第14話 立ち止まらない理由
天風島宿泊研修の二日目。
最終日となった本日の予定は、島の中央に聳え立つ御嵐山でのハイキングである。下山後は波止場に停泊中のホワイト・アロー号に乗船し、本土へと帰省する流れとなっていた。
第一校区高等部一年A組の面々は、ホテルの裏手にある駐車場から登り始めるルートを選択。前のグループと十分程度の間隔を開けて山道へと入っていった。
「ハイキングか……」
上柳高澄は運動靴で山道に敷設された石段を登りながら、周囲を覆う森を見回した。
「まさか高校生にもなって登山をする羽目になるとはな。他にも行き先はあっただろ? 観光施設とか沢山作ってるんだから」
「確かに面白みに欠けるよねー」
額に薄く汗を滲ませた実国冬樹が振り返りながら告げた。女装させても違和感のない友人の隣では、第一校区高等部のジャージを着た陣馬梶太が、遭難した旅人を彷彿とさせる足取りで石段を上っていた。ぜぇ、ぜぇ、と荒い呼吸で潰れた顔は、まるで真夏のアスファルトに落ちたアイスクリームみたいだ。
「暑ぃーー……ほ、本当に山頂まで登るつもりなんでござるか……? 拙者、今にも溶けてなくなりそうなんだが」
「弱音を吐くのはまだ早いよ、ようやく半分を過ぎたくらいなんだから。そもそも御嵐山の標高って600メートルなかったはず。小学生が遠足で登るくらいの難易度なんだから、これくらいで音を上げてたら普通に恥ずかしいと思うけど?」
「うるさいぞウィンター!! 冬を名に冠しているからと調子に乗りおって、真夏の登山なんぞ拷問でしかないだろうが!」
「登る前は元気だったじゃん。アネモネの花畑を見つけるんじゃなかったの?」
「どうせ見つからんでござるよ。調べて知ったのだが、アネモネの季節は春頃。こんなクソ暑い真夏に咲くような花ではない。呪い師の神聖な力を吸って年中咲いているなど都合の良い設定でしかないわ」
株で大損した投資家がヤケ酒を呷るように、配布されたスポーツ飲料をガブ飲みする。まだ道半ばだと言うのにすでに残りはわずかだ。上柳は溜息を吐いて、
「おいバカ、ペースを考えて飲めよ。足りなくなっても分けないからな」
「……随分と余裕そうでござるな、タカ殿は」
「俺は鍛えてるし、体力にはそこそこ自信があるんだよ」
澄ました顔で肩を竦めてやると、バカの眼差しが恨めしそうに細められる。クスクス、と隣を歩く片羽翔子が唇に笑みを乗せて、
「タカ君、学内リーグ戦に参加するようになってから体がゴツくなったもんね」
「……何だろ、ゴツいって言われるとあんまり良い風に聞こえない」
「じゃあ何て言って欲しいの?」
「そりゃ引き締まったとか、筋肉が付いたとか」
「髪型じゃないんだから、そんな細かいのぱっと見ても分かんないよ」
「それもそうか。まあでも、いくら俺が鍛えてもあの二人には負けるけどさ」
少し先。
霧沢直也と遠江真輝は平坦な道を歩くのと同じく軽い足取りで並んで石段を登っていた。すでに一時間近く山道を上っているのに、二人とも息が乱れないだけではなく汗一つ掻いていない。本当に同じ学校に通う高校生か疑いたくなる。
「ぐぬぬ……納得いかぬ。風紀委員会に所属している霧沢殿は分かるが、どうして運動部に所属していない遠江殿が涼しい顔をしているのだ……!」
「私? うーん、そんな事を言われても」
ライトブラウンの長髪を広げて振り返った遠江が困り顔を浮かべる。
手にはハイキングコースの地図が握られていた。絵本に出てくる宝の地図をイメージしているのか、道中にはドクロマークや宝箱のイラストが載っている。風化した紙質まで再現しており、初等部の生徒だったら誰が地図を持つかで一悶着ありそうな出来映えだ。
「元々、体力には自信がある方だったし……もしかしたら、界力術の関係で『熱』には強くなってるのかもだけど」
