第7話 今はまだ遠い夢
※前回のあらすじ
界力実技の授業に行われた信号ゲームにて、霧沢直也と遠江真輝はその桁違いの実力をぶつけ合って熱戦を繰り広げる。だが森下瞬が放った界力術が遠江を襲い、それを霧沢が庇ったことで勝負は中断されてしまった。
上柳高澄が呼び止めるも、森下瞬は恨みがましく睨み付けるだけ。微妙な空気のまま授業は終わりを告げたのだった。
帰りのホームルームも終わり、放課後になった。
週末に持ち帰る最低限の教材を鞄に詰め込んだ上柳高澄は、同じように帰りの準備を終えた霧沢直也へ声を掛ける。
「それじゃ、行こうぜ」
「おう」
二人は教室から出ようする。
背中に向けられるのはクラスメイトからの無数の視線。だが、そこに込められている感情は以前とは完全に別物だった。霧沢直也に対して向けられていた悪感情はほぼ薄れており、今は純粋な好奇心がほとんどといった感じだ。
階段を降りて、生徒玄関へと向かう。校門からは部活動の勧誘と思われる大声が聞こえてきた。部活動の勧誘期間は今日までだ。ラストスパートということで、どの部活も新入部員獲得のためにはりきっているのだろう。
ユニフォームを着て部活の道具を持った上級生の勧誘を振り切り、校舎の敷地外へと出る。
入学式の時は満開だった坂の周りの桜並木も今ではわずかに淡いピンクを滲ませるだけとなった。梢の所々には次の季節を予感させるように青い新芽が見て取れる。もう少し経ったら昼間はブレザーがいらなくなりそうだ。
坂を下ると車道に出た。
島の中央に巨大な山がある関係で、ラクニルの各校区は山肌の森を切り開いて作られている。島の外周を走るモノレールの駅から山頂へ伸びる『中央通り』を軸に、そこから蟻の巣のように道が枝分かれして重要施設に向かっていた。
霧沢はガードレールの向こうに広がる景色を眺めながら、難しそうな顔をして、
「……なあ、森下って昔からあんな感じなのか?」
「あんな感じって?」
「威張り散らすというか、暴力を振るうというか……まともな奴じゃないだろ」
「ああ、そのことか……」
力なく笑みを浮かべた上柳は、懐かしむような表情を浮かべた。
「中等部二年の頃からだよ、瞬の奴がおかしくなったのは。それまでこんな事はなかったんだよ……まあ嫌な奴ではあったけどさ。理不尽に暴力を振るうとか威張り散らすなんてことはしなかった、根は良い奴なんだよ」
「仲が良かったのか?」
「……どうだろ、俺が一方的に友達だと思っていただけなのかもしれない。俺はさ、あいつを尊敬してたんだ。目標にしたてんだよ、界術師としては間違いなく一流だったからさ。初等部の頃は『神童』なんて呼ばれてたんだぜ。俺はあいつに追い付きたくて頑張っていたんだけど……」
思い起こされるのは、過去の後悔。
差し伸べた手を、剥き出しの怒りと共に弾かれたあの瞬間。
続きを話そうとしないことで空気を読んでくれたのだろう。霧沢は何も聞かずに口を閉じたまま隣を歩いていてくれた。
途中で森が途切れて、金網に覆われたグラウンドが見えてきた。サッカー部だろうか。十数人の生徒が掛け声と共に西に傾きつつある陽光の中でランニングをしている。
青春の汗を流す彼らを見た霧沢は、不思議そうな顔で、
「普通にスポーツするやつも結構いるんだな、あいつらも界術師なのに」
「全員が満足できる実力を持っている訳じゃないからな。高等部までを含めたラクニル平均は緑と黄色の中間。むしろ霧沢とかマキみたいに赤色の方が珍しいんだよ。前の校区でもこんな感じだったんだろ?」
青、緑、黄、橙、赤、紫、黒、の順で能力が上がっていく界術師の実力。
上柳も中等部二年生までは実力が緑だったのだ。三年生に上がる頃にようやく黄色まで上がり、専科生を目指すという選択肢を考えられるようになった。
