第四十二話 中世下役人之日々
暦の上ではもうじき秋になるという頃、それでも頻りに肌を指す太陽の日差しは鋭く、その多くが湿地で構成された関東平野は湿度の多いべたつく残暑が続いていた。
八幡は手塚石見守や塚原内記の手伝いで蔵米の売買を補助しつつ、様々な商人の間を行き来しては日用品の補充、些細な小競り合いへの沙汰状や感状の作成、農民の訴えを聞きつつ違法高利貸しの取り締まり、市庭の取引適正化のための監視などという雑多な業務を日々行っていた。
市庭や町中での商いでも、時折商人同士の刀傷沙汰が発生し、そのうち何回かは八幡隊の戦力では鎮圧しきれずに大事になる事もあった。当時、遠路を行きかう商人は危険な旅路に合わせて戦力を整えるばかりでなく、己で武装し身を鍛える事もあり、実際の記録にも町中で刀を抜かないようにという上位の商人から下位の商人に当てた指示書が残る程である。
まして、小規模な農村の集合体である郷村、惣村規模で自然発生した座などでは商いに必要な知識を自然と発展させて知識を持つ農民も増えたが、その振る舞いには農民的荒々しさが残るのも致し方が無い面もあったのである。
「なぁ、この稲、やけに実りが早くないか? それに、どことなく実の付きが悪いような……」
八幡は村々の道に著しい損傷が無いか、台風の対策が間に合っているかといった検分を行うべく村々を巡っている中で、一つの田圃の稲を触れながら、馬に相乗りさせて連れ歩く葵に尋ねる。
「これは、早稲と言うものですね。早成りの作柄なので、お気づきの通りあまりお米は取れないんです」
「ほう、葵は詳しいな」
「一応、父も河原に小さな田畠を作ってましたから、その手伝いで少し……。後は、時折父の手伝いで地主さまの田圃にもいきましたし。でも、お武家さまは人によっては縁遠いですからね。知らないのも無理はないと思います」
稲には生育によって早生、中生、晩生と三種に大別できる。
古来からの知恵で、病害虫や自然災害を逃れるために収穫期や耐性の違う品種をそれぞれの田で育てていた。当然、早熟の早生は後の二つより生育期間が短く、収量も多くはないが、台風を避けられるというメリットがある。
「まぁ、そこはなんとなくわかるんだけどさ、皆生活が苦しいのになんでそんなことすんの? 実りいい奴いっぺんに育てりゃいいじゃん」
しかし、現代農業の常識が念頭にある八幡は首を捻り、この疑問には近くにいた農民が答える。
「そりゃぁ、いっぺんに実が成っでも収穫でぎねっぺよ。それに、賊に狙われやすぐもなるし、同じの作付げしで病気や台風で全滅しだらそれごそしめぇだっぺ? だがらごの時期に収穫でぎるもんも一緒に植えんだぁ」
「……確かにそうだよな。現代じゃないから、病害虫に一層弱いし、投入できる労働力にも限界があるもんな……」
八幡は役職付きの一廉の武士に成り上がってはいたが、その身形から不思議と農民に敬われることはなかった。しかし、容姿は如何様にもし難いが、服装が当時の武士らしく農民に威厳を見せつけようとするものではなく、供の者も最低限しか連れないから当然とも言えた。
こうして八幡は農民と同じ目線で世間話をしていると、隣村に先行させた太兵衛が慌てた様子で駆け戻る。
「八幡様、大変です!」
「どうした、太兵衛?」
「すぐそこの八日市庭で取引の拗れです!」
八幡は急ぎ地図を広げ、向かう先の状況を確かめる。
「田土部か。となると領主は信濃守政秀様か」
「それが、市庭を取り仕切るのは信太外記様で、市庭間の融通をよくするために定期市を今後二日ずらす様にとか、棚銭を十五文にするという話から始まり、商人間でも早稲の成りが悪いからと値を上げようとする問屋や、魚の取れ高が悪いから一桶二十文じゃ譲れないという田村の魚座が暴れたりで混乱しています!」
「ま、た、信太外記か! 政秀様は氏治の兄だろう? なのになんで信太外記程度の人間がのさばってる」
八幡は小田家一門の預かる、いわば氏治の直轄領とも言える領域までその食指を伸ばす信太家に、嫌悪の感情を顕に言葉を吐く。
太兵衛は心苦しそうに己の知る事情を解説した。
「政秀様は小田一門とは言え、既に小田の名は降ろして田土部を名乗り、血筋も庶流ですからお力はそれほど強くないのです。それに、田土部は信太家のゆかり深い土地。信太家がこの地に居付いて土浦に移すまで居たのも田土部ですし、現信太宗家当主の頼範様が坂戸に転封する前の居城もこの田土部なのです」
