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メソロジア~ブラック・ストーム~  作者: 夢科緋辻
第5章 トゥルー・ブレイズ編
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第28話 夜空を渡って

 とおは水の枯れた噴水の縁に腰を下ろしていた。


 辺りは先刻までの戦闘が嘘みたいに穏やかだった。夜風に揺れるライトブラウンの長髪は、月華を吸い込んで絹のように透けている。一桁シングルの少女はすでに移動しているのか、木の陰から人影はなくなっていた。

 戦闘で付けられた傷口は塞がりつつあった。西洋剣ロングソードの直撃を受けた左腕は不快な痺れと熱を帯びているが、痛みを無視すれば無理やり動かせそうだ。建物の外に出たお陰で耳鳴りは止んでいるし、かなはらこうかつに乱された精神もすっかり元通りである。


「(冬服ブレザー、新調したばっかりだったのになぁ……これじゃもう着れないか)」


 赤く彩られた第一校区の冬服ブレザーやブラウスを見て、真輝は大きく溜息をく。こんな風に、どうでもいい事に気を回せるくらいには体も心も回復していた。全身を覆う気怠さは消えていないが、取り敢えず山場を越えたと見ても問題ないだろう。

 

「お待たせ、真輝」


 背後の廃墟から出てきたきりさわなおに声を掛けられた。隣を歩くとお杏子あんずは誰かと通話中なのか、スマホを耳に当てたまま噴水の裏側へと回っていく。


「(また、名前で……)」


 さっきから、直也にまた『真輝』と呼ばれていた。理由は不明。直也の態度に変化がないため、何か特別なキッカケがあった訳ではないのだろう。だが別におかしい事ではない、かたばねしょうかみやなぎたかすみなど仲の良い友人からは名前で呼ばれているのだから。


「……、」


 トクン、と甘く胸が疼く。


 魔が差した、のかもしれない。

 じっと直也を見詰めると、唇を震わせながら言ってみた。


「あの……な、直也君」

「……?」

「何よ、その変な顔は」

「いや、急に俺を名前で呼んだから」

「そっちだって、私を『真輝』って呼んでるじゃない」

「……あ、ごめん嫌だった?」

「別に、嫌じゃない……私、この名前は好きだから」


 かあぁ、と頬が勢い良く熱を帯びていき、羞恥心に堪えられず顔を伏せてしまう。のれんみたいに垂れ下がる前髪。ちらりと隙間から伺ってみると、直也は切れ長の両目をぱちくりとしばたかせていた。ふっと表情を和らげて、嬉しそうに首肯する。


「分かったよ、真輝。それで、さっき何か言いかけた?」

「あー、えーとね……」


 すぐ隣に腰を下ろした直也に対し、真輝は頬に薄くあけを乗せたまま、


「後始末を全部任せてしまったから、申し訳ないなって思って」

「気にするな、真輝は耳鳴りのせいで建物に近づけないんだから。かなはらこうかつは拘束して室内に放置してきたよ。実験装置については警察に任せるつもり、素人の俺達が勝手に触らない方が賢明だろうし。風坊にも確認させたけど、廃墟内には誰もいなかった。取り敢えずはこれで解決って感じかな」

じゅうを召喚したの!? 杏子さん、何か失礼なこと言わなかった?」

「差別の事を気にしてるなら大丈夫、驚いただけだったよ。むしろ興味津々に色々と聞かれたな。杏子さん曰く、親の世代だったら警戒心もあるだろうけど、今の若者はそこまで気にしないってさ。まあ、俺が真輝を助けたから信用してくれたのかもしれないけど」


 国民感情的に嫌いな国があっても、その国出身の留学生とは友達になれるような物だろう。為人ひととなりさえ知ってしまえば、相手も同じ人間なのだから毛嫌いする理由はなくなる。時間の経過により差別に至った経緯が曖昧になっているなら尚更だ。

 当の杏子はというと、スマホを耳に当てながら誰もいない空間に頭を下げていた。話し声までは聞こえないが、恐らく職場の上司か同僚にでも謝っているのだろう。完全に社会人としての姿である。


「でも直也君、どうしてここが分かったの?」

「真輝の家に行って、テーブルの上に置きっぱなしになってた紙と写真を見つけたんだよ。真輝もあの紙でこの廃墟に誘導されたんだろ?」

さんな方法よね。杏子さんのスマホで私にメッセージを送れたんだから、もっと他に方法がありそうだけど」

「『リスト』や裏技を使えないから、敵さんも綱渡りをするしかなかったんだろうな。単純に判断を間違えるくらい焦ってたって可能性もあるけど」


 直也は夜空を見上げたまま、雑談でもするみたいに続ける。


「本当は真輝に電話でもして確認できたら早かったんだけど……当事者以外は関わるなって京子先生に厳命されてたからさ。色々と調べてる途中で、真輝が家に帰るって言ってたのを思い出したんだ。もしかしたらって向かってみたらビンゴだったよ」

「話は分かるけど……、それって」


 統括議会セントラルが仲介役から降りた危険な状況で、直也は迷わず真輝を助けようとしていたのか?


