01.JKゾンビ、目を覚ます
──あれ? 寝ちゃった?
見渡すと、そこは高校の校舎の入口だった。こんなところで座ったまま眠るなんてありえない。なんだろう、おかしい。記憶が曖昧だ。頭がぼぅっとしてて、何があったのか全然思い出せない。
入り口の外はもう真っ暗で、下校時間はとっくに過ぎているとわかる。
まだバスあるかな。家族も心配しているかもしれない。連絡して迎えに来てもらおうかな。って、あれ? スマホはどこだ。
制服のシャツの上に羽織ったカーディガンのポケットにその感触はなかった。
立ち上がろうとすると、妙に身体が重くて動けない。それに手足にうまく力が入らなかった。やっぱり変だ。おかしい。何かの事件に巻き込まれたのだろうか。ゆっくりと首を左右に向けてみたけど、周りには誰もいなかった。
とりあえず起きなきゃ。そう思って、ぎゅっと力を入れてみる。だけど、身体が自分のものではないような感覚で、一気に恐ろしくなった。怪我がないか、慌てて手を見つめた。
って、はぁ? 何これ!
自分のものと思えない白い手。美白を通り越して、青白いくらいだ。これじゃあまるで……。
その瞬間、モヤが晴れたように頭の中がクリアになり、今の状況を理解した。
──そっか、私、ゾンビになっちゃったんだ。
数週間前、海外でゾンビが現れたという噂が流れた。もちろんみんな最初はネタだと思ってハロウィンはまだ一ヶ月も先だよと笑っていた。だけど、各国からSNSでゾンビ遭遇の投稿が増えていき、日本にも出現したとニュースで報道されるようになり、笑っていられなくなった。
とは言え、ここは郊外の小さな街で観光地も何もなく、人の出入りも多くない。そのせいか、ニュースを見ても「あれは人の出入りの激しい都心部の話だろう」と、どこか他人事のようにも思っていた。
しかし、状況が一転したのが先週末。隣の街でゾンビが出たという噂が流れたのだ。公式に発表されたわけではないけど、噂は瞬く間に拡散された。
のんびりしていた割に、いざ危機が迫ると驚くほど必死で、水や食料の買い占めが始まり、この街は見事なまでにゾンビパニックに陥ろうとしていた。
もちろん私も避難準備を始めていた。幸い、私の通う私立高校は在校生とその家族用の避難所となることが決まったので今朝、家族の中でまず最初に私がこの高校に避難したのだ。
ただ、いつも一緒に過ごす友人達とグループトークで、とりあえず制服で登校しようと決めたせいか、なんとなくゆるい合宿気分になっていた。おそらく数時間前までは、たいした危機感もなく「怖いね」などと口先だけで言っていた。
だけど結局、セキュリティ万全と謳っていた我が高校は全然安全ではなく、私はそこでゾンビに襲われたのだ。
避難してまだたった一日なのに。いくらなんでも早すぎる。
確かに私は、主人公的キャラの取り巻きポジションにいる人間だ。パニックモノではそういう取り巻きから脱落していくのは常識だろう。でも、だからと言って一日はさすがに早すぎる。これなら家にいたほうがよかったのではないかと思うほどだ。
ゾンビになんてなりたくなかったのに。あんな、呻いて、トロトロよろよろ歩く、知性もない化け物になんて……。って、あれ? 知性?
待って、私、今ちゃんと思考できてるよね。え、何。ゾンビってちゃんと考えられるの? え、じゃあ喋れるかな?
ちょっと「誰かいませんか」って言ってみよう。
考えた言葉を声に出そうと試みる。だけど、出てきたのは「うー」とも「おー」とも区別もつかないような呻き声だけだった。
はは、なんだ。やっぱりただのゾンビじゃん。
制服のスカートのポケットを探ると、いつも入っている手鏡の感触がある。勝手に震えてしまう手でそれを取り出し、目を閉じた状態でそれを顔の前に掲げてみた。
恐る恐る目を開けると、そこには血の気のない不健康そうな自分の顔があった。自慢の長いストレートの髪は、寝ていたせいか少し乱れている。
目を覆いたくなるような醜い見た目ではないことに安心する一方で、自分のゾンビ化を実感して落ち込みそうになる。
目覚めたらゾンビってさすがに酷すぎない? もっとあるよね、なんかほら、もっと普通なの。というか「目覚めたらゾンビ」って本のタイトルみたい。出オチ感満載の物語だけど。
あーぁ、別にお姫様にしろなんて贅沢言わないけど、なんでよりにもよってゾンビなんだろう。
でも、落ち込んでも何も始まらないこともわかっている。とりあえずゾンビとして生きるしかないんだろう。嫌だけど。
よし、それなら現状確認をしておこう。
考えられるけど、声は出せない。顔色は変だけど、腐っている感じではない。そして、視力は大丈夫。ここまではわかった、じゃあ次は歩行だ。
相変わらず身体は重くて、嫌な予感しかしない。だけど、とにかくまず立ち上がらなくては。……なんて、自分のポジティブさに驚く。だけど、ポジティブでいることで、究極の現実逃避をしているかもしれない。だって絶望したら本当に本当のゾンビになってしまいそうだから。ポジティブなゾンビって全然現実的じゃないし。
よし、とりあえずポジティブゾンビの方針で進めていこう。
端にスロープがあるのが見える。ここからほんの数メートルだ。周囲には誰もいない。なら、どんな姿でも問題ない。
私は四つん這いでじりじりと進んでいく。床は硬いけど、手足に痛みは感じなかった。少しはしたない姿かもしれないけど、今はスカートの後ろなんて気にしてる余裕はない。いや、そもそも誰もゾンビのスカートなんて覗かない。
そしてスロープまでたどり着き、頑丈な手すりに手をかけ、ゆっくりと起き上がる。
うわぁ、何これ。グラグラする。
全然うまくバランスがとれない。スケートをしているよりももっと不安定だ。なんだろう、こういうのどこかで見たことある。そうだ、あれだ、小鹿!
大丈夫、私は今、生まれたての小鹿ならぬ生まれたての小ゾンビだ。きっと、立ち上がれる!
倒れそうになりながらも、手すりに捕まり、なんとか立ち上がった。そして、震えがおさまってきたら、今度は手すりから手を外す。
よし、自力で立てた。ここには私しかいないのが残念だ。立ち上がるっていつだって感動的なシーンのはずなのに。お祝いムードで動画で残しても不思議じゃないくらいなのに。
でも誰も撮ってくれないし、自分で撮ることもできない。だから諦めるしかない。こんな決定的瞬間を残しておけないなんて、本当に嫌になっちゃう。
私はよろよろと、覚束ない足取りで一歩ずつ歩き始める。
相変わらずどうしていいかは、わからない。喋ることもできないし、足取りだって危うい。だけど、考えることは前と変わらずできる。
とにかく、今は対策を練ろう。逃げるなり隠れるなりしないと、このままここにいるのはきっと危険だ。
ゾンビになってしまったけど、なんとかして生き延びなくては。