第二十八話 普請奉行と領内整備
二日酔いから回復して以降、八幡は遅れを取り戻す様に計画書を練りこれを提出。
氏治のもとに集った赤松擬淵斎、天羽源鉄斎、信太頼範と言う小田家の事実上の首脳部にして長老会的存在の一同が会して八幡が提出した計画案や氏治の加筆修繕案、手塚石見守がこれらを基にした別案など軍事的観点や外交面、大局的視点から吟味して最終的な認可を与えた。
そして認可が与えられて日の翌日、八幡の小田町小普請奉行が解任された。
任務完了であり、小田城下町の修繕や近隣の戦災地の回復が成し遂げられたからである。
「八幡様、この度は正式なお役付きとなりましたこと、まこと祝着至極に存じまする」
「や、やめてくれ太兵衛。恭しくされるのには慣れてない」
「左様ですか? 承知しました、ではいつも通りに」
八幡はいくつかの雑務や普請の功績に加え、今回の企画の中心的な役割を果たすことのできる唯一の人材として一定の地位を持つ必要があったため、新たに常設普請奉行と言う役職が宛がわれた。内容は今回の桜川流域の道や町村、施設の普請を今回の計画に沿って随時行うというものである。
今回、奉行職の常設化もあって八幡は専属の部下五十人を召し抱えることが認められ、八幡の普請事業を今まで助け続けた者たちがそのまま正規雇用される運びとなったのである。
このため、八幡には二百貫の貫高と百石の扶持米が支給されることとなった。内訳は配下一人一人への俸給が三貫と一石である。決して裕福な暮らしではないが、今まで極限の生活だったものが殆どであったため、常に仕事と食事にありつけると言うだけで八幡は大変に感謝された。
因みに、太兵衛にも家計の独立が認められており、八幡の副官としての地位に加え、上記の石高及び貫高の三割は太兵衛分を含んだ数字でもある。
「じゃぁお前ら! 氏治様に禄を頂いて晴れて真っ当な暮らしができることに感謝しつつ、この金を捻出している領民に還元するべく働くぞ! いいな!」
「おうぅ!!」
「鍬にもっこに鉄堀串の用意はいいか? 今の三貫一石の扶持の俺たちには妻子を持つ余裕もないが、努力をすれば認められる、そうすればまだまだ出世ができる。全力で取り組んで、上にも領民にもこれだけの取り分があってしかるべきと認められるような働きを見せろ! まずは扶持米を二石貰えるように目指し、家庭を持てるように努めるぞ!!」
「うぉおお!!」
八幡は手塚石見守の指導の下、江戸山城守の手助けを受け、実務を塚原内記や河川流通の要である菅谷治貞の協力を得ながら作業を進める。
これにより極楽寺や筑波大社の門前町、柏崎港から続く菱木川上流にある天神には市を常設化、部分的な道の整備や計画的に区割りして町を造ることで人を呼び込むなどの政策を施した。
加えて、常陸を東西に分断する浜街道沿いに改めて伝馬駅と宿場の設置、再整備を行った。
浜街道とは、律令時代の頃に畿内から東北三陸あたりまでの呼称とされた東海道が、鎌倉時代以降に鎌倉辺りまでとされ、以東は常陸までを浜街道、さらに北へ進むと岩城相馬街道と称されたことに始まる道である。
これとは別に氏治は独自の指示で、小田城下の他に桜川沿いの北条城、蓮沼川沿いの苅間城にも集団手工業の工場地を整備して建築を始め、城下町を拡張させた。
氏治自らが動いたのは、番匠を用いる必要のある仕事は技術の習得が不足している八幡等には難しく、正規の番匠達を大名権力によって動員する必要があったためだ。また、手工業用地の確保と言う風変わりな行動は、綿花について独自でも調べ、八幡から産業育成構想を聞いての行動である。
また、北条城は小田城と同じで桜川沿いの城だが、苅間城の蓮沼川はまっすぐ北へ伸びて桜川の近くまで伸び、手前で途切れる。このため、蓮沼川上流の船着場から桜川までの短い道を整備して小田城との往来の強化を行った。
