[二 一発] 押して駄目ならもっと押せ
なめした皮と鹿の角、それといくらかの肉を布袋に入れて背負い、村に来た。恵那が一緒で、同じように袋を背負っている。
居候になってからは、どこへ行くにも、恵那か穂那がついて来る。男手を利用したいのと、護衛代わりといった理由だろう。悪い気はしなかった。
優子の店『食い倒れたい』に入った。
「御免」
「あら、一発さん。久しぶりじゃない」
卓に布袋を置いた。
「買ってくれないか?」
袋から売り物を出し、優子に見せた。優子が目を丸くしている。
「どうしたの、こんなに?」
「狩ったんだよ。買ってくれるか、買ってくれる店を教えて欲しい」
「これくらいの量なら、肉は買うよ。革と角は、この村じゃ売れないかもだね」
「どこなら売れる?」
「もっと北の大きな町まで行けば、買ってくれる人もいるだろうけど」
「遠いのか?」
「女のあたしの足で、二日から三日くらいかかるね」
「そうか」
肉は値の交渉をし、それなりの値段で買ってもらえた。その金は、呆けた顔をする恵那と分けた。どうやら、恵那にとって大金だったようだ。だが、一発にとっては足りない。目標額には程遠い。
「ありがと」
「用事があるから、先に帰ってくれても」
「わかった。じゃあ、買い物して帰ってるね」
「気をつけろよ」
外で恵那を見送ると、店内に戻った。他に客はいない。
「優子さん、あと、頼みたいことがあるんだが」
「なにかな」
「店先にでも、この募集を出させてもらえないだろうか?」
文字が書かれた木板だ。内容は求人だった。運搬と雑用の手伝い、という内容で、賃金も出すと書いた。
優子にいくらかの金を渡した。これで承知してくれ、と伝えたつもりだった。
実際には、求人を外に出させてもらうだけでは済まない。窓口にもなってもらうことになる。そして気持ちよく引き受けてもらいたい。そのための金だった。
「それくらいならいいよ」
「ちょっと出てくるけど、荷物を置いていく」
「あいよ」
壁に求人の板を立てかける。荷物運搬の求人だが、運ぶ荷物は熊を想定している。熊も死ねば荷物なので、嘘ではない。
村長の家へ向かった。瑠亜に会おうと思ったのだ。
訪いを入れようとしたところで、家の裏側から声が聞こえた。忘れもしない、瑠亜の声だ。
家の横には、村長のものと思われる荷馬車があった。老いた馬もいる。その脇を通り、裏へ回れそうだった。
裏に回ると、一座の者たちが、そこにはいた。興行の練習をしているようだ。
「またか」
団長が開口一番、呟いた。
「瑠亜殿に、お訊きしたいことがあって参った」
「なんでしょうか?」
汗ばんだ顔をした瑠亜もいた。汗が陽を照り返して、輝いているように見える。息を弾ませていて、やはり魅力的だった。その吐息に触れたい。いっそ吸ってしまいたい。とは、思うだけで、口には出さない。
「結納についてお伺いしたい。ご両親はどちらにお住まいなのだろうか?」
「あんた、条件は満たせたのか?」
「まだだ」
「えらく気が早い奴だな」
「一発様、わたくしの両親は他界しております。身寄りのないわたくしを拾って下さったのが、こちらの団長でした。団長が父のようなものです」
なんと。団長が父か。つまり、一発にとっても未来の父。
一発は姿勢を正し、団長に身体を向けた。
「父上、結納金についてお話させて頂きたい」
「おまえの父ではないわっ」
父となる人である。遅いか早いかだけだ。
「一発様、条件が満たせたならば、結納金は不要です。つまり、条件が結納代わり、となります」
「承知した」
とにかく、条件を満たせば良いようだ。
瑠亜を見ると、忍び笑いを漏らしていた。その表情を脳内に焼き付けた。いつでも思い出せるように。
「一発様、わたくし共は、近々、次の町へ移動いたします。また、お会い出来る日を、心待ちにしております」
「そのように想って頂けるのか」
「自分を好いてくれる殿方がいる。女にとって、幸せなことでございます」
期待されているのではないか。訳も分からず、身体が熱くなってきた。
「なんとしてでも、ご期待に応えてご覧にいれますぞ」
