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メソロジア~ブラック・ストーム~  作者: 夢科緋辻
第5章 トゥルー・ブレイズ編
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第29話 それぞれの希望

 商業地区マーケットのオフィス街にあるビジネスホテルの一室だった。

 出張サラリーマンというよりも、会社の役員クラスが宿泊するようなセミダブル。カーテンを閉め切り電灯の暖色に染まった室内で、時代掛かった外套を纏う大男がスマホを片手に唇を噛んでいた。


「……これで満足か、シスター

『はい、問題ありません』


 澄んだ鈴の音みたいな少女の声だ。芯が強くて、冷淡な響きの言葉を聞いていると、ぜんとした面持ちで溜息をくお嬢様の姿が頭に浮かんでくる。


『賢明ですね、叔父アンクル。我々に干渉された時点で勝てないと判断して、無駄な抵抗をせずに大人しく身を引いたのは。お陰で決定的な破滅だけは避けられたのですから』

「……、」

『では質問です。重要監視対象『とお』については、完全覚醒まで調整役である私を除いて一切関わらないというのがお父様(エル)の決定でした。なのに、どうして命令に背くような真似を?』

「……さあ、な」


 ようやく絞り出したのは、負け惜しみとも取れる言葉。

 大男の額には大粒の汗が浮かび、スマホを握る右手には血管が浮かび上がっていた。年齢では半分にも達していない小娘を相手に、何も言い返せずに押し黙るしかない。その現実が、大男の高い自尊心プライドをズタズタに傷付けていく。


「貴様には理解できない感情だ。聖霊の力(セインズ)を発現させて、メソロジアの真実を知り、ひいらぎの『物語シナリオ』に組み込まれたエリート様には、私の惨めな気持ちなど一ミリたりとも想像できないだろう」

『では、そのようにお父様(エル)に伝えても?』

「好きにしろ。どうせ何を言っても無駄だ」


 ヤケクソ気味に告げると、電話の向こうから落胆の吐息が返ってきた。頭に血が上りかけるが、怒鳴り散らす寸前で理性が喉に蓋をする。


『現在、ひいらぎ本家では貴方の処分を検討中です。今回の一件だけではなく、界力活性剤アークマイムに関する件でも責任が問われます。いくら聖霊の力(セインズ)に適性のある生徒を探す為とは言え、ひいらぎ本家の反対を押し切った割には成果が少ないですから』

界力活性剤アークマイムに関して反対派だった君からすれば、さぞかし都合の良い展開だな。まるでこれが予定調和だとでも言わんばかりだ」

『ご想像にお任せします』


 四月。

 本土から輸入した界力活性剤アークマイムをラクニルに蔓延させる計画は、第一校区の風紀委員会に所属する精鋭部隊『特殊任務遂行班』の活躍がキッカケになって頓挫に追い込まれている。この件だって、ひいらぎ本家から満足のいく支援を受けられていれば状況は変わっていたはずなのだ。シスターを始めとした反対派から妨害を受けていたと推測しているが、決定的な証拠までは掴めていない。


「それで、本家からの指令は?」

『本家での会議が終わるまで、柊として一切の行動を禁止します。我々の許可なく行動した場合、その時点で反乱の意志ありとみなしますので悪しからず』

「その場合は?」

『キャットを差し向けます。()()()()()()()()()()()()?』


 ぞわぞわっ、と。

 断頭台に立つにも似た悪寒が皮膚の内側を不快に走り回る。


『あの子と真正面からやり合う気があるなら、どうぞご自由に。本当なら今すぐそうしたいんですけどね、キャットも友達を傷付けられてご立腹のようですし。むしろ現状にご納得いただけないのなら、いっそ盛大に反乱とか起こしてみては?』

「冗談は止めてくれ、大人しくホテルに引き籠もっているさ。私があんな怪物に勝てる訳がないからな」

『では、その通りに』


 一方的に通話が切れた。

 黒く染まった画面を少し眺めてから、スマホをセミダブルサイズのベッドに放り投げる。吹き出した汗でグッショリと肌着が湿っていた。壁の姿見に映った自分を見て、大男は思わず渇いた笑みを漏らす。


