05.JKゾンビ、兄と話す
「あ、本当にゾンビじゃん。すげー」
数秒の沈黙の後、画面から響いた言葉に私は思わず絶句してしまった。いや、もともと話せないから、気持ち的な意味でなんだけど。
……本当にゾンビじゃん、すげー、って言った?
画面に映る兄の表情が明るいので、聞き間違いではないだろう。さすがお兄ちゃんだ。それは、予想を軽く飛び越えたような反応だった。
お兄ちゃんは大学院生で、毎日ほとんどの時間を研究室で過ごしている。何を研究しているのか説明されたことがあるけど正直よくわからなかった。だって理系の大学の専門用語を私が理解できるはずもない。とりあえず今も白衣を着ているから、家ではなく研究室にいるのだろう。
歳は離れているけど兄妹仲はそこそこ良い方だと思う。家で兄セレクトの映画を一緒に見て育ったくらいだし。なので、お兄ちゃんがゾンビ映画が好きなのはよく知っている。でも、ゾンビになった妹を目にして、第一声がそれとは、さすがに予想できなかった。
いや、だって……、酷くない? 本当にゾンビじゃんって、いやいやいや。たった一人の妹だよ? ショックじゃないの?
正直、文句の一つも言いたいのだけど、できなくてもどかしい。気持ちを伝えようにも、唯一の手段であるスマホは今は打てないし……。あ、メモとペンがある!
私は机の上のペン立てにあるペンに手を伸ばす。よし、掴めた! チャックより持ちやすくてよかった。そして次は置かれていたブロックメモを近くに引き寄せた。
文字書けるかな。
私は震える手で、たどたどしく文字を書く。うまくコントロールできなくて、全然きれいじゃないけど、なんとか読めそうな文字が書けたので、画面に見せた。
『ひどい』
文字を読もうとしているのか、兄の顔がスマホに近づく。
「へー、文字も書けるのか! すごいな、興味深い。なぁ、話せないって、声が出ないの?」
ダメだ。目がキラキラしてて、ショックなんてカケラも見当たらない。というか、心配どころか、本当に研究対象として扱われてるような気がする。まぁ、変に気を遣われたりするより楽だけど。でもなんか……、ほら、人として、どうなんだろう。妹がゾンビになってるんだよ? その反応でいいの?
こんなのでお兄ちゃんは社会でうまくやっていけるのかと、私の方が兄を心配してしまう。ゾンビに心配されるって相当だよね。まぁ仕方ないか、お兄ちゃんから心配されることはひとまず諦めよう。
話せないことは説明するより見せたほうが早いので、私は仕方なく声を出すことにした。自分では「声は出せるけど言葉にならない」と言っているつもりだけど、お兄ちゃんには呻き声にしか聞こえないだろう。
「お、その呻き声、ゾンビっぽい!」
いや、だから、どうして少し嬉しそうなのよ! これは、完全に人の不幸を面白がっているよね? やっぱり酷すぎる。やっぱりちょっとくらい心配してほしい。じゃなきゃ、「この人、女子高生がゾンビになって呻いてるの見て喜んでます」って写真付きでSNSで拡散してやるんだから! 炎上間違いなしだよ!
私が睨んでいることに気づいたのか、「悪い悪い」と軽く謝ってから少し真面目な表情に戻った。
「声は出せるけど、話せないってことか」
私は、うんうんと二回頷いた。
「ところで、今どこ? 周りの様子見せて?」
理解が早く、私が話せなくても会話が成り立つ点は助かる。私はスマホを手に取り、動かして周囲を見せた。手ブレしてるけど、たぶん見えるだろう。
「そこは……、保健室か? そういや高校に避難って言ってたもんな」
私は勢いよく頷いた。高校に避難するという話を覚えていてくれて良かった。お兄ちゃんは研究室に籠もりっぱなしなので、そもそも避難する予定はなかったけど、一応伝えていたのだ。
「会話できそうにないから、はいかいいえで答えられる質問するな? 今みたいに頷くか首振るかして答えて?」
私は頷く。
「父さんと母さんには伝えた?」
首を横に振って否定する。
「だよな、知ったら二人から俺に連絡来てるだろうし。次、周囲はどう? 誰かから攻撃されそう?」
再び首を振る。
「即答できるってことは、周りに誰もいない?」
頷く。
「ゾンビも?」
再度頷く。人もゾンビもこの部屋にはいない。外はちょっとわからないけど。
「じゃあ差し迫った危険はないみたいだから、急がなくても大丈夫か」
いやいや、待って、それは聞き捨てならないよ。急いで助けに来て欲しいんだけど。質問ではなさそうだったけど、私は勢いよく首を振った。
「いや、だって、俺、今手が離せないからあと一時間はここ出られないし」
うっわ、出たよ、三度の飯より研究が好きな研究バカ! 妹がこんなことになってるのに、何の手が離せないんだ!
