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序章

 私が時折見る夢は、目が覚めるといつも記憶には残っていない。

 それどころか、ここ一、二年の記憶はなぜだか思い起こそうとすると曖昧なことが多くて、頭痛が起る事もある。


 そして、これはきっと、私がまだ幸せだったころの思い出。


「お父さま~!」


 昔からお父様は忙しく、小田城を留守にすることが多かった。戦に外交、領民慰撫と時代が動乱を迎えるにつれて武家の当主の仕事は日増しに増えていく運命なのだと思う。


「おぉ~! 小姫ぇ! 可愛いのぅ! お前は本当愛らしいのう!」


 小田城にお父様が帰ると、私はいつも真っ先に屋敷を飛び出してその胸に飛び込み、よく甘えていた。人恋しい年頃だったのに、周囲にはいつも大人ばかりで漠然とした不安が胸を占めていた。


「ふふん、お父さまとお母さまの娘だからね! とーぜんよね!」


「そうじゃのぅ、そうじゃのう……ああ、こんなに愛らしいと見合う男がおるか心配で悲しゅうなってきおったわ。おぉ……」


「政治様、親馬鹿が過ぎますぞ」


 赤松擬淵斎は、家臣でありながら表の場以外ではよくお父様に厳しい小言を言っては小突いていた。

 その様な関係となるのも、お父様が義兄弟と家督争いをした際に、赤松擬淵斎は当初からお父様に味方して知恵を貸し、信太家を味方に引き込んでその兵を振るい、家督争いに勝利をもたらしたそうだ。

 だが、その付き合いはお父様が小田家に養子入りした時からだと聞くから何十年という長い友人付き合いがこういう関係をもたらすのだろう。


「あ! あかまつー!」


「おっほ~! これは小姫様。相変わらずお元気ですなぁ! でも、お転婆もほどほどにですぞぉ」


「なんじゃ、擬淵か。当主に向かって馬鹿とは失礼じゃないかね。というか、その反応気持ち悪いぞ娘を離せタコ頭」


「何を失礼と申されるか。そうボケボケしておられては困るのですよ。享徳の乱以降小田家は多くの領土を失って久しいのです。故に、我々はまだなさねばならぬ事が余りに多すぎる。ほれ、小姫様のためにも太平の世を築くのでありましょう? それにタコではないわ牛蒡侍」


「わ、解っておるわ。公方様の元に皆が集い法に従えば今に関東は鎮まる。京も誰かがまとめるだろう。そうすればあとは京と関東の公方様がどうにかしてすぐに平和な世になるわいダルマ腹」


「そのためにも、尽力せねばならぬことは山ほどですぞ貴族かぶれ」


「わかったわかった! たまの家族団らんも許してくれんとは鬼じゃなお主は」


「泰平になったら嫌と言うほど小姫様とも遊べますぞ」


「よし、いっちょ諸国平らげて来るぞ」


 お父様は赤松といつもこんなくだらないやり取りをすると、よく兵や武器を集めて戦に出て行った。どうやら、お父さま自身はあまり戦に強い訳ではないらしく、負けて怪我して帰ることもしばしばあった。

 菅谷一家はこの頃から度々お父様の代わりに戦場に出ては、数々の勝利を収めて凱旋し、いつもお父様に褒められていた。それが羨ましくて笠をかぶり、脇差を借りて「えいえいおー!」なんてやった日には、赤松がこってり叱られ、私も源じぃに「危ないことはやめなさい」と一刻余りに渡る説教を受けたのは今も色濃く覚えている。




 そしてまた別の日。

 やはりお父様は馬を曳いてきてはあれやこれやと皆に忙しく指示をしている。


 馬を曳かせ、数十人が一塊となって門から出て行く。荷駄が続き、夫丸が続く。

 それを眺める甲冑姿のお父様の隣に、水干に烏帽子姿の赤松が並び立った。


「殿には時の流れが大きく隆起している姿が見えまするか?」


「うむ。だが、それも擬淵。お主の先導に頼ればこそだ。わしは、どうやら生まれる時代を間違えたらしい。治世の能臣と成れても乱世においては英雄は愚か姦雄ともなれぬ平々凡々な男よ」


