御所染の着飾り
◇◇◇
当ての無い相手を探すとなると取れる手段も限られてくる。
真朱臙脂の取った方針は包囲戦術だった。
北側を担当するのは朱殷と深紅そして自分の三人で、南側は臙脂、浅緋、御所染桃で捜索することに決まった。
南北両端から捜索を始めて街の中央へと網を狭める。人数的に難しい所はあるが、まずはあの怪異を見つけることに注力するらしい。
しかし早くも問題が発生したのは、臙脂たちと分かれ北地区へ向かおうとした最中。中央市街へ差し掛かった頃だった。
「え?、深紅さん……」
臙脂たちの姿が見えなくなるやいなや、深紅はまるで木枯らしのように唐突に駆け出してしまう。
驚いて呼んだ声が届く暇も無く、その背中はどんどん小さく見えなくなる。去り際に聞こえたのは「私が、見つけなくちゃ」という苦しそうな声だった。
「あれ、深紅ちゃん?ちょっと張り切り過ぎじゃない?」
隣で呑気な声を上げる朱殷を目で窘めて、とにかく彼女の背を追いかけようと足を踏み出した瞬間、
「いや、悪いけど私もちょっと野暮用があるから」
そう言って朱殷はくるりと回り反対方向へと足を歩み出した。
「え?いや、いやちょっと待ってよ。そんな暇じゃないだろ?」
いつもそうなのだが、この突飛な行動には参ってしまう。
ふざけている場合じゃないと怒るこちらに対して、朱殷が「まあまあ」と両手を振りながら急に顔を近づけて来たのでぎょっとして口をつぐんでしまう。
朱殷はそのまま顔の横まで寄って来ると耳元で小さく、
「黒緋家の方に連絡があるんだよ」と囁いてきた。
『黒緋家の方に』……このタイミングで人目を忍んでこう言うという事は、宗家には聞かれたくない何かがある。という事だろう。
きっとまた政治の話だ。まだ自分は家のしがらみに関りがなく、またはっきり言って余り関わりたくはないと思っているのだが、まざまざと師匠にこう切り出されては今の自分に返す言葉なんてあるはずもなかった。
「そうそう、深紅ちゃんのフォローは頼んだよ。友好な関係はまず会話から始まる、だ」
去り際に左手をヒラヒラさせながら笑う朱殷は、とてつもなく難しい注文を付けて去っていく。
「朱殷みたいに、そんなに簡単にはいかないよ」
口の中で吐いた悪態は誰に聞かれる事も無く、少し暖かくなり始めた街の空気に溶けて消える。
とにかく今は深紅を追いかけなくては。気を取り直して彼女の去った北側の道へと駆けだした。
「わぁっ」
その瞬間に、誰かとぶつかりそうになって急停止する。
躱した勢い余って転びそうになる自分の右手を誰かの小さな手が掴み支えてくれた。
「大丈夫ですかぁ?慌ててると危ないですよー」
細く小さな指の並ぶ手は正に少女のものだったが、しかしその力はそこから想像するよりも遥かに強く、まるで頑健な大樹に支えられているかのような安定を感じさせる。
「すみませんっ!ありがとうござ、ぁ」
慌てて謝ると、相手の表情を見ようと顔を上げて言葉に詰まった。
そこでにこやかに小さく手を振っていたのは、ついさっき臙脂たちと南区へ向かったはずの御所染桃だったのだ。
「あれ?御所染さん……確か臙脂さん達と行ったはずじゃ」
「あーうん、ちょっと、です」
当の本人はそんなこと気にするでもなく、きょろきょろと周りを見回している。
「そんな事より、なんで一人なんです?」
間延びした声で小首をかしげているが、それはそのままこっちが今聞いた質問だった。
しかし、さてどうしたものか……取り繕った笑顔で少しだけ考える。
「……すみません。僕が遅いもので、一人置いて行かれてしまいまして」
異様に近くに感じる表情の読めない柔和な笑顔が、こちらの心内を見透かしているような落ち着いた雰囲気を漂わせている。何とも言えない迫力にたじろいでしまうが、しかしそれよりも今気になることは、
「ふぅーん」
「……あの、右手」
未だに掴まれたままの右手だった。
流石に振り解くのも失礼かと思っていたが、引いても動かずそもそも振ることも出来ず。微動だにしないその握力に焦りと恐れが芽吹き出す。
「あれぇ?右手、ケガしてます?」
「痛っ――いえ、大丈夫です」
御所染桃は、あからさまに痛がるこちらの様子をさして気にする事も無く、掴んだ右手を穴の開くほどまじまじと見つめてから、やっぱり間延びした緊張感の無い声で「なるほどー」と言うとようやくその手を解放してくれた。
何だろうこの人は?行動が読めなさ過ぎて怖いな……とにかくもう離れよう。
突飛な人間の行動には慣れているつもりだったが、それが全く知らない他人ともなると湧き上がる恐怖に飲まれてしまう。どちらにせよ今急いでいる事は事実なのだ。
「すみません。深紅さんを追わないといけないので……」
繕うこともほどほどに後退る。なんとなくこの人の至近距離で背中を向けたくはなかった。
