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第三十八話 敗戦処理は人と物だけに非ず


 八幡は情の移った顔見知りである平塚自省長信の討ち死にで心を深く痛めたが、一日男泣きに泣きつくすと、ある程度平静を取り戻し、これを忘れ、気を紛らわすためにも一層に仕事に取り組んでいた。


「由良信濃守殿、こちらの御朱印書は花押が見当たりませんがどう扱えば?」


「それは私が直に確認済みです。その隣は既に決済が済んだ束なので紐で綴じて書棚へ送ってください」


「了解です。太兵衛、誰かに雑用を回してくれ。御蔵米の解放はどうなっている?」


「手塚様から御許可いただき扶持米の配給は済みました。あとは死傷者への手当てです」


「わかった。一先ず常名城に舟で五十俵送ってくれ、帯曲輪の蔵がまだ入るはずだ。北条城軍は重傷を除いて藤沢城に退避してもらっているはずだから頭割りで後程再計算して送る。谷田部城には増員四十三名と赤松様の指示書にあるから駄馬隊三十を二回に分けて送る」


「御意。駄馬隊は誰が率いるのでしょうか?」


「甲崎四郎左衛門殿、里宮又右衛門殿に使いを出してくれ。加茂兵蔵殿は信太家から人員を借りて来てください。六十程度をまとめて小和田まで大物見です」


「御意」


「八幡殿、記録所は皆腕を痛めて暫し動けそうにない。今は野中瀬殿が極楽寺に人を借りに行っているところだ。それと、問屋へ渡す代金の支度はどうなっておりますかな?」


「おや、塚原内記殿。はい、手塚様からお預かり済みです。此方をどうぞ」


「忝い。では菟玖波屋と石焼屋まで行って参る」


 小田城二の丸長屋の大部屋では多くの人が文机に向かって算盤を弾き、記録を付ける業務を行い、その合間をすり抜ける様に老若男女問わず身分の低い者たちが頻りに行き来をして忙しなく動いている。


 そこの中心では八幡が仕事を仕切り、手早く効率的に作業を進めることで想定より早く一段落が付き、思い思いに一息入れたところで、一人の老人が姿を現す。


「天羽源鉄斎様!?」


「八幡殿、今、時間はよろしいかな?」


「は! 仕事はある程度済ませましたので、いくらでも」


「うむ、では場所を変えようかの」


 八幡は天羽源鉄斎に連れられて本丸へと向かうと、女中たちが困り顔で当ても無くふらついている姿が目につく。


「源鉄斎様、この先で何が……?」


「この辺でよかろうかの」


 天羽源鉄斎は振り返ると、適当な部屋へと入り腰を落ち着け、目の前に座るように指示をする。


「先日の戦以来、氏治様が部屋に籠られておりましてな。それをどうにかしてほしいのです」


「そんな、どうにかなんて漠然な……それに、どうすればいいかもさっぱり……。第一、なんで私のような者に頼むのですか? それこそ、慕われている源鉄斎様や擬淵斎様のようなお人が説得なさるべきかと愚考いたしますが……」


「それでどうにかなれば、こうして貴殿に相談しては居るまいよ」


 厳しく冷たさのある一言に、八幡は安直な言葉を恥じ入り、身を窄めて俯く。


「……ご、御尤もですね。失礼しました、まこと、愚考でありました」


 天羽源鉄斎は扇を束ねて杖つくと、そのまま目を瞑り懐かしき日々を想起した。


「氏治様はその昔、幼名を小姫と申してな。わしも赤松殿もそれほどの頃から氏治様を知っておるのだ。故に祖父と父のようなものでな。確かに近しいが、それ故に届かぬ声もあるだろう。そこで、条件を変え、近しい世代の者を遣わせてみようと考えたのじゃよ」


「なるほど……しかし、そういう事であれば同性を、そうでなくとも年近いものは他にもいるではありませんか」


「嫌か?」


「そうでは、ありませんが……」


 八幡は視線を逸らし、数ある人間から自分が特別選ばれる必要性が理解できず、僅かながら特別な扱いに嫌悪感を抱いてさえいた。

 しかし、天羽源鉄斎は八幡の気後れを察し、諭すように言う。


「腑に堕ちぬ、といった様子だな。しかし、考えてみよ。貴殿の置かれた境遇が普通と違うのは理解しておろう? 春慶法印のお言葉で氏治様も気に掛けておられるし、菅谷殿も一目置いておるのだ。家中には貴殿に良くも悪くも期待するものが居る」