「成る程、文句なく絶対絶命だな。だがなシスター、貴様は大きなミスを犯しているぞ」


 柊グループにおけるシスターの役割は調整だ。『物語シナリオ』の進行に支障が出ないよう裏工作をする黒子。基本的に表には出てこずに、安全な場所からの指示出しに徹している。


 だが、今回に関して言えば動きが遅い。


 一時的とは言え、調整役のシスターがラクニルの問題を見落としたのは不自然だ。それに、ラクニルを管理する統括議会セントラル如きの指示に従う理由も分からない。面倒な搦め手など使わずに、始めからキャットを投入すればここまで状況がこじれる事はなかったのに。

 

 何かある。

 シスターが満足に動けなくなるような異常事態イレギュラーが発生していると考えた方がしっくりくる。


「ならば、私にだってやりようはある」


 がんの深いギョロ目に、ギラギラとした光をたぎらせた。


「第一校区の秘密……いや、『楽園ラクニル』と言うべきか。素体サンプルの存在も掴んでいるんだ、術式のピースは全て揃っている。後は邪魔になりそうな連中を消しさえすれば……」


 大男は柊グループではなく、自分自身の目的を達成する為に行動を開始する。

 それは、一つの物語の始まりを意味していた。



      ×   ×   ×



 翌日、木曜日。

 とお商業地区マーケットにある総合病院の一室にいた。


 時刻は午後五時を回っている。


 すでに病室の窓から差し込む陽射しは茜色だ。とは言え、目覚めたのがつい数時間前だから夕方という感覚は希薄だった。覚えているのは、きりさわなおと一緒に黒い狼の背中に跨がって病院に着いた所まで。気が付けば治療も終わっていたし、体や髪だってお風呂に入ったみたいに清潔になっていた。極め付けはホテルみたいな一人用の病室。様子を見に来たナースさん曰く、全て早乙女さおとめみやが手配してくれた特別待遇らしい。


『マッキーごめんにゃー、今回はあんまり力になれなくて』

「そんな事ないよキャット、すごく助かったから」


 スマホから聞こえてきた少女の声に対し、ベッドに座った真輝は首を横に振った。


『それで、体は大丈夫なのか?』

「うーん、微妙かな……痛みはまだ消えてないし、傷口が完全に塞がるまではミイラみたいに包帯グルグルだし。お医者さんからは絶対安静だって言われたから、しばらく学校を休む事になりそう。まあ、杏子さんに怪我がなくてよかったよ」


 仕事で本土に出張している養親りょうしんにはすでに連絡済だ。すごく心配してくれて、仕事の都合を付けられるおさんだけでもラクニルに帰ってくるらしい。


「キャットこそ、大丈夫だったの? 全然連絡が取れなくなったから心配したんだよ」

『うん、もう大丈夫! 難しい話は全部カスミンが片付けてくれたし。本当なら今すぐマッキーに会いに行きたいんだが、()()()()()()()()()()()()()()()。ま、さっさと終わらしてラクニルに戻るよ。三週間後には天星祭プラネットもあるしにゃ!!』


 にゃははは! とキャットはいつもの甲高い声で陽気に笑ってみせた。


『ああそれと、マッキーが気になってそうな事を調べておいたぜ』

「ありがとう、助かるわ」

『「実験」の責任者だったかなはらこうかつは今日の午前中に逮捕されたよ。明日にでも本土の刑務所に身柄が引き渡されるってさ。流石にもう死ぬまでシャバには出てこられないと思うぞ』

「もう一人の協力者は? かなはらこうかつを刑務所から出所させたり、実験装置や資金を援助してた黒幕がいるんでしょ?」

『そっちに関してはあーし達で対処しておいた。マッキーが気にする必要はないよ』

「……曖昧な答えね」

『マッキーにも伝えられない情報があるのさ、察してくれると助かるにゃ。何にせよ、「実験」は完全に終わったんだ。これからは何の気負いもなく高校生活を楽しんでくれ!』


 こうも堂々と隠し事をされると逆に問い詰めにくくなる。まあ、腹の内を探り合うような交渉になったとしてもキャットの裏を掻けるとは微塵も思わないが。


「じゃあさ、どうして今になってあの『実験』が再開されたの?」

『そいつは、答えるのが難しい質問だにゃ』

かなはらこうかつの研究である『魂の解明』は利用されただけだった。全てを仕組んだ黒幕の目的はそこじゃない。それくらいは分かってるよ。……訊き方を変えるね。今回の一件は、私が『実験』の最後におくげんに入った事とか、白い界力光ラクスを放った事とかが関係しているの?」


