第七十五話 三文芝居
後日、八幡と鈍斎は筑波山の麓まで里長の一行を出迎え、領内の案内を申し出る。
八幡は手をもむ様に恭しく、小田城へ行く道中にある領内の名所を紹介して回った。
丁度、筑波山麓と小田城の中間あたりにある北条[地名]に立ち寄ると、八幡と鈍斎、里長とその護衛の幾人かの忍びで形成された一行の下へ、一人の足軽が駆け寄った。
八幡は足軽から書状を手渡され、慣れた手つきで開き黙読する。
「う~む、手塚殿は今仕事で小田城に居られるのですが、今使いを出したところ小用で少し空けるそうなので、ゆっくりとくつろぎながら来られますように。とのことです」
八幡は少し残念そうにそう告げると、里長も致し方ないといった様子で馬から下り、辺りを軽く見まわした。
「左様ですか。では、ここらで休憩でもしませんかな?」
「それは丁度良いですね! この北条の地には丁度桜の名所があるのですよ。満開とはいかないでしょうが、まだ散りきってはないはずです。大池という池に桜を映し、筑波山を借景とする景色はまた風流なのです。そこで休憩といたしましょう」
「それはよいですなぁ。ぜひともお連れ願いましょう」
里長は笑みを浮かべて八幡の意見に賛同を見せるも、小声で隣にいるくノ一に忠告した。
「雀羅、警戒は怠るなよ」
「はい!」
里長の言葉に、八幡はここぞとばかりに満面の笑みを浮かべ、慣れぬ風流なぞを語って見せる。
里長は満足そうに頷きながらも、護衛の者たちは小田家側から指定された場所であるがゆえに、伏兵などがいるのではと警戒し、一人の男が一行を抜けて先行し、偵察に向かう。
「はっはっは、こりゃ失敬。若い衆は何かと警戒心が強くてなりませんな。臆病ゆえの行動です、ご容赦くだされ」
「いえいえ、何か裏を疑われてもやむを得ませぬ故、こちらも気にしてはおりません」
里長が内心どのように警戒しているかなど、八幡の知るところではないが、少なくとも八幡は本当に何もしかけるつもりがないので、両者とも笑顔で和やかなまま歩を進めた。
二人の話がひと段落し、里長が護衛の男や雀羅と呼ばれた少女に話をかけ始めると、なぜか鈍斎が不機嫌そうに肘で八幡をど突き、小声で話し始める。
「うげ、なんだよいてぇな……」
「貴様が風流なぞ解るものか。知った口を」
「そんなことかよ……いいんだって、そんなことは。もてなす気持ちってのが大切なんだからな」
こうして、一行は大池にある桜の名所へたどり着くと、荷をほどき、軽食と僅かに持ってきていた酒を汲んで各々が花見を楽しみ始める。
里長が「散りかけの桜もまた一興ですな」などというと、八幡も「貴方方の里のある筑波山の借景が美しいから桜も映えるのです」などとお世辞を練り込んだ上辺ばかりの世間話でしばらく時間を潰す。
そうしてしばらくのんびりと休息を取っていると、どこからともなく美しい笛の音が聞こえてくる。
「ん? これは……なかなか良い笛の音ですな。はて、あそこに見える姫君は小田家の御方ですかな?」
笛の音に釣られるようにして、里長はゆっくり音のする方角を振り返り、一人の少女を目に捕えた。
「えぇ、おそらくそうでしょうが、此処からではどこの姫君かはわかりませんなぁ」
「何を言っているんだ? あれは氏、ン、ン~!!」
八幡は我ながらヘタな芝居だと感じつつも、精いっぱい自然にふるまう。
その意図を知らない野中瀬が口を滑らせそうになると「まぁ、お前も飲め」などと言って、盃に入った酒を無理やり口に流し込んで口封じをする。
「小田家にもかような方がおられるとは……血筋ばかり自慢するしか能のない上方崩ればかりと思っておりました。この点は謝罪いたしましょう」
「いえいえ、いいんです。実際にそういう方もいますから。しかし彼女はどこの高貴なお方なんでしょうね~。あんな立派な衣服に身を包んでいながら、子供に読み書きや楽器を教えているようですねぇ」
よく見るとその姫姿の少女の周りには二十人ほどの子供が居り、半数は墨と紙を、もう半数はお手製と思われる竹笛を持参していた。
会釈程度の謝罪を八幡にした後、すぐに顔を挙げた里長は、肩の力を抜いて染み入るようにその笛の音に聞き入っていた。
