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彩り奇譚  作者: きりど屋
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黒い血

                      ◇◇◇


 山を切り開いて造られた区画は、なだらかな斜面に沿って旧い一軒家が疎らに並ぶ閑静な住宅地だった。

 所々に売地の立て看板が見えるのは、利便性を求めて市街地へと移る人が多くなっているからかもしれないと考えると、何とも言えない侘しさを感じてしまう。


 ちょうど家々から外れた死角になる位置に一本の柿の木を残しただけのがらんとした空き地があり、月明かりに照らされた二つの人影と黒い群れが闇の幕間に隠れる様にして立ち回ってた。


 静かな夜の住宅地には不釣り合いな斬撃の響きが木霊している。


「こちらへ寄せます」


 左手の小刀を逆手に持ち替えながら、小さく跳ねる様に深紅との距離を開ける。

 ぐっと奥歯を噛みしめた時には既に覚悟は決まっていた。小刀を勢いよく右掌に突き立て、すぐに引き抜く。


「――んっ」


 勢いのままに右手から溢れる赤い飛沫を巻き散らすと、目の前には視界を埋め尽くすほどの闇獣(やみしし)の群れが飛び掛かって来る光景が見えた。

 もう一歩後ろへ飛び退くか、それとも前方脇へと飛び込むか――いや。

 逡巡する思考と反射で動こうとする体を意思の力で抑え付ける。今は彼女がいるのだから、問題ない。


「……そういうのは、どうかと思う」


「はは、すみません。僕はこういう戦い方しか出来ないので」


 無数に思えた獣の壁は一呼吸の間に黒い塵へと化して霧散した。

 振り抜いた紅い刀を肩に担ぐように納める深紅の視線は、血の滴る右手に注がれている。


「まあこう見えて痛っ、くはあるんですが……この通りです」


 強がりの笑みを顰めながら痛みを堪えて握りしめた右手を開いて見せる。既に指を伝っていた血は止まり、そこにはどす黒く瘡蓋(かさぶた)と言うには少々大きめな血の層が掌の穴を塞いでいた。


「それが、黒緋の術?」


「いえ、他の黒緋の人間はこうではないんですよ。僕は不安定というか、祓師としては出来損ないで、血結びも出来なければ術も碌に使えません」


 出来るだけ暗くならないように務めて明るい口調で語る。


「残ったのはこの血の呪いだけなんです。闇を惹きつけ闇に憑りつかれる。今の僕に出来る精一杯の戦い方です」


「……ごめんなさい」


 目を伏せ俯く深紅の表情は見えなかったが、その声は解り易く沈んでいた。


「っ、すみません……悪い言い方でしたね。仲間の情報は大切ですし、こうして役に立てているんですから十分ですよ」


 未だに右手はじんじん痛み、気を抜けば吐いてしまいそうなほど頭痛が響いていたが渾身の笑顔でそう告げる。

 その言葉にこちらを向く深紅の顔は変わらず読めない無表情だったが、真っすぐにこちらを見る瞳の色は心なしか明るく揺らぐ紅色に変わったように感じた。

 納得してくれただろうか?その様子に少し安堵して周囲を見回す。


「どうやら、ここら辺りの穢れは祓えたみたいですね」


 どこかで犬が鳴いている。

 確かにもうすぐ深夜と言える時間にはなるがそれにしても辺りは妙に静まり返っていて、遠くから風が運んでくる電車の走行音だけがやけにはっきりと聞こえていた。


 街の北側と川で分断されるように並ぶ北西側は、疎らに建つ民家となだらかな丘の上に目立つ学校が建っているだけの特徴のない比較的旧くて簡素な場所だった。

 駅近くの開発された賑わいのある区画とは打って変わって自然の多い長閑な風景の中にいるからだろうか、気分も落ち着いてきてようやくいつもの自分の感覚が戻って来たような安定を感じる。


 もっとも川を隔てた先、ここへ来る途中に横目で見て来た北の区画は再開発の為に一帯が無人化しており、こことは違った寒々しい静けさが鎮座しているのだが。


「もしかしたら、あの再開発が影響しているのかもしれないですね」


「川の、向こうの?」


「はい、この国では旧い忌地や聖地を持つ土地は少なくないですから。もしかしたら工事の際に祀られた鎮守神を壊してしまった可能性もあるかも知れません」


 この北西区画へ来るまでの間に、すでに二度ほど穢れの澱みを祓っていた。

 普通なら穢れを見えもしない一般人に危害が及ぶことなどは稀なのだが、如何せん穢れの量が尋常ではない。このまま放って置けば街の住民に被害が出る事も時間の問題だろう。


 差し当たって今とれる行動は、穢れの濃い所を感知して目立たない場所へと自分の黒血で誘き出し、深紅が一掃するという方法なのだが、次から次へと想像以上に涌いて出る闇獣の数には流石に驚きを隠せない。


「ふぅ」


 思わずため息が漏れてしまい、額を伝う汗を拭った。

 ここまで動きっぱなしで疲れてはいたが、それ以上に血の消費と傷跡が精神を揺さ振ってくるのが痛い。


「――ねえ、ちょっと」


 いつの間にか下を向いて考え込んでいた自分の姿に気付いて慌てて顔を上げる。

 声の先では深紅が覗き込むようにこちらを見ていた。


「休憩、する?」


「はは、すみません。いい、え――」


 どうやら気を使わせてしまったようだと自分を恥じ。改めて彼女の顔を見て、自分の不甲斐無さに今度は腹が立った。

 ここへ来るまでで一番疲れているはずなのは、実際に戦闘を繰り返していた深紅の方に決まっているだろう。

 呼吸や佇まいこそ変わらずに悠々としているが、真冬だというのに額に浮かぶ玉の汗が頬を伝い流れ落ちている。夜闇の中でも赤く染まる頬の熱気は、見ているだけでその暑さが伝わってくるようだった。


