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彩り奇譚  作者: きりど屋
10/23

朱の刻限

                      ◇◇◇


 しかし、人の足で超常の存在たちにすんなり追いつく事も無く。あっという間に1人でその場に置き去りにされると深紅たちの後ろ姿さえも見失ってしまう。


「この先は……住宅地へ逃げられると厄介だな」


 やたらと絡んで来る枝葉を払い、凸凹のガタついた丘を駆けて雑木林をなんとか抜け出した先、ようやく開けた空間には小道と何かがぶつかり折れ曲がった工事中の看板だけが在る閑散とした光景が広がっていた。

 幸い、北地区側へ続くこの近辺は再開発で人気の無い土地になっており、民家も施設も無い道の先には鬱蒼とした木々で薄暗くなった寂しい細道が続いているだけのようだった。


「北区画へ向かったのか」


 逃げた牛頭の行動を考えると悠長にしている暇はないのだが、しかし逸る気持ちを抑えて考える。

平静を保とうと努めるも、良くない状況が焦る気持ちを募らせ続けていた。


 さざめく木々の中、転々と澱む穢れの残滓を辿って進んだ道の先に深紅の小さな背中を見つけることが出来たのはそれから数分も経たない頃だった。

 そこは河沿いの道に繋がる拓けた空間になった場所。周囲には民家も無く、北区へ渡る小さな石橋の手前にまだ開発が手つかずの更地とその中にポツンと残された錆色の工場が見える。

 近づくに連れてその工場の敷地が結構広いことと、壊れたチェーンのぶら下がる入り口脇に[解体予定]の立て看板が建てられている事に気が付いた。

 もう長い間使われていないだろうと察するほどにぼろぼろの建物は、敷地を囲う壁の傍まで寄ると辺りに染み付いた錆鉄と古い油の様な臭いが鼻を刺激する。


 廃工場前の壁際にしゃがみ込み、早く来いとばかりにこちらを振り返る深紅にようやく追いつくと、膝に手を付き肩で息して呼吸を整える。


「ここに入った。私は反対側から回り込む」


「ちょ、ちょっと待ってくださいっ」


 言うなり歩き出す深紅を慌てて引き留めて、携帯電話を取り出した。


「急がないと、逃げられる」


 深紅の焦る気持ちもわかるが、昨日の二の舞は御免だ。

 仕草で深紅を宥めつつ手早く履歴から黒緋朱殷を呼び出すと、通話口からコール音が鳴り始める。異様に永く感じた3コール後にスピーカーの向こうからは間延びした緊張感のない声が聞こえて来た。


「はいはーい。どうした?」


「どうしたもこうしたも、今どこに……っ、まあいいや」


 ここで押し問答していても時間が無駄になるだけだ。経験則からすぐに色々なことを諦めて、要点だけを伝えることに専念する。

 早くしないと、深紅が今にも飛び出しそうな雰囲気でこちらを凝視していた。


「今、北西区と北区画の川沿いにある廃工場にいる。地図で言えば北から二番目の橋の所。目標の怪異を発見した」


「――へぇ、お手柄じゃないか」


 本当にそんな場合じゃないのだが、朱殷の軽い口調があのにやけ顔を思い出させて少しイラっとした。


「もう日も落ちてきているし二人だけだと逃げられるかもしれない、すぐに応援が欲しいんだ」


 いつの間にか太陽は上ではなく横目に見える位置まで降りてきていた。彩りは次第に赤く染まり、痛いくらいの眩しさを放っている。


「うんうん。了解了解。すぐ行くから、それまで頑張ってね」


 それだけ言うと通話は切られてしまった。


「頑張るってなんだ?」


 とりあえず朱殷の事だ、すぐ来ると言った以上はすぐ来るだろう。それまでに気配を探りつつ逃がさないように……あれ?

 横に目をやると、そこに深紅の姿は無くなっていた。慌てて周りを見回すと不意に差し込む陽の眩しさに目を細める。見えずらい視界をよく凝らし廃工場の奥を見るとそこには、ちょうど建物の反対側へ回り込む少女の姿が今、見えなくなるところだった。


「……平静だ」


 少しだけ考える。先行する深紅は昨日と同じだが状況は少しずつ違う。

 援軍を頼んだ今、耐え続けていればいずれ包囲は完成するだろう。そして深紅が焦っている理由、刻限の優位。

 陽光に弱く、闇の中で彷徨う存在が怪異の性質だ。このまま夜になれば活力を取り戻して逃げられるか可能性はぐっと上がる……。

 そして、魔性濃い真朱の血にも同じように優位がある。朱を冠する真朱家の刻限、それは正に……。


「やる、か」


 考える、しかし既に深紅は行動を始めている。ここで揉めても怪異に逃げられる危険が増すだけだ。なら、今やるべき事は……呼吸を整え、廃工場の気配を手繰り寄せる事に集中すること。


「――は?」


 唐突に、その気配に驚き、思わず声が上がってしまう。

 工場は敷地に入るとすぐにトタン外壁の倉庫の様な建屋が並んでいる。二つ並ぶ建屋の内、左に見える方の建屋は戸が開いたままになっており、その奥は夕陽に照らされてより深い闇に満たされていた。