三つ目のチェックポイントがあったぞー、と先行していた霧沢から声が飛んできた。御嵐山ハイキングはチェックポイントにクイズがあり、全問正解すると景品が貰える仕組みなのだ。
全員が石段を上り切ったのを確認してから、霧沢は木製の看板に彫られた問題文を読み上げる。
「問題――アネモネの花言葉は?」
「花言葉か……誰か知ってる人はいる?」
霧沢の隣で看板を覗き込んだ遠江が呼び掛ける。持っている地図の裏にはクロスワードパズルが印刷されていた。
「アネモネの花言葉って、確か花の色によって変わるよな?」
「え、高澄君が知ってるの? 意外とメルヘン趣味?」
「違うって。昨日、博物館で偶然見かけたんだよ。中等部の頃にハイキングには参加してるし、クイズの傾向は知ってたからな。可能性のある情報をメモしておいただけだ」
携帯端末を取り出して、メモ帳機能を呼び出す。
「赤は『君を愛す』。紫は『貴方を信じて待つ』。白は真実、期待、希望って感じだな。アネモネ自体の花言葉は『見放された』とか『儚い恋』とか悲しげな内容が多かったよ」
「だったら、文字数的に合うのはこれね」
遠江が満足げな表情でクロスワードを埋めていく。チェックポイントは残り二つ。残りの標高を考えても、あと一時間もしない内に登り切れそうだ。
「さて、じゃあ次のチェックポイントに向かいましょうか。あんまり立ち止まってても後ろの班に迷惑だし」
「……マキ、なんか今日は元気だな。昨日まで心ここに在らずって感じだったのに」
そう? と、遠江はぱちくり瞬きをした。昨日と比べると表情の硬さが取れている気がする。
「調子に乗って羽目を外し過ぎないと良いけどな」
呆れたように目を細めた霧沢が、仲の良い友達に軽いイタズラを仕掛けるような口調で、
「急にテンションが上がったからって周りを巻き込むなよ。素面の中に一人だけ酔っ払いが混じるみたいに面倒だ」
「……なに霧沢君、ケンカを売ってるの?」
「軽口だよ。これくらいは許してくれるんだろ?」
な……っ!? と言い込まれた遠江の頬に薄い赤色が浮かび上がる。キッと視線を尖らせるも、危険を察知した霧沢はそそくさと背を向けて順路に沿って先に進んで行く。
「僕達も行こうか。あの二人から面白そうな空気を感じるし」
記者魂に火が付いたウィンターが、芸能人のスキャンダルを追い掛けるパパラッチみたいな事を言い出した。その後ろには早くも体力が尽きそうなバカが続いて行く。
「(……今だな)」
隣にいる片羽と目が合った。どうやら考えていた事は同じらしい。事前に話し合っておいた通り、唐突に片羽がしゃがみ込む。
「……ごめん、みんな!」
まるで捻挫でもしたように足首を押さえて、顔を顰めたまま声を張り上げた。
「ちょっと足を捻っちゃったみたい……休憩していくから先に行っててくれない?」
「大丈夫なの、翔子!」
「問題ない、心配しないでくれ!」
慌てて駆け寄ろうとする遠江を、上柳が間に止めに入る。
「俺が一緒にいるから問題はないよ、マキ達は進んでくれ」
「だけど……」
「全員で立ち往生しても仕方がないだろ? それに自分のせいで進めなくなったら、翔子だって気が重たくなるだけさ」
遠江はしばらく悩んでいたようだが、最終的には片羽の気持ちを慮ったようだ。顔の前で片手を立てて「ごめん!」と断ってから、他の三人に指示を出す。
「二人とも、先に行っているから追い掛けてきて! じゃあ私達は山頂に向かうわよ、翔子と高澄君のためにもクロスワードは絶対に埋めてやるわ!」
「と、遠江殿! 張り切るのはいいが、拙者の体力を考えたペース配分を……!」
ひぃぃぃ、とバカの情けない悲鳴が木々の合間から響いてくる。四人の姿が完全に見えなくなってから、片羽は何事もなかったと言わんばかりにすくっと立ち上がった。
「タカ君、これで良かったのかな?」
