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彩り奇譚  作者: きりど屋
8/23

セピア色の思い

  ◇◇◇


 今日も河はゆったりと下っている。

 街の北側を中洲のように切り取る二つの川は、数か所しかない橋へと迂回しなければ渡れない不便さを感じこそするが、いつも大きな自然が寄り添う景色は不思議と心が落ち着く気がした。


「春はもう少し遠いか……」


 街中とは全然違う土と水と肥料で溢れた濃い臭いは冬の澄み切った透明な空気の中でも緑の豊かさを連想させる。

 川沿いの道を延々進み続けて、ようやく着いた北区は昼前という頃合いでも騒がしさを感じない長閑な時間が流れていた。

今日は土曜日だ。もっと人の行き来を見てもおかしくないとは思うのだが、そこは田舎の旧住宅区だからか、ここに来るまでに見かけた人影は二、三人の農作業姿の老人だけだった。


 昨夜からの不眠不休が効いているのか、重たげに靄のかかる思考を抱えながら川沿いの道を若干ふらつく足取りで上流方面へ辿っていくと。


「いた」


 そこに探し人の姿を発見した。

 正直言って深紅の足で動き回られたらもう今日中に見つけることはできないのではないかと思っていたのだが……。

 そんなことを考えながら深紅の方へ近づいていると。


「――あ」


 ふらつき塀へ手を付く深紅の姿が見えた。


「深紅さんっ、大丈夫ですか?」


 慌てて傍によるが深紅は聞こえているのかいないのか、こちらを振り返る事も無くまた歩き出そうとしている。それでも足はやはりふらついて、再び塀に手を付くと立ち止まり肩で息をしていた。

 無理もない、大したことをしていない自分がこの消耗なのだ。夜中の間戦闘を続けそのまま取る物も取らずに走り回っていたら最後は倒れてしまうのが普通だ。


「休憩しましょう。まずは落ち着いてからです!」


 深紅の肩を掴み少し強い口調でそう声を掛けると、彼女は今初めてこちらの存在に気づいたのかちらりと横目でこちらを見た。

 その瞳に光はなく、疲れが溜まり重くなった瞼を持ち上げようと憔悴した表情はとても険しい。

 このままでは深紅の方が先に倒れてしまう。

 少し躊躇ったが、深紅の両肩を掴むと強く力を籠める。


「いいですか。聞いてください」


 深紅はこちらを睨むように見てはいるが見えてはいない、口の中で小さく「見つけなくちゃ、私が、早く」とまだ呟いていた。


「今は日も高い、穢れは影溜(かげたまり)に潜んでいてどこにいるのか見当もつかない。そして何より貴女はもう限界でしょう。今貴女が倒れてしまったら誰が核の男の子を救うんですかっ」


 深紅の瞳には昏い怖さが灯っていた。それでも自分は目を逸らすことなくそう言い放つ。


「ちょっと」


 少しの間黙り静かになった深紅の呼吸が段々穏やかになっていく。じわじわと下がっていく瞼がついに瞑られ、やがてその体からは力が抜けると。一言ぽつりと呟いた。 


「……ちょっと、お腹すいた」

「はい、分りました」


 体を揺らし足取りのおぼつかない深紅に肩を貸しながら何とか河川敷まで運んで来ると、今は葉も無く寒々しく見える桜の樹の下へと深紅を寝かせる。

 少し顔を覗き込んで見ると、目を瞑った深紅は穏やかな呼吸を繰り返していた。その表情に安堵して、そのまま近くに見えていたコンビニまでひとっ走りした。

 ただでさえ消耗する当てのない捜索なんだ。少しの睡眠と食事、糖分接種は必須に決まっている。


 上気した呼吸で暖房の利いた店内に入ると背中にじわりと汗が滲む。

 店に客の姿はなく、眠たげな声で「いらっしゃーぃませ」とバイトらしき青年が出迎えてくれた。

 店内を周りながら深紅の好きそうな物を選ぼうと思い商品棚を見回して、そこで初めてそういえば自分も食事どこらか水分すら碌に摂っていないことを思い出して苦笑してしまう。