瑠亜と視線を通わせた。曇りのない、綺麗な瞳だ。今、連れ帰りたい。その気持は懸命に抑えた。条件を満たし、堂々と連れ帰る。そう決めた。
「それでは父上、これにて失礼いたします」
「だから、父ではないと」
あとは求人を済ませるだけだ。『食い倒れたい』に向かった。
道を歩いていると、見覚えのある男が家屋の物陰にいた。先日、一発が殴らなかった方の男だ。
様子を見ると、少女を覗き見しているようだった。その少女は、穂那よりもさらに年少に見える。十歳を過ぎたばかりの年齢ではないだろうか。男が変質者のようにも見えてきた。
声をかけてみることにした。
「何をしている?」
「うお、びっくりした」
「女子を見ているな?」
「うるさい、構うな」
逃げようとした男の、服の襟を掴んだ。
「なぜ、隠れて見ているだけなのだ?」
「大人の事情ってもんがあるんだよ、離せ」
振り払う男の腕を、何の気なしに避けた。先日と違って酒に酔っていないので、身軽に対処することが出来る。
「ほう、大人の俺に、その事情を教えてくれないか?」
「知るか。お前に教える筋合いはない」
「では、あの娘に訊いてこよう」
「待て、待て待て待て」
男を放して歩きだすと、強い力で引き戻された。
「なんだ?」
「それはいかんだろう、常識的に考えて」
「その常識が俺にはわからん。だから、ここの物陰から男が見ている。なぜか。その理由は、少女に訊くしかない」
「あのな、おまえ、分かってて言ってるよな? 実はそうだよな?」
「わからん。訊いてくる」
「待て、待て」
また、引き戻された。かなり本気の力加減だ。
「教えてくれるのか?」
「嫌がらせか? この前の仕返しか? そういうことなら謝る。この通りだ」
男が頭を下げた。仕返しのつもりがあったわけではないが、このくらいでいいか、と一発は思った。
「話したいなら、こんなところで見ていないで、話しかけたらどうだ?」
「純情は、秘して大切にするものだ」
意外と素直で、面白い奴なのかもしれない。
少女は、むしろの上で正座をし、客を待っているように見えた。何かの店を開いているようだが、何屋かよくわからない。
「あれは、何屋なのだ?」
「耳の垢取り屋だ」
「それはいい。行ってくる」
「おい、待て、おい」
今度は、掴もうとする手を避けて、少女の元まで歩み寄った。
「耳の垢取り屋と聞いた。頼めるか?」
「はい、五限です」
若干高いと思ったが、言われた額の金を先に支払った。
「では、横になって、頭を乗せて下さい」
手には、細い木の棒のような物を持っていた。耳垢を取る道具だろう。
「頭をどこに?」
「ここです」
太ももをポンと叩いている。
むしろの上に寝転び、頭を太ももに乗せた。
「では、動かないで下さい」
視線を先程の物陰に向けると、男と眼が合った。般若のような形相をしており、怨念すら感じられた。
「嬢ちゃん、名前は?」
「緑です」
「良い名だ。この商売は長いのか?」
「去年の暮からやっています」
「冬場は寒かったろうに」
「お金のためですから」
耳穴を掃除される動きが、とても気持ち良かった。筋張っているが、太ももの柔らかさも良い。しかし、物陰の方面からは、負の気配を強く感じる。
「はい、終わりです。反対を向いて下さい」
「反対?」
「はい、わたしの腹へ顔を抜けて、また横になって下さい」
一瞬、瑠亜の顔が思い浮かんだ。
まあ、いいか。耳の垢を、商売で取ってもらっているだけだ。と考えた。約束の反故にはならない。
顔の向きを変えて、再び緑の太ももに頭を乗せた。耳掃除が再開される。つい匂いを嗅いでしまうが、これといった臭いはなかった。
これは、いかん。変な気持ちになってくる。そうは思っても、充分に少女の柔らかさを堪能した。
五限は、安すぎるかもしれない。
「はい、終わりです」
一発は、さらに五限を出した。
「え?」
「もう一回」
「でも、もう耳垢がないです」
「今度は、反対側から寝るから、揉むようにな。うん、揉むように」
「は、はあ」
夢のような時間だった。
「世話になった」
