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小田天庵記  (旧題:戦国アイドル小田天庵)  作者: 山城ノ守
奉公先は名門”おだ”家
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第五話 黒子の敗北戦


「くっ……どこだよ、ここはぁ……」


 昏倒から目を覚ました男は、半身を起こし、見慣れぬ辺りの景色を見回した。

 つい先ほどまで、現代社会に於いて何の変哲のない至極平凡な人生を送っていた男が、人生初の超常体験を迎えた瞬間である。余りに異常な風景を見たとて、容易に自分の置かれた現状を理解するというのは無理のある事であった。


「俺は何をして……痛っ! 駄目だ、頭でも打ったかな。今日一日の記憶がねえや……」


 男は齢十八、九程にして、特徴、特筆すべき点の見当たらない平凡な(なり)をしている。

 出自は平凡な小市民にして、利根川流域に住む、並みの歴史好き以上に歴史を敬愛していることを除けば、何の変哲もない中流階層出身だ。


 服装は現代で身に着けていたラフな服装であり、何をしていたか背丈ほどもある長い鞄と手提げ鞄を一つずつ持つだけである。髪は長くも短くも無く、背丈は現代にしての平均、この時代では若干高身長、体つきは特別鍛えているといった様子ではないが、運動部の学生であるとわかる程度に引き締まっている。

 しかしながら、総じてこの時代に生きる人間の目にしても、服装以外にパッと脳裏に印象を刻むような特徴は無かった。


 男はまだ視界がぼやけ、ふらつく頭を抑えながらゆっくりと深呼吸をする。

 ほどなくして視力、聴力などが回復し始めると、周囲の只ならぬ状況に気がつき始めた。


「いけぇ! 殺せぇ!」

「今だ! 背を討て!」

「追撃しろ!」


 どこからともなくそのような物騒な台詞が聞こえてくる。何より尋常ならぬ騒音と怒声や絶叫、悲鳴が入り乱れる周囲に、寝ぼけたような朦朧(もうろう)とした意識が冷や水を浴びせられたかのように一瞬にして醒める。


 すると、すぐに鉄と草木の入り混じった鼻持ちならない臭いが漂ってきた。


「な、なんだこれ!? 大河か? 撮影なのかこれ!?」


 そこに広がるのは目を疑う荒んだ景色だった。おおよそ現実と思えない男は、元の世界でこの景色を見ることがありそうなことはないかと考えた結果、大河撮影なのではと思い至る。が、それも刹那の間、すぐにこの世界が現実であることを目の当たりにする。


「いたぞ! 大将首だぁ!!」

「氏治! 覚悟――!!」


 此処がどことも、どのような勢力同士が争っているかも男には解る由もないが、それでも数十単位の兵が一人の身分がありそうな鎧を着た将に向かうところを見ると、雌雄がじきに決されるのであろうことは容易に理解できた。


 男はこんな光景をのんびり眺めてなどいないで、すぐにでもこの場を逃げればいいのだが、本人もその判断をしながらも震える足が上手く動かせず、草地から顔だけ出して状況を探るのが精一杯である。


 程なくして、上等な鎧に身を包む一人の馬上の武士に向かって、両手の指の数ほどの軽装の兵士が迫った。


「くぅ……ぬぅおぉぉ!!」


 瞬く間に一人の護衛と思われる兵士が数の暴力によって押しつぶされる。


 男は相変わらず膝が笑い、草葉の陰から動くことができずにいるが、状況は刻々と変化する。その最中で馬上の武士の兜に矢が命中した。


 兜は弾きとび、その内でまとめられていたのであろう、扇子の様に広がる長く艶やかな黒髪がさらけ出され風になびき、柔らかそうに空気を含む。

 体勢を崩して馬に振り落とされるその者の顔には、男っぽく見せるためと思われる化粧が施されているが、華奢な顔立ちと男化粧を施してなお艶やかな唇から、近くで見ていた男にはすぐに女であることが分かった。


「マジで殺しあってる……て、お、女の子!?」

(なんで戦場に女の子が!? つかやばい、十対三かよ! 早く逃げろ!!)


