第28話 変わる世界
※前回のあらすじ
闘術の真骨頂である『英雄化』を発動した今津稜護に対し、霧沢直也は三つ目の方式である刻印術式を発動。界力光の色を紫色に変えるほどの力を発揮した霧沢直也が模擬戦に勝利した。
そして、霧沢直也は世界に向けて宣戦布告する。
それは人生を賭けた長い、長い、戦いの始まりを意味していた。
病室の窓からはレースのカーテン越しに朝日が差し込んでいた。
「……、」
今津稜護は第一校区にある病院のベッドで横になっていた。
どうやら霧沢直也との模擬戦で負けた時に気を失ってしまったらしい。体感的にはつい先ほどまで夜だったのに気付けば窓から朝日が差し込んでいる。混乱する頭を落ち着けながら、気怠さに身を預けるように白い天井を見つめていた。
本来は何らかの方法で誰かを呼ぶべきなのだろう。だが、未完成の英雄化を使ってせいで、底なし沼に沈んだように全身が重たく、枕元に置かれた携帯端末へ手を伸ばすことすら億劫だ。もうしばらく寝ていようと決め込んで瞼を閉じた。
「……オレは、負けたんだよな」
不思議と悔しさや辛さはない。
青空の下、草原の真ん中で深呼吸をするような清々しさ。心を支配しているのはそんな爽やかな感情だけだった。それほどまでに模擬戦の結果に納得してしまっているのだ。
不意に、病室の扉が開いた。
看護師か医師が来たのだろうか。目が覚めた事を伝えなければと来訪者の方へと首を向ける。
「なんだ稜護、起きてんじゃねえか」
「――、」
絶句した。
紋付羽織袴を着た戦国武将のような風貌は、まさしく夏越邦治その人だった。
「御当主様っ!? 申し訳ありません、すぐに起き上がり――」
「必要ねえ。テメェのその状態がどれだけ辛いかは俺も良く知っている。ガキが大人ぶらなくていい、そのまま寝とけ」
乱暴に言い放った邦治は適当にパイプ椅子を用意してベッドの隣にドスンと腰を掛ける。ギシィッ!! とパイプ椅子から悲鳴のような軋み音が飛び出した。
「ったくよ、負けてんじゃねえよ稜護。おかげで俺の仕事が増えちまったじゃねか」
「……面目ありません、オレの力不足です」
「そういう割には何だか嬉しそうな顔をしているぜ」
木の幹のように太い腕を組んだ邦治は、深い皺が刻まれた顔に呆れ混じりの笑みを浮かべた。
「今頃本土じゃ大騒ぎだぜ、あの今津稜護が天城家に負けたってな。流石に公表されるような事はねえが噂は広まるだろう。今津の家から色々と言われるぜ。それにテメェ自身の立場だって弱くなっちまう。ヘタしたら取り返しが付かないくらいに」
「……でしょうね」
夏越家の界術師が、天城家の界術師に負けた。どんな事情があれ、この結果は変わらない。これから降りかかる苦難を想像すると、溜息をつかずにはいられなかった。
「なあ稜護。どうして最後テメェは砦の発動を中断したんだ?」
真剣な口調で、邦治は問い掛ける。
「中断……ですか? そんなことはしていませんけど」
すぐさま今津は首を横に振った。
「あれは純粋に直也の闘術がオレの砦を上回ったんです」
「ぬかせ小童。要塞鎧の砦は術者の想いを防御力に変換する術式だ。だからいくら表面の鎧が砕かれようとも、テメェの心が折れねえ限り砦は破れるはずがねえんだよ。完全に砦が崩壊するなんてありえねえんだ」
「だったら、尚更オレの完敗ってことになりますね」
「なに?」
怪訝そうに眉根を寄せる邦治に、今津はさっぱりとした表情で言った。
差し込む朝日を受けて今津稜護の瞳が力強く輝く。
「こいつになら負けてもいいってオレに思わせたんです。家の事情とか自分のプライドとか全部捨てることになっても構わない。それでも特班には霧沢直也が欲しいってオレの無意識に判断させたんです。これはもう界力術勝負で負けるよりも分かりやすい敗北じゃないですか」
勝負ではなく、心で負けた。
霧沢直也という生徒の可能性に敗北した。
「一つだけ確実なことは、オレは断じて手加減などしていないということです。オレは――今津稜護は全力を持って霧沢直也と戦って……負けました。これが揺るがない事実です」