二回目も終わると、耳穴が随分と涼しくなった。風の流れがよく聞こえる。木の葉の落ちる音まで、聞き取れそうな気がした。夢心地な時間でもあった。これは素晴らしい商売だ。
物陰に戻ると、男に凄い剣幕で掴みかかられた。
「待て、待て。おまえのことは何も言っていないぞ」
「そうじゃない。そうじゃないんだよ」
掴んできた手を離させた。乱れた衣服を正す。
男は、かなりご立腹な様子だ。
「わかっている。一回、五限だそうだ」
「値を聞いてるんじゃねーんだよっ」
「太ももの柔らかさか?」
「殺されたいのか、あん?」
ふう、と一つ息を吐いた。
「あのなあ、他の男を緑の太ももに乗せたくないのなら、とっとと求婚して嫁に迎えろ。それでやめさせればいい」
「そんな馬鹿がつい最近、村長のところにいた、って噂があったな。あ、まさか?」
「その馬鹿はきっと俺だ。一発と言う」
「おまえ、ほんと馬鹿だな」
「男は、馬鹿になれなきゃいかんのだ。俺は馬鹿になれたからこそ、妻になってくれることを考えてもらえたぞ」
「なんだと」
「おまえ、名前は?」
「遊星」
「遊星よ、男なら押しの一手だ」
「押して駄目だったら?」
押して駄目なら引いてみろ。そういう格言がある。しかし、一発の考えは違った。
「押して駄目ならもっと押せ、だ」
「なるほどな。求婚の先輩が言うことは、重みがある」
「よし、気持ちが熱いうちに、あたって砕けてくるのだ」
「おい、一発。俺が失敗すると思っているだろう?」
「いや、時の運だと思っている」
遊星が何か思案した。見た目で判断すれば、遊星はいくらか一発より歳上に見えた。奥手なところは、一発とは正反対である。こういう男と交友してみるのも面白い。
「そうだ、何か贈り物を用意したい」
「買えばいい」
「この村では、ろくな物がない。町まで行かなくては。だから、別の日に求婚しよう」
「そんなことを言っているとだな」
「仕方がないだろう?」
なんやかんやと先延ばしにしそうだ。しかし、歳が近く、話しやすそうな男だ。もう少し付き合ってやることにした。
「どんな贈り物にしたいのだ?」
「そうだな。首飾りなんかが似合いそうだ。高いだろう。よし、金を貯めよう」
「稼ぎに何日かけるつもりだ」
「わからん。わからんが、貯めてみせる」
「その間、他の男に緑の太ももを許すのだな?」
遊星が、ぐぬぬ、と呻き声を漏らす。
嘆息をついた。
「遊星、ついて来い」
優子の店『食い倒れたい』に戻ってきた。
「おや、遊星も。変な組み合わせだね」
「やあ、優子さん」
遊星が手を上げて応えている。
他に客がいるようだが、特に興味は示されなかった。
「一発さん、一人応募があったよ。夕方にまた来るってさ」
「おう、ありがとう」
収穫なしかと思いかけたが、優子の言葉で安心した。
暇つぶしとして、遊星の相手をする理由が増えた。
自分の荷袋から、鹿の角を取り出す。先端を短刀で切り落とし、手頃な大きさにする。四つ用意した。
「これは」
「鹿の角だ。俺が狩った」
「なんだと」
「優子さん、千枚通しはあるだろうか?」
「あるよ。待っとって」
程なくして、優子が千枚通しを持ってきてくれた。
「遊星、首飾りを造るから手伝えよ」
「お、おう」
短くした角に、千枚通しで穴を開けさせる。
一発は、短刀で形を整えた。
「へえ、手慣れているねえ」
見ていた優子が言う。本当に感心しているようだ。故郷では、特に珍しい作業でもない。この程度で感心されてしまう驚きがあった。
「これくらいはな」
荷袋を覗き込み、鹿の皮を取り出した。短刀で細く斬り裂き、毛は剃った。これを紐の代わりとする。
さらに、兎の尻尾を切り取った。鹿の角だけでは、少女には無骨すぎる。
「どっちか、裁縫はできるか?」
「あたしができるよ」
「剃った毛を中に入れ、縫い合わせて見栄えを良くしたい。やって貰えるだろうか?」
「いいよ」
穴を開け終わった遊星が、優子の裁縫を見ている。一発は席を立ち、外の求人木板を持ってきた。
「遊星、加工した角を板にこすりつけてくれ。手触りを少しでも良くするんだ」
一発も、遊星と同じ作業に没頭した。加工した角の切り口を、板にこすりつける。尖った感触が次第に丸くなっていく。
