002 / 変えるために
《中等部三年生 十月》
御代僚が意識を取り戻すと、手足を拘束された状態で小汚い部屋に転がっていた。
「???」
脳内でクエスチョンマークが乱舞する。何があったか瞬時に思い出せない。明らかな異常事態。パニックに陥りそうになりながらも必死に冷静さを保つように自分に言い聞かせた。
「(ステイ、ステイ……落ち着くんだ、まずは状況を把握しろ)」
両手足は結束バントで拘束されているようだ。試しに力を入れてみてもビクともしない。着ている中等部の冬服には土汚れが付着し、少年のくせに一本に括られた明るい色の長髪は汚い床に投げ出されている。
「(確か投棄地区に入って、ガラの悪い連中に見つかって、それで……)」
記憶に残っているのは、背後から近づいてきた誰かが奇声を上げながら棒状の物を振り下ろす光景だった。
拉致。
そんな非現実的な単語がズキズキと痛む頭に浮かぶが、それを否定する事はできなかった。
学園が管理を放棄した投棄地区にやって来るのは学校生活で居場所を失ったり、様々な事情から真っ当な生活を送れなくなった一部の生徒のみ。不良生徒――教室に来ない生徒を縮めて作られた造語――と呼ばれる彼らなら、これくらいの事はやりかねない。
「(クソ、こんな拘束……っ!)」
奥歯を噛み締めて、身体強化を発動する。
界力術を発動する時に界術師が利用する生命力。この純粋なエネルギーの奔流を意図的に操作することで、一般人には不可能な運動性能を実現する界術師共通の技術だ。
全身に熱が行き渡っていく感覚。漏れ出した黄色の界力光が、狭い室内にわだかまった薄闇を少しだけ遠ざけた。
「(無理だ、千切る前に手首がイカれちまう)」
細い紐でキツく締め付けられたような痛みに顔を顰めて、身体強化の発動を中断した。実力が黄色ではこの程度の拘束で動きを封じられてしまう。これでは界術師でも一般人でも同じだった。
ぐるり、と薄暗い室内を見回してみる。
どこかの廃墟の一室だろうか。壊れたり汚れた調度品が散乱しており、咳き込みそうになるほど埃っぽい。元々は会議室だったのか、部屋のあちこちに足の折れた長机と使い古されたパイプ椅子が転がっていた。放置されてから何ヶ月……いや、何年は経過しているか。人間に忘れられた人工物が、自然の一部に取り込まれている途中のようだと感じた。
屋外と見紛うほど汚れた床は表面の塗装が捲れ上がり、ボロボロに風化した書類や窓硝子の破片が飛び散っている。芋虫のように床を這えば動けるかとも思ったが、部屋の外に出る前に傷だらけになりそうだ。
「(扉は閉まってる……でも、窓硝子は割れてるのか)」
割れた窓ガラスの向こうからは話し声が聞こえてきた。御代をここに拉致した連中だろう。身動きが取れない状態で出て行くのは自殺行為だ。
分厚いカーテンは窓から流れて来る秋の風に揺れていた。差し込むのは明るい陽射し。どれだけ気を失っていたのかは不明だが、感覚的には午後三時くらいだろうか。夕方というには外が明るい気がする。
「……っ、やっぱり持って行かれてるか」
ベルトに掛けたホルスターから銃型界力武装――アクディートAMs3-06が持ち去られていた。
あの界力武装は『職人』である御代僚が作った渾身の一作。知識と技術、それに拘りの全てを注ぎ込んだ自信作だ。価値の解らない無能共に乱雑に扱われていると思うだけで燃えるような怒りを覚えた。
ガチャリ、と。
不意に立て付けの悪い扉が大きな音を立てて開いたのはその時だった。
入ってきたのは、全体的に華奢な中等部の男子生徒。
