1話 あれは襲来です。
会議とは退屈なものである。
ターダラ聖国の軍幹部のなかでも生真面目で知られるクローディア軍務調整官ですらそう感じる。
特に現在行っている会議は、詳細に至るまで現場の担当同士で調整が済んでおり、幹部も部下から説明を受けており、会議の場に上がって来たものは何度も内容が精査されたものである。
最終確認のために開かれた会議だ。
特に自分に無関係な会議は、内容を理解するのも難しく、理解する必要性すらなく、とても退屈だろう。
さらに数か月後にクビになる事がほぼ決まっているのに、来年以降の予算について話し合う会議、なんてものになれば集中しろというほうが無理だろう。
クローディアは会議の内容にしっかりと耳を傾けながらも、制服を着こなした軍人が連なる会議室のなかで、白衣を来た若い白髪の女性――とっくに成人しているとは聞いていたがどう見ても幼い少女――が、目立たない末席にいるのを良いことにうつらうつらと船を漕いでいるのを眺めていた。
この少女が数日前の会議で、今年から新しく組織された監査部隊に詰められて、このままいけば今の職を失うという立場に追いやられたのは記憶に新しい。
特に交流があったわけではないが、可哀想だな、と少し思う。
クローディアから見ても、たしかに彼女の仕事の存在意義は疑問だったし、予算がひっ迫している今の時代でもっと優先度の高い問題が山積みなこともあり、予算削減のために必要な措置であることは理解できた。
だが別にこの少女が怠慢というわけではない。ただ、歴史と血の宿命に弄ばれた可哀想な少女である。
そのため、この会議での無害な居眠りぐらい見逃してやろう。と、いつもなら厳格なクローディアは孫ぐらいの年にみえる少女を見守っていた。
そんな眠り姫をよそに、会議は淡々と進んでいた。
今の議題は「北方大地ヘテロニア方面の魔物討伐に関する部隊展開と予算配分について」である。
ヘテロニアは魔法の行使に必要な魔素が非常に薄い特殊な環境が広がっており、そこで発生する魔物の南下に対処するため通常の軍隊とは異なる訓練を施した部隊が必要なのだ。
毎年行っていることもあり、近年の魔物に目立った動きがあるわけでもなく、例年通りにすんなり……とはいかない。ここでもやはり新設監査部隊の眼が光っており、しっかりと国民の血税が正しく使われているかが見張られているのだ。
ただし、他の議題に関してはいざ知らず、ヘテロニアで発生する魔物対策は優先度の高い問題であり、過去からの実態も成果もしっかりした充実している施策ではあるので、特に炎上する様子もない。ここ最近の他の会議の荒れ具合と比べて穏やかなムードで進んでいた。
「緊急事態です!!!」と、会議室の扉が突き破られる勢いで開け放たれたのは、ヘテロニアの活動でも特に重要である深部での偵察行動に話題が移った時だった。会議室にいた皆が一斉に会議室後方にある大きな扉に振り向く。
ちょうど扉のすぐ脇の末席にいた少女がビクッと体を一度跳ねさせてから、いかにも「ずっと起きていましたけど何か?」という済ました表情をしているが、口元についた涎をクローディアは見逃さなかった。
扉からは血相を変えた一人の事務官が飛び込んできて、すぐさま議長である元帥に駆け寄り耳もとで何かを囁く。議長の顔色がみるみると険しくなるについれて、会議全体の空気がただならぬを感じ取っていた。
「諸君、ヘテロニアで大規模戦闘が発生した。第3前哨基地において駐屯している北方軍が何者かの攻撃をうけて大きな被害を受けているようだ。一時、予算会議は中断して、今から緊急会議を開催する」
「何者か、ですと? 魔物によるものではないのですか?」
「分からん。とにかく今受けとった死期伝令を再生する」