 どうやら自分で思ったよりも疲れているみたいだ。どの口で偉そうに言っていたのか……やっぱり少し休憩が必要なようだと目についたチョコレートに手を伸ばした。


 「あの……」


 会計中にぼんやりと外を眺めていると申し訳なさそうな感じで小さく声がかかった。驚いて顔を前へ向けるとバイトの青年が伏し目がちにこちらを見上げていた。


 「あぁ、すみません――ん、なんでしょう?」


 慌てて目線を落とすが、会計はまだ済んではいない。青年は水のペットボトルを手に持ったままこちらを見ている。


「もし、よければ」


 青年の予想外の行動に驚いた。青年はすぐ奥の仕切りで見えないスペースからココアの缶を持ってくるとおもむろにこちらへ差し出してきたのだ。


「あー、いいえ、すみません。大丈夫ですよ」


 少し考えて、思い当たる。深紅に暖かい飲み物をと思いホットの棚で悩んでいた時、「それ、まだ温かくなってないです」と心底申し訳なさそうに告げられたのだ。

 余程残念な顔をしてしまっていたのだろう。少し恥ずかしくなり顔を隠す様に頬を掻いた。

 青年が出してきたのは店に並んでいない商品だ、きっと私物なのだろう。


「いやぁ、今日も外寒いですし、貰ってください。――がんばってください」


 さっきまでくたびれた感じの対応をしていた青年はそう言って笑う。まだ学生くらいに見えるのに彼の頭は半分くらい白く染まっている。未だに眠たげな眼の下には薄っすらとクマが浮かび、笑っている顔もやはり疲れて見えた。


「……では、お言葉に甘えて。ありがとうございます!」


 もしかしたら自分も同じように疲れて見えているのかも知れない、ずっと着ているスーツも皴と汚れだらけだった。見ず知らずの青年に気を遣わせるほど顔に出ていたのなら恥ずかしい限りだが……。


「お互い、頑張りましょう」


 青年の好意を嬉しく感じ、温かいココアの缶を受け取った。


 明るい陽気の下は暖かかったが、遮蔽物の無い河川敷には冷たい風が吹いている。

 コンビニから急いで戻り、寒くはないかと深紅の様子を伺ってみるがそこには思いの外安堵した様子で寝息を立てる少女の姿があった。

 少しの間黙って待っていると、深紅の上半身が唐突に起き上がる。


「目が覚めました?」


「…うん」


 返事をするが半分しか開いてない眼はよく見えておらず、少女はぼんやりした表情で虚ろに周囲を見回した後、はっと我に返ったように眼を見開いてからもう一度周囲を見回した。