 男は叫びたくても恐怖で声が出ず、擦れた呼吸音を吐きだすなり再び草陰に身を潜める

 そして、己の命の危機に自然と部活道具の弓を手に取り、木に引っ掛けてしならせながら弦を張る。

 依然、目の前では一方的な状況の推移が進み続ける。


「氏治様! どうかお逃げください!ここは我々が防ぎます故」


 泥に汚れ、幾度の歴戦を重ねて傷ついたのであろう甲冑を着た兵士は、完全に振り返ることはせず、目をちらりと一度護衛対象に向けただけで、また敵へと視線を戻す。


「駄目! 三人で背を守りながら戦えばきっと政貞が駆けつけてくれる! それまで一緒に耐えるのよ!」


 氏治と呼ばれた少女は必死に二人の護衛を引き留める。しかし、二人の中年の護衛は氏治を見やった後目を合わせ、互いに肩を竦めた。


「相変わらず殿はお優しい……なぁ?」


「あぁ、俺たちゃ幸せもんさな」


 二人の護衛はそういうとふと笑いながら目を細め、何もない虚空をしばしの時見つめていた。


「な、何言ってるのよ……待って、今……私も立ち上がるから……ちょ、ちょっと待って」


 腰を抜かした様子の少女は刀を地面に刺し、杖の様にして、よろめきながら立ち上がろうとする。しかし小鹿のように震える足は言う事を聞かず、そのまま元の地面にへたり込む。


「腰が抜けちまうとは運がねぇ。こりゃぁ楽にスパッとは逝けねぇな?」


 二人は護衛ではあるが、騎乗もできぬ身分らしからぬ、主君に対して呆れるという行動をとった。護衛二人は何に対してか誰に対してかもわからないが、バツの悪そうな顔をし、再度肩を竦めた。


「あぁ。是が非でも相手に喰らいついて押しとどめねぇと。ははは! 行くぞ!」


 ほんの数秒まで笑っていたとは思えないほど、真剣さと怒りや殺意を交えた顔になり、護衛の二人は敵の集団へ果敢に切り込んだ。


「ねぇ……待ってってばぁ……」


 馬から落とされた武士はいまだに腰も上がらぬまま二人へと届くはずのない手を伸ばす。


「なんだよこりゃぁ……あぁ! くそ!」


 そのあまりにも悲痛な少女の顔と、二人の兵士とのやり取りを見てしまった男は何かを決意したかのような、何かを振り切ったかのように大声を上げて草陰を飛び出した。


「え、ちょっと! 貴方誰!?」


「いいから来い! このままじゃあいつ等の死ぬ意味がなくなっちまう!」


 少女は当然混乱する。敵か味方かもわからない人間にいきなり手をひかれて無理やり走らされているのだ。しかし、そんなことはどうでもいいとばかりに手を引く男は、足を止める様子も振り返る様子もない。


「何言ってるの! 私は彼らを死なせたりしない! 離して! ねぇ!」


「うるっさいな! 俺はいきなり目ぇ覚めたらここで、何が何だかわかんねぇけどよ! 少しの間見てたんだよ!」


 男も、何が何だかわからないまま、思ったことを深く考えることもなく口に出る。


「何を見てたっていうの!?」


 氏治は振り切ろうと振り回していた手を止め、少し戸惑った様子で、男の後頭部を見つめて問う。


「あんたがあいつらに心から愛されてんだなってとこ。初めて見たよ、他人にあんなに優しい目をむけている奴なんか」


「私だってみんなを愛してるもの! だから命がけで私も……」


 いまだに駄々をこねる子供の様に言い返す。しかし、男も負けじと声を張り上げた。


「だから愛されてる側はそんな事望んじゃいねぇんだよ! さっきの奴らはきっと、お前に生きていてほしくて覚悟を決めて死にに行ったんだ。あいつらを愛してるってんなら、その思いぐらい汲んでやれ!」


「……くっ……」


 いまいち矛盾しているような気もする発言だが、少女は勢いに押されて黙り込んでしまった。お互い気が動転し、細かい矛盾をいちいち指摘できるほど頭が回っていないのだ。


「手柄の大将首だ! 逃がしてはならん! 追え、追えぇ!!」


 騎乗した武者が鑓を振り、矛先で逃げる二人の背を指示し、周囲の農民足軽に怒鳴り散らす。すると、生気の擦れた様な目をしていた農民足軽は目の色を変えて、餓えた犬の様に吠えながら打ち刀を掲げて押し寄せる。


「手柄首じゃぁ! わしが、わしが!」

「はよう、はよう討たねば、村に帰らねば畠が……」

「妻に、子に白飯の一つも食わせたいんだ、わしに寄越せぇ!」


(っく、意外に足が、速い!!)


 男は少女を引く手を放すと自分は一歩退き、そのまま少女の背を押し出して自分より前へと送る。


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