少し細身だが、背丈は平均的だ。暗い色の髪は男子生徒にしては少し長めで、真っ直ぐ頬まで落ちている。紫水晶のような瞳があどけなさの残る端正な顔で妖しく輝き、容姿の割に大人びた内面を思わせた。触れれば折れそうな程か弱い見た目をしているのに、何故か迂闊に踏み込むことを躊躇わされる。そのチグハグな在り方は、まるで知識人しか価値の分からない骨董品のようだった。
男子生徒は御代を見るなり、驚愕に両目を大きく見開いた。
「……おい、どうしてここにいる!?」
「は? なんだよ、お前」
「っ、この馬鹿が!!」
まだ声変わりの途中と思われる高い声を刺々しく尖らせた。廊下を確認してから慌てた様子で室内に入ってくる。古びたパイプ椅子の上に何かを置き、うつ伏せで身動きの取れない御代の近くでしゃがみ込んだ。
「俺は藤郷将潤。お前は?」
「……御代、僚」
「アキラ、お前はどうして投棄地区に来た? ここが危険な場所だってのを知らなかったのか?」
紫水晶の瞳に真剣な光を滲ませ、藤郷将潤が訊ねた。
拉致した連中の一味のはずなのに敵対心を全く感じない。それどころか長い時間を共にしたような親近感すら湧いてくる。
「知らない訳がねぇだろ……投棄地区が最悪な場所だってことくらい!」
「なら、何故足を踏み入れたんだ?」
「それは……っ」
思い返すのはつい先日発表された前期期末試験の結果だった。
御代僚は『職人』――『刻印術式』を使った界力武装の製作を主な活動とする界術師である。
『始まりの八家』の一つである歳森家。生み出した方式は刻印術式。
術式情報が込められた『刻印』を現実次元の『面』に施し、『起点』に界力を流し込むことで界力術を発動させる方式。一度刻印すれば何度でも利用できるという特性を利用した物が界力武装だ。職人である御代は期末試験で界力武装を提出することになっていた。
「理由なんてねぇよ、ただ苛立って自棄になっただけだ」
「苛立ったって、何に?」
「試験の結果だよ。今回は改心の出来だったんだ。実力の高い相手だろうが、本家や分家関係者のエリート様だろうが、負けねぇくらいの作品だった……なのに!」
青、緑、黄、橙、赤、紫、黒、で上昇していく界術師の実力。
言い換えてしまえば脳内に存在する『界力下垂体』の発達具合だ。界力術を使うために必要な脳の器官の性能によって、扱える界力の量や界力術の発動効率には大きな違いが現れる。結果として、発動できる界力術の規模や威力に開きが生まれるのだ。
「界力武装の出来は実力に左右されない。刻印術式の発動において実力が絡むのは、一度に刻印できる術式の数だ。時間を掛ければ最低実力の青色だって紫色と同じ物が作れる……だから俺は作ったんだ、最高の作品を! 職人に必要はものは実力でも出身でもなくて、センスと知識だって証明するために! 何も力がねぇクセに威張ってる連中を見返すために!!」
「……だけど、アキラの界力武装は否定されたのか?」
「ああそうさ! エリート様が作ったのは本土で流通してる粗悪な汎用品の丸パクリばっかだ! 生産性を増すために汎用品には雑な術式が使われてる。それを真似してる時点で、そいつに職人としての力量もなければ、作られた界力武装に価値もねぇってのは誰にでも解る! だってのに、どうして連中が最高評価で、俺たち一般生徒は低評価なんだ!! 納得できる訳ねぇだろうがっ!!」
本家や分家関係者だけが贔屓された不平等な環境。始めから片方に傾いた天秤で正しい重さを量ることなど不可能である。
「もう色々と馬鹿馬鹿しくなっちまったんだ。本気で職人を目指すのも、理不尽な環境で真剣に努力するのも! 今回の件でよく解ったよ……ラクニルが、界術師の世界が、どれだけ腐ってるのか!!」
「だから、自棄を起こして投棄地区にやって来たのか?」