真っ直ぐに夏越邦治を見詰め、今津稜護は精一杯の誠意を言葉に込める。
しばし複雑そうな顔を浮かべていた邦治だったが、ふっと破顔して体から力を抜いた。
「そうかい、こいつは野暮な事を聞いちまったな」
夏越邦治はゆっくりと立ち上がる。
「……俺も歳を取った。世界を変えるのは、俺達のような老い先の短い老人じゃなくて、あの小僧のような若い力なのかもしれねえ。そんな事を思っちまうんだからな」
紋付羽織袴の裾を翻し、悠然とした歩調で病室の出口へと向かう。
「稜護。テメェは負けた、しかも最悪の相手にな。信頼を失う、発言力を失う、立場を失う。この敗北はテメェが想像しているよりも多くの損害を与えるだろうよ。だがな――」
病室の扉を開ける直前に立ち止まり、夏越邦治は大きな背中で力強く告げた。
「――失ったモンはさっさとテメェの力で取り戻せ。そんで有象無象の雑音を全部振り切って俺の下に帰ってこい。こんなつまらねえ事で優秀な男を失って堪るか。テメェには任せてえ仕事が山ほどあるんだ」
「はい、必ず……っ!」
扉が閉まって夏越邦治の姿が見えなくなるまで、今津稜護は動くことができなかった。
やるべきことは山積みだ。辟易するくらいに大変だろう。
それでも、この血が沸き立つような興奮は収まらない。
「ようやく手に入る。オレの理想とする組織が、もうすぐ!!」
込み上げてくる笑いを隠さず唇に乗せる。
未来に広がる可能性を考えて、今津稜護はしばらく一人で笑っていたのだった。
× × ×
今津稜護との激戦を終えた翌週の月曜日の朝。
霧沢直也はすっかり慣れた様子で一年A組の教室へと入っていった。
入学当初のように怪訝そうな視線を向ける同級生は一人もいない。それどころか、自分の席へと向かう途中で何人かと挨拶を交すほどの仲になっていた。少し時間は掛かったがようやく本当の意味でクラスに溶け込めたのだ。
「やっと来た! 霧沢、頼みがあ――って、どうしたんだよその怪我!?」
机に荷物を置くなり近づいてきた上柳高澄が驚いたように目を丸くした。その後ろからは陣馬梶太と実国冬樹が心配そうな眼差しを向けている。
彼らが霧沢を心配するのも無理はない。
両腕には指先まで隠すように巻かれた包帯に、頬には切り傷を隠すような貼り薬。その他にも体のあちこちに治療の跡が見て取れた。これでもかと分かりやすいくらいの重症っぷりである。
特班設立のために行われた模擬戦。
だがこの戦いの存在を知っているのはあの場にいた六家連盟の役職者だけだ。
特班の設立はすでに決定事項。同時に霧沢直也の風紀委員会入りも認められた。
だが正式に統括議会と第一校区による認可が下りるのは九月以降になる見通しである。色々と面倒な手続きがあるらしい。その辺りは今津稜護と早乙女京子がやってくれるそうだ。正式に設立されるまでは仮組織として一応動くことはできるらしい。色々と制約が付くため活動の幅はかなり狭まってしまうとの話だった。
「霧沢君、本当にすごい怪我だね。事故にでも巻き込まれたの?」
「あー、これは……」
今津稜護に辛勝した霧沢直也だったが、体にはしっかりとダメージが残っていた。
無理やり酷使した界力下垂体は激しく消耗してしまい、しばらく界力術の使用は厳禁。骨が折れていることはなかったが筋を痛めたり打撲したりと全身傷だらけ。医者からは絶対安静を言い渡されていた。これから毎朝保健室へ通って治療を受けることになっている。包帯や貼り薬はその時に処置されたものだ。勿論、怪我の理由も特班のことも口外は禁止されていた。
「……なるほどな、そういうことか。ならば二人共、この件には触れてやるな」
何故か、バカが急に悟ったように頷いて、
「拙者には分かるぞ、霧沢殿。きっと人には言えない戦いに夜な夜な学園を奔走しているのであろう? その包帯は力を封印するために必要なアイテムであって――」
「うるさい、中二病はバカ一人で十分だよ」
「失敬だぞウィンター、拙者は創作意欲を原稿用紙にしか向けておらぬわ」
「そんなキャラを演じておいてよく言うよ」
「貴様……っ、今言ってはならないことを口にしたな表に出ろやあ!!」