 普通に面白い動きだったので思わず笑いがこぼれてしまう。


「ここ、あれ?」


「目、覚めました?」


「……うん」


 すっかり目の覚めた様子の深紅に改めて聞くと、今度は頬赤らめて同じ返事が返って来た。


 十二月の川縁には変わらず冷たい風が吹き抜けている。

 それでもこうして日中の陽気を浴びながらじっと微睡んでいると、それもまた心地よい空気に感じて気持ちがほぐれていく。


「ありがと、焦っているみたい」


 買って来たサンドイッチを食べ終えてココアを飲んでいた深紅がぼそりと呟いた。

 言葉と共に吐息は白く広がって、少女に温かさが戻ったことを示している。


「いえいえ、『平静を作り凪ぎに至る』です。休息も平静を作る為には必要な行動らしいですよ」

「――それ、師匠から、いっぱい言われた」


 ふと自分が説教じみたことを言っている事に気付いて苦笑する。

 何だろうどこか懐かしい感覚だ。そんな自分を不思議そうに見てくる深紅の姿を見返していたら、その気持ちの正体が朧気に見えて来た。


「ああ、すみません。こうしていると昔の妹を思い出してしまって……あ、すみません」


「ううん……どういう、思い出?」


 やはり深紅の表情は余り変わることがなく読みにくかったが、それでも小さく柔らかい笑みを浮かべる彼女の瞳を確かに見ることが出来た。

 正直、自分の話を他人にするのは好きじゃなかった。会話とはただの手段であり、それを楽しむような余裕が自分にはないし、作れないからだと思っている。


『あんまり面白くないですね』


 なぜか、御所染桃の言葉を思い出す。……いや、別に気にしている訳でもないけれど。

 それでも、なぜだろうか。自分の思考とは無関係に口が開くのは、今の眠たげな深紅なら他愛も無いお喋りとして自然に聞いてくれるような気がしたからかもしれない。


「前に、母が身重だった頃……妹が母の好きだった花でお守りを造ると言って山に入ろうとしたんです」


 目線を遠くに向けると薄っすら青い山々が見えた。家から大分離れた知らないこの地でも山の見え方は同じなのだなとぼんやり考える。


「ちょうど用事があって、僕が付いて行けないからと我慢するように言い聞かせて出かけたのですが――」


 言葉がぽつぽつと零れ落ちる。語りながら、心の中では当時の想いを掘り返していた。

 あの時どう思いどう考え今はどう変わったか、反芻するごとに郷愁に似た懐かしさと、哀しさが込み上げてくるようだった。


「帰ってきたら、妹の姿が見当たらなくなっていたんです。まあ、僕の話を聞かずに一人で山へ行ってしまったんですね」


 隣を見ると深紅が変わらない表情で眼だけを大きく見開いていた。

 妹の突飛な行動に驚いているのだろうか。各家庭の躾の程は分らないが、真朱家の教育となれば幼少期から厳しいと聞く。きっと、幼い子供が一人で勝手をするなんて深紅には想像だに出来ないのかもしれない。


「本家近郊の山々は怪異の巣食う幽世(かくりよ)だらけですからね、それはもう慌てて探し回りましたよ」


 黒緋の血は怪異を惹き寄せる。幼少の頃から誰よりもその呪いに振り回されてきた自分だからこそ、想像できる恐ろしさにあの時は愕然としていた。


「でも、結構山深くの行けるぎりぎりまで見て回ったんですが、それでも妹は日が暮れるまで見つかりませんでした」


 深紅が固唾を飲んで聞き入っている。あれだけの猛者がココアの缶を握りしめて、小さな女の子の話にハラハラしているというのも面白い光景だ。


「鬱蒼とした山の中ですから、明かりがなければ一寸先も見えません。仕方なく一度帰って装備を整えてから出直そうと家の目の前まで戻って来た時に、見たんです――」


 そこで水を一口飲み、のどを潤す。勿体ぶっているつもりはなかったが、こうして珍しく長々と語っているとすぐに喉が渇いてしまうのだ。……そう言えば人とこんなに話したのは久しぶりな気がする。


「ふふ、まあ大したオチではないんですけど、家の縁側下に潜り込んでそのまま寝こけていたんですよ。妹は」


 深紅の長い溜息が聞こえた。心底安心したという感じで胸を撫で下ろすと、ココアを一口飲む。

 本当に不思議な子だ。純粋というか、直情というか、少なくとも優しい子ではある様だ。


「まあ子供の体力でそもそもそんなに山奥まで行けるはずもなかったんですよね、妹は一度は山へ入ったらしいんですが疲れてすぐに戻ってきたそうです。……それでも、もしかしたらそのまま山の中で迷ってしまい幽世にでも踏み入っていたかもと考えると、今でも怖ろしい思い出ですけどね」


 話を聞きながら深紅は小さく頷いていた。


「昔の事故で母も無くなり、今は妹だけが僕の家族なんです。その人に何かあった時に悲しむ事になるのは、本人だけじゃないってことをどうか忘れないで欲しいんです」


 本当はこんな説教をする柄でもないのだが、ここまでの道中で自分は多少なりとも深紅の事を気に入っていた。無茶をするのは若者の特権と言うけれど一線を超えてしまえばもう取り返しがつかない、という事をなんとなく察してくれればと思う。

 まあ、他人に若者と言えるほど自分が年を取っているつもりもないのだが……。


「若者……」


 ふと引っかかる様な違和感を覚えて、考えを口に出しながら反芻してみる。


「あの俊敏さだ。もう遠くへ行ってしまったとも考えていたけど……核はまだ子供だ……」


 不思議そうにこちらを見ていた深紅の眼も次第に真剣なものへと変わっていく。


「もしかしたら、凄く近くにいるのかもしれない」


 顔を上げる。ここからだと結構遠くにはなるが、高台に建つ学校はそれでもはっきりと見えていた。


「もう一度あの学校に行ってみましょう」


 隣を見ると深紅は既に立ち上がりスカートの汚れを叩き払っている。

 彼女の瞳にはまた再び、紅い意思が灯っているように見えた。


「灯台下暗しとなるのかどうか……」


 天頂から傾き始めた太陽は何ものにも分け隔てなく燦燦と降り注いでいる。強い日差しに照らされて落ちる影もまた濃く黒く深々と足元に刻み付けられていた。


 願わくば、この恩寵が獣の枷となっていることを期待する。

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