「そうさ。他の連中は違うかもしれねぇが、俺は元々あんまし投棄地区に抵抗がなかったんだ。むしろ興味すらあったよ、変えられるって思ってたからな。何をしても心が乾いたままだった、何となく過ごす時間に意味を見出せなかったから。だけど投棄地区なら違う、ここには俺の知らない非日常があるって、何故か強くそう思った。で、気付いたら投棄地区に来てたって訳さ」
勝手に納得する御代に対し、藤郷は品のある顔を呆れたように歪ませて、
「愚かな選択だな。有りもしない妄想に縋り付いて、冷静な判断を失って、結果がこの様だ。掛ける言葉すら見当たらない」
「黙れよ不良生徒、テメェが正論を吐いてんじゃねぇ……っ!」
眦を吊り上げるようにして、縛られたまま藤郷に視線を突き立てる。
「テメェに俺を見下す資格はねぇはずだ! 学校生活から逃げ出して、投棄地区で不良生徒をやるしかなくなったクズ野郎が! じゃなきゃこんな掃き溜めみたいな場所には来ないはずだぜ!」
「俺は……、――っ!?」
焦燥に眉を歪めた藤郷が立ち上がり、扉の方へ駆け寄って行く。
「お、おい!」
「気絶した振りをしてろ、絶対に声を出すなよ」
鋭く小声で告げて、御代の返事を待たずに部屋を出て扉を閉める。近づいて来る何者かの足音。立て付けが悪いせいで外の音が漏れ聞こえてきた。
『おい新入り、ヤツは目を覚ましたか?』
『いいえ、ぐっすり眠っていますよ。随分と強く殴ったんですね』
「(なんだ、誰と話している……?)」
扉の向こうにいるのは藤郷ともう一人。声から判断するに男子生徒だろうか。新入りと呼ばれるということは、藤郷は御代を拉致した組織に入ってまだ間もないという事になる。
『なんだよ、つまらねえな。憂さ晴らしにボコボコにしようって話になってたのによ』
『あんまり傷を付けない方がいいと思いますよ。また文句を言われそうですし』
『それもそうか、あいつは風紀委員会様へのエサだからな。丁重に扱ってやらねえと』
ギャハハハ、と下卑た哄笑が遠ざかっていく。
風紀委員会様へのエサ。
その言葉を聞いた瞬間、眉間に銃口を突き付けられたような恐怖が悪寒となって全身を駆け上がった。
噂として聞いたことがあった。
弱みを握られた生徒は風紀委員が違法に『取締点数』を稼ぐために罪をでっち上げられて処分されてしまう。人権や立場を全て剥奪されて骨の髄までしゃぶり尽くされ、最終的にはラクニルの少年院にぶち込まれるのだと。
作り話だと思っていた。言う事を聞かない子どもを大人が躾けるために、静かにしないとお化けに襲われると言うような類の笑い話。余りにも現実味が欠けていて、全く信じてはいなかった——この瞬間までは。
「(ふざ……ふざけんなっ!)」
実感を伴った恐怖が電流のように全身を這い回った。不安と焦燥が一気に膨れ上がって胸を圧迫する。気が付けば、大して寒くもないのにガクガクと体が震え出していた。
しばらく間が空いてから、藤郷が帰ってきた。
「随分と青い顔をしているな、こうなる事は予想できたはずだぞ」
「……どうして、俺を庇った?」
「庇う?」
「俺を差し出さなかった理由はなんだ。あの場面でショージュンが嘘を吐く理由が見当たらねぇ」
「特に理由はないよ……気まぐれさ」
藤郷は扉を閉じるとこちらに近づいて来る。手にはハサミを持っていた。
「……ショージュン?」
「だからこれも気まぐれだ、アキラ」
パチン、と両手と両足を拘束していた結束バンドを切断する。自由を取り戻した御代は、不思議そうな顔で藤郷を見詰めたまま上半身を起こした。
「どうして、こんな事を……?」
「お前はまだ帰ることができる。元の生活にも、元の居場所にも。こんな所で闇に落ちる必要はないんだ、これがせめてもの償いになれば」