上柳は顔に険を浮かべ、吐き捨てるような口調で、
「ラクニルじゃ実力で大体の評価が決まっちまう。だけど、どれだけ努力しても緑にしかなれないヤツもいれば、何もせずに赤に到達するヤツもいた。理不尽なんだよ、どんな理屈かもよく分かってないもんで……生まれ持った才能だけで評価されちまうなんて」
「みんな、諦めてしまうのか?」
「ああ、そうさ。学校側は努力次第で全員が紫色までなら到達できるって言ってるけど、そんなのはデタラメなんだ。無邪気に信じるのはラクニルに入学したばかりの生徒だけ。大半の生徒は途中で気付くんだよ、自分の限界はここなんだって。努力と結果が結びつかない例を幾つも見ることになるからな。憧れを実現できるのは才能を持った生徒だけで、凡人は下を向いて歩くしかない……そんな風に思ってしまう。ラクニルってのはそういう場所なんだ」
グラウンドで汗を流しているサッカー部員のように、界術師としての憧れをきっぱり捨てて青春に情熱を向けられるならいい。陣馬梶太や実国冬樹のように、自分が天から授かった才能と向き合って大人しく諦められるのならいい。
では、界術師を諦められない生徒はどうなる?
本土で生活する少年少女にとって、界術師とは憧れの職業だ。
界術師の印象を向上させる為に、六家界術師連盟は界術師やラクニルの華やかな部分だけを誇張して紹介している。実際に本土では界術師を題材にした漫画やアニメが人気を博し、界術師になれば自分もヒーローになれると勘違いをしてしまう。
それは、誰もが抱く幼い英雄願望。
特別な力を使って、困っている人を助けてヒーローになりたい。漫画やアニメの主人公になってみたい。
それが、実際に可能だとしたら?
原則として遺伝によって発現する界術師の適性だが、中には『突然変異型』と呼ばれ遺伝とは無関係で適性に目覚めた例も存在している。小学校で隣の席の友達が明日からラクニルに転校するという話だって妄想ではない。突如として自分も異能の力に目覚める事も十分にあり得る。こんな環境で幼少期を過ごせば、界術師に憧れない方が難しいだろう。
「俺だって子どもの頃に界術師に憧れたクチだ。今だってまだ憧れてる、なりたいって思っている……だけど、憧れまでの距離が遠い、どれだけ手を伸ばしても届きそうにないくらいに。俺には、それが辛い」
上柳はサッカー部員を眺める。
その瞳に浮かぶのは、様々な色が混じったような濁った光。
きっぱり憧れを捨てられた事に対する羨望と、憧れから逃げ出した事に対する嫌悪。黒い感情が胸に流れ込んできて、ちくりと疼いた。
しばらく中央通りを進むと、少し先に交差点が見えてきた。
「試験会場って、闘技場だったよな?」
霧沢が頷くのを確認して、上柳は交差点を左折して木々に囲まれた道へと入っていく。曲がらずに中央通りを直進すれば島の外周を走るモノレールの駅だ。帰宅したり遊びにいったりする生徒が多い関係で、二人以外の生徒は坂道を直進していった。
他の通行人がいなくなって静かになる。
青々とした木立の中を歩いていると、霧沢が少しだけ躊躇してから口を開いた。
「上柳、お前の憧れって……なりたいものって何だ?」
「……笑わない?」
「ああ」
「プロ界術師」
「……、」
「ほらあ! そういう微妙な顔をするからあんまり言いたくなかったんだ!」
照れを隠すように視線を逸らして、
「自分でも無謀な夢だってのは分かってるよ。界術師として一人前なのは橙色からだ、俺の実力は黄色でまだ一色足りない。目指す資格がないって言いたいんだろ? だけどさ――」
すっ、と。
上柳の瞳に力強い光が宿った。
「――憧れちまったもんは仕方ないだろ。俺もそうなりたいって思ったんだよ」