「仕方ないだろ。まさか、幽霊の少女を助けるために協力してくれなんて言っても信じてもらえないだろうし」
俺だって半信半疑だよ、と上柳が苦笑いを浮かべた。
「だけど、今回は翔子の隣に立てて嬉しいんだ。今までは、ただ傍にいてやる事しかできなかったんだからさ」
「そんな事ないよ。タカ君はどんな時でも黙って傍にいてくれた。それがどれだけ嬉しくて、心強かったか分かる? そういうタカ君だからこそ、私は隣にいるんだよ……今も、昔も」
顔を伏せて、さらりとした薄菫色の前髪で表情を隠す。柔らかい頬を赤く染め、唇を引き結びながら含羞んだ。
ふっ、と。
森の木漏れ日の中に、ダイヤモンドダストのような青い燐光が舞う。昨晩と同じく何者かが片羽に干渉を始めたのだ。
「接続規格が、合った!」
「準備ができたのか?」
「うん」
隣の空間へ視線を向けて、にっこりと微笑み掛けた。相変わらず、何もいないようにしか見えないのだが。
「……翔子?」
ふと、その小さな手が震えている事に気付いた。
「怖い、のか?」
「そりゃね……私は今まで何度もオカルト絡みで嫌な想いをしてきたんだから。でもさ、声が聞こえたんだよ」
「声……?」
「助けてって、今にも泣き出しそうな女の子の声が。それを聞いたら、もう立ち止まってなんかいられないよ。知らないとか、分からないとか……そんな狭いだけで役に立たない『自分の世界』の枠組みに固執する理由はなくなった。だって、私がこの子を助けたいって思ったんだから」
助けたいから、助ける。
そこに足踏みをする理由はない。
当たり前のように告げれた言葉が、本当はどれだけ難しい事なのか良く知っている。上柳には自分の弱さが原因で、苦しんでいた森下瞬を救うのに二年間も立ち止まってしまった苦い経験があるのだ。
だから。
「タカ、君……っ!?」
「これくらいは、させてくれ」
幼馴染みの手を握る。
その震えが少しでも和らぐように、優しく、包み込む。
「今はまだ、これくらいしかできないけど……それでも、翔子の力になりたいから」
「ありがと。でもいいの? ここから先はかなり危険だよ、怪我をするだけじゃ済まないかもしれない」
「そんな場所に幼馴染みを一人で行かせる訳にはいくかよ。拒否されても勝手について行くさ」
「そっか……じゃ、遠慮なく頼っちゃおうかな」
ぎゅっ、と片羽が手を握り返してきた。そのまま決然とした表情を浮かべ、目の前に立ちはだかる森を見据える。正確には、薄闇へと伸びている獣道を。
「これは、私にしかできない事だから」
歩き出す。
様々な物が観えてしまう少女は、躊躇なく枠組みの向こう側へと踏み出した。
「私が終止符を打つ。百年以上続く悲劇を、ハッピーエンドに変えるために」
× × ×
特班顧問である早乙女京子は、宿泊していたホテルの従業員専用エリアにある応接室にいた。
飾り気のない部屋だった。
背の低い革張りのソファにダークブラウンの座卓。ブラインドの降りた窓の向こうには駐車場が広がっている。壁際に置かれた本棚には接客マナーや経理関係、更には自己啓発系の書籍までもが収められていた。全体的に面白みに欠ける品揃え。もしかしたら、この部屋で社員研修でも行うのかもしれない。
時計の針の音と共に空調のファンだけが空気を揺らしている。目の前に置かれたアイスコーヒーにミルクとガムシロップを入れ、ストローで搔き混ぜた。
「(本当に調べる必要なんてあるのかしら?)」
時刻は午前十時半。
すでに御嵐山でのハイキングが始まっている時間であり、生徒や他の教職員はホテルから出発している。そんな状況の中、こうして優雅にコーヒーを飲んでいるのは特班班長の今津稜護に『白竜伝説』をもう一度調べるようお願いされたからだ。
だが実際の所、あまり危機感を抱けていないというのが本音だった。