「娯楽の無いこの片田舎では、此処まで綺麗な音はそう聞けませんな。農夫の方々もまた、大層あの姫君とも親しそうで……いやはや、この光景を眺めていると、何やら幼少に聞いた将門様の話を思い出しますな……」
その様子を見て傍に控えていたくノ一は、慌てて里長の体を僅かにゆすり、小声で正気になるように促す。
「長! 気を抜きすぎですよ!」
「はぁ、お前は無粋だのぅ……黙っておれ」
「むぅ……」
里長のためを思ってやったのに不機嫌そうに注意されると、くノ一は不満げに頬を膨らませる。
「そういえば、平将門公は下総から南常陸の辺りが本貫地であったとか。丁度このあたりで生まれたんでしょうねぇ。いやぁ、感慨深いものです」
八幡は、前日の帰宅直後に平将門関連の資料を集めて読みふけり、家中の知識人を当たって集めた情報で将門の話を振り、殊更に常陸との繋がり等を強調して話し始めた。
「ほぉ、貴殿、昨日のことでもしやと思ってはおったが、将門様を崇拝しておられるか?」
「いや、まぁ、崇拝とまではいっておりませんが尊敬はしておりまして。されど貴方様ほどは詳しくないので、この折に親しくなって、そのお話も聞けたらなと思った次第ですよ」
里長の問には、謙遜する素振りを見せて自らを浅学な者だと嘲笑する。そうすることで、里長をたてて興味のある姿勢を見せ、話に食いつかせる。
「ほぉ、それはそれは。ふむ、貴殿は何かと他の武士とは違って高圧的でないし、何かと馬が合いそうですな。よろしい、貴方様個人に貸すとあらば一人ぐらい里のものをお貸ししましょう」
「いや、それは実に有難い! しかし、私が高圧的でないのは当然でございましょう。なぜなら私は元々しがない農民でしてね。武士と呼ぶには程遠く、刀の一振りにも作法がわからぬ次第。できる武芸は弓ばかりで、それもまた農民らしく狩猟程度の技術ですよ。これで何ゆえに、貴方様方のような立派な術を身につけた方々に、高圧的に出られましょう?」
徐々に好感度が上がっていることを察した八幡は、大げさに喜んで見せ、さらに自らを卑下しつつ、農民だと名乗ることで親近感を抱いてもらおうとさらなる接近を試みた。
「なんと! それはまことか!?」
「はい。嘘偽りなく」
驚く里長に真顔で頷く。すると、くノ一が里長の肩口を指先で数回たたき、小声で八幡の話を裏付ける情報を流す。
「長、こいつの言う事は本当です。見るからに足運びが下手だったので、昨日もあっさり人質にできましたし、全く持って抵抗の意志もなく、その後もずっと隙だらけ。気を隠せる名だたる剣豪もこうはならないでしょう」
「左様か……」
里長は意を決したように真顔になり、先ほどまでの和やかな空気はどこかへ流れ、八幡と対面の位置に座り直す。
「うむ、八幡殿、貴殿はそれなりの身分をお持ちとお見受けする。農民である貴殿が武の力もなしに、どのようにしてそこまで上り詰められた?」
「そうですね……私は農民の暮らしが良くなるように農法を少しばかり助言したり、いろいろと少しばかり奇抜な提案をしてみただけですよ。それが気に入られて今の地位に至ります」
里長は何かを吟味するように数回、深く頷いていた。
「そうか……貴殿の案も良かったのだろうが、農民の言葉に耳を傾け、実行して民の為に政を行う……少々興味深い御仁ですな。不躾ですが、よろしければ一度お目に掛かることは叶いましょうかな?」
里長が、小田家に興味を抱いてくれたことに諸手を挙げて喜びたいところであったが、そこは逸る気持ちをどうにか抑え、あくまで真剣の表情を作ったまま返事をする。
「それは、当主様の予定にもよりますが、おそらくは大丈夫かと。手塚殿にお会いするついでに会って行かれるとよいでしょう」
「かたじけない」
此処で会話が一度途切れる。
すると、機を計るように笛の音も聞こえなくなる。それに気づいた八幡が少女の方を見ると、そこには岩のような体躯をした巨人が立っていた。
「……と、噂をすればなんとやら。あそこに見える巨体は手塚殿ではありませんかね?」
「ん? おぉ! 紛れもなく手塚殿ですな! ははは、久方ぶりだというのに、此処からでも一目でわかる御仁だ。あの姫君に近づいて行かれるようですが、もしや手塚殿の娘様ですかな?」