「しかし、道を作るとはいったものの、湿地も多いと容易じゃないなこれは」
八幡は鉄堀串を肩に背負いながら手ぬぐいで汗を拭う。
太兵衛も農具を持つ姿が板につき、慣れてきたのか不服そうな表情にはならずに作業に従事していた。
「そうですね。一応旧道の復旧を下地にしているとはいえ、何せまともに機能していたのが随分昔の事ですから」
「そういえば確かに、律令の勉強で道については出たが、それからまた道について記述が出るのは江戸時代だもんな……つまりは、そういう事ね……」
「どうかしましたか?」
「いや、なんでもない。ところで、奈良商人誘致の話はどうなってる」
八幡は思い出したように話を振る。
かつて三村山極楽寺を開山した聖人忍性が、その伝手で奈良から多くの商工人を引き入れていることからも小田の地は奈良と繋がりの深い一面を持っていた。今尚、京に続いて文化や商業の中心である奈良から商人を引き入れれば地域の活性化は進むと考えての事であり、この辺りは現代の政治に似通っているところがある。
八幡は新しくできた市庭での営業を認め、税を免除する特権を設けた。更には沖宿や土浦での荷卸しから各地の市庭までの商品輸送の護衛を小田家負担で引き受けるという優遇策である。
当時は輸送時の安全を確保することは重要でありながら苦心するところでもあり、船での海上輸送は多くの物資を輸送して利益が得られる側ら、うま味を横取りしようと考える輩も多い。故にその足元を見て、上乗りと言われる海賊を乗せることで保証を得るには何貫という単位の多額の金を必要とした。これが余りの苦痛であるのか厳島では海賊白井氏が警固料として横暴を成した際には厳島に船の来航が殆ど無くなったこともある。
船程ではないにせよ陸でも同じであり、小田領内とはいえ交通が負担無く速やかに行えることは商人にとって非常にありがたい事であった。
また、一度小田領に運び込んだ荷を霞ヶ浦及び利根水系範囲で小田家の勢力内ならば水上輸送の護衛や近隣領主の口利きなども行うという条件を加えることで、近畿商人たちの東国商業拠点としての旨味ある法整備を行ったのである。
「それならつい先日、腹巻屋藤次郎と申すものが小田城の由良信濃守様と平岡周防守様の御両人に面会したそうですよ」
「ほう、腹巻屋と言うと、奈良の大手商人か。菟玖波屋の大旦那が取引してると聞いたな」
腹巻屋は転害の町に住み、時折行商に出かけながらも当地で旅館経営の側ら、武器の製造販売も行う奈良有数の商人である。このほかにも多くの奈良商人は興福寺の塔堂たる多聞院との関係を持ち、そのまま御用商人となりながら商品や物流のやり取りを行うのである。
しかし、これらの人物は興福寺の年貢を販売する御用商人である側ら、奈良の民衆に物資を供給する小売商でもある。この点は菟玖波屋と同様の立場である。
「そうですね。やはり八幡様の目論み通りにいち早く特区の話を聞きつけてきたようで、武器商いの人と言う事もあり鑓三十に打ち刀五十、看板の腹巻を四十程持参して氏治様に献じたとのことです」
「ほう。そりゃ上々。蔵の方はどうだ?」
「即決ですね。やはり土地を極楽寺に寄進して寺を立て、境内に蔵を立てるというのが信頼を得たようです。東国商いの拠点にするべく人も移し、この小田周辺でも人を雇い入れるという事です」
「ようし、狙い通りだな。交通と商いに直接的で明快な便宜を図る代わりに、蔵入れ料や住民としての諸税を貰い受ければ税収は増加するし、品が集まれば人も集まる。それを狙ってさらに小商人や職人も集まれば何をするにしても便利になるし、税も情報もより一層集まるからな」
「ところで、八幡様。正午の鐘が鳴ったら小田城でまた会議なのでは?」
「あぁ! そうだ! すまん太兵衛、此処は預けるがいいか?」
