第4話 雨の中の合流
《高等部二年生 六月》
※前回のあらすじ
冷戦状態が続く投棄地区で火種を消化するためにパトロールをしていた御代僚——アキラは敷本小春——ハルと共に廃ビルへと赴いた。
数人の不良生徒による争いを止めるも、向けられたのは心ない悪意。降り始めた雨に急かされて、彼らはその場を後にした。
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水に落ちた脱脂綿のように湿った灰色の空。
ぽつ、ぽつ……と頬に当たる生温い雨粒に急かされて、アキラは本拠地として使っている『小屋跡』まで急いだ。
薄暗い森の中で、少し先を走るのは敷本小春だ。
社交的な印象を受ける女生徒。高等部の制服は意図的に着崩されているが、スラリとした高身長のハルだと俗気がなく似合って見える。優しげな瞳にウェーブした短めの茶髪。教室の中で同級生の目を惹くであろう明るい少女である。
長年舗装されていないせいで劣化したアスファルトの道路。表面がひび割れていて何度も躓きそうになるが、速度は落とさない。湿度の高い空気に混じるのはムッとする程に濃い緑の香り。このままのペースでは目的地に着く前に雨が本降りになってしまいそうだ。
「ハル、掴まってろ!!」
「へ――わきゃあっ!?」
素っ頓狂な声を上げるハルを無理やり抱き上げた。左手で背中を支え、右手を両膝の下に入れて持ち上げる。所謂『お姫様だっこ』の格好である。
「わ、バカッ!! な、なな、なななななにすんのアキラ急に!?」
「黙ってろ、舌を噛んじまうぞ」
「そんな事、言ってもッ!?」
ハルが顔を真っ赤にして何やらバタバタと反抗を続けるが無視。アキラは身体強化を発動する。目指すべきは道路の横に広がる鬱蒼とした森。黄色い界力光を薄暗い空気に滲ませつつ、助走の勢いを利用して大きく跳び上がった。
長距離跳躍。
身体強化の中でも『移動』や『跳躍』といった要素を重点的に鍛えてきたアキラの得意技。両足のバネを最大限に活かし、羽ばたいたと錯覚させるほど緩やかな放物線を描いて宙を進んでいく。
眼下に広がるのは青々しい森。手頃な太さの幹や枝に降り立ち、再び足のバネを使って超距離跳躍を繰り返す。その様は森の中を突風のように疾り去る忍者を想起させた。
「きゃあああああああ!! アキラのバッッッカァァ―――――ッ!!」
キンキンと甲高いハルの絶叫が耳を劈いた。体が密着している事に気付いていないのか、両腕はガシッと首筋に絡み付けている。どうやら始めの頃に残っていた羞恥心は消え去って、今は生存本能が存在を主張しているらしい。赤かった顔も病人と見紛う程に真っ青だ。
何度か跳躍を繰り返し、勢い良く湿った森を横切っていく。すると視線の先に二階建ての小屋が見えてきた。
「着地すんぞ!!」
「イ――ヤ―――――ッ!!」
涙目のハルが一段と密着してくる。
着地点は小屋の前に広がるアスファルトではなく、森が途切れて土が剥き出しになっている部分。上空十メートルから斜めに地面へと突き刺さった。
限界まで高めた全身の強度と膝のバネを使い、着地の衝撃を可能な限り吸収。残った慣性は何度も前に跳ぶことで相殺していった。ずざぁぁぁっっ!! と普段履きの革靴で地面を抉るように制止する。すぐ足元にはアスファルトとの境界線。目算を誤れば危なかった。
「ギリギリだが何とかなったな」
「何とかなったじゃないよ! ここで死ぬかと思ったんだからね!!」
「文句を言うなよ、雨が本降りになる前に帰ってこられたんだからさ」
「うっさい!! 大体アキラはいっつもそう! ウチに相談なく勝手に――」
「何でもいいけどそろそろ降りてくんない? ハルの腕が絡み付いてるせいで、俺ずっとこの格好のままなんだけど」
「わわわあ――っ!?」
ぼふっと頬を茹でたタコのように赤く染めたハルが手足を振り回し始めた。顔に飛んでくる手や足を器用に躱していると、バランスを崩してハルが勝手に地面へ落ちていく。
「ひぐぅっ!?」
背中をアスファルトに激突させたのだろう。夏服が汚れる事に気付いていないのか、声にならない悲鳴を上げて地面の上で悶えていた。