「なるほどね、引っ越しても元の地盤に影響力は残してるわけだ。範宗様ってのが誅殺されててんてこ舞いと聞いてたのに、全然ピンピンしてるじゃねぇか」
「まぁ、あれはあくまで信太庶流の不始末という判断で決しましたから……」
八幡は渋々頷いて納得する。信太家も無許可で横暴するほど自惚れてはいないからだ。
租税の取り立ても横暴な物言いも根拠あっての行いならば文句は付けられないうえ、不用意な風聞を立てれば八幡が罰を受ける可能性がある。
家中の武家の私戦を禁じるためにその発端となる口争いでさえ、程度と事の次第では罰せられるのだ。
八幡は苛立ちを抑える意味も含め、馬に乗って当地に向かいながら疑問を呟いた。
「それにしても、魚の獲れ高も最近悪いのはなんでだ?」
「それは恐らく、戦続きで兵粮を始めとした物資の輸送に漁業民が動員されたり、時として戦に駆り出され負傷し、船を造り修繕する大工も各地の普請や戦災復興に駆り出されて道具の補修もままならないのではないかと」
「たしかに、そうだよな。農民だけじゃなく、巡り巡ってそこまで影響が及んでるのか……まぁ、戦続きだし、氏治も小高に軍を回したとか言ってたもんなぁ。行方郡へ渡るには船を使うし、大軍動員してれば移送作業で漁どころじゃないか……」
八幡は様々な話しを総合して考え、戦の行き着く先の帰結は民へのしわ寄せだと改めて実感した。
そうして、現地の状況を様々に想定し、解決策を思案するうちに市庭へ到着する。
「八幡様、あそこです!」
太兵衛の視線の先では聞くほどの混乱はなかったが、揉め事の様子は見て取れた。ある程度は信太外記でも対応して解決していたのである。
八幡、太兵衛、伴数名は馬を下りて通りを進み、八幡が一歩前へ歩み出て信太外記へ会釈して微笑んだ。
「信太外記殿、お久しゅう御座いますね。このような市井で会うとは奇遇な事です」
「な、きさ……貴殿は実に白々しい。奇遇ではなく政秀殿の依頼で駆けつけたと言ったところであろう」
信太外記は苛立ちから怒鳴りつけようとするが、寸でのところで息を止め、呼吸を整えて言葉を直す。
近代軍事階級のような明白な判断基準が無いとはいえ、属する家の家格、その中での地位や役職でお互いの立場を相対的に把握するため、信太外記は自然と八幡を同格と認識したのである。
「相変わらずですね。私は地域の作付けの状態を確認していただけですよ。この市を訪れたのは誠に偶然の事。しかし、こうも問題があっては介入せざるを得ませんね」
「なんだと! 結構だ。ここは城と領民の保護は政秀殿に委託されたが、市庭の管理は引き続き信太家の管轄で良いとの許可を得ている」
「小田城の書庫で見ましたよ。ここの市は田土部の城主が庇護し、担当の役人が管轄すべきところ。御役として現場の管理は信太家が行うにせよ、庇護するのは政秀様、つまりは共同で経営なさるべき場所であるはず」
「それは所詮小田城で取り決めた文章上の都合だ。形骸化した話など何の役にも立たぬ。政秀殿は御家来衆も多くなく、市庭の管理が手に余るからこうして全てを私が管理しているだけぞ!」
「何を仰せか。政秀様の下には桜川の要衝である田土部を守るという重要な任ゆえに、酒井殿や桜井殿、石田殿、宮本殿等頼れる家臣団がおりましょう」
「はん、鑓廻しの一芸では算盤もはじけまい。読み書き算術だけでなく、慣習や諸所の都合にも精通せねば市庭の管理はできはせんぞ」
「ぅぐ、ぬぬぬ……」
当時の商慣習は複雑であり、これを管理管轄するのは容易なことでは無く、物にもよるが四則演算ができる程度の現代人では商いは愚か、市庭の管理はとても難しいものである。
当時の人間でも日々の生活でそう言った商慣習に触れているものが主に任命されており、無関係な武士がこれを担うのは重荷といえた。
状況を不利と見た太兵衛は八幡に耳打ちする。
「曲がりなりにも、外記殿は阿漕商人にも丸め込まれない程度にはやり手です。相手方に非はない以上、これ以上に言い争い、責め立てる様になれば八幡様も罰せられます」
「そ、そうだな。仕方がない、方針を変えよう」
八幡は冷静に呼吸を整え、静かに頭を下げた。
