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第四十九話 成田家騒動

「もう長尾家はすぐそこまで来ているのですぞ!」


 この日も、忍城では籠城で大筋話は纏まったにも拘わらず、成田家嫡男氏長が当主長泰に噛みついたことにより、軍議は籠城と降伏派閥に分かれて再び激しく論争が交わされていた。


「だからと言って関東の外から来た余所者にへこへこと頭を下げよと申すのか! ふざけるな! 坂東武者の意地を見せよ!」


 成田長泰は怒りのあまり立ち上がって喚き、息子に罵詈雑言を浴びせかける。


「されど、長尾は我等関東諸豪の城など一夜にて()かすとのこと。我等の兵はたったの四百! 集めてもせいぜい千や二千程度の頭数しか揃わぬ我等では一晩で落とされますぞ!」


「だからどうした! 我が息子でありながらそのような臆病風に吹かれおってからに。坂東武者の血が泣くわ!」


「そのような固いことを申しては時流を逃しますぞ! しかも長尾家は村々を焼き討ちにし、彼の者が通りし後には田は荒れ、草木一本生えぬと申す。早々に降伏せねばお家が滅びましょうぞ!」


「ぬかせ! 降伏したところでき奴らは略奪して回るそうではないか。それに北条への恩もある。武家がそう節操もなく鞍替えをするものではない!」


 二人の仲が悪いこともあって話は平行線を辿るばかりで全く進行する様子もなく、家中の不和が防衛体制を整えるうえでの障害となり、城の防備を整えるのが遅れていた。

 この上層部の混乱が忍城全体に重く暗い影を落とし、兵達の士気は下がる一方であった。




 この頃、忍城の門前には四人の人影があった。二人は成田長親と甲斐姫、そして小田氏治と付き人として八幡が付き添っていた。

 成田長親は一つ深呼吸して微かに震える口を開く。


「氏治殿、心の準備はよろしいですかな?」


「……はい」


 氏治も緊張しているのかすぐに返事はせず、数秒の間ゆっくりと呼吸を整えたあと返事と共に頷いた。

 少しでも緊張を解こうと甲斐姫が氏治に笑いかける。


「大丈夫ですよ、氏治殿。実はこう見えて私は武術の嗜みがあるので、いざとなったら忍城の腰抜け共など、片手間に蹴散らして本陣までお送りしますわ」


 甲斐姫の言葉に心づけられたのか、氏治の顔から緊張の色が抜け笑顔になった。


 門が開き、本丸までの間暇つぶしがてらに甲斐姫が氏治に質問をする。


「そういえば、なぜあの時私たちをすぐに捕縛しなかったのですか? 形は少し卑怯かもしれませんが、一門の者が二人も人質になったとあればおじい様も降伏なされたかもしれないのに……」


「あぁ、そういえばそうね。でもそういうの、私は好きじゃないんだ。私もさすがに誰一人傷付けないように、なんて甘いことは言わないつもりだけど……それでも不用意に傷つけたくはないと思ったの。それに、長親殿からは戦意が感じられなかった。もしかしたら同じことを考えているのかもしれないって思うと話を聞いてみよう、聞いているうちに今度は信じてみようって思えたの」


「な、なんだかお二人は初めて会ったのに心を通じ合わせて……なんかお似合いですね……」


 甲斐姫は少し寂しげに瞳に憂いを帯びる。


「ふふ、甲斐ちゃんは長親殿が私に気を魅かれないか心配なんだぁ~」


 氏治が悪戯気に言うと甲斐姫は明らかに動揺した様子であたふたとする。


「か、甲斐ちゃん!? ていうか私とこのバカとはそんなんじゃないから! からかわないでよ!」


 こうなるともう互いに他人行儀な言葉遣いはなく、上品な姫としての(たしな)みなど忘れて、まるで町娘のじゃれあいの様に色めく言葉の罵りあいが始まった。


 そんな二人のやり取りを尻目に、男二人は前方でため息をつく。


「ところで、お付の方はなんと申されるのか?」


「あ、申し遅れてすみません。八幡と申します」


「お互い、苦労すると見える」


「……ですね」


 そうこうしているうちに一行は本丸館へとたどり着き、会所の広間へ案内された。




 大広間には城門で前もって使いに出した兵によって来客は伝えられていた。

 此度の来客は殊の外重要で、普段信用がない自分だが今回ばかりは一門を広間に勢揃いさせてほしいと、成田長親が珍しく強く希望したこともあって、何が何だかはよくわからないままに成田家一門は大広間へ顔を揃えていた。


 四人はまず平伏し、まず成田長親が口上を述べると共に顔をあげた


「此度はわしのような者の願いが為に一門衆の皆々様にお集まり誠にうれしく……」


 成田長親はまともな式典行事でも飄々(ひょうひょう)として堅いことを嫌うはずなのに、あまりに型にはまった挨拶をするものだから一門が目を丸くすると、あまりに普段と違う息子を恥ずかしく思った父である成田泰季が口を挟み、早々に本題へ持っていこうとする。


「もう良い長親、妙に改まられるとこちらが恥ずかしくなる。それより一門の顔ぶれを勢揃いさせたのだ。いつものようなあまりに下らぬ事だったら首をはねられると覚悟せい!」


