第三話 定例評定
小田家は長い歴史の中で盛衰を繰り返してきたが、氏治の父に当たる先代政治は名君として地域でも名の知れた小田家中興の祖であった。政治当人は其れ程武勇武略に優れた人物ではなかったが、先見の明といち早く動く行動力や決断力、そして巧みな外交手腕によって小田家を関東でいち早く戦国大名へと押し上げた人物である。
しかし、そんな小田家も政治が亡くなると急にその躍進ぶりに陰りが見え始める。
不幸にも関東の中央に位置する小田領は、南西に幾多の戦いの度に勢力を着実に伸ばした梟雄北条家を見据え、北東には多くの名君を輩出し続け、庶家との内紛を鎮めて戦国大名としての躍進を始めた佐竹家、北西には根強い地盤を保つことで勢力を維持し続ける結城、小山や宇都宮等の名門が常に睨みを利かせ、非常に肩身の狭い場所に位置していた。
年明け春迫る時期という事もあり、小田家の政治運営にかかわる中核の家臣達は小田城の会所に当たる大広間にて顔をそろえていた。
上座には氏治が腰を下し、左右に重臣がずらりと十名ずつ居並んでいる。
重臣の列左手側最上位の位置には信太家の嫡流にして長老、信太掃部助頼範が座した。計二十人いる重臣の内、六名が信太一門であることからも家中での権力の大きさが窺え、本貫地信太荘の広さと豊かさもあって権勢を揮っていた。
「では、此度の評議を始めようぞ」
最初に口を開いたのは、家臣団でも一番地位の高い白髪の老臣、頼範である。茶筅髪に口髭と顎鬚はどれも短く整っており、物静かな佇まいからは自然と知性や貫禄を思わせる。
そして、次に言葉を続けるのは同じく信太一門で頼範の弟にあたる信太伊勢守範宗であった。
「此度、まず議題に挙げるのは信太勝貞……おっと失敬。今は菅谷姓へと名乗りを戻されたのでしたな。信太姓で手柄を立てられていたのに、急に名乗が変わっては解りにくくてなりませんなぁ」
範宗は兄の頼範とは違い、多少ながら恰幅の良い姿であり、髪は黒く染め上げ立烏帽子を被り、顎鬚は無く、口髭がちょこんと整えてある姿からは、どこか貴族風を模しているところが窺えた。
範宗は傍目にも傲慢な態度で菅谷政貞の父、勝貞を人前で愚弄して見せる。これには勝貞のすぐ隣で控える政貞も思わず拳を握りしめた。だが、勝貞はそれをそっと抑えて大人しくするよう横目で合図を送る。
「義兄上、失礼ながらそれは今話すことでは無い様に思えまする。宿敵結城家との度重なる敗戦からの立て直しと、今後の体制を整えるのが主要な議題に御座りましょう」
「義兄上……義兄上だと白々しい! あぁ、悪寒が走るわ! この裏切り者が! そもそも、貴様は叔父上の養子で、我等と一切つながりもないではないか! 我等信太家が引き立てたやった上に信太の名乗りをさせてやったにも拘らず、手柄を立てた途端恩を忘れおってからに」
信太範宗は元来、器の小さな男で傲慢な立ち振る舞いの多い人物であった。
信太一門は、先代当主政治を家督争いの際に擁立して支え、その恩賞で勢力を伸ばしたことで、今の小田家は自分達のお蔭で存在しているという気持ちがある。その上、小田政治の娘を娶った範宗は、信太家の庶流でありながらも小田家の一門衆にも数えられ、尚一層気を大きくして家中で我が物顔に権力を思うまま揮っていたのである。
小田家の権勢を握る信太家に対抗できるのは政治から個人的信頼を受けて小田四天王筆頭にまで上り詰めた赤松擬淵斎率いる赤松家が中心となり、軍師天羽源鉄斎の協力する徒党集団、赤松党。信太一門から独立を図り、政治より陣代を多く任され、類まれな才能で数々の武功を立てる菅谷勝貞、政貞父子。小田家直臣ではない外様の寄子領主を束ねる飯塚美濃守重光を筆頭とした飯塚党だが、この三者が協力してようやく信太一門と互角程度のものであった。