八幡に促されて里長が振り返ると、一目でわかるその巨体を見て楽しそうに親しみのある笑いを浮かべ、体の向きをそちらに直す。
「はて、どうでしょう? 良く見えませんので、一先ずあそこまで行ってみましょうか」
八幡が問いかけると、里長は無言のまま一度だけ首肯して馬の背に跨がる。
ある程度の距離まで近づくと、二人は馬を降りる。すると、八幡が声をかける前に氏治に見つかって声を掛けられる。
「あ、八幡じゃない。こんなところで何を……また太兵衛や葵ちゃんに任せて仕事をさぼってるんじゃないでしょうね!?」
「私がいつサボったというんですかねぇ。いつも懸命に働いてるじゃないですか。それに、今はお客人の前なのでそれは後に」
「……で、こちらの方は?」
氏治が初めて見る顔に不思議そうに首を傾げ、八幡に説明を求めると、その背にじゃりじゃりと砂を踏み鳴らす音をたてながら手塚石見守が晴れやかな、そして暑苦しいまでの満面の笑みを浮かべて近づいてくる。
「おおお! 里長殿ではないか! よくぞ参られた! よもやこんなところで会うとは思わなかった故、何の出迎えの支度もできておらぬが歓迎いたしますぞ! 酒宴の方は城に戻ってから飲み比べ、語り合って夜を明かそうではないか!」
「え? 手塚の知り合いなの?」
氏治は目を丸くする。
「左様なのです。この方は筑波の隠れ里の長をしておりましてな、様々な妙術の手練れでございますぞ。おぉ! そうだ! 鈍斎もおるではないか! 長殿、歓迎の支度は何もできてはないが、一つ満足されるものをお見せできる。せっかくだから楽しんでいかれよ」
「ほぉ、先ほどの笛の音、手塚殿とこちらの少年少女とで合奏でも聞かせていただけるのですな。それは楽しみですぞ」
手塚石見守は氏治や鈍斎の意見などまるで聞く様子もなく、どんどんと話を進めてしまう。二人の少女はそれに慣れているのか、呆れたようにため息を吐くだけで、大人しく事の成り行きを眺めていた。
「なら話は決まりですな。よし、楽器の支度はこちらで致す故、鈍斎と八幡殿は近くの村にこのことを触れて回って来てくれぬか? きっとどこの村でも喜び勇み、こぞって駆けつけようぞ」
「了解です! さぁ、行くぞ鈍斎」
「えぇ? あ、あぁ……」
鈍斎は、なぜ八幡がこんなにもやる気なのかは理解できないまま、ひかれるようにして馬に乗り、近隣の村へこの事をふれて回った。
そして二人が戻る頃には手塚石見守と氏治も楽器の支度を終え、鈍斎に笛を渡すと氏治は琴を、手塚石見守は太鼓を使って演奏を始めた。
演奏を始めると、次第に気分が高揚した村人たちは思い思いに踊りはじめ、最初は子供を含めて百人満たなかった観衆も、いつしか続々と集まり、演奏が終わるころには倍の二百人を優に超すまでに増えていた。
その様子に里長や護衛の一行までもが舌を巻いて見守った。
「どこの姫君かは存じませぬが、高貴な身にある御方が皆ああだといいですな……ああいう方が統治者となって下されば、民も笑って暮らせましょう……」
「そうですねぇ……ところで、言い忘れてたことが一つあるんです」
里長が感じ入った様子で喧噪の余韻に浸っていると、八幡ものんびりとした声色で言い忘れがあったと告げる。それに対し里長は首を傾げる。
「はて、なんですかな?」
「えぇ、ちょっと……おーい、氏治様! 少々こちらまでご足労願えますか?」
八幡が呼びつけた少女を、様付したことに一行は疑問を抱く。
「八幡殿が様付……ご領主の娘か何かでしょうかね?」
「おそらくはそのぐらいの身分があろうな。まるで警戒心がない様だが大丈夫であろうか……? まぁ、手塚殿が護衛しているからという事もあろうが……」
里長とくノ一が小声で話をしているころ、氏治は珍しく様付で声をかける八幡を訝しむ目で眺めつつ歩み寄ってくる。
「な、何よ気味が悪いわね……どうしたの?」
「いえいえ、なんでも」
八幡は、氏治にまともな返事どころか目線も合わせずに一言で返す。
そして自分の隣に御座を敷き、そこをぽんぽんと軽く叩く。氏治はそこに座るのを無意識に一度だけ躊躇うが、すぐに気を取り直してその場に座った。