「解りました。政秀様の御家臣への暴言は見過ごせませんので撤回して頂きますが、市庭の管理が信太外記殿以外には難しく、代われるものが他にいないことも、外記殿が公的な証明をお持ちなのも理解致しました。突っかかって申し訳ない」
「ふっ、わかればよい。そうだの、鑓働きが武士の本分であるのは私も認むるところ。悪し様に言ったのは侘びよう」
「えぇ。ところで、田村の魚座と坂田の早稲の売買で問題が生じているそうですが、そちらは私どもが対応します。よろしいですね?」
「はん、何の権限あって」
「これにつきましては、御蔵奉行並びに商人司である手塚様から検断権を認める証書が御座います。検めますか?」
「……結構だ。丁度面倒だと思っていたところ。どういなして捌くか、お手並み拝見と行こうではないか」
信太外記の公認を得た八幡は早速騒動の現場へと足を運ぶと乱闘寸前の一触即発の事態となっていた。
急ぎ太兵衛と伴者に命じて両者の距離を取り、事情を詳しく尋ね始める。すると、坂田の米座は米相場の値上がりに便乗して一儲けを考え、田村の魚座は単純に不漁を嘆いていた。
「なるほど、確かに米一斗で百二十文は異様に高いな。ただ、一斗百文を越える相場の値動きがあるのも確かに事実。市場に早稲が流入し始めているのを考えればそろそろ下がるか落ち着いてもいいころではあるんだが……」
太兵衛が頷き、相槌を入れながら呟く。
「この前の苅間の市では一斗で百七文の値がついてましたね。まぁ、それにしても高い……」
八幡は暫し悩み、何処が折り合いかを図りながら出した結論を示す。
「よし、相解った。米の売値は最大百十文までとする。いいな? それと、田村の魚座の者よ。不漁は話に聞いて氏治様も案じている。おいおい沙汰を出し、必ず良きに計らうので、今回はいつもの相場価格に戻してはもらえないか? この値ではなかなか売れまい。それで困るのはあなた方も同じだろう?」
「っけ、畜生め」
「へぃ、氏治様のお名前を出されちゃ異は唱えられやせん。期待して待ってますぜ」
両者は相反する反応を示すが、八幡は止む無しと咎めはしなかった。
「あぁ。必ず近いうちに訪問する。明日にでも事前調査の使いを出すので協力を頼むぞ」
「あい!」
八幡は早速太兵衛に今取り決めた掟書きを作るように命じると、市庭の中央と出入り口の三か所に立札を設置させる。
すると、制札を設置しようとした場所に既に別の制札が設けられ、一枚の紙が貼られていた。
太兵衛はこれを不思議に思いながら剥がし取り、張り替えたうえで八幡の下へ持ち寄る。
「……漢文か、人生一分を減省せば、すなわち一分を超脱す……で、これはいかなる意味かね太兵衛君」
「え゛……人生は、少しも、無駄にするな……とか」
急な振りに動揺しつつ、必死に考える太兵衛であったが、教養不足から全く持って理解をする事は出来ずにいた。
八幡は溜息を吐いて紙を折りたたむ。
「駄目だこりゃ……葵、も、解る訳無いよな……」
「す、すみません……今後お役にたてるように頑張ります……」
「訳わからんし、一先ずこれは捨て置いてもいいかな」
八幡はとりあえず折りたたんだ紙を懐に仕舞うが、太兵衛と葵の二人は思い出すように言葉を続けた。
「ですが八幡様、これは苅間の市でも見かけました」
「そういえば、最近小田の町中でも似たものを見た気がします」
「怪文書……扱いに困るな、これ」
どうにも突発的ないたずらではなさそうな案件に、八幡は厄介事を拾ってしまったのかもしれないと頭を悩ませる。
すると、八幡の仕事ぶりを観察していた信太外記が興味ありげに手をだし、八幡は紙を手渡すと信太外記はこれを広げて一つ頷いた。
「どれ、なんだ、菜根譚の言葉ではないか。人生にまつわるものは何でも減らせばその分気楽になる、俗世を離れられるという隠者のような心持を唱えた言葉よ」
「ほほう、なるほど。しかし、何故このようなものが……」
「大方、阿漕に稼ぐことばかりに頭を使う商人を冷かしておるのだろうて。金目を穢れと嫌うか、商人への嫉妬の類よ。捨て置けばよかろう」
「なるほど。そう思えば確かに気にならなくなりますね。では、私はこれにて」
信太外記の言葉に納得した八幡は、念のために紙を懐に仕舞いながら素直に感謝の一礼をした後、田土部を発った。