 理解ができなかった。

 だって、全くもって割に合わないから。


「(なのに、一体どうして……?)」


 眉根を寄せたまま直也を見詰めていると、噴水の裏からげんなりとした杏子が歩いてきた。大きな丸眼鏡が乗った童顔には疲労の色が浮かんでいる。


「どうしたんですか、杏子さん……なんか夜勤明けみたいな顔になってますけど」

「んーいやねー、さっきからずっと職場の人に説明して回ってるんだけどさ……本当の事を話しても誰も信じてくれないんだわ。最終的にはサボるならもっと上手に言い訳しろって言われてる始末……そりゃ向こうの気持ちも分かるけどさぁ」


 溜息を吐いた杏子は、黒いミディアムヘアをガシガシと掻いた。


「(杏子さんには後でちゃんと謝らないと……直也君が話してくれたみたいだけど、私の口から説明するのが筋だろうし)」


 申し訳ない気持ちで杏子を見詰めていると、隣に座っていた直也がスマホを片手に立ち上がった。着信だろうか。真剣な表情になると、そそくさと噴水から離れていく。

 恐らく、電話を掛けてきたのは早乙女さおとめみやだろう。重要な場面で真輝を助けられなかった事を気にして、後始末で色々と融通を利かせてくれているらしい。事件が解決して当事者以外は関わるなという縛りもなくなった為、てらじまの力だって使い放題だ。


「へぇー、ふぅーん、なるほどねぇ」


 楽しそうに両目を細めた杏子が好奇の眼差しを向けてきた。


「……何ですか杏子さん、ニヤニヤして」

「彼なんだよね、まきちゃんが気になってる男の子って」

「は、はあっ!? べ、べべべ別にそんなんじゃないし!」

「否定しても無駄なんだわ、態度を見てれば一目瞭然だし」


 噴水の縁に座った杏子は、取調室で自白を強要する刑事みたいに迫ってくる。


「で、どうなんだい? んー?」

「た、確かに、今回はすごくお世話になったし、何だかんだでいつも相談に乗ってもらったりしてたし、事情を共有できる数少ない相手だし……か、顔とかも、その、好みだけど」

「だけど?」

「確信が持てないのよ……この、気持ちに」

「はあぁーっ」


 杏子は盛大に息を吐き出す。まるで居酒屋で贔屓の野球チームの連敗を嘆く中年オヤジみたいにれた溜息だった。


「まきちゃん、メンドい」

「へ?」

「思春期丸出しで面倒臭いって言ったの。その辺、今時の小学生の方がしっかりしてそうだわ。まあ、普通の女の子に戻って二年しか経ってないから仕方ないかもだけど」


 ままならないねぇ、と杏子は肩を竦めた。反論しようと口を開くも、電話を終えた直也の声に遮られる。

 

「二人とも、京子先生から連絡だ。もうすぐ警察と一緒にここへ着くから、そろそろ移動して欲しいってさ」

「オーケー直也ちゃん、だったら後は予定通りに! ほら、まきちゃんは行った行った」

「え、杏子さんは?」

「私はここに残るんだよ、事件の証人としてね。被害者と加害者が現場に居た方が何と話が早いんだわ。んで、まきちゃんがいると話がこじれて面倒って訳。そもそも大怪我してるんだから大人しく病院に行ってきなさい」

「……でも、」

「それに、直也ちゃんと二人で話せる絶好のチャンスじゃん。それを無駄にするの?」

「そ、そうだけどさ」


 不意に、突風が吹き荒れる。

 夜闇に赤い光芒を飛び散らせたのは、直也がおくげんから召喚した巨大な獣だった。黒い毛並みを闇に溶け込ませる狼。精悍な顔付きに紅い双眸を滲ませたじゅうは、一度だけ周囲を睥睨してから迷わずご主人様に首を擦り寄せた。直也は何度か顎下を撫でてから、慣れた様子で背中に跨る。


「さてさて、思春期まきちゃんに人生の先輩からのアドバイスを進ぜよう」

「?」

「いい加減、自分の気持ちに正直になりなさい。月並みの言葉かもしれないけど、実はこれが一番難しいんだわ。結婚を決める前の私がそうだったみたいに」

「杏子さん……」

「まきちゃんは頭が良くて、変に理屈屋さんなトコがあるからね。偶には直感に従ってみるのも一興だよ。別にいいじゃん、損したって得したって。後で笑い話にできれば全部ハッピーなんだし」


 華麗にウィンクを決めると、杏子は達観したような笑みを浮かべた。それは、家では決して見せない大人としての一面。普段の子どもっぽい仕草や言動からは想像できない程に、その言葉には重みがあった。


「ほら、行っといで! 葛藤を楽しみなさい、そうやって悩めるのは子どもの特権だよ」

「……うん、ありがと」


 真輝はふわふわとした心持ちのまま歩き出す。


 熱にでも冒された気分だった。

 鼓動は痛い程に早くなっていき、恥ずかしさと期待で胸が張り裂けそうだ。湧き上がってくるのは、好きな音楽に大音量で溺れるみたいな心地良さと高揚感。自分で自分を制御できない怖さはあるけれど、胸を焦がす感情に身を任せたいという欲求は次第に強くなっていく。