プロ界術師になるためには、学内リーグ戦で活躍する必要がある。優秀な成績を残していれば、高等部を卒業する時にプロチームからスカウトを受けられるという訳だ。第一校区にも幾つかチームが存在する。夢を叶えるためには、三週間後に行われる合同トライアウトで何としてでも合格を勝ち取り、どこかのチームに所属しなければならない。
「霧沢の試験を見たいって言ったのも、合同トライアウトの予習をしたいからって理由もあるんだ。風紀委員会の入会試験は戦闘形式だからさ、入会するつもりはなくても力試しで試験に参加する生徒がいるんだよ」
「風紀委員ってあんまり良い噂を聞かないんだろ? いいのか、関わっても」
「大丈夫だよ、試験に参加するだけだったら。それに入会試験の運営には学校側も関わっているし、滅多な事にはならないさ。それで、入会試験に参加するのは第一校区の高等部一年生だけ。だから同じ状況になるんだよ、三週間後の合同トライアウトとさ。入会試験で感覚を掴んでおけば本番に備えることができるだろ? 見学をしておいた方が色々と楽に対応できるはずなんだ」
「なら、上柳は入会試験に参加しないのか? 参加だけなら自由なんだろ?」
「……始めは、そのつもりだったんだけど」
視線を逸らした上柳は、悔しそうな口調で、
「ビビっちまったんだ、いざ参加を申し込もうとした時にさ。俺の力って通用するのか? 全く歯が立たなかったらどうする? そんな事を考えていると怖くなった……自分自身と向き合えないって思ったんだよ。情けない話だろ、俺は絶対にプロ界術師にならないといけないのに」
通学鞄の中から赤い手袋型の界力武装を取り出した。
「この界力武装さ、ある人からの借り物なんだ。霧沢は風間良彦ってプロ界術師を知ってるか?」
「『格上殺し』だろ? 日本人なら誰でも知って……まさか!?」
「そう。この界力武装は、風間さんから借りているんだ」
目を丸くして驚いている霧沢に対し、上柳は懐かしむような口調で、
「プロ界術師は戦闘技術よりも派手さが要求される。昔はその風潮が今よりも強かったんだ。そんな状況の中、風間さんは俺と同じ実力の黄色で参戦した。誰も風間さんが活躍するなんて思わなかった。でも予想は外れた。破竹の勢いで活躍した風間さんは実力が赤とか紫の界術師をどんどん薙ぎ倒して、所属する万年最下位の弱小チームだった和代ガッツをリーグ優勝まで導いたんだ」
プロ界術師リーグが好きな人に限らず、日本人なら誰もが聞いた事があるような有名な話だ。
風間良彦。
もう十数年前に引退し、プロ界術師リーグに数々の記録を打ち立てた伝説。
実力の高い界術師の方が強い。
そんな当時の常識を、風間良彦は根底から覆した偉大なる先駆者である。
本当に必要なのは、高い実力でも、大規模な界力術でもない。
勝利に必要なのは、速さ。
どれだけ相手が強力な術式を使える一騎当千の界術師でも、界力術を当てることができなければ十把一絡げと変わりない。速さの前で実力は意味を為さないのだ。そう主張した風間良彦は韋駄天の如く戦場を駆け回って勝利をその手に掴んできた。
「俺はさ、風間さんと同じ界力術を使うんだよ。同じ界力術で前人未踏の記録を打ち立てたレジェンドがいるって知った時は興奮した、俺もこの人みたいになりたいって憧れた。そう思ったら、知らない間にファンになってたんだ」
赤い手袋型の界力武装をぎゅっと握り締める。
「小さい頃にさ、風間さんと直接会う機会があったんだ。ファン感謝祭みたいなイベントだよ。風間さんが活躍したのは何十年も前だ。会いに来るファンも全盛期の活躍を知っているような年齢の人ばっかり。その中に、一人だけ小学生の俺が混じってた」
