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彩り奇譚  作者: きりど屋
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紅い少女

「……帰りたい」


 切実な思いは遂に言葉になって口から零れてしまった。

 延々と電車を乗り継いでようやく到着した始めての街で、地図を片手にもう30分以上は彷徨っている。


 そこはこの街一番の大通りだった。

 街のほぼ中央に位置する駅から真っすぐ南へ5キロほど伸びる三車線の道路。

 行けども行けども同じような街路樹と建物が並び、振り返ると見える始点の駅が小さくなっていく事でなんとか自分が前へ進んでいることを確信できていたが、それももう遠くなって久しい。


 行き交う人の雑踏、騒がしく過ぎる車の列、空気の味はどうしても馴染まず定期的に咳き込んでしまう。

 もう日没からだいぶ経つというのに一向に静まる気配のない街の明かりは自分には少し眩し過ぎるように感じていた。

 そして何より、この街には――「っうぅ」思考を遮るように吐き気が込み上げてくる。

 

 季節は師走。身を切るような冷たい風が容赦なく吹き付けてくる。

 これは街に酔ったというより単純に風邪をひいてしまったという可能性もあるかも知れない。

 仕事でやって来たのだから仕方ないのだがこんな寒空の下では、例えコートを羽織っていたとしても薄手のスーツでうろつく人間の心も体も冷めきってしまう。体調も悪くなるというものだ。


 とにかく今はこの喧騒の中から逃れたい。

 背中のリュックを背負い直して、沈む気持ちを落ち着ける為に休める場所を探そうと適当な脇道に入って行くことにした。


 大通りから二本ほど逸れた狭い道を進んで行くと、街灯の数も減りその薄暗さに比例して人の姿も見なくなる。

 建物に反響して届く大通りの騒がしさはどこか遠くの別世界から聞こえているようで、それに背を向けているだけで少しは心が落ち着く気がした。


 前を向くと視界に一際開けた一角が飛び込んできた。

 あまり手入れされていないのか、伸び放題になっている樹木と雑草の垣根から小さな鉄棒とベンチが並んでいるのが見える。

 そこはどうやら小さな公園のようだった。

 久しく見ていなかった木々の姿に心が安堵して足は自然とそちらへ向いていた。


 紺地のスーツとコートは一張羅のお気に入りだったが、普段着慣れていないからか半日も着ていると肩が凝って仕方がない。

 一瞬だけ躊躇ったが、きつく締まっていたネクタイをぐっと引っ張って緩めると首元の解放感に自然と息が漏れた。

「ふぅ――」吐く息は白く細く棚引いて夜闇の向こうへ消えていく。


 そこは本当に小さな公園だった。

 ベンチと鉄棒に少し離れて狭い砂場、他には何もなく子供が駆け回れるくらいの広場があるだけだ。

 二つある出入り口を照らしているはずの外灯はどちらも消えており、中央を照らす外灯だけが明滅しながらも公園全体を薄暗く浮かび上がらせていた。


 二歩三歩と中ヘ進むたびに空気が深く冷たくなっていく気がする。

 当然のように人影は無く、闇に囲まれた空間には夜空だけが無駄に明るく開けていた。

 自分の居た田舎からすれば薄っぺらにしか見えない白んだ夜空だったが、そこだけは深い水底から見る水面のように唯一変わらない存在感で見守ってくれているようで、心に静穏をもたらしてくれる。


 空を見上げて放心すること数秒。それは吹き抜ける風に身震いした瞬間だった。

 背後に蠢く黒い気配を感じると同時に、真っ白に浮かんでいた精神は嫌な音と共に現実に落とされる。


 ――グググググ。

 遠雷の唸りを更に低くしたような音が背後で鳴っている。

 その響きは自分の後ろからこちらを睨みつけているであろう獰猛な存在を殊更に主張していた。

「――失敗した」声にならない吐息が口から抜ける。


 正面に向かって10メートル程か、公園中央で明滅する外灯に晒された影の黒は濃く、見ているとその揺らめく影が次第に大きく膨らんでいく。

 気付いた時にはそれは全長2メートルはある四足の黒い獣の姿を形取り、確かな実体を持ってそこに存在していた。

 獣の全身は周囲の闇から滲みだした様な漆黒に染められていて、狼を思わせる顔立ちに二つの瞳だけが怪しく揺らめき光っていた。


 前方に現れた獣は二頭、こちらから視線を逸らすことなく低くゆったりと横に移動している。

 後ろに居るだろう一頭は未だにこちらを伺っているのか動く気配が感じられない。

 ――状況は誰が見ても窮地で、死地だった。


 向かい合って1秒も経たない刻が過ぎた時、二頭の獣は一際大きく唸りを上げると低く身構えた。

 こちらの様子から何もしてこない、または出来ないと判断されたらしい。

 ――飛び掛かって来る。

 とっさに首を守るように腕を上げ姿勢を低く身構えようとした、したのだが……。


 それはまるで時が止まったかのような感覚だった。

 思考が止まり、ただ目の前の光景だけが動いているような錯覚に陥る。

 視界の外、上空からふわりと舞い落ちるように紅い影が降り立ったのだ。

 それが少女だと気付いたのは、明滅する目前の光景を認識して数秒後のことだった。


 公園の中心で街灯に照らされながら凛と立つ姿は、まるで舞台の上でスポットライトを浴びる主人公の様であり。

 夜に溶けるような黒い学生服とその真ん中で揺れる赤いリボン、それと同じ色をした人目を惹くだろう腰までかかる美しい赤髪がモノクロの風景の中で圧倒的な存在感を放っている。

 さらに異様さが際立つのはいつどこから取り出したのか、彼女の手に握られていた身の丈程もあろうかという深紅の波紋が波打つ剝き出しの大太刀だった。


 突然目の前に現れた異質な少女の姿に、自分と同じく目を見開いて停止していた二頭の獣は我に返ったように頭を振ると狼狽えつつも間髪入れずに少女に飛び掛かかった。

 二対の黒い牙と鋭い爪が眼前に迫る中、それを見下すような無表情のままで少女はくるりと回転するように小さく跳ねた。

「揺らめく焔」そんな言葉が連想されるウェーブがかった赤髪と制服がヒラヒラと舞上がり、担ぐようにして構えていた長い刀身は赤い円を描き振り下ろされる。

 一連の動きにはまるで重力を感じさせない柔らかな撓りがあった。


 二頭の黒い獣の首が飛ぶ。


 残された胴体は飛び掛かった勢いのままに前方へ倒れこむが、少女は半身をずらすだけでそれを躱す。

 音も無く地面に突っ込む胴体だったものは、同時に闇へと還るように霧散した。


 声も出せず、身じろぎも出来ず、ただ背景の一部としてその光景を眺めていた自分にスッと刃の切っ先が向けられる。

 ――背筋が凍るような殺気を感じた。

 少女がゆっくりと顔を上げる。

 まだあどけなさが残る顔立ちなのに、冷え切った氷像の様な美しい表情が可愛らしさを一切感じさせない威圧感となっている。


 視線が合ってしまった二つの瞳は鬼火のように闇の中で紅く光っていた。


「まずい」


 本日何度目だろうか、声にならない声は息を吐くこともなくそのまま飲み込まれる。

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