「出来たよ」
「ありがとう、優子さん」
縫い合わされた兎の尻尾に、紐を通すための穴を開けた。
「よし、遊星、仕上げだ」
遊星が、加工した角と兎の尾に、紐を通していく。最後に紐の両端を結べば、首飾りとして完成した。
「どうだ?」
「すごいな」
優子も感心していた。
故郷で手伝いをした程度の飾り作りの経験が、思わぬところで役立った。里では、狩猟した動物を、色々な用途に遣う。食べるだけでなく、売り物にもできるのだった。
「これ、町で似たようなものを買おうと思ったら、結構高そうだね」
高い、とな。この程度で稼げるなら、金策として検討しようか。
「くれるのか?」
「やる」
「しかしな、元は、売り物にする予定の素材だろう」
「気になるなら、後払いでもいいぞ」
「では、気にしない」
あっさりとした返答だったが、一発は気持ちよく笑みを返した。
「じゃあ、行こうか」
「えっ」
「緑のところにだよ」
「本気か」
「その為に作ったんだぞ」
二人で店を出、また物陰に向かった。緑はまだいる。
「よし、行くぞ。行くぞ」
「おう、漢を見せてこい」
「押して駄目なら、もっと押せ、だったな」
「そうだ」
「よし、よし」
遊星が緑の元へ歩いていった。歩き方がおかしい。左右の手と足が、同時に出ている。一目で緊張が見て取れた。
これで覚悟が決まらないようだったら、尻を叩いてでも求婚させてみようと思い始めていた。悩んでも始まらない。やるかやらないか、だ。
遊星が、緑の眼の前に立った。
「緑」
「遊星さんじゃないですか。耳掃除ですか?」
「大事な話がある」
「はい、なんでしょうか?」
緑も立ち上がった。それでも見上げるような身長差がある。
「緑」
「はい」
遊星の身体が固くなっているのが、遠目でもわかった。相当に緊張しているようだ。一発が瑠亜に求婚した際も、あんなだったのかもしれない。
他人の求婚を見るなど、頻繁に訪れる機会ではない。興味深い光景として、物陰から眺めた。
「まず、これを、受け取って欲しい」
「まあっ、とても可愛らしいですね。わたしに頂けるのですか?」
「緑に、つけてもらいたい」
遊星が緑の首に、首飾りをかけた。
飾り物を女へ送れば、それは特別な意味を持つ。緑は、そういうことに疎いのかもしれない。一発も持ち合わせがあれば、求婚時に瑠亜へ渡したかった。
「どうですか、遊星さん。似合いますか?」
「とてもよく似合っている」
一発の主観では、鹿の角はいらなかったような気がしてきた。少女が飾り付けるには、少々浮いて見えてしまう。兎の尾の手触りは、気に入っているようだ。
「ありがとうございます。何をお返しすればいいか、考えてしまいます。耳掃除、されますか?」
「返しはいらない。その代わり」
遊星が緑に寄っていった。狼狽えながら下がった緑の背中が、民家の壁につく。
「その代わり、うちの嫁になってくれないか。つまり、俺の妻だ」
緑の肩を掴み、壁に押しつけている。
「でも、遊星さん。わたし、まだ十二歳です。成人の儀もまだです」
「なに、長くても、あと一年や二年の話だろう。すぐだ。今、誓ってくれ」
遊星がもっと押している。壁に緑を押している。
「わ、わかりました。父に、訊いてみます」
「違う。緑の気持ちを訊いている。緑の父なら、俺が説得する」
遊星が押し続けている。壁となっている民家が、傾き軋む音を発し始めていた。ボロい民家のようだ。
「わ、わかりました。こんなわたしで良ければ」
「本当か。偽りないか?」
「本当、です」
次の瞬間、壁が傾き、内側に倒れていった。二人も民家に倒れて込んで行き、見えなくなった。続けて、民家が音をたてて倒壊した。
しばらくすると、木片となった民家から、二人が顔を出した。住民と思しき老婆も顔を出した。
「あんたら、こんな真っ昼間から、激しいのぅ」
遊星と緑が、耳まで顔を真赤にしている。
結果として成功したようだが、秘策の伝え方に問題があったようだ。いや、問題があったのは、聞き手だと思いたい。
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