私の気持ちを察しているのだろうけど、お兄ちゃんは目を閉じてゆっくりと首を横に振った。
「無理。早く迎えに行って観察したいけど、一時間は絶対無理」
嘘でしょ……。こっちもなかなか緊急事態だよ?
だけど、お兄ちゃんが絶対と言ったら、説得するのはきっと無理だろう。お兄ちゃんはいつも、自分が決めた優先順位が絶対なのだ。というか、今、迎えに来る理由が観察したいからって言ったよね? 観察って、おい!
お兄ちゃんは私の抗議のリアクションを無視して話を進める。
「父さんと母さんへの説明はちょっと保留な。とりあえず、俺と合流するから心配無用って連絡しとけ。文字は打てるんだろ?」
私はしぶしぶ頷く。まぁ、お母さんへの返信をどうしようかと思っていたから助かったけど。
学校で起きたことには触れないで、お兄ちゃんと家に戻るから心配しないでと送ろう。戻ると書けば、両親が学校に来ることもないだろうし。
でも、そうなると本当にこれから一時間暇になる。何をしよう。歩く練習とか?
「あ、一時間することないなら、モールス信号覚えたら? あれなら喋れなくても会話できるし」
まるで私の頭の中を覗いたようなタイミングで、お兄ちゃんが提案した。
だけど、その提案はいくらなんでも微妙すぎる。モールス信号って、トン、ツー、トンとかそういうやつだよね? あれ、いるぅ? どこで使うの? スマホがあれば文字も打てるし、そんなのなくても大丈夫でしょ。だってゾンビの私が誰とモールス信号で会話するの? 絶対そんな機会ないじゃん。
「いらないって思ってるだろ。甘いな。そういう絶対使えないって思うことが、後々役立ってくるのがゾンビ映画なんだから」
あ、ゾンビ映画って言っちゃったよ。これ、映画じゃないし。映画だとしても、メインストーリーの向こう側だし。
「ほらほら、右とか左とか、上とか下とか、そんな単純なものだけでもいいから覚えときなって。ネットで簡単に見つかるだろ」
不満も何も口には出せないし、面倒だからとりあえず適当に頷いた。
「適当にやり過ごそうとしてるのバレてるからな」
見事に指摘されてしまったので、不満な顔で、はいはい、と頷いた。
私の抗議は無視するくせに酷いなぁ。というか、スマホも使えなくて言葉を伝えられない今の私の状況って、圧倒的に不利だよね。お兄ちゃんの独壇場じゃん。今後のために、文字を素早く書く練習もしたほうがいいかもしれない。
「じゃあ、また後で連絡するから」
そう言って通話を終えようとした時、お兄ちゃんが何か思い出したように「あ!」と呟いた。
私は何かと思って首を傾げる。
「走れる?」
真剣な表情。その質問の意図はわからないけど、とりあえず走れないので首を振る。
すると、お兄ちゃんの表情が曇った。
「なんだ、走るゾンビじゃないのか……」
それは今までの中で一番残念そうな顔で、そして、そのまま黙ってしまった。
え、何、それだけ? 走れるのそんな大切? というか、ゾンビになったことより走るゾンビじゃないことを残念に思うの絶対間違ってるからね?
こんなのだから背が高くて顔も悪くないのにモテないんだよ、お兄ちゃんは!
そんなこんなで、不満だらけの状態で私はお兄ちゃんとの通話を終えることとなった。