八幡は鉄堀串をそのまま地面に突き刺すと、急ぎ桶の水で手ぬぐいを浸し、それを絞って体の汗を拭い取る。
「承知しました。会議はどの程度?」
「三日三晩だ。合間々々にまた資料を作りたいしな。紙代をケチらずに資料に作って纏める文化とかを根付かせたい」
八幡は呆れて溜息を吐きつつ、肩を竦めて笑う。書類作成不十分で必要事項が不足し、所々口頭で済ませてあると思われるやり取りの書類などに頭を悩ませながらも、どこかやりがいを感じてもいる様子である。
太兵衛は書類の重要性は今一理解できていない様子で首を傾げる。
「よくわかりませんが、了解いたしました。私の方でも精進して工期を短くするように努めます。八幡様は小田城での出仕を終えたら次の現場へのご用意をお願い致します」
「了解した。ただ、その前に皆に訓練も施したい。太兵衛、頼めるか?」
「構いませんが……まぁ、やるだけはやってみましょう」
八幡は小田城へ上ると、重臣一同の前で手塚石見守が主導しているものとして説明し、現場担当者としての紹介を受けて各計画とその進行状況の解説、計画の目的と予想される効果のほどを端的に語る。
こうした説明を行い、重臣各将がその下に続く陪臣に説明することで、建設する際の現地の農民の動員に理解を得るのである。また、各将兵には下男の供出とそれを纏める中間を八幡の下に派遣することを要請して一人でも多くの人手を集めた。
そして、連日の会議を終えて、八幡が作業現場へと向かうと、作業準備だけをして待機がてら戦闘訓練を行う五十余りの軍勢がそこにあった。
「太兵衛、訓練はどうだ?」
「駄目ですね」
「……そう即答するなよ……」
きっぱりと言う太兵衛に八幡は肩を落として苦笑いをする。
見れば軍勢の動きはなしておらず、団体行動はまるでとれずに烏合の衆と化している。
太兵衛は軽く八幡に一礼して言葉を続けた。
「いえ、失礼しました。しかし、日々の町普請の間に訓練しているようでは、余り上達は見込めないかと」
「そうか、しかし本業をおろそかにもできないしなぁ。だが禄をもって多数の人を抱えたからには立派な戦力だ。いつ戦場に駆り出されてもおかしくはない」
太兵衛は大きく頷いて同意する。
「勿論です。五十人ともなれば、もう立派に武家として家を興したも同然。人員だけで言えばもうすでに私の実家以上ですよ」
「そうなのか?」
「えぇ。私の実家は三十人扶持の足軽大将なのです。まぁ、下男郎党を加えれば六十程はいますが、それでもやはりすごい数です。それに、鑓持ちで二貫、弓足軽は一貫程度の俸給ですから、普段は別に仕事をもっているので足軽を日頃から手元に置いてはいませんし」
この当時、各大名は足軽の動員が増えるにつれて領内でいつでも動員できる足軽要員の確保が必要になり出した。しかし、これを専業として銭を与えて養う余裕はどこも無く、農民の年貢減免や、貫高を与えることで確保していた。この際、着到状には組ごとに編成され、
『六拾貫文 鉄砲衆丗人一組 一人二貫文宛給
四拾貫文 鑓衆廿人 同断』
と言った形で記され、一戦力単位ごとに雇用、俸給がなされている。
しかし、当時の物価から考えてこれでの生活は難しく、だからと戦事に都度支払われる金額でもない処からも、平時は様々な仕事に就かせておき領内に引き止め、戦時には真っ当に戦働きさせるためであることを覗わせる。
「ははぁ。とはいっても、うちの奴らは自分の仕事とかもてないくらい毎日仕事させてるからな。きちんと暮らせる分の俸禄は必要だ」
「それが、まるで郎党を五十人持つ様な事だというのです。これは八幡様のもとで常に動かせる人員。だからこそ戦闘力として機能して頂かねば困るのです。元番兵、農民層の者は馬に乗れたり基本的な戦ができるものもいますが、河原者出身者などは厳しいです」
