第四話 軋む家中
小田家の旧領を回復させ、戦国大名へと押し上げた先代政治の名君としての名は関東中に知れている。まだ負け戦ばかりとはいえ、その子である氏治を警戒する者も多く、代替わりで家の統率が執れていない時期に領土を奪い取るというのは戦国時代ともなればある程度一般的な考えでもある。
まして、混沌続く関東では代替わりへの侵攻はご祝儀やご挨拶とも言える一般的な行動であった。
「た、大変! みんな! 平塚山城守と長春、長信兄弟を救出に行くわ! 後に続いて!」
議論が行われる広間に駆け込んだ伝令の一言を聞くや否や、氏治は立ち上がってそう叫んだ。
これには一同は一様に驚いた様子を見せ、すぐさま出陣を撤回させるべく言葉を尽くした。
まずは、出家に伴い坊主頭となった恰幅と貫禄のある重臣、赤松擬淵斎が止めにかかる。
「氏治様、海老ヶ島は小田家の中でも要害、そう易々とは落ちませぬ。平塚山城守殿は老練の古強者、長春殿も歴戦の猛者にして弟の長信殿も豪勇無双。まずは落ち着いて策を練り、万全の用意を整え」
しかし、氏治は苛立ち交じりに声を張り上げ、厳しい視線を向ける。
「私が行くといったら行くの! 堅牢だからと言ってすぐに落ちない保証はないでしょう? 現に何度も落とされてしまっているでしょ! それに、いつまでも待たせては皆が不安になるわ。私は決して誰も見捨てない、不安にだってさせたくないの」
「し、しかし!」
「赤松! あなたがここに居ようと私は出陣するから!」
「お、お待ちくだされ氏治様!?」
赤松擬淵斎は慌てて片膝を立てるも、氏治はすぐさま部屋から走り出てしまい、初老に入った赤松擬淵斎にはとても追いつくものではなく、呆然と開かれた木戸を眺めるばかりであった。
氏治はまだ少女であるその幼さもあり、赤松擬淵斎や菅谷親子を始めとした多くの家臣が諫言するのも聞かずに走り出す悪癖があり、一同は大いに頭を悩ませたのである。
しかし、氏治に近しい人間であればある程、とある事情から厳しく言い立てることができずに苦悶した。それができる信太家は自分達が小田家を動かしている自負、氏治は飾りであるという意識からあまり強い関心を抱かずに口を出さず、氏治と信太家の間で中立的な無関心を装う飯塚党は腹に一物もちながらひたすらに傍観一択という有様であった。
重要幹部である一同だが、急な事で即座には腰が立たないこともあり、誰一人氏治には続かずに座に腰を落ち着けていた。しかし、その中で菅谷勝貞は冷静且つ淡々とした様子で考えをすぐに纏め、隣に座る息子の政貞に小声で命じた。
「政貞」
「は!」
菅谷政貞は席を立つと、すぐさま氏治の後へと続くべく部屋を後にした。同時に氏治の直臣で武功を立てた者が任じられる、小田六騎という地位の筆頭であった江戸山城守も後に続く。
さらに、信太家の長老、頼範が甥の重成へと視線を送ると、重成はその視線から意図を察し、無言で頷くなり部屋を出てこれまた氏治へと続いた。
「ふん、全く、氏治様も随分と軽率な事だ。敵情も調べず、現地の様子もまともに聞き取りもせぬうちに軍を動かすなど、兵法をまるで知らんものと見える」
範宗は呆れた様子で溜息を吐きながら、小馬鹿にする口調で堂々と周囲に聞こえる様に氏治を貶して見せた。氏治のやりようには確かに拙さは多く見えるが、多くの者は氏治の優しさや人柄を理解してそれを支えようとしている。そのような中でこういった発言をする信太範宗は家中でも多少浮いているものがあった。
しかし、軍事について知ったように語る範宗であるが、周囲の視線は冷ややかである。
先代政治の治世の折り、ほんの一時期の軍奉行を任されはしたが、これは家督争いで味方した功に報いるためのいわば名誉職のような扱いである。実態は菅谷勝貞や政貞が陣代として戦場に立ち、多くの戦功を上げたのだ。
また、信太範宗自身がすこぶる健康であるにも拘らず、息子の重成に軍奉行の役職が引き継がれているというところからも、その実力は察して余りあるものである。
先代政治の竹馬の友であり、幼少の頃から氏治を知る赤松擬淵斎はこの発言に明らかな苛立ちを見せ、一呼吸おくと敢えて丁寧な口調で言葉を返す。
「おや、範宗殿ともあろう御方がど忘れとは珍しい。かの有名な『孫子』の兵法書でも最も有名な言葉に「兵は拙速を尊ぶ」とあるではありませんか。これに当てはめるのであれば、寧ろ氏治様は良く物事を理解しておいでと言えましょう。いやはや、最近わしも物忘れが多いものでしてな! はっはっは! お互い年は取りたくありませんなぁ?」
赤松擬淵斎は物腰丁寧に、敢えて範宗を助ける様に話を纏めたが、周囲には日ごろの行いもあって「軍事を語るくせに孫子も知らない」「口先だけの上に赤松様の助けでようやく面目を保っている」という印象を与えつつ、赤松擬淵斎は自身の印象が良くなるようにしたのである。
「っこ、くぉのハ」
「範宗!」
「なっ」
兄であり、信太家嫡流当主である頼範の厳しい言葉に範宗は思わず言葉を詰まらせた。
信太範宗自身も赤松擬淵斎のそう言った腹の内程度は見抜けるもので、周囲が内心で馬鹿にしていることや、赤松擬淵斎の評判のダシに使われたことに腸が煮えくり返るような苛立ちを覚え、危うく怒鳴り散らす寸前にまでなる。
「叔父上、お顔色が宜しくないですね。さ、こちらへ。ほら、範国殿もはよう手伝ってくだされ」
「は、はは!」
しかし、兄頼範が言葉で制し、すかさず信太頼範の嫡子範勝、自身の長子である範国が左右を支え、説得しつつ多少強引に退室させたのであった。
騒動が一息つき、会所の広間に静けさが取り戻されると、頼範は小さく一つの溜息を吐いてから、赤松擬淵斎へと向き直るなりゆっくり口を開く。
「赤松擬淵斎殿。流石に今のは言葉が過ぎる。あれでも我が弟ぞ」
「は、申し訳ございませぬ」
信太頼範の僅かに叱りつける様な言葉に、赤松は素直に頭を下げて謝罪の意を示した。
さらに、その横では菅谷勝貞が小声で赤松に謝罪と感謝を述べる。
「相すみませぬ。それと、忝く」
これに、赤松擬淵斎はクスリと小さく笑って肩を竦めた。
「なに、気にする事でもない。わしも腹に据えかねて居ったわ。どれ、戦支度と参るかのう。勝貞殿は如何に?」
「某は愚息に家督を譲り渡しておりますれば、老骨が功を貪ろうなど見るに堪えますまい」
「なに、貴殿はわしと同じようなもの。それに、それだけの才覚を寝かすには勿体ないと思うがのう。まだ戦働きも思うままではないか?」
「買い被り過ぎというものですぞ、赤松殿。さ、連戦に備えて兵を仕立てに帰りまする」
この後、速やかに残りの重臣は氏治に続く者と、この隙に別の敵が侵攻してこない様に守りを固める者とに分かれ、各々持城へと帰還した。