「何してんだよ……ったく、」
呆れ気味に溜息をつきながら、下瞼に涙を浮かべたハルに手を差し伸べる。
「早く起きろ、雨が本降りになるぜ」
「うぅ、全部アキラが悪いのにぃ……でも、ありがと」
ツンと唇を尖らせつつも、ハルは大人しくアキラの手を取って立ち上がった。ささっとハルの背中に付いた汚れを払ってやる。されるがままに大人しくしていたハルだが、その表情から不服そうな色が消えることはなかった。
ぽつ、ぽつ、と雨粒が大きくなってきた。アキラはぶすーと頬を膨らましたハルを促して二階建ての小屋へと向かう。
小屋自体もかなり古い。工事現場にある仮設事務所を少し頑丈にしたような見た目だ。一階部分が倉庫になっており、使わない時はシャッターが降りていた。基本的に閉じられているため、中に何が入っているのかは知らない。鈍色に錆び付いたトタンの壁は物寂しく、どこか町外れにある寂れた廃工場をイメージさせた。
二人は早足で小屋の側面にある吹き晒しの階段を上る。金属部分が剥き出しのデザイン。錆びて表面の赤い塗装が剥がれ落ちており、一歩進むごとにカツンと硬質な足音が響いた。
「……悪かったって、そう怒るなよ」
「怒ってないもん」
仏頂面のハルを見て、どうしたものかと頭を悩ませながら、アキラは『事務所』の扉を開く。
狭い部屋だ。中央に長机が二つ配置され、その周りにパイプ椅子が置かれている。それだけで面積のほとんどが使われていた。調度品は書類や茶器が仕舞われている棚とホワイトボードだけ。常に掃除をしているためか、ここが投棄地区であることを忘れそうな程に清潔感に溢れていた。
長机の上には何やらボードゲームが広げられていた。盤……ではなく敷かれているのは第一校区の地図か。しかも投棄地区の部分を拡大印刷してある。その上に将棋とチェスの駒が配置され、所々に碁石が置かれていた。まるで有名ボードゲームのサラダボールだ。
「戻ったぞショージュン」
「早かったねアキラ、もう少し時間が掛かるって思ってたよ」
「途中で雨が降ってきたからな、ショートカットしてきた」
「なるほど、そういう事か」
窓の外を眺めて、藤郷将潤――ショージュンは合点がいったように頷いた。
二年前に会った時から華奢な印象は変わらない。だが背丈はかなり伸びており、暗い色の前髪は形の良い眉を隠すまで長くなった。落ち着いた物腰を象徴するような品のある顔立ち。あどけなさは残っているが、妖しく光る紫水晶の瞳が底の見えない垢抜けた雰囲気を醸し出していた。
ショージュンは声変わりを終えたにしては少し高いテノール声で、
「だからハルは少し汚れているのか、髪もボサボサだよ」
「うそっ、直したのに!!」
何度か自分のクセ毛を触って確かめてから、ハルはキッと両目を細めてアキラを睨み付ける。
「ハルちゃんも素直じゃない、本当は嬉しいクセに」
「ちょ、ちょっとライちゃん!!」
抑揚の少ない声でハルをからかったのは、表情の薄い女生徒だった。
人形のようにこぢんまりとした少女。
淡い色の前髪は真横に切り揃えられ、足の付け根まで伸びるツインテールは丸い髪留めで括られていた。両目は常に眠そうな半目に細められており、その可愛らしい顔立ちは見る者の保護欲を刺激する。ちょこんとした小柄な体躯は、春になって柔らかくなった蕾のような可憐さを感じさせた。
雷峰芽衣子――ライメイ。
ハルと同じく古くから『メンバー』の一人で、右手首には青いリストバンドが嵌められている。
「気持ちは隠していたら意味がないよ、きちんと相手に伝えないと」
「だからってライちゃんは出し過ぎなの! ウチは、その……恥じらいが……」
胸の前で指を絡ませながら目を伏せたハルを見て、限界までショージュンのパイプ椅子に近づいて座っているライメイはこくりと首を傾げる。ぴとーっと真顔のまま寄り掛かっており、長いツインテールがショージュンの膝の上に投げ出されていた。
この光景も慣れたものだ。
以前は照れるショージュンをからかったりしていたが、今となっては二人が離れている方が心配になる。始めはライメイの一方的な片想いだったらしいが、最終的にショージュンも受け入れたらしい。二人の密着もすっかり景色の一部に溶け込んでいた。