「……その割には、きちんと下働きさせられている気もしますが。それに、そのような話があったと知ったのも最近の事です」


「そうであったか。まぁ、なんにせよ氏治様を頼む。他の者では遠慮がちになって氏治様の心慰めるには至らん。対応は万事一切合切を任せるとする」


「……解りました。励ませるよう努力いたします」


 八幡は断れそうにない状況に肩を落とし、項垂れながら渋々引き受ける。


 天羽源鉄斎は部屋を出ようと木戸へ向かう八幡の背に、小さくぼそりと呟いた。


「うむ……なにも、励ますばかりではないがのぅ……」


「は、何か仰いましたか?」


「なんでもない。氏治様はお隣の部屋だ。では、頼むぞ」


「承知しました」


 八幡は改めて天羽源鉄斎に一礼すると部屋を後にし、隣室の障子戸の前で深呼吸をし、声を掛ける。

 氏治に入室の許可を得ると、障子戸から中へ入ったすぐ傍の所で腰を下し、恭しい態度で一礼した。氏治には人前でなければ気安く接していいと言われ、現に八幡へ向ける氏治の視線は改まった態度を好ましいと思わない様子が覗えた。


 しかし、八幡は真剣であることを示すためにも会えて姿勢を正し、背筋を伸ばして丁寧な口ぶりで話を切り出した。


「氏治様、皆が心配しております。そろそろ御気を治してください。兵達も不安になります」


「そうね、ごめん……」


 八幡とほぼ対角線上の角で雛人形を抱えて蹲る氏治は、八幡の声に僅かに顔を挙げて答えた。

 しかし、再び俯きがちになると体を小刻みに震わせ、寂しげな声で、小川の様にか細くさらさらと言葉を続ける。


「でも、私の所為でまた多くの人が亡くなったわ。小田城を守ろうとして、結城や佐竹に何度も負けて、そのたびに小田城を奪われて、犠牲を出して取り返して……。この前なんかは、小高治部少輔が救援を求めて来たから出陣したのに、大掾の連中に城は落されるわ、到着した柄崎では手賀太郎景幹と玉造宗幹が結託して襲撃してきたせいで惨敗、結局助けられず、そして今回の大敗よ? 我ながら情けなくて言葉も浮かばないわ……」


 聞けば聞くほどに悲惨な戦歴に、八幡は思わず言葉に詰まり、掛ける言葉を失いかけるが、ぐっと唾を飲みこんで氏治の痛みを和らげようと言葉を尽くす。


「し、しかし、過ぎたことを悔やんでも……」


「わ、私のせいで、また大事な人たちを死なせてしまったのよ!? これを悔やみもしないなんて、そんなやつ人じゃないわ!!」


 八幡は先ほどまでとは一変して表情を失う。氏治の語る言葉に、今までの多くの身近な死を他人事としてきたことに気が付き、今までの聞き流した様々な人の死の話を思い出しては様々な事を考え直していたのである。

 そして、今回の平塚自省長信の死と、自分の心の揺らぎを改めて考え、目の前の少女程ではないにせよ自身の精神が不安定になっていることに気が付く。


 八幡は表情にいつものような作り笑いを混ぜる事も出来ず、頬一つ動かさない無表情のまま淡々と言葉を放った。


「……そうですね。確かに人でなしかもしれません。でも、真っ当な人であるまま人の上に立つことはできるのでしょうか。私は戦も武士の誇りや生き様も知りませんが、外側の凡人として大名を見て、感じたことがあります」


「……何を、感じたの?」


「人として居ようとし続けるのは『甘い』のではないかと。氏治様は聞こえにも高い善人であり、有徳人と人口(じんこう)膾炙(かいしゃ)されております。しかし、武家であり、ましてや一家の当主でもあり、あまつさえそれが一地域を束ねる大名ともなれば、果たしてひたすらに正しさを求める善き人で務まるのでしょうか? 氏治様の言葉を借りて、悔やまぬ人が人に非ずと申されるのならば、寧ろ、大名が人であってはいけません」


