「がっはっは! そうとも! いやぁ俺たちが長年苦しめられてきたこいつを一発で仕留めちまうとはな、魔法はすげぇや!」
「いいえ、魔法はここまでできません……やはり、レイのおかげです」
「いや、普通だって……俺ができることをやっただけだ」
ダノスは笑いながら頷いている。
イデアの感謝も止められない。
これは普通、普通のことなのだ。
この能力を持っているのがたまたまレイであるだけで、イデアが持とうと、ダノスが持とうと、変わりはしない。
「けど、いいのか、イデア」
笑っている二人は水を差されたようにきょとんと静まる。こういう空気が読める能力もないのがレイの弱点だ。
どういうことなのかわからない様子のイデアに、もう少し突っ込む。
「昨日の魔物襲来のことについて調査に来たんだろう?」
イデアが目を見開く。図星と言う顔だ。
「レイには見破られていましたか」
「イデアがわざわざついてくる理由はそれしかないだろ」
「ひどい! レイについていくついでに調査していただけですよ!」
イデアが必死になって可愛く怒る。
それは仮にそうだとしても良いのだろうか? レイは不安になるが押し殺す。
「わかった……それでどうなんだ、なにかわかったのか?」
問いかけたイデアの視線は、しかし険しいものへと変わる。
「いいえ……正直、なにか仕掛けられているのか、はたまた魔物をおびき寄せる痕跡があるかと思っていましたが……」
イデアは顔を振った。
魔物たちが集っていた場所に足を運べば何かあると踏んでいたのが、何もなかったのだ。
レイも注意深くは見ていたが、何か感じるものは何もない。
悔し気な顔を浮かべるイデアに、レイは声をかけることができない。
自国民を何百何千と失わせた責任を、その小さな肩に乗せているのだろうか。
「ま、無いもんは仕方ねぇさ! さぁ、そんなところで休んでないで、耳を切って持って帰ろう!」
ダノスの快活な声が沈んだ雰囲気を切り裂いた。そしてレイもそうだ、と口にする。依頼達成の証拠に体の一部が必要なのだ。
そういえばナイフが無いことを思い出す。
なんでもいいが、ガノスの剣は大振りだし、イデアに頼むのは気が引ける。
そしてなにより、借りたとしても、レイは武器を握れない。
一か八かやってみるか。できなければ、仕方がない。
レイはナイフをイメージした。鋭利で、扱いやすいナイフ。これくらいなら武器ではなく、ただの刃物だ。
手にすっぽり収まるサイズで集中すると、黒い柄、鏡のように反射するナイフが右手に浮かび上がった。ただ添えるだけで切れてしまうような感覚。
そのナイフはぽとりと落ちて、地面に突き刺さった。ひとりでに落ちたかのようだった。拾おうとレイが腰をかがめて柄を握るが、途端に力が入らない。
おい、嘘だろ。レイは声もなく呻く。
かいてもいない汗が頬を伝い、顎に留まる。
武器を握れない感覚を理解させられた。
体が一切、武器を受け付けない。触るだけで、まるで力が抜ける毒を刺されたかのように、手に力が入らなくなる。
呪いを実感した。
「ど、どうした?」
「だ、大丈夫……」
もう一度。
だが、同じ結果に終わる。二人に見守られながら、何度も何度もナイフを落とす。
「いや、ナイフを握れないって、お前相当だぞ……」
ガノスの酷い心配顔以上のことだが、なんて言ったらいいのか説明しづらい。
それ以上に、強すぎる魔法の代償が大きすぎたと悟る。武器として使う気が無くても、武器になりえる物全て、レイには持つことができないのだ。
「たく、しょうがねぇなぁ! 俺がサクッと切ってやるよっ」
屈託なくくしゃっと笑うガノスに、ありがとうとだけ答えた。
「今日はよほど疲れたのでしょう? 魔法は精神を消耗しますから」
イデアが肩を支えて慰めの言葉でレイをなでる。
「気にすることはないですよ? ナイフを扱えないくらい、どうということはありません」どちらかというと、と続ける。「私たちを救い、皆さんの仇を取ってくれたことの方がよっぽどなのですから」
ナイフを握れなかったレイを、それでも慰めてくれる。いきなりのことで動揺しかけたレイに暖かい言葉をかけてくれる。なにかが解けていくような心地。
「そうだぜ! ほら、お前の手柄だっ!」
投げてきたキングウルフの耳を掴む。まだ、暖かい。
「どうよ? お前が勝ち取った獲物の感触は?」
曇りのない笑い顔に、あぁ、と答える。
確かにこれはレイの心を溶かしてくれそうだ……生き物の耳じゃなかったら。
「それでは、帰りましょうか?」
イデアに手を差し伸べられ、一緒に帰ろうと誘われる。
まだそれには慣れていなかった。けれど、レイはその手を信頼して立ち上がる。
笑い出したダノスの背を追うように、レイとイデアも歩き出した。ナイフを握れなかった手は、代わりにイデアの手を握っていた。
ギルドに帰るとその手は離れてしまった。
男たちが揉みくちゃにしてレイを胴上げしまくるからだ