死期伝令の言葉で会議室に緊急が走る。死期伝令とは、普段の伝令と異なり、鮮明な映像も含めた多くの情報を長距離に伝令が可能となる魔法である。だが、発動には魔素の代わりに魂を代償としており、そのため魔法の行使が困難なヘテロニアでも使うことができるほどの強力な魔法だが、部隊の全滅を悟った兵士が後続のために自らの命を犠牲に発動させるものである。
つまりよほどの事態だということだ。
議長が事務官から受け取った魔道具を展開し、死期伝令を再生させる。
会議室中央に映し出された映像には、今まで見たこともない相手と戦う部隊が克明に記録されていた。
第3前哨基地は荒涼としたヘテロニアの大地に望む形で置かれている砦である。
その遥か遠方、ヘテロニアの中心方向からそれらは向かってきていた。
まず巨大な亀のような魔物が背中から赤い閃光を放つと、轟音とともにベヒモスの突進をも防ぐ前哨基地の壁が破壊される。
砂埃をまき散らしながら異常なほど高速で平地を駆け回る、馬の居ない馬車のような乗り物。
そこから展開された異質な鎧を全身にまとった敵歩兵たちは遠くから杖状のものを持ち、杖の先端が一瞬光ったかと思えば、それとともに味方の兵士が倒れていく。
規模としては大きくないが、確かに統率の取れた軍隊にみえた。
「これはどこの国の軍隊だ……?」
「あの攻撃は一体……」
などの声がそこかしこで囁かれる。私語厳禁なこの場でそれを注意する者はいない。皆、同様の感想を抱いているのだろう。
たしかに見たこともなく強力な敵軍隊だ。
だがもともと北方軍は、過酷な環境であるヘテロニアでの戦闘を想定した先鋭部隊である。そのため未知の相手にも善戦していた。魔法が使えないため、遠距離からの謎の攻撃には苦戦しつつも、相手が北方軍に比べて少数であった事もあり、犠牲を払いながらも次第に抑え込む様子が見て取れた。
だが――
「何だあれは……、空を……飛んでいるのか」
遅れてやってきた遥か上空を翔ける異形が、戦況を一変させた。
ハーピーやコカトリスなど、魔法の力を借りて空を飛ぶ魔物は存在する。だが魔素とはヘテロニアの外でも上空に行くほど薄く、ヘテロニアの外であっても鳥のように速く、高く、長く飛ぶことは出来ない。弓などでも十分対応が可能な相手だ。
とにかく空とは小さく無害な鳥の領域のはずなのだ。
だが映像に映し出された異形は、あろうことか魔法の使えぬヘテロニアの地で鳥よりも遥か上空を鳥よりも高速で飛翔しながら、地上を攻撃していた。
敵が閃光を放てば地上の兵士たちがずたずたに飛び散り、高速で落下してくる何かで前哨基地の施設が破壊される。
こちらの弓は一切届かず、なすすべもなく辺りは蹂躙され――そして映像が途切れた。
映像が途切れてから会議室を満たしたのは悲痛な沈黙だった。
「第3前哨基地と連絡が取れません……。おそらくもう……」
と事実確認を行っていた幹部が絶望的な報告をした。
第3前哨基地はほぼ完全に魔法の使えない環境に置かれた基地である。
それゆえ原始的な装備に頼った部隊ではある。だが、この空を飛ぶ異形が南下してきたとして、多少魔法がつかえる第2前哨基地で対応できるのか?
いやそれどころか、本格的な魔法が使えるこの首都ですら、前代未聞の空を飛ぶあの敵に蹂躙されるのではないか?
何か対処しなくてはならないのは明らかだったが、何をすればいいのか分からない。
軍務の最高決定機関であり各部隊の幹部の集まるこの会議場で今、誰もが青ざめた顔色で俯いていた。
ただ一人を除いては。
ガタンと椅子を鳴らして立ち上がり、投影された映像を凝視している白髪の少女は、何かしばらく考えている様子だった。
いち早くその様子に気が付いたクローディアは少女に声を掛けた。
「ドラゴチア所長……なにか、あるのかね」
数拍ののち、何かを決意したような顔でこちらに向き直ると、少女――ドラゴチア所長は透き通った声でこう告げた。
「あれは、ドラゴンです」