「おーい、お前ら喧嘩なら余所でやってくれー」
いつも通り仲良くじゃれ合う三人を見ながら、霧沢は呆れたように微笑んだ。
「で、上柳。なんか俺に話があったんじゃないか?」
「そうだった! 霧沢、今週の放課後って予定は空いてるよな? また界力術の練習に付き合って欲しいんだ! 頼めるか?」
「そう言えば今週だったか」
学内リーグ戦の合同トライアウト。
上柳高澄がプロ界術師を目指すための第一関門だ。
「そうなんだよ! だから少しでも天狗舞いの練度を上げておきたいんだ。姿勢の制御だってまだ甘いし、移動の型をもっと増やさないと!」
「いいよ……って言ってもこの怪我だ。できることは限られるぞ」
「構わない、霧沢が協力してくれるなら心強いからな」
ほっと胸を撫で下ろした後、上柳はまだ近くで言い合っているバカとウィンターの仲裁に入る。
穏やかな光景だった。
常に死と隣り合わせだったつい数ヶ月前からは想像もできないような。
これが『オッサン』の言う普通の学校生活というものなのだろうか。確かに、天城家の施設にいた頃には絶対に体験できない幸せな時間だ。『彼ら』の分まで学校を楽しめ。最初に言われたこの指令は何とか無事に達成できそうだった。
不意に。
ガララ、と音を立てて教室の後ろの扉が開いた。
入ってきた人物を見て、賑やかだった教室の空気が一瞬にして静まりかえる。
森下瞬。
分家関係者として横暴の限りを尽くし、クラスの雰囲気を悪くしていた張本人だ。
腫れ物を扱うような視線。ヒソヒソと何やら聞こえてくる内緒話。多くのクラスメイトから突き刺すように睨み付けられていた。
それはまるで、入学当初の霧沢直也と同じ光景。天城家出身だと宣言して、クラスメイトから警戒された三週間前の自分を見ている気分になった。
教室に入ることを何度も躊躇した後、森下瞬は顔を伏せて唇を噛んだまま歩き出した。今すぐにでもここから逃げ出したいほど居心地が悪いのだろう。誰とも目を合わせないまま一目散に窓際の自分の席へと向かっていく。
だが、森下瞬には一つだけ霧沢直也と違う点があった。
「おはよう、瞬!」
何食わぬ顔で立ち上がった上柳高澄が、教室中に響き渡るような大声で挨拶をしたのだ。
ビクゥ、と肩を縮ませるように森下は立ち止まる。驚愕に目を剥いて固まった。
クラスメイトの視線が上柳と森下を交互に行き交っている。パスをもらった状態の森下は無視する訳にもいかない。誰もが言葉を奪われたように黙り込む中、かあぁと顔全体を羞恥の色に染め上げながらも小さく口を開ける。
「お、おはよう……タカ」
今にも消えそうな声だった。
恥ずかしさが臨界点を超えたのだろう。乱暴に荷物を床に下ろした森下は猛烈な速度で椅子を引いて腰を下ろした。そして何事もなかったかのように窓の外を眺めて嵐が過ぎるのを必死に待つ。
永遠に続くと思われた気まずい静寂は、しかし意外とすぐに薄れていった。朝の喧騒が違和感を飲み込んでいく。教室にはいつも通りの光景が戻っていた。
「上柳、お前すごいな」
「一緒に悩んで戦ってやるって約束したからな。あいつが歩み寄ろうとしてるんだ、俺もこれくらいはしてやらないと」
森下は窓の外を必死に眺め続けている。浮かんでいるのは不機嫌が極まったような仏頂面。だが朝の陽射しを受けるその明るい顔は、どこか嬉しそうにも見えた。
「すぐには受け入れられないし、都合良く過去は消えてくれない。時間は掛かかるし、他にも色んな問題が起きるかもしれない。でも、いつかはきっと変えられる。俺はそう思うんだ」
もしかしたら、上柳高澄の瞳には映っているのかもしれない。
森下瞬がクラスに溶け込んで、一緒に楽しそうに笑っている光景が。
「世界は変えられる。そうなんだろ、霧沢」
「ああ、その通りだ」
とても、とても、小さな世界だ。
時間が経てば思い出の中に埋もれてしまうような不確かな世界。
それでも、ゆっくりと、確実に、変わっていく。
霧沢直也は柔らかく微笑む。
変わる世界を見て、その胸に確かな希望を抱きながら。
毎週月、木、土の18時に最新話を更新します!