「卑下しては羽があっても飛べぬ。地を見ず、空へ志を投げるのです。翼は此処にありますぞ」


「……随分重そうじゃな」


「貴様はどうしてこうっ!!」


「ねぇ、あかまつー! お父さまはなんで今日もお出かけするの?」


「おぉ、これは小姫様。そうですなぁ、公方様に御呼ばれしては、顔を見せない訳には参らんのですよ」


 赤松は私の質問に何でも答えてくれた。そして知ったのだけれど、公方様に御呼ばれする時はかならず戦になった。それがなぜかは解らなかったけれど、戦に関する詳しい話だけは誰も私に教えてくれなかった。


「なんでー? くぼうさまがたたかいたいなら一人でたたかえばいいじゃない」


「それはですなぁ、公方様はお偉い人ですが、お力があまりないから皆の力を借りねばならないのです。今までもそうしてきたのですからな」


「今まで、と、今、はべつだと思うけどなぁ。ものごとはかならず初まりって言うのがあってね、初まりの前には今までって言うのはないと思うの」


「ははぁ、左様ですなぁ。源鉄斎様に教わったのですか?」


 赤松はお父様を見送ると、私の手を引いて屋敷へと戻る。

 この頃の私は、赤松によく面倒を見てもらっていたから、養父のような存在であり、源鉄斎は師匠でありながら、義理の祖父のようであった。実際の祖父が居ないから、余計にそう感じたのかもしれない。


「うん。源じぃもそんなこと言ってた。でもわたしが思ったの。だから、お父さまは戦いに行かなくていいじゃない」


「ですが、世の中は道理が全てではないのです。人には解らぬ不可思議が渦巻き、人と人とは心が一つではなく、様々な感情がある故に、そのしがらみが思わぬ不幸をもたらすのですよ」


「十人十色ね!」


「えぇ。ですが、一人でも幾つもの色や形を持ち、複雑に移り変わる。ですから、平和は難し……っと、こんな話は小姫様にはまだ難しゅうございますな」


「わ、わかるもん! ……うん、うん! ほら、漢字もきっちり習ったもの! 平和は平らに和は円を現すでしょ? みんながいろんな形をしているから、平らにならして和になるのは難しいものね。うん。色だけじゃなくて形も違うとなると、すっごく大変そうだよね」


「ふ、ふくく、わっはははは!」


「な、何がおかしいの!」


「いえ、感服しましたぞ! 小姫様は賢いですからなぁ。源鉄斎様の教えの賜物でもありましょうが」


 私は赤松がなぜ笑ったのかはわからなかった。


 それからしばらくして、戦や災害が増え、民が困窮し、お父様のみならず源じぃや赤松までもが忙しく働くようになった。

 より寂しさを増したこの時期、赤松に少しひどいことを言った記憶がある。


「どうせなら、赤松が戦場に出てくれればいいじゃない! 貴方はすごく強いんでしょう!?」


「小姫様……」


「菅谷親子だっていつもお父様の代わりに戦場に出ている! 今お父様が受け持つ戦場を貴方が指揮してくれれば、お父様は帰ってこられるじゃない!」


 赤松はこの時、少し悲しげな顔をしていた。でも、私も悲しくて、切なくて、寂しくて……周りへの思いやりに欠けていた。そんな時期だった。

 それでも赤松は、私に優しく諭そうとしていた。


「……左様ですな。しかし、政治様が出ねばならない戦場と言うのがどうしてもございます。それに、私がなぜ留守を任されているかわかりませんか?」


「……わからないよ」


「それはですな、私が強いからこそです。政治様は、小姫様の御身を案じて、何が起きても決して傷つけぬために、そして、小姫様をお守りしている『家』を護るために、わしはこうして小田城に在番いているのですよ」


「……ごめんなさい。ひどい事言って」


「なに、仕方がありません。こう災いが多く、戦が起り、民草の苦しみを聞きながら日々を送れば、心安からぬも道理です。政治様の優しさを現したこの小田城、されども民との距離が些か近すぎましたかな。ささ、小姫様は普段通り鶴千代と遊ばれませ」