今も、瞼を閉じれば当時の光景が蘇ってくる。
一生懸命に話しかける上柳に対し、風間良彦は優しく耳を傾けてくれた。全盛期の頃を知らない小さな子どものファンが純粋に嬉しかったのかもしれない。
「俺は風間さんに言ったんだ。貴方みたいな界術師になりたいって。そうしたら、この界力武装をくれたんだ」
――私を目標とするのなら、君にこれを託そう。もう私には必要のないものだからね。いつかこれを使って私と同じ場所に立ってくれると願っているよ。
プロが実際に使っていた界力武装だ。プロ野球選手からバットやグローブをもらうようなもの。機能面だけではなく、金銭的な意味でもその価値は計り知れない。
関係者は口を揃えて反対した。上柳少年に向かってすぐに返すように告げた。
そんな様子を見た風間良彦は、にっこりと笑ってこう告げた。
――だったら、これは君に貸すことにしよう。だからしっかり返しにきてくれよ。君が私と同じ場所に立った時にもらいにいくからね。
天にも届くような興奮が上柳少年の全身を駆け巡った。
交した力強い握手の感触を、生涯忘れはしないだろう。
「その時に決意したんだ、俺はプロ界術師になるんだって。目指すべき人に背中を押してもらえた。理由はそれだけで十分だったんだよ。この気持ちは今だって変わらない……変わらない、はずなんだ」
俯いた上柳は、語尾を濁すようにして会話を打ち切った。
道路の先に巨大な建造物が見えてくる。あれが闘技場。球場をイメージしてもらえば分かりやすいか。ローマ帝政期に造られた円形闘技場のように石を積み重ねたような外観である。
「霧沢、頼みがある」
歩みを止めた上柳が、真剣な表情で霧沢を見詰めた。
「――主人公たれ。風間さんの口癖だ。実力が低かろうが、周りがどれだけ批難しようが関係ない。誰もが自分という人生の主人公。他人に決められた物語に価値はない……そう言って、風間さんは実力が唯一黄色のプロ界術師になって歴史に名前を残した」
お立ち台での宣言は、今も強く記憶に残っている。
誰かに道を指し示すその姿は、まさしく上柳少年にとっての主人公だったから。
「だけど、俺はまだ主人公にはなれない。そんな大層な力を持ってない」
大切な人すらロクに守れないままでは。
自分の夢すら胸を張って宣言できないままでは。
ヒーローになれるはずがない。
「だからさ霧沢、俺にお前の『強さ』を教えてくれ」
「……強さ?」
「界術師としての強さだけじゃない。世界を変える、そんな壮大なことを臆面もなく言い切れるお前の強さを、俺は知りたい」
脳裏に過ぎるのは、かつて親友だった少年の姿。
最も身近にいた雲の上の存在。ライバルだと一方的に認定していた存在。
その強さに羨望し、尊敬し、追い付くべき目標と定めた相手。
――そんな力しかないのにプロになるう? 冗談はよしてくれ、現実を見ようぜタカ。プロを目指すような奴は俺よりも強いんだ。なのに……、なのにだ! 俺に勝てないようなザコがプロになれる訳がないだろうが!
そう告げたかつての親友は、きっとこのやり取りを覚えていない。
取るに足らない雑談として忘れてしまっているはずだ。
だが、上柳高澄にとっては違う。
――なら、勝ってみせるよ。
それは、上柳高澄とっての誓い。
自分で定めたルール。越えなければならない高い壁。
――俺は、瞬に勝ってからプロになる。そんでもって証明してやる。諦めるしかない夢なんてないんだってな!
「霧沢に目的があるように、俺にだって目的があるんだ」
霧沢を真っ直ぐに見詰めた上柳は、にやりと鋭い笑みを浮かべる。
「そのために色々と学ばせてもらうぜ、親友」
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