「……?」
藤郷の紫水晶の瞳に沈痛な光が差し込む。だがすぐに顔を上げると、幼さの残る端正な顔を引き締めた。始めに部屋に入ってきた時にパイプ椅子に置いた物を掴み上げて御代へと差し出す。
「これは……っ!?」
「アキラの銃だよ。適当に放置されていたからさ、連中から奪っておいた」
銃型界力武装——アクディートAMs3-06。
拳銃にしては少し歪な形状のそれを手に持った瞬間、暖かい安堵感が胸を突いて溢れ出した。ずっしりとした重みを感じながら、ベルトに付けた革製のホルスターにしまう。
深々と頭を下げた御代は、噛み締めるような声で、
「助かったよショージュン、本当に助かった……でもいいのか? 俺にこいつを渡しても。それに拘束も解いちまったけどよ」
「いいんだ、アキラは今すぐここから逃げてくれ。壊れかけの廃墟だ、どこかの部屋の割れた窓から簡単に脱出できる。そのまま投棄地区の森に逃げ込めばいい」
「ちょ、ちょっと待て! ショージュン、お前はどうするんだ!?」
「俺か?」
「風紀委員の餌である俺を勝手に逃がすんだ。怒られるだけじゃ済まねぇ、最悪俺の代わりにショージュンが風紀委員会に差し出される可能性だって……っ!」
「確かにそうだな。だけど、」
藤郷は端正な顔にニヒルな笑みを刻んだ。
「何とかしてみせるよ、勝算がないわけじゃないからさ。ほら、早く行ってくれ」
「……いや、」
御代は決然とした表情で首を横に振った。一本に括った長い髪が背中で揺れる。
「俺は逃げねぇ、逃げるならショージュンも一緒だ」
「は? 何を言って……?」
「恩人を死地に残してノコノコ帰れる訳がねぇだろうが。そんなのはスマートじゃねぇ!! それに!」
ここで逃げ出して、一体どうなる?
待っているのは窮屈な日常だ。
理不尽な界術師の世界に、退屈な教室。当たり前のように授業に参加して、暇を潰すために友人と遊ぶ。薄っぺらい人間関係を維持するために神経を擦り減らして、意味のない『何となく』を積み重ねていく。それで手に入るのは中身が空っぽな記憶だけ。そんな吹けば飛ぶようなモノにどれ程の価値があると言うのだ?
「言ったはずだ、俺は八方塞がりな現実を変えるために投棄地区に来たって! だから、こんなトコで逃げ出す訳にはいかねぇんだよ!!」
「だからって――っおい!!」
背後から聞こえてくる藤郷の制止を振り切り、愛銃を片手に部屋を飛び出した。
使われなくなって何年も経った個人病院のような内装の廊下を走り抜ける。塗装が剥がれた床に、亀裂が入って崩れかけた壁面。天井の電球は割れていて全体的に薄暗い。ガラスの残っていない窓から風に乗って入ってきたのか、床には土や枯葉が舞っていた。
「(連中は外か?)」
警戒しながら狭い通路を進んでいく。
遮蔽物が多くて薄暗い室内だが、誰かが潜んでいるような気配はなかった。そもそも連中は御代が脱走して反撃してくる可能性など考えていないのだろう。一応は気を張っていたが、何事もなく玄関へと辿り着いた。ガラスの割れた両開きの扉から、外の様子を窺う。
「(……全部で三人か)」
快晴の秋空の下で、下午の陽光を浴びるのは三人の男子生徒。
着ている冬服から高等部の上級生だということは解った。三人以外の姿は見えないため、撃破してしまえば藤郷将潤と一緒にここから逃げ出せる。
緊張が冷や汗となり、高い鼻梁を伝って床に落下した。この一歩を踏み出したら最後、もう引き返すことはできない。
「……、」
逡巡は一瞬。
強張る体を無理やり動かし、アキラは外へ飛び出した。
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