「すみません。この近くに穢れの気配は無くなりましたし、一先ずはあの学校まで着いたら休憩にしましょう」


 今いる空き地から見えた丘の上の大きな建物の影を指し示す。

 近くの道を見ると等間隔に点在する外灯が坂の上まで続いている。きっとあの道を辿れば学校まで行けるだろう。

 人目に付かない高台に陣取り一度全体を見回してみるのもいい手だと思った。


「うん、わかった」


 すっと刀を体にしまうと深紅は取り出したハンカチで額の汗を拭う。


「――っ」


「ん、なに?」


「っいえ、すみません。何でもないです」


 慌てて首を振る。深紅の使っているハンカチにファンシーなウサギの刺繍が施されているのが見えて思わず笑いが零れてしまったことは、全力で隠すことにした。

 

                     ◇◇◇


 一呼吸ついてから、坂の上へと出発すると深紅は直ぐに前へ出る。自尊心、と言うよりも単純に盾役を買ってくれているのだろう。

 後方や周囲に気を張りつつも、ついその後ろ姿に目が行ってしまう。


 こうしてみると本当に普通の女の子だと思う。華奢で、幼く、本当なら守るべき存在のはずなのに……妹は寂しがってはいないだろうか、今日は寒いからちゃんと暖かくしているといいけど……。


「あれは?」


「――っすみません」


 取り留めのない方へ跳んでいた思考は、前を歩く深紅の声で現実へ引き戻された。


 眼を見開くと、すぐさま周囲の気配を探り辺りを見回してみる。

 すると進行方向の上り坂で三人の少年が固まって座り込んでいるのが見えた。いや、しゃがみ込んでいると言うべきか。

 間違いなく人間なのだが、彼らの雰囲気に何か違和感を覚えて首をかしげる。


「学生服を着ていますね、でも何でこんな時間に道の脇に座り込んでいるのか…」


 少年たちとの距離がもう数メートルまでに近づいた時、少年の一人がようやくこちらへ気付いたのかあからさまに動揺した様子を見せる。

 それに気づいた後の二人も顔を上げると、急いで立ち上がり三人の少年たちはこちらを横目で伺いつつ密談を始めていた。

 当然ながら顔見知りでもない少年たちに突然そんな事をされると怪訝な気持ちにもなるが、時刻はもうそろそろ深夜と言ってもいい頃合いに差し掛かっている。

 そんな時間にこそこそしている少年たちだ。大人に隠れて内緒話の一つや二つ、したい年頃なのかも知れないとも思う。


 気にした素振りを見せないように進みながら、さりげなく観察してみるが。

 中学生くらいだろうか?やけに一人背の低い子がいると思ったら、そいつはまたしゃがみ込んで縮こまっているだけだった。

 こんな寒い日によく地べたに座れるな。

 深紅は相変わらず我関せずと前を行く。それに習い自分もそのまま通り過ぎることに、

「――あ!あのっ」

 出来なかった。


 少年の一人は意を決したという表情で声を張り上げる。解り易く緊張で「あ」の声が裏返っていた。


「どうしました?」


 どちらかと言えば少年たちに近かったはずの深紅が怪訝な表情で黙って見ているだけだったので、代わりに自分が後ろから返事を返した。務めて優しく、落ち着かせるようなトーンを意識する。


「あの、いや、ええでも――」


 一人は押し黙り、もう一人には言え言えと急かされて、声をかけてきた少年はしどろもどろに挙動不審な動きをしている。


「――大丈夫。まずは信じますから、落ち着いて話してみてください」


 横で深紅の呼吸が聞こえた。どうやら彼女も気付いたらしい。

 この下手糞な深呼吸で落ち着こうと頑張っている少年たちに纏わり付く陰気な気配の残り香は、明らかに穢れの質感を帯びていたのだ。


「た、ただ、話していただけだったのに。いや、うん話してた。そうしたら(みさき)くんが、なにか、黒いのが見えるって嘘ついたから――」

「嘘じゃないじゃん!あれ、黒いのいただろ!」

「でも、俺には見えなかった!」


 要領を得ない少年の横から興奮気味にもう一人の少年が食ってかかる。奥の三人目は完全に黙り込んで俯いていた。

 混乱している様子の少年たちの話は訳が分からないが、こと祓師にとってこのやり取りは身近によくあるコミュニケーションの一環に過ぎない。

 だんだんと声が大きくなっていく少年二人の肩に手を乗せる。とにかく先ずは落ち着かせよう。


「それで、黒いのってどこで見たんですか?」


 低くゆっくりと言葉を選び手に少しだけ重みを乗せると、少年二人の怯え切った四つの瞳がこちらを向いた。

 ……なんだろう、少し違和感がある。

 少年が振るえる手をたどたどしく上げて坂の先を指さした。


「学校で、岬くんが、見えない何かに――持っていかれた」

「――っ」


 声をかける間もなく既に深紅の姿は見えなくなっていた。

 彼女の去った坂の上にはただ夜の暗闇が続いており、一陣の風が吹き下ろすだけだ。やはり真朱の膂力は尋常ではないな。


「しかたないな」


 一瞬で坂を駆け上がってしまった深紅を追いかける前に、まずはここの事を終わらせるべきだろう。

 道理でやけに怯えていると思ったら、四人目がいたのか。

 忽然と姿を消した深紅を見て言葉も無く呆けて立っている少年三人を前に、高台の上に鎮座している校舎の大きな影を仰ぎ見る。


 それはまるで巨大な怪異が立つ姿のようで、風に鳴く軋みが殊更にその不気味さを煽っていた。

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