ショージュンは更に体を寄せてくるライメイを受け入れつつ、窓の方へと視線を向ける。
「それでゴウキ、準備はできているかい?」
「ああ、問題ない」
重低音の響く野太い声で答えたのは窓際に立つ男子生徒だ。
ガタイの良い少年である。
何か運動系の部活に属していたと思わせる身体付き。筋骨隆々な肉体は、身長や体重といった実際の数字以上に少年を大きく見せている。彫りが深くてくっきりとした顔に浮かぶのは小さな目鼻立ち。刈り込まれた短髪に自信に満ちた勝ち気な表情は、戦場で一番槍として敵陣に切り込んでいく兵士を想起させた。
井之上剛毅――ゴウキ。
彼もまた『メンバー』の一人で、ライメイと同様に右手首には青いリストバンドが嵌められていた。
窓の外に視線を向け、全身から橙色の界力光を放ちながら、
「事務所の周りに人はいない。雨のせいでちと精度は落ちるが、聞き耳を立てられる距離には誰もいないな」
「……ゴウキ、それ何してるの?」
「前にも説明しなかったか、ハル。氣法だよ、周囲に誰もいないか確認しているのさ」
始まりの八家の一つである夏越家。生み出した方式は闘術。
他方式とは違い、闘術は発動するために体内で練った『氣』を消費する必要がある。このRPGのMPのようなエネルギーを使って発動するのが氣法――闘術のみに存在する特殊技術だ。
「氣法『気感波』。まあ言ってしまえば、イルカとかコウモリが使う反響定位だな。性質を変化させた氣を周囲に放射して、反響で返ってきた情報から周囲の状況を探ってるのさ」
「でもそれ、こんな狭い部屋でやっても意味がないんじゃない?」
「氣の性質を変化させているって言っただろ? その時に反響する対象を限定させるんだ。俺が拾っているのは人の気配のみ。机とか壁とか、関係ない物については氣が透過していく。選択する種類を複数設定してやれば、この辺りの地図を描くことだってできるぜ」
だが当然、効力は実力に依存して上下する。
実力が低ければ氣を放射できる範囲は狭くなるし、選択できる情報の種類も減っていく。また受け取れる反響は術者が知識や感覚として理解しているモノに限られる。完全に使いこなすためには術者の教養が要求された。
「ショージュン、予定通りだぞ」
「ありがとうゴウキ、じゃあ始めようか」
「……全員? 他の連中がまだ来てねぇけど」
「いや、今日の招集は五人だけだよ。他のメンバーには声を掛けていない」
「……五人、だけ」
無感動に告げるショージュンの声を聞いて、アキラは何やら特別な意図を感じ取った。
「良かったなアキラ、お前も呼ばれて」
「あぁ? なんか含みのある言い方だなゴウキ」
小さな目許に挑発する色を浮かべたゴウキを見て、アキラは眉根に皺を寄せるように両目に力を入れた。
「忘れてるようだけどよ、俺との戦績は五分のはずだ。テメェにでかい顔をされる謂れはねぇぞ」
「そうだったか? 悪いな、俺が勝ち越している期間が長くてなかなか癖が抜けないんだよ」
「テメェ……っ!」
「やめろアキラ、それにゴウキも」
ピリッと一触即発に張り詰めた空気が、ショージュンの一声で霧散する。
ふっと小さく息を吐き出して引き下がるゴウキ。ショージュンに鋭い視線を向けられて、仕方なく舌の先まで迫り上がっていた反論を飲み込んだ。
どうしても、ゴウキという少年の事が気に食わない。出会った頃からそうだ。何かと意見が合わないし、お互いに妥協点を見つけようともしない。他のメンバーと一緒にいる時は会話もするが、二人きりになれば無言が続く。完全に馬の合わない水と油の関係であった。
「――さて、じゃあ始めようか」
シン、と途端に室内の雰囲気が引き締まる。
御代僚、敷本小春、雷峰芽衣子、井之上剛毅。
ぐるりと全員を見回した藤郷将潤は、右手首に嵌めた青いリストバンドに触れながら悪魔のように冷たい笑みを浮かべた。
「新生『アイオライト』の非公式会議を」
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