 何度か気配を探り確信する。

 急ぎ小走りで工場正面から侵入すると、左の建屋の前まで進む。その時ちょうど建屋の奥から曲って来た深紅がこちらを見つけて駆け寄ってくる。


「反対側に逃げた形跡はなかった。この中?」


「……いえ、まあ」


 周囲を探りながら来ただろう深紅も気付いたのか、不思議そうに無表情で首を傾げている。

 明らかにおかしい。ついさっきまで揺蕩っていた穢れの残滓、その中心だろう怪異の気配それら一切がこの敷地内から感じ取れなくなっていた。

 いつの間にか逃げたか?いや、今考えるべきはそれよりも……。

 ぽっかり空いたままの入り口から中を指し示すと、眉をひそめながら覗き込んだ深紅が眼を見開いた。


「ちょっと待ってください」


 建屋の中央付近には倒れている人間の姿が見えていた。背丈と服装からして、恐らく昨夜の少年だろう。

 見え透いている。しかし行くしかない。

 今この廃工場内に怪異の気配はなく、倒れている少年はまだ生きている様だが相当衰弱しているだろう事は想像できる。


「悩む時間は、ないですね……僕が先に行きます。深紅さん、しっかり助けてください」


 そう言って笑いかけると深紅は一瞬驚いた顔になり、そして。


「うん、今なら問題ない」


 その表情が小さく笑い返したのを見逃すことはなかった。


 建屋の中は外との落差で余計に暗く感じた。

 窓は全て板が打ち付けられており、中の主要な機械は見当たらない。中身を抜き取られて、もう何の工場だったのかも分からない伽藍洞とした工場は広々としている分物悲しい。

 細かに空いた壁の穴から点々と差し込む明かりと共に風通しの良過ぎるうすら寒い屋内は、余計に寂しさを引き立てている。

 一層濃くなった錆鉄とすえた油の臭いで満たされた空間は、踏み入ることを躊躇うほどに空気が淀んでいて一歩一歩進む度に頭がくらくらした。


 入り口から正面の奥まった場所、ごちゃごちゃと置かれた鉄屑と腐った長机の前で小さく呼吸を繰り返している少年が横たわっている。

 周囲に気を配りながら重心を意識して奥へと進んでいたが、驚くほど何もなく少年の元まですんなりとたどり着いた。


「大丈夫ですか」


 軽く声をかけて体を確認する。外傷は擦り傷くらいか、身体の衰弱は想像通りだ。

 半日以上連れ回された上に重度に穢れに充てられている。とにかくここから連れ出すべきだろう。


「深紅さ――」


 後ろの深紅へ振り向いた瞬間だった。

 少年の体から溢れ出していた巨大な拳は、殴り飛ばそうとこちらに触れる寸でのところで停止させられている。

 紅の刀がぎしりと拳に食い込み、継いで深紅の一払いで怪異の腕は押し返された。


「嘗められていますね」


「うん、本当に」


 影からの顕現。少年の中から伸びた右腕は次第に膨らみ、あっという間に大きな牛頭の怪異へと変生する。


 ――――――――っ!!!


 仄暗い影の中で牛の顔は笑っている。嘲るように、揶揄うように、人間を馬鹿にして挑発するその瞳には一切感情の色が見えなかった。


「――っぐ」


「うるさっ」


 次第にその笑うような鳴き声は大きく狂気に満ち溢れていく。不快な獣の哮りは人間の本能に畏れと怯みを喚起させようと、胸の内を掻き毟りざわつかせる。

 余りの音と圧に思わず牛頭を睨みつけると、同時に認識が反転する。


「――っ!」


 音の消えた空間、止まったような時の間隔、集中した視野が周囲一帯を認識した時、そこは既に獣の口の中だった。


 夕陽の眩しさとの落差により異常に暗い屋内は、この狭い空間のどこもが『影の中』だ。

狂ったような咆哮で気を逸らされた意識の隙をついて、四方八方には同時に張り巡らせていた怪異の黒い触手が伸びていた。

 察した時にはもう遅く、全方向から穿たれた黒い槍がこの間抜けな人間に喰らい付こうと牙を向けている。

 刹那の間に体が貫かれそうな状況。絶望的な光景は目に焼き付くが、体は当然のように動けない。



「今はね、もうあなたの時間じゃ、ないの」



 刀を中段霞に構える深紅の背後が、赤く揺らめいている。

 赤い、赤い、暗い影の中でより一層紅く灯る眼光と、呼応するように波打つ刀身。


 ――逢魔が時。


 真っ赤に染まる入り口を背にして立つその少女は、一切の慈悲を焼き尽くす地獄の炎を纏っているかの様で……。


「朱に交わりて、染まれ――」


(あか)


 ―――――――っ!!!


 獣の咆哮が木霊する。

 今度はその声には嘲りも余裕もなく、ただ悲痛な嘶きが上がる。

 赤い剣線は迫り来る黒い触手の群れを瞬時に切り捨てた。返す刀で横薙ぎに振り抜かれた紅い刀身は、怪異に身動ぎ一つ許さずにその丸太の様な脚を切り飛ばした。


 狭い工場内でのたうつ牛頭と、赤く冷たい瞳でそれを静かに見下ろす深紅。

 まるで地獄の一端を垣間見ているような光景に、ただ見ているしかない自分の思考は麻痺している。



 真っ赤に染まる景象の中、そこで断罪の刀を振るうのは……紛うことなき赤鬼だった。


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