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学園追放。

学校の私

作者: 冴野一期

「――近年『ナノアプリケーション』にて、仮想領域へとアクセスし、一日の大半を共有して過ごす若者が増えています。これについて、どう思われますか」

「まったく不健全なことですな。最近は若者による、とりわけ凶悪な犯罪も目立っていますしね。これは現実の社会を省みず、後先のことを考えない、仮想領域の依存が過ぎる事による現れですよ」

「と、言いますと?」

「最近の若者はね、分からないんですよ。仮想世界であれば、どんな事をしてもやり直しが効きますが、現実で何らかの罪を犯した場合、それがどのような事であれ、明確に残ります。悪いことをしたという証が、二度と消えることはないんです。そんな当たり前の事が、仮想領域への依存度が大きくなるにつれ、見えなくなってしまうんですよ」

「あぁ、なるほど。つまり、現実の大切さが、ネットに依存することで分からなくなってくる、あるいはやりすぎて、歯止めが効かなくなってくるということですか」

「そういうことです。悪いことをしているという意識がね、ひたすら希薄になってくる。大体ね。本物の〝命〟があるのは現実なんですよ。仮想領域のすべては偽りです。超高度AIによって、どこまで詳細に作られたところで、それは現実世界のコピーでしかない。どこまでいっても、言語と数式のみで構築されたものなんですよ。だけど実際の人付き合いというのは、そういうものじゃないでしょう? 普通は学生時代に、そういった諸々のことを学ぶんですがね。現代の若者はつらい体験を忌避します。一時の痛みにいつまでも慣れようとしないんです。私はね、やはりそういった意味では、仮想領域というのは、健全な肉体と精神の育成を、阻害していると思いますね」


 *


 オレたちの体内を流れる、情報流動機関。『ナノアプリケーション』

 都心に存在する、超高度AIとのセッションを確立することで、リアルタイムに計測と演算を繰りかえして並列する仮想領域へと、自意識を落とし込むことが可能になる。

 休日の今朝もずっと、オレは、バッティング練習を繰り返していた。

(ストレート、外)

 予測する。NPCが振りかぶる。スイング。

「っ!」

 読みが的中した。バットの芯で捉えて振りかぶる。反響する振動と、筋肉の躍動が来た。ひりつくような音が、両の鼓膜を一瞬突き抜けた。

(よし)

 何千回と繰り返した記憶。確かな手応え。硬式のボールは、まっすぐに低い空を突き抜けて、守備陣のNPCの間を綺麗に抜けた。

(左中間越え。二塁打は硬いな)

 良い調子だ。現実だと、とうにオーバーワークになっているところだが、この世界では何も問題はなかった。

(体調管理、クールダウン)

 水分は含まない。システムへの命令伝達のみで、宿った熱を適量まで落とす。そして意識を再び集中させてから、オレはバットを構えなおした。NPCのピッチャーが、こっちの状態に気づいて、すぐに投球フォームを取りなおした。守備陣も元の位置に戻っている。

「今日は日曜日なのに、熱心だね。ミツキ」

 その時だった。オレの名前を呼ぶ声がして振り返ると、仮想学園領域にログインした男子が立っていた。ここで指定された、冬用のブレザーの制服を着ている。

「いつも熱心だね。後ろ姿が凛々しいよ」

「……アキ」

 そいつは涼しい顔で、それから芝居がかった仕草で微笑んだ。正直なところ、オレの一番嫌いなタイプだ。細身で茶髪の、いかにもチャラいイケメン野郎は〝肉入り〟だ。DNAアドレスを所持している。

「邪魔すんな、どっかいけよ」

「いいじゃないか。僕、さっき散歩から帰ってきたばかりで暇なんだ。すこしお喋りしようよ」

「うっせぇ、オレに構うな」

「そんなにあっさり袖に振らずとも」

「ウゼェ」

 軽く流すように笑われたオレは、その涼しい顔に向かって、手にしたバットを投げてやろうかと考えた。が、さすがにそれは、システム上の内申点が減算されるだろうと考えて、どうにか堪えた。