「ところで八幡殿。今お呼びなさったこちらの姫君は、いったいどのようなお方で?」
里長は至極当然の疑問を投げかける。
すると八幡は、深く呼吸してためを作ってから淡々と告げる。
「えぇ、この姫君こそが我等の領主、小田讃岐守氏治様なんですよ」
「……はあぁ!?」
(まぁ、当然驚くよね~)
くノ一は声を上げて驚き、里長も目を見開いて口を最大まで開いて固まってしまっている。しばらくして里長は苦笑いしつつ冗談であろうと手塚に問いかける。
「な、八幡殿もお人が悪い。からかうのは程ほどにしてくだされ。なぁ手塚殿?」
「うむ? なんじゃ、八幡殿。説明しておらなんだか。それは驚くであろうよ。誰もこんなに見目麗しき娘が、大名をやっておるとは思うまい」
「そ、そんな……手塚殿……誠、なのですか?」
「うむ。いかにも」
手塚石見守がなんてことの無いように言うと、手塚の嘘をつかない性格を知っている里長は信じ込み、再び驚き唖然とする。
「ふ……ふふ、ふはははははは! なるほど、そうか、そうかそうかそうか!」
「ど、どうしたんですか長!」
突然馬鹿笑いをし始めた里長を見て、くノ一を含めた護衛一同は動揺し駆け寄った。
「いやなに、考えてみれば馬鹿馬鹿しい。八幡殿。貴殿はなかなか策士ですな! こんなに綿密に計画を練って三文芝居を打ち続けていたとは! いや天晴れ! 実に楽しませていただきましたぞ」
「はは、そりゃ何よりですよ」
「どうしたんですかってば長!」
くノ一はいまだに状況が呑み込めないらしく、笑い続ける里長の体を大きくゆすって説明を求めた。
「くく、八幡殿はこれを、このお方を我々に見せたかったのだ。我等を口説く為にな。こうして自然な姿をさらさせ、我等の信頼を勝ち得るために。手塚殿と氏治殿の顔を見れば、そして村の集まった観衆の顔を見れば、この場は我等を懐柔するために作られた偽の席でないことがよくわかるわい! はっはっは!」
「ご理解いただけて何よりです。……さて、いかがですか? 我等の自慢の当主様は。まだ幼く弱弱しさはありますが、将門公の再来……そうは思いませんか?」
八幡はニヤリとからかうように小さな笑みを浮かべる。里長もそれを聞いて小さく笑いをこらえていたが、しばらくするとそれも収まり、顔をまじめな物へと戻して座も正した。
「うむ、灯台下暗しとはこのことを言うのでしょうな。伊豆などと遠くに思いをはせずとも、こんなに近くに我等の理想があったとは……それに、氏治殿は何かと将門様に接点があるように思える」
里長は氏治へ向き直る。
「氏治様!」
「ひゃい!」
不意を衝いて叫んだ里長の声に驚き、氏治は甲高い声を上げる。
「手前共、飯母呂の里は将門公が没されてのち数百年、如何なる勢力にも頭を垂れぬことを誇りとしておりました」
「ぇっと……はい」
「されど、今この光景を見て代々の申し伝え通りの君主を今見咎め、我等は恐懼感激の至り。伏して、伏してお願いいたし申す! ぜひ我々飯母呂の里を小田家の末席にお加えくださいませ!」
氏治は適当に相槌を打っていたが、土下座をして支配下に置いてほしいと頼まれると、全く状況を理解できずに戸惑う。
しかし、深呼吸をして落ち着きを取り戻すと、現状を深く理解しないまま、すっと立ち上がり、その場の勢いで宣言をする。
「え、えぇ? ……わ、わかったわ! 任せて! 私は私の民を決して見捨てない! 臣従を求められたからには貴方たちも絶対に守るから!」
立ち上がる氏治を見上げていた里長だが、氏治がそう宣言するともう一度深く頭を下げた。
「はは! 有難き幸せにございまする! 我等の妙、小田家の為にすべてを尽くすことを誓いましょうぞ!」
こうして八幡は飯母呂の里を小田家に組み込むことに成功し、里長の一行はこの後小田城で宴が開かれて存分に持て成され、飯母呂側からの申し出で誓紙を献上すると、一行は別れを告げて里へと立ち帰った。
八幡はのちに飯母呂の里に二十貫を与え、さらに里の産物である柿から柿渋を作らせて買い取り、引き網漁に使う網の加工に用いた。さらには柿や茶葉を小田に卸す事で里の収入を増やす手助けをして利を与えた。