 氏治は八幡の言葉に全く同意できないと、信じられない様な表情で顔を上げ、理解を求める様に、訴えかける様に叫ぶ。


「……そんな、なんでよ! なんで、善くあろう、正しくあろうとすることがいけないの!? みんなが正しく決まりを守り、隣人を思いやれば争いだって起きない、それが本来すべての民が求める正しい姿! 世のあるべき姿じゃないの!?」


「ですが、その素晴らしい世界に『武士』はいません」


「そ、それは……そういう世界で、自然と姿を消すのは止むを得ないでしょ。私だってその時がもし来れば、武士を廃業にする覚悟ぐらいあるもの!」


「ですが、それを皆が納得しますか? あなたを奉り、敬い、誠心誠意尽くしてきた者たちに、あなたの一存を強いるのですか? 全てを納得させられますか?」


 氏治は不気味なほど表情を変えない八幡の視線から逃れる様に視線をずらし、床の木目を指先で撫でながら小さく答える。


「み、皆……皆はきっと、その、多分……納得してくれると思うわ。それに、納得しない人はそう多くないと思うから」


「思うから? 万に一つそうだとしましょう。では、今、氏治様は言葉の先に何と続けるおつもりだったのです? 討伐ですか? そうすれば、平和な世界でまた争い続ける、平和のための争いが続きますよ」


 淡々と痛いところを嫌味のように突き刺す八幡の言動に、苛立ちと悔しさ、そして惨めな自分を小馬鹿にされているような被害妄想が氏治の中で膨らみ、多くの罪悪感や後悔、無念と織り合わさって感情を抑えきれなくなる。

 氏治は目から涙を溢れさせながら、胸元で握りしめていた雛人形を八幡へと投げつけ、八幡の顔にぶつかる。雛人形はそのまま床へと落ちて折れた首が転がった。


「さ……さっきから何よ! 偉そうに! 春慶法印の仰った人の正体があなたかだともわからないし、だとしても私は最初からいらないって言っていたの! 政貞がどうしてもって言うから置いているだけなのに、態度が大きいのよ! 普通なら打ち首や追放されてもおかしくはないんだからね!


「恐れながら申し上げますが、氏治様は普通とは言い難い。ですが、それでいいじゃないですか。普通である必要なんてない、人の死を数えて悔やむのもやめましょう。そうして後ろを向いているままでは、上手く前には進めないですよ」


「そんなこと言ったって! ……私は、私のせいで多くの人を犬死させてしまったのよ! これをどうして悔やむな、なんて言えるの!?」


 氏治は普段は大人びた振る舞いを心がけ、実年齢よりも背伸びをしていたが、今は素の自分を曝け出し、その精神年齢たるは実年齢よりも幾分幼く見えるほどであった。

 そして、殿(しんがり)の際には生き残れとまで命じたにもかかわらず、今では駄々をこねる子供のような八つ当たりの言動に八幡は少なからず苛立ちを覚えるが、これも表情には出なかった


 しかし、無表情のまま八幡は立ち上がり、氏治へと歩み寄ると、氏治は影を落として顔色の見えない八幡に怯え、後ろ手を付きながら後退ろうとする。


「なっ……何よ……」


 しかし、部屋の隅に元々位置しており、逃げられないまま八幡が目の前まで来ると、高く振り上げられた腕の恐怖に目を瞑る。そして、


 ピシャン


 そう、平手打ちの音が聞こえたと思うと、氏治の陶器の様に白く滑らかな頬には真っ赤な椛が張り付けられ、感じたことの無い痛みと恐怖で今にも泣き崩れそうになる。


「い、痛い……な、なんで……」


 今にも決壊しそうな涙の堤防が崩れないのは、ひとえに状況が理解できずに呆気にとられたというだけの事であった。


「犬死に、なんかじゃない……犬死なんて言うなよ! 頼むから、犬死なんて言ってやるなよ……お前に、犬死と思われたらそれこそ本当の犬死になっちまう。そんなの、報われないだろ……? 皆なぁ、お前を守れたって言う達成感を胸に倒れていくんだ。お前に期待しているからこそ、きっと遺した者達を幸せにしてくれると、そう信じて死んでいくんだぞ!? そんな気持ちさえも無駄だと断じるつもりか!」