「テメェこそ暇なんだな。日曜に〝学校〟に来るなんてよ」

「まぁね。ここは、いろいろ興味深いものがあって楽しいよ。現実の方じゃ、僕は学校には行ってないからね」

 アキは口元を隠すように笑った。

 普通はプロテクトをかけて当然の個人情報範囲。それをなんの躊躇もせずに、オープンリソース化している、そいつのプロフィール。

 長井アキ、男性、十四歳。

 DNA情報を元に構成した、体内の『ナノアプリケーション』を通じて、この場にログインしている。おたがい、現実のどこかに〝身体〟があることは理解していたが、リアルで顔を突き合わせたことはない。

「ねぇ、ミツキ。せっかくだから、僕も一球、挑戦させてもらっていいかな」

「イヤだね。自分でデータ作れよ」

「僕、そこまでの権限は与えられてないんだよね」

 アキは言って、オレの方に歩み寄ってきた。愛想のいい顔で「それ貸して」と、白い華奢な腕を伸ばしてくる。

「おまえ、野球やったことあんの」

「ない。バットを握ったことも無いよ」

「バカにしてんのか」

「え、なんで?」

 整った茶髪野郎の顔が、素直に驚いた顔をした。オレはなにか、ちょっとバツが悪くなった気がして、素直にバットを渡してしまった。

「ありがとう。ミツキ」

 なだされた砂地の上、埋め込まれたホームベースと、計測されて線引きされたバッターボックスの右側にアキが立った。

「おまえ、左利きなのか」

「え? いや、単純に一歩ぶん近かったから」

 ぽかんとした間抜けな表情で、棒立ちに近い格好で言った。NPCのピッチャーが降りかぶって、第一球を投げた。

「わっ」

 外角のストレートが、キャッチャーミットに収まるのと同時か、もしくはそれよりも若干遅れて、アキがバットを振るった。

「速いね。実際に立ってみると、とても当たる気がしない」

「おまえさ。本当に一度もバット握ったことないのかよ」

「うん。初めてだよ」

「ひきこもりか何かか?」

「いや、外に出るのは好きだよ。毎日外出してるしね。学校には去年まで通ってなかったんだけど」

 そういうのを、世間一般はひきこもりって言うんだよ。口にする前に、外からの変化球が綺麗に入る。相変わらずズレたタイミングでバットを振った。続く三球目は、ストライクの枠から、ひとつ分外れた直球だった。

「へゃっ!」

 間の抜けた声をあげて、アキは同じようにバットを振った。たぶん偶然に、バットの端にあたった。完全に力負けしていた。てん、てん、ボールはピッチャーの足下にまっすぐ転がっていったけど、本人は素直に喜んでいた。

「当たったよ! えっと、当たったら、どうするんだっけ?」

「走る。一塁に」

「わかった! それは得意っ!」

 アキが走った。三塁に向かってまっすぐに。

 おまえ、そっちの方が立ち位置から遠いじゃねーか、とか突っ込みたかったが、その前に、走るのは得意だとか抜かしてたアホゥは、直後に顔からこけていた。

「いったたた……」

「なにやってんだよ。バーカ」

 相変わらず、ヘンな奴。

 現実ではどんな奴なんだろう、と少し興味を持ってしまった。せっかくだから、聞いてみようか、そう思った時だった。

『美月さん、今いらっしゃる?』

 自分の中にある感情が、一気に冷めていくのを感じた。

『彩里の叔母様がおいでになられたの。お茶を淹れるから、降りてきて。ご一緒して頂戴』

 現実からの要請。覚醒を促す通信がやってきて、対して断りを入れることは、オレにもできなかった。現実の下に根付いた最低限の人格は失せ、私は応える。

『……わかりました。すぐに行きます。お母さん』

 意識は、現実と呼ばれる領域まで浮上する。


 *


 家にやってきた叔母の話を整理すると、8割は昔話になった。

 それから彼女は、私に強く、現実社会の高校を薦めた。名前だけは覚えているブランド物のバッグから出てきたのは、やはり無駄に高価そうな革張りのファイルケースと、有名学園の案内を記したパンフレットの群れだった。