 無言の間があった。

 シーツを握り締める音だけが、穏やかな病室の空気を揺らす。


擬神体質イミテーション

「?」

ごくわずかとは言え、聖霊の力(セインズ)を扱える界術師の特異な性質をあーし達はそう呼んでいる。黒幕の目的は、本来なら先天的にのみ発現する擬神体質イミテーションを後天的に手に入れたマッキーだ。その方法論を確立できれば、人工的に聖霊の力(セインズ)を扱える界術師を生み出せるからね』


 全く理解ができなかった。

 教科書でも朗読するみたいな口調で告げられたキャットの言葉が頭に入ってこない。横文字や略称が飛び交う専門家の会議に参加した気分。基礎となる情報が完全に不足していた。


『話せるのはここまでだにゃ。まあ、人前でげんてんえいしょうは使わない方がいいだろうね。もう二度と「裏側」に関わりたくないのなら。白い界力光ラクスを放てる事を知られるのは厄介だし』

「……分かった、気を付けるわ」

『素直でよろしい! じゃあなマッキー、天星祭プラネットで会おう!!』


 通話を終了すると、真輝はスマホをベッドの脇に置いて天井を眺める。

 頭の中に居座っているのは、敢えて口にしなかった一つの質問だった。


 神出鬼没で、正体不明。

 常識や現実に囚われない、全てを超越した存在。

 

 では。

 そんな何でもアリなネコミミ少女が、どうしてとおの事を気に掛けているのだろうか?


 擬神体質イミテーション、とキャットは言った。

 答えについては簡単に推測が立つ。いやむしろ、その可能性しか考えられない。そう瞬時に判断したからこそ、答えを聞くのが怖くて質問するのを躊躇ったのだ。


「(そうだとしたら、ちょっとさびしいかな)」


 キャットにどんな思惑があったとしても、真輝にとってはもっと仲良くなりたい友達だった。何を考えているかは全く分からないが、キャットだって少しは同じ気持ちだと思いたい。最後にコッソリと機密情報を教えてくれた事にだって、きっと何か意味はあるはずだ。


 コン、コン、と思考を遮るノックの音。

 どうぞと声を掛けると、病室の扉が開いて学校帰りと思しきかたばねしょうが姿を見せた。


「真輝ちゃん、お見舞いに来たよ!」

「ごめんね、わざわざ足を運んでもらって」

「ううん、気にしないで。でも安心したよ、思ってたよりも元気そうだし!」

「まあ、院内着の下は見るも無惨にズタボロだけどね……」


 パタパタとスリッパを鳴らしながら歩いて来た翔子は、丸椅子を用意すると腰を下ろした。


 真剣な表情になった真輝は、話せる範囲で今回の事件について説明する。 

 ラクニルの『裏側』を噂程度にしか知らない翔子とって、理解できる内容ではなかっただろう。荒唐無稽なストーリーだし、重要な部分は守秘義務のせいで言葉を濁すしかない。それでもじっと聞いてくれて、最後には薄らと安堵の涙まで浮べてくれた。本当に良い友達に恵まれた。翔子にはどれだけ感謝の言葉を重ねても足りる気がしない。


「そう言えば真輝ちゃん、ちょっと気になったんだけどね」


 一通り話し終わったタイミングで、にこにこ笑顔の翔子がそう切り出した。


「霧沢君と何かあった?」

「ぶふっ!? な、何かって……?」

「霧沢君さ、学校で真輝ちゃんの事を『真輝』って呼ぶようになってたの。で、真輝ちゃんだって説明してる時に『直也君』って呼んでたよね? 何の理由もなくお互いが名前で呼び合うようになるとは考えにくいなーって」