「ち、ちが……そんなつもりじゃ……」


「何が違う! お前のそれは思いやりでもなんでもない、ただの同情と自己満足だ! だが、死んだ彼らはそんなことを望んでいない。自分たちの死を糧に前へと進んでくれることを願っていたはずだ! お前がそうやって死者を振り返り続けているうちはなぁ、ずっと彼らの死が犬死のままなんだよぉ!!」


 そんな氏治に、先ほどまでの抑揚のない平坦な声の恐怖とは打って変わって、男の憎しみさえも交えたような本気の怒りを初めて目の当たりにした氏治は、あまりの恐ろしさに粗相をするありさまだ。しかし、二人ともそんな些細なことは気にする余裕はない。


 珍しく青筋立てて感情的になる八幡の脳裏には、せっかくの殿(しんがり)を生き延びたにも拘らず、無念にも散って行った男たちの顔が映っていた。


「そ……んな……でも……私が……ぅぐ、うぅぅ……」


 何か言い返したくても、現場でそれを見てきた八幡に何も言い返せず、出てくるのは涙ばかりで言葉は浮かばない。氏治はみっともなく喚かないように、嗚咽を漏らしながら口を堅く食いしばるので精いっぱいだった。


「……ただな、いきなり全く振り返るなってのも無理があるとは思う」


 少し冷静になった八幡は氏治の肩に手を乗せ、まだ怒りの混ざる落ち着いた声でそう言った。


「ぐす、うぅ、そうだよ…無理だよ……っぅぅ」


 すっかり心を折られた少女は何かを言い返す気力もなく、鼻をすすりながら、ただただ懇願するようなか細い声で自分には出来ないのだと、些細な抵抗をする。


「そこでひとつ提案がある」


 ようやく落ち着きを見せた八幡だが、自身の体に何かが憑依したような感覚に襲われていた。もっと言えば仮面が取れる直前からそうであったのだが、今その感覚にようやく気が付いたのだ。そして、意志とは別に言葉は続けられる。


「……グス……何よ……」


「戦死者の家を一軒一軒回るんですよ」


 八幡は自分の言葉をどこか他人事のようにも感じつつ、第三者目線で自分自身が冷静ではないなと感じていた。

 討ち死にした武将についてはその嫡子を正式に跡取りとして任じるためにそれぞれ訪問し、感状や証明する書状を渡し、見舞いの品を渡すのがどの家でも習わしであることが多い。だが、足軽身分への補償は一応存在するが、米など現物支給の上に極めて少なく、見舞いも戦死者の属した組頭かその上の武将等が行うものであった。


 これを、大名家の当主本人にさせようというのは常軌を逸した行為であるというのは流石の八幡にも理解できていた。それでも尚これを強要するのは、このことがこの世界の常識に反する行動であるという事と、現代を長らく生活の場としていた男の良心との限界の妥協点であったのだろう、という事だった。


「ぇ……そ……そんな事、できるわけない……」


 しかし氏治は、先ほどまでの恐怖とはまた違った恐怖の色に顔を染め、フルフルと子犬のように震えながら申し出を拒もうとする。


「なぜですか? 民を思う慈悲深いあなたならその程度出来ないことはないでしょう?」


「で、でもみんな……私を恨んで、その……怖い、の……情けない……よね……」


 申し出を拒もうとする中、氏治はふと一つの事実に気づいた。

 自分の勝手で、人の命の灯り火を消したにも関わらず、理由もなく恐ろしいというだけで、その償いの気持ちまで放り出そうとしていることに、そのあまりの自分勝手さに。


「そうですね。ですが、情けないままでもよろしいのですか? 恨み節の一つも受ける覚悟無くして家督を継がれたのですか? 貴女の皆を思う御心は、その程度なのですか?」


「でも……一人で……」


 それでも孤独感に押しつぶされそうになり、二つ返事で受け入れることができるほどに、少女の器は固まってはいなかった。八幡は少しの逡巡のあと、小さく一呼吸を置いて溜息交じりに言葉を続けた。


「ついていきますよ、もちろん。言い出したのは私ですからね。それに、氏治様を一人で放って置く訳にも行きませんから。」


「……ありがと……」


 少女は最後の一言に、八幡がようやく戻ってきた。そんな気がして、直後に安心感も湧いてきたのか肩の力もぬけ、頬の力もだらしなく抜けきった。

 そして、少女は鏡を見ずともわかった。ようやく自分に笑顔が戻ったことを。


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