「美月ちゃん、成績の方は、まったく問題ないんでしょう? こっちの学園はね、テレビでも有名な芸能人や、一流企業で活躍してる御曹司の学生なんかがね、たくさん卒業されていてね。私もこの前、お話させてもらったんだけど」

「わぁ、すごいですね」

 表面上は笑顔で対応した。ただ、ちょっと気弱そうに、積極性が欠けた態度も浮かべておく。要の話には乗らず、けれど相手を不快にさせない程度に、のらりくらりと避けてかわす。

 そういった振る舞いは、得意だった。得意にならざるを得なかった。

「美月ちゃん、今はネットの学園に通ってるんでしょう」

「はい、そうです」

 昔の世代を生きてきた人々は、今も仮想領域のことを〝ネット〟と呼ぶ。

 私たちにとって、もうすでに『現実』と変わりない『もうひとつの世界』だったが、昔の人たちは今も、何故か現実と〝比較しようとする〟。そして、比重としては現実の方が圧倒的だと考えている。

 大人は、不思議だった。

(そんなにも、自分たちの過去が、好きなのかしら?)

 息苦しいことが、生きていくのが辛いことが、世の真理のように告げる。

 苦労して、努力して。何かを失った対価に得ることが、正しい世界と相成っていること、それが人間としての成長に通ずるように告げる。

「私もね。昔はネットに依存していたこともあったけど。今になって思うわよ。やっぱりたくさんの時間を無駄にして、もったいなかったなって」

 私は、その逆だ。

 現実に時間を費やしていることに、無意味さを覚える。たとえば、今もこうして、自分のことを決して〝おばさん〟とは口にしたがらない、たいへん可愛らしい五十間近の少女の話に付き合わされることに。

「ネットもねぇ、どれだけ時間をかけたところで、結局はなにひとつ自分には返ってこないわけでしょう? ほら、たとえばトレーニングやスポーツをしたってね。現実の身体が鍛えられたりもしないものね」

「いえ、反復行動による、応答速度や反射神経は引き継がれます。無論、そのスポーツに関連する技術も同様ですよ」

 口が勝手に動いた。条件反射で、いや、いい加減、長くて無意味な話に、オレは辟易していたのだ。

「環境や状況を大会などの現実に想定することで、メンタル面を鍛えることは大切です。なにより、仮想領域ではケガを負いません。最近ではプロのアスリート達も、基本の筋力トレーニングを現実でカバーして、試合を想定した対人の訓練では、個人やチーム毎で専用の仮想領域を利用しているケースが増えています。実際、そちらの方が、良い結果が出るという解答が多数あるからです」

「……え、えぇと、そうねぇ」

 オレが言うと、五十間近の少女は怯んだ。

「でもね、やっぱりスポーツっていうのは、実際に顔を合わせて、お互いの上下関係を学んだりしながら、交友を保っていく側面なんかもあるでしょう?」

「はい、わかります。やっぱり、皆で力を合わせて何かをするのって、大切なことですよね」

「そ、そうそう。それにね。失敗っていうのは、得難い成功への糧だから」

 その失敗というのが、仮想領域で決して起きないことはない。そして現実での失敗が、すべて成功に繋がる保障というのも、ありえない。

 当たり前のことを、わざわざ口にするのも面倒だった。

「じゃあ、学校の件ね、よかったら考えておいて頂戴ね」

「わかりました。ありがとうございます」

 伝え、隣に座る母をそっと見る。その顔が小さく頷いたのを見て、興味のない紙切れをまとめ一礼してから退室した。

 この肉体が、明日にでもなくなってしまえばいいのに。

 私の、オレの正体はそこに無い。無くていい。あって欲しいと思わない。


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