「あー、ふぅーん……まあ急がなくても大丈夫ですよ」
不意に御所染桃が笑った。
可笑しそうに、親し気に、今まで空恐ろしさを感じていた相手だというのにその笑顔は思わず見入ってしまうほどに、魅力的だった。
「それは、どういう――」
「ところで」
テンポが嚙み合わないな。意図的にだろうか、どうにも会話をする間を潰されている気がする。
そんなこちらの葛藤を知ってか知らずか、御所染桃の笑顔は崩れない。
「玄さん、はどう思います?」
漠然とし過ぎて最初はそれが質問だという事すら気付かなかった。
「……え、何がですか?」
「今回のお役目ですよー。何か……そうそう気配を探るのが得意みたいですけど。怪異の場所とか、色々と察してたりしないんですか?」
圧が強い、御所染桃が寄せてくる。体を押すように精神的にもぐいぐい来る人だ。
のぞき込んでくる瞳が紅く揺らめいていた。燕尾と同じような底知れない眼光だが、しかし何だろう……彼とは別の底知れない仄暗さの様な、何とも言えない不安感にたじろいでしまう。
「――いえ、すみません。あんな質量の怪異と会うのも初めてですし、僕は皆さんと違って能力に劣るので、ちょっとまだ解らないです」
「……そうですか。あ、そうだ、深紅ちゃん!どうですか?ずっと一緒ですけど、仲良くなれました?」
じりじりと距離を取っては見るが、更に押してくる御所染桃の圧迫に徐々に後退させられる。
「どうでしょうね。正直なところ分かりません」
少しだけ、昨夜から今朝までの短い記憶を思い返す。
「僕たちは燕尾さんの指示で行動を共にしていただけですから、仲良くというのはよく分からないですね」
実際そんなものだろう。無難な返答をまとめると、深紅との距離は変わらずに離れているし。また、一期一会に注力しすぎて縁に拘るのは祓師としてはあまり良い事ではないはずだ。
「そうですか」
直ぐ上を低い雲が横切り、過ぎる影の中で空気が一層冷え込んだように感じて身震いする。
ふっと抜ける圧力に顔を上げると、少し離れた御所染桃が遠い眼で西の空を眺めていた。彼女の瞳からその心の内を覗くことはやはり出来そうにも無い。
こちらの視線に気づいたのだろうか、御所染桃は取り繕ったと言うにはあまりにも自然に笑顔を向けてくる。
「玄さんはー、思っていたよりもあんまり面白くないですね」
実に楽しそうな声色で辛辣なことを言うものだ。
しかし、そんな言い方をされても何故か気持ちではすでに許してしまっている。彼女の気さくな態度がそう思わせるのだろうか、本当に計り知れない人だった。
「もっとお話し慣れしないと、お友達出来ませんよー」
なんだか急に言葉の棘が鋭くなった気がする。さすがにそれは余計なお世話だろう。
「ほらほら、こんな所で油を売ってないで早く深紅ちゃんを追いかけて下さいよー」
そう言って御所染桃がウィンクする。自然で美しいその仕草に思わずドキリとしてしまう。
彼女はくるりと回り後ろを向いた。楽し気に、ふざける様に、その動きは軽やかで、そしてそのまま背を向けて去って行く。
――見間違いだろうか?いや、確かに間違いない。
いつの間にか御所染桃の傍らには大きな赤い犬がいた。彼女に寄り添い先導するように、もしくは付き従うように素早い動きで先へ進む。
「――あ」
しばらく見送っていると、こちらを振り返る赤犬と目が合った。その瞳は揺らぐ炎のように美しい紅色をしていた。
「犬の血結び、か」
分家の末端でも聞いたことがある。
真朱の血結び。異物を己が内に受け入れる術であるそれは、清浄の太刀や破魔の矢などの武器と一つになる御業である。
意思なき無機物を取り入れるにしても体が耐え切れず拒絶する者もいるこの秘術だが、魂を別にする『動物』の血結びを従えている天才が二人いると噂で聞いたことがあった。
宗家にいる祓師はいったいどんな化け物なのかと思っていたのだが……。
「まさか、分家の人間だったのか」
底知れない雰囲気と何を考えているのか全く読めない言動の間合い。なるほど噂の天才と知ればなんとなく納得してしまう行動の数々だった。
凡才を代表しているような自分が共感するには烏滸がましいが、天才にはその特有の息苦しい悩みがあるのかも知れない。
そう考えると、彼女もきっと大変な苦労を……いや、やっぱり何考えてるのか全然想像できないな。
悪いと思いつつも、自分が理解できない人はやっぱり怖い。とりあえず、御所染桃には警戒しておこうと心に決める。
「結局、喧嘩を売られただけだった気がする」
だいぶ時間を食ってしまったが、言われずともとにかく今は深紅を追いかけなくては。
冬の薄青い空を見上げ、少しいがらっぽい空気を吸い込むと、気合を入れなおして北区へ続く河沿いの道を目指して駆け出した。