今津稜護の言葉を信じるのならば、天風島には姿の見えないドラゴンが生息していて、これからも条件次第では攻撃を仕掛けてくる可能性があるらしい。しかもその原因は白竜伝説に関係があるそうだ。
確かに、昨晩の花火の最後で今津稜護は何らかの攻撃から生徒を守っている。それは紛れもない事実だ。だが、その攻撃を仕掛けてきたドラゴンが存在しているという確証をどうしても得られないでいた。
今津稜護はこんなつまらない嘘を吐く性格でないし、きっとこの調査にも何か確信があるのだろう。それに調査を行えば暑い中でハイキングをしなくても済むとなれば、特に断る理由はなかった。どうせ陸な情報は手に入らないのだ。可能な限り話を聞いて、それで切り上げる予定である。
コン、コン、と。
控えめなノックの音が早乙女の思考を遮った。
「失礼しますね」
入ってきたのは、割烹着を着た老婆だった。
七十歳手前くらいか。皺の寄った顔に、萎んだように小柄な身体。軽いパーマを当てた白髪は肩口まで伸びている。年齢による老いは隠せていないが、それでも顔に浮かんでいる柔和な笑みからは明るく活発な印象を受けた。
「お忙しい中、ご足労いただいて申し訳ありません」
「いえ、お気になさらず。私も興味のあるお話だったものですから」
にっこりと微笑むと、老婆はゆっくりとした足取りで歩き、ダークブラウンの座卓を挟んだ正面のソファに腰を下ろした。
「初めまして、早乙女さん。私は倉下と申します。それで、白竜伝説について訊きたいと伺っておりますが」
「はい。昨日、国立界力学博物館の奥田館長からお詳しいと聞いたものですから」
「その言葉は正確ではありませんね。私が詳しい訳ではなく、ただ先人から知識を聞いているだけですよ。――それで、早乙女さんは何が知りたいんですか?」
「白竜伝説の捏造疑惑についてです。内容が意図的に改変されたという噂について、知っている事があれば教えてください」
「……あなたも、ですか?」
「え?」
ストローでアイスコーヒーを飲もうとしていた早乙女の動きが止まる。
「あなた、も?」
「昨日の夕方、ラクニルの生徒さんにも同じ事を質問されましたよ。眼鏡を掛けた可愛らしいお嬢さんでした。本当に驚きましたよ。なにせ、ただすれ違っただけで私が観える事に気付いたと言ってくるんですから」
「観える……何が、ですか?」
「幽霊の少女」
ぞわぞわぞわっ!! と、全身の肌が粟立った。
当たり前の事実と同じく告げられた言葉を聞いた瞬間、まるで今まで立っていた地面が消滅したような驚愕に襲われる。一切表情を変えない老婆の眼差しには、不気味な程の力が宿っていると感じた。自分が正常だと確認するために、慌てて手に持っていたアイスコーヒーで口の中を冷やす。
「(……本当に、そんな超自然現象が?)」
困惑が顔に出ていたのだろう。倉下と名乗った老婆は気遣うように頬を緩めた。
「無理に信じてもらおうとは思いません。ただ、否定はしないで欲しいんです――この世界には人類の叡智では手の届かない側面がある事を。そして、自分には観えなくて、聞こえなくて、関係のない世界にも、食い止めるべき悲劇が存在している事を知って欲しいんです」
「……貴方は、一体何者なんですか?」
「私は、語り部――本物の『白竜伝説』を引き継ぎ、次の世代へと伝え聞かせる存在です。偽りに満ちた英雄譚を否定し、先人が飲んだ悔し涙を無駄にしないために」
老婆は静かに語り出す。
今までの人生で得てきた莫大な経験を、全て説得力に変換したような重たい声音で。
「真実をお話しましょう。それがきっと、私が救えなかった『あの子』を助ける事に繋がるはずだから」
読んでいただいて誠にありがとうございます!
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