信太家中では兄頼範と範宗の三人の息子以外この男を宥めるのは難しいが、頼範の方は只呆れて溜息を吐いていただけである。
しかし、流石に言葉が過ぎたために周囲の空気は悪くなり、菅谷家に同情的な諸将の厳しい視線が信太一門に突き刺さる。
これを危うく感じた信太一門の男が一人、声を上げた。
「父上、流石にお言葉が過ぎましょう。それに、余り怒鳴り散らしては関係の無い周囲の方々の耳に障るというもの。父上は頼範様と並んで我等信太一門の代表なのですから、大きな器でじっと構えてみてもよいかと思いまする」
「ぬ、う、うむ。そうか、そうだな。わしは信太一門の顔であるからに、余り激情に駆られるべきではなかったな。うむ。今日は重成に免じて許してやろう。今後は一切義兄などと呼ばぬようにせよ」
範宗を止めたのは三男の信太和泉守重成という男であり、この者は氏治の信任厚く、三十半ばにして軍奉行という重役を任されていた。
この軍奉行とは、政治を取り仕切る役職が執政や執事、家宰であるならば、こちらは軍事の一切を取り仕切り、当主の代理で総大将として出陣までもこなす役職である。つまり、小田家の政治は頼範、軍事は重成と、軍政共に信太一門が取り仕切っていたのである。
「御意に」
淡々と答える菅谷勝貞であったが、握られる拳からは少なからぬ怒りを見て取れる。
一通り話に決着が見えると、待ちくたびれたという様子で信太頼範が仕切り直しを図る。
「では、通知した通り、本日付で土浦城は信太和泉守重成殿に引き渡しを完了とし、菅谷勝貞殿、政貞殿は藤沢城へと移るという事でよろしいですな?」
「御意に」
「では、重成殿。土浦は小田家一の堅城にして、氏治様の控えの城である。しかと頼むぞ」
「は! 土浦城主の再任、しかと承りましてございまする」
「では、塚原内記殿。書状の作成を」
「はっ」
記録係である塚原内記によって土浦城譲り渡しと藤沢城受領の書状が作られ、氏治が花押を書き入れた後にそれぞれが配られ、信太重成、菅谷勝貞がそれぞれ名前を書き入れる。
この作業が終わると、次は内政的な話へと移り変わる。
「今年の春成は根の張りが良く、例年よりは税収に期待できましょう。棟別銭については例年通りで。ただ、小田城下の鍛冶場では鎚を五十納めさせるとの予定でしたが、年が明けた今もまだ規定数を満たしておりませんな」
「そうね、頼範……でも、そもそも五十というのが彼らには重すぎる負担だったのよ。今ある四十で十分として、残りは免除してあげようと思うのだけれど……」
氏治の妥協に問われた頼範ではなく、その弟の範宗が猛然と反発する。
「なりませぬぞ! 今や小田家は各地で小競り合いを繰り返し、幾つもの戦端があるのです。これだけでも武具は足りなくなりそうだというのに、いつか大がかりな戦ともなれば小田城の御貸具足と武器では必ず足らなくなりましょう!」
「範宗殿の意見も一理あるが、それで民草から恨まれては元も子もない。先代や氏治様の慈悲のお気持ちも考えれば、此処は一つ今ある中でやりくりするのも我等の仕事ではなかろうか?」
「何を申す赤松殿! それで負けてこそ元も子もない! 守れず城を取られれば、もっと多くの武器に金に兵粮にと掛かってくる! 今を惜しめば後々もっと苦しくなろうぞ!」
議論は徐々に熱を帯び、こと軍事に限っては信太一門とその他で意見が対立しがちであった。
他の内政には大まかな方針決め等以外ではあまり細かい部分に口を挟まない氏治であったが、軍役の負担が民に重く圧し掛かるのはよしとせずに意見し、それを支持する赤松や菅谷、そして信太に反感を抱く諸侯が賛同。
対し、小田家の勢力拡張を目指す信太一門とで意見が時折対立することで議論が膠着した。
と、そこへ風向きを変える一報が届く。
「ご報告します! 佐竹義昭、多賀谷政経が北西口より海老ヶ島城目掛けて進軍中!」