 赤く色付いた指先を絡めながら近づくと、黒い狼にまたがった直也に手を差し伸べられた。


 脳に浮かぶとあるメルヘンな光景イメージ

 白馬に乗った王子様に手を差し伸べられるという割と理想的なシチュエーション。


「どうした真輝、急に固まって」

「な、なな何でもにゃい!!」

「?」


 茹でられたみたいに顔を真っ赤にしながらも、真輝は直也の手を取った。そのまま後ろに腰を下ろす。チクチクとした毛並みがくすぐったい。背中を軽く撫でると、筋肉の躍動や命の温度が伝わってきた。


「じゃあ行くぞ、しっかり俺に掴まってくれ」

「う、うん!」


 鋭い声に反応して、慌てて目の前に座る男の子の腰に腕を回す。図らずに密着できた状況に唇とあわあわさせていた矢先、がしっ!! と直也に手を掴まれて力強く前に引っ張られた。


「(わわわわわ!? せ、せなっ、背中がっ……ち、ちちち近い近い―――ッ!?)」


 両目を白黒させる真輝を尻目に、黒い狼は力を蓄えるように両脚を低く沈める。ま、待ってぇ! と口にする暇もなく、途轍もない力が暴風となって地面を抉った。


 重力を、振り切る。

 猛烈な速度で大気の層を突き破り、一気に数十メートルは上昇する。急上昇する絶叫マシーンに乗った感覚に近いか。空に押し潰されるような圧力に堪えるので精一杯で悲鳴すら上げられない。


 ふっ、と。

 上昇が止まり、体を浮遊感が包み込む。


 慣性の法則に従って腰が浮いたと理解した途端、きゅぅぅぅ!! と胃の辺りがタコ糸でも使ったみたいにキツく引き絞られた。


「大丈夫か、真輝? 顔が真っ青だけど」

「……訳ない、大丈夫な訳ない!! 無理っ、無理よ無理! 絶対に無理!! 早く降ろしてぇっ!!」

「危ないから暴れるなって。まあ、アドバイスとしては下を見ない事かな。好奇心に負けると後悔するぞ」

「見られる訳ないでしょ! バカ!!」

「もう少し速度を上げてみようか」

「きゃあああああああっ!!」


 楽しそうに笑い声を上げた直也を、真輝は恨みがましく睨み付ける。

 かなりの速度で夜空をはしっているのに、向かい風は殆ど感じなかった。直也がじゅうに指示を出して空気の流れを制御させているのだろう。でなければ、走行中の新幹線の天井に貼り付くよりも悲惨な状況になっているはずだ。


「……ねぇ、直也君」


 心を落ち着かせてから、真輝は小声でたずねた。


「どうして、私を助けてくれたの?」

「……それ、理由が必要?」

「必要よ、だって不安になるから」


 根拠が欲しかった。

 この気持ちの正体を知る為に。


統括議会セントラルが匙を投げた危険な状況……何かあれば、その責任は全て直也君に向かうんだよ。最悪の場合、直也君が『リスト』に入れられる可能性だってあった……それなのに、どうして私を助けてくれたの? 私を助けたって、何の得もないのに……」

「そんなの、わざわざ考えるまでもないよ」


 あっけらかんとした口調で、直也は正面を向いたまま告げた。


「困っている相手が真輝だったから」


 ぽかん、と真輝は口を半開きにして固まった。

 その言葉が予想外過ぎて、すぐには反応できなかったのだ。


「……ふふっ」


 気付けば、口許から小さな笑みがこぼれていた。


「何それ、変なの。全然理由になってないじゃない。少しも、これっぽっちも、理屈じゃない」

「だから言っただろ、理由なんて必要かって」

「そうね。直也君の言う通り、理由なんて要らなかったのかもしれない。そもそも、感情に意味を求める事が間違ってたんだわ」


 多分、始めから疑問なんて存在しなかったのだ。


 ただ、認めるのが怖かった。

 自覚してしまえば、同時に失う可能性も発生する。それはきっと、くしたら二度と取り戻せなくなる大切なモノ。だったら、目を逸らしていた方が遥かに楽だし、理屈を付けて否定するのが賢い選択だろう。


 だけど、今はそう思わない。


 だって、ようやく理解できたのだ。

 誰かを信じられるようになり、本物の繋がりを手に入れた今、とおは初めて自分の気持ちと正面から向き合えた。


「(そっか……誰かを好きになるのって、こんなにも勇気の要る事なんだ)」


 恐怖はある。

 それでも、全く迷わなかった。


 頑張れ、と。

 煙草タバコの香る女性の声が聞こえた気がしたから。


 腰に回した腕に力を入れて、ぎゅーっと直也の背中に頬を押し付けた。かくを打つのは、少しだけ早い鼓動の音。心地良い暖かさが伝わってきて、胸の中を幸福色で染め上げる。


「……どうかしたのか、真輝?」

「別にー」


 淡く色付いた唇に笑みを咲かせ、少女は鼻歌でも口ずさむように言った。


「何でもないわよ、ばーかっ」

毎週火、金曜日20:00に最新話を投稿します!

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