「……あー、なるほど」


 いつもの癖で否定しそうになったが、寸前で思い直す。


 きりさわなおの事が好き。

 意識すれば顔が熱を帯びそうになるのだが、もうこの気持ちから逃げないと決めたのだ。ならば、ここは恋愛において大先輩に当たる翔子に助言を貰うべきだろう。


 恥ずかしさはあった。


 だけど、翔子なら問題ない。

 心の最も脆い部分を晒しても大丈夫だと信じられる。


「ねぇ翔子、ちょっとその事で相談に乗ってくれない?」

「うん、喜んで!」



      ×   ×   ×

 


 同じ頃。

 あいその研究地区アカデミーにあるラクニル総合医療センターの研究棟にいた。


 弟であるあいひろふみが入院している病室である。

 当の本人は無理やり病院から抜け出した事が原因で、朝からずっと検査を受けていた。幸い、どこにも異常は見つかっていない。今はヌイグルミ顔の医者と診察室で話しているそうで、もうすぐ病室に戻ってくると連絡を受けていた。


 濃い夕焼けに沈んだ病室を見回して、深園は小さく息を吐き出す。


 昨晩の事を思い出すと、今でも体が震えそうになる。

 とおとの戦闘に敗北後、裕史と一緒にこの病院まで徒歩で逃げ帰ってきた。事情を把握しているヌイグルミ顔の医者に治療してもらい、そのままここで一晩を明かす。とても学校に行ける状態ではなかった為、今日は病院内で適当に時間を潰していた。通学鞄に入っていたライトノベルは早々に読み終わってしまい、今はスマホでネットニュースを流し読んでいる。


 少しして裕史が戻ってきた。

 

「姉さん、話があるんだ」


 ベッドに座って落ち着いたタイミングで、裕史から改まった口調で告げられた。母親似の優しげな顔は、見た事もない程に真剣な色で染まっていた。揺るぎのない眼差しを向けられて、思わず深園は身構えてしまう。


「なに、裕史?」

「僕、手術を受けたいんだ」


 頭が真っ白になった。

 唖然と固まった深園に対して、裕史は決然と続ける。


「手術の危険性については、さっき先生から説明してもらったよ。……正直、すごく怖い。今すぐに目を瞑って、現実から逃げ出したい。だけど、それ以上にさ、前に進みたいって思ったんだ。真正面からこの病気にちたい……母さんを殺した理不尽な運命にリベンジしてやる為に」

「……そっか」


 言いたい事は山ほどある。

 だけど、それらを全て飲み込んで深園は頷いた。


「だったら、私も覚悟を決めないとね」


 結局、まだ何も終わっていない。

 統括議会セントラル飼い主(ハンドラー)からは何も連絡がないままだ。飼い主(ハンドラー)に関して言えば、逆にこちらから電話してみても通じない。任務に失敗した昨晩の時点で制裁を受ける可能性もあったのに、今もこうしてお咎め無しが続いていた。 


 きっと、どこかで誰かが事態に収拾を付けたのだ。

 漁夫の利を狙う第三者が、醜い欲望を満たして薄汚い利益を享受する為に。

 

 だけど、いつまでもこの偽りの平穏が続く訳がない。

 飼い主(ハンドラー)がいなくなっても『リスト』から抜けられる訳ではないし、今まで犯してきた罪の清算が必要になるかもしれない。裕史の手術代だってめんできる見通しは立っていなかった。


 問題は山積みだ。

 それでも、悲観的な気持ちになる事はなかった。


「お願い裕史、私に力を貸して」


 だって、今は。

 もうひとりではないのだから。




 ちなみに。

 深園が流し読んでいたネットニュースには、こんな記事が掲載されていた。


『本日の正午頃、工業地区プラントの廃棄物処理施設にて三十代男性の遺体が発見されました。遺体には暴行を受けた跡があり、また貴重品の類いを身に付けていなかった事から、警察は事件の疑いがあるとして捜査を……』

最後まで読んでいただき本当にありがとうございました!

これにて第5章『トゥルー・ブレイズ編』は完結です!

本編の解説や裏話、今後の展開については、同時投稿の『あとがき』を読んでみてください!

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