 いつも愚息の愚行に悩まされている成田泰季は、戦で、しかも越後勢の侵略という一大事に及んでもまだふざけるようなら、実の息子と(いえど)も容赦はしないつもりで語気を張り上げて言った。


「父上、そうかっかかっかとなされると命が縮みますぞ?」


 堅い挨拶をしては見たものの、やはり堅苦しいのが苦手な成田長親は成田泰季によって張りつめられた空気を和ませようと茶々を入れる。しかし、それは火に油というもので、


「やかましい! 此度はまことに命を取り上げるぞ!」


 と一喝され縮こまってしまう。


「氏治……やっぱり護衛もなしってのはまずかったんじゃないか……?」


 もはや手遅れというものだが、それでも八幡は選択の失敗を嘆かずにはいられなかった。幸い親子のやり取りでこちらのやり取りは聞こえないらしく、小さい声で話す分には何も問題は起きない。


「護衛はつけなくていいのよ。私が相手を信頼しているところを形にして見せたかったんだから。それに、護衛を連れてても敵の本丸からじゃ逃げられないわよ」


「や、それはお前がそんなめかしこんでいるからで……」


「相手の成田家は関東有数の血筋と家格があるのよ? 当家はそれに勝るけど、それでも相手に粗相をすれば見下されていると思われかねないでしょ。私は何も間違ってない」


「……さいですか……」


 主従がこんなやり取りをしている合間にも、成田長親は唯一頭の上がらない成田泰季の怒声に押されっぱなしであり、はいはいとひたすら頭を下げて平謝りするばかりである。

 このままでは手打ちが現実味を帯びてきたという際になって、これでは話が進まないと判断した甲斐姫がようやく口を挿む。


「叔父上、これでは話が進みませぬ。長親殿は此度ばかりは真面目な話をしようとしているのです。それはこの甲斐が保証いたします。もしこの話が聞くに値せぬ戯言だというなら、まずはこの甲斐の首から落としてくださいませ」


 普段からしっかりして成田家中の信頼厚い甲斐姫にそこまで言われると、さすがの成田泰季も何も言えなくなり、また、一刻を争うこの時に話が進まないのも困るという事から元の座につくこととした。この場は甲斐の信用と発言力に救われることとなった。


「さぁ、一門の見苦しい争いで手間を取らせているのです。長親殿、早く説明を」


 ようやく成田泰季の怒りから解放され一息ついていた成田長親は後ろから甲斐姫に突き上げられるように急かされ、ようやく本題へと入る。


「某の願いはただ一つ。長尾家に降伏を願い出てくだされ」


 たったこの一言で場は騒然とし、怒声の入り乱れるある種の戦場のような様相を呈した。

 抗戦派は成田長親を罵り、降伏派だった成田氏長等は従弟である長親を擁護するわけではないが、抗戦派に一矢報いようと横鑓を入れ場は混乱する。


「皆様! 常陸の名門小田氏治様の前であまりにはしたのぅございますぞ!」


 甲斐姫の一喝により騒然とした場は一瞬で静まり返る。呆気にとられる中、成田家の若家老、正木丹波守利英が口を開いた。


「常陸の小田家と言えば……将軍家の血を引くという……かの名門小田家であろうか……?」


「左様です。皆の前にいるこの方こそが、かの名門小田家現当主小田讃岐守氏治様ですぞ!」


 甲斐姫の二度目の一喝でまた場は静寂に戻る。すると先ほどとは違う成田一門が口を開く。


「ば、馬鹿なこと……氏治などが此処に居るわけ……」


「それに……そ奴は女子ではないか……馬鹿げている……」


「私の言葉が信頼ないと言うなら、私を敵への内通者として手元の刀で裁かれよ! この甲斐めは一切抵抗などいたしませぬ」


 真面目で嘘の一つもついたことがない甲斐姫が此処まで言うと、もはやだれも目の前の部外者が氏治ではないなど思わない。もし、異を唱えて甲斐姫に切りかかったところでここにいる何人も一対一で甲斐姫に勝てる自信などなく、甲斐姫は素手であるにも関わらず誰も敵うとは思わないのだ。


「では……」


 成田家当主の長泰は、先程まで成田長親に罵詈雑言を浴びせ顔を赤くはらしていたが、少々血の気が引いたのか若干青白い顔で口を開いた。


「そこの麗しき姫君が……今代小田家の当主……氏治殿と申されるのか……?」


 すると今まで平伏して顔を隠していた氏治はようやく顔をあげ、張りつめた空気に一石を投じるような華やかな笑顔で微笑みかけつつ頷いた。


「で、では……氏治殿。貴殿はなぜ……姫姿を……いや、そこはもはや聞くまい。それより、何故に当家の本丸においでなのか?」


 成田家の中でも長尾家の侵攻と小田家の当主が此処にいる因果関係が読めるものはいなかった。それを察してか、これから来るかもしれない殺気に備えて深く大きい呼吸を一つしてから氏治は口を開いた。


「私は……忍城包囲軍三千の総大将です」


 こうして忍城大広間は本日三度目の氷河期を迎えた。



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