「そんなことない」


「はて?」


「ねぇ、今私にできることはなにかない?」


「ありません」


 赤松の珍しいつっけんどんな態度に苛立ち、私も声を荒らげた。


「で、でも、町に降りればなにか! 村々でも困っている人は大勢いるでしょ!?」


「なりません! 小姫様は此処しばらくの間、何故城を出るのを禁じ、必要での外出に物々しい警固を付けているのかまるで理解なさっていない! 御聞き訳なされ!」


 それでも、私は赤松の言葉に反抗した。いつも御淑やかで可愛い可愛いと育てられて姫姿が板についていたけれど、どうにも根っこはお転婆なままらしい。そう思うと可笑しくて、つい笑ってしまう。

親友のつーちゃんは笑い事じゃないと青い顔をして、城をこっそり抜け出そうとする私を止めていたけど、結局一緒についてきてくれた。


 町に出ると、人々はやせ細り、疲れ果てた顔をして、生気を感じさせない町や村が多かった。それでも、自分の出来る事を探して、でも何もなくて、それでも何もなくてできることはないかと考えた。

 その時出てきたのが、歌や小躍り、そして少し足を延ばして雅楽と言ったものだった。


 基礎的な事は幼いうちにつーちゃんと一緒に極楽寺の顕然様の元で習っていた。

 それで十分皆を楽しませることはできたけど、時折不満をぶつける様に石を投げつけてくる人もいた。怪我をしたときは赤松にこってり叱られたけれど、やることを見つけた私には馬耳東風である。

 その後、探究心に火のついた私は収まらず、最近当家に仕えたという鬼のような大男、手塚石見守が雅楽芸能の達人であると聞いてそのもとを訪ねた。


 屋敷を訪れると、礼儀の無い手下にからかわれもしたが、どうにか姫と信じてもらい、面会した時はその形相の恐ろしさにつーちゃんはおもらしをして泣き出したものだった。


「小姫様、であったな? 城からはしばらく出てないと聞いておるが、何故ここに居るかはまぁ良い。町娘の謀り事であってもその豪胆さは面白いしな。それに、ワシに手習いを受けようという気概も認めよう」


「お願いいたします」


「ではまず、歌と踊りを簡単に披露してみよ」


「はい!」


 つーちゃんは着替えて一緒に歌ったが、声が震えてまるで声になっていなかった。けれども、手塚は感心した様子で頷くと、毎日屋敷に来るように私たちに指示した。


 それからはというもの、手塚とつーちゃんを引き連れ、手塚の部下で芸達者の人も集め、各地で労いの興業をして回った。人々が喜ぶ様を見てとても楽しかったが、もちろんすぐに赤松に捕まった。けれど、珍しく源じぃの口添えと、顕然様や手塚の擁護もあって興業が続けられることになった。


 そして、お父様に甘えることなく、お父様を支える一助に成っているという充実を得られるようになり始めたある日、大きな戦が起った。関東公方様が関東中から八万とも豪語する大軍を結集させた大戦。そんなの眉唾だと皆で囁き合った、そんな記憶はある。


 けれども、ここから先、元服までの記憶が私にはすっかり抜け落ちている。




「ん、うぅ……ここは……?」


 また、何か夢を見ていた。きっと、あの頃の幸せな夢。


「お目覚めですか、氏治様。ここはもう黒子村の東の湖沼地帯ですぞ」


「そ、そう。情けないところを見せたわね。則定、状況を教えて」


「早朝、菅谷政貞殿が自ら大物見に出て敵と遭遇。退く隙を間髪入れずに猛攻を掛けて撃滅いたしました。もう間もなく日が完全に姿を見せるでしょう」


 合戦の最中に平和な頃の夢だなんて皮肉ね。いや、あの頃も決して、平和ではなかったけれど……。


「そう、政貞にはすぐさま褒美を渡したいところだけど、じっくり見繕ってる状況じゃないわね。則定、誰か使いを出してそこの黍もちと手ぬぐいを届けてあげて。そして全軍に戦闘準備を」


「御意!」


 名門の小田家に相応しい大軍と優秀な家臣達が私には付いてる。お父様の遺志を継ぐ私にここまでのものが揃えば、よもや敗北という言葉は存在しない!


「ぜぇんぐぅぅぅんん!!! かかれぇぇぇええ!!」

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