八幡は思いの外自分が大物になったのだと思い知る。
しかし、八幡の二百と言う貫高は通常の武士とは違う事も確かであり、配下の待遇なども別である。立場や身分によっても、連れる兵やその装備などによっても動員数はまちまちになるが、武家の実際の記録に見る約二百八十五貫の貫高で三十六名、百九十貫で二十六名などという数字からしても、八幡は貫高に見合わない人員を抱えていることが解る。
しかし、これも人員があえて戦闘に動員するなら夫丸と呼ばれる非戦闘員レベルの作業員の待遇であり、そのような人員を用意したのだから戦闘力が極めて低いのはやむを得ない事である。
「どうにか弱点を補えるようにしていきたいが……そうだ、昔読んだ本で弩って武器があったな。というか、大陸なんかじゃ一般的な武器か」
「弩、ですか?」
八幡の提案に太兵衛は首を傾げる。見たことも聞いたことも無い装備にまるで想像がつかないのである。
八幡は意外そうな表情をした後、手近なものを使って説明を始める。
「なんだ、太兵衛は知らないのか。こう、角材に弓が着いた様なやつ」
「はぁ……それを手にするとどうなるのです?」
「弓を引いた状態で固定出来て、引き金を指で引くだけで矢が放たれるんだ。安定しやすく、狙いやすい上に訓練もほとんどいらない」
八幡は「どうだ、いいだろう」と言わんばかりの顔をするが、太兵衛はなおさらに首を傾げて素朴な疑問を溢した。
「それは確かに便利ですが……そんなにいいならなぜ広まらないのです?」
「……確かに。まぁ、それは一先ず手に入れてから考えればいいさ。大陸じゃ一般的な武器なんだ。たまたま流行ってないだけかもしれないし」
無論、偶々等がある訳がない。整備の不便や少人数同士の小競り合いやゲリラ的戦闘が多かった日本の戦場には不向きであったことに加え、民衆を戦闘に駆り立てる事の少なかった少数同士の争いでは効果が薄かったこともある。
戦闘の敗北が民族の死をもたらす大陸の異なった民族間の戦争に対し、日本の戦争の多くは権力闘争で民衆に直接的な類が及ぶことは無い。飛び火的な被害やなし崩し的戦闘への動員があっても、住民の虐殺を目的とすることも無ければ、住民が民族の存亡をかけて戦う事も無い為、弩を持つ必要性に欠けているのである。
太兵衛は呆れて溜息を吐きながらさらなる疑問をぶつける。
「では、そのような広まってもいない武器、何処から手に入れるというのですか?」
「そりゃぁ、まぁ、うん。作れそうだけど難しいだろうしな……いや、それこそ腹巻屋藤次郎に尋ねてみればなにか解るかもしれんし、一先ず情報を集めてみよう」
八幡は腕組みしながら一人合点するように頷いていると、話は一区切りついたものとして太兵衛は一枚の紙を取り出し伝達事項を述べる。
「八幡様、これが新たに整備するようにと指示を出された区間です。そろそろ本日の訓練は終えて現場に向かわせようかと思うのですが、如何でしょうか?」
「いや、この現場になると距離があるし、さっきから雲行きも怪しい。今日は一先ず各員休ませよう。一日の半分以上を労働と訓練に費やしてばかりでは心身ともに疲れ切ってくるだろうしな」
「いいのですか? 今から半日も作業を止めれば期日までに……」
「いいさ。これに関してはまた俺の方から上に掛け合う。明日もし雨になる様ならば、城下町の南口から進んだところにある村の鹿島神社に集合するようにしてくれ。出来るやつも多いだろうが、俺の方から改めて文字の読み書きを学ばせるし、互いに技術を高め合う勉強会を開こうと思う」
八幡は太兵衛から紙を受け取ると一読し、折りたたんで懐に入れる。そして、視線を外へと移すと遠くの空に見える黒雲を見て小さな溜息を吐いた。
その一方で太兵衛は八幡の指示に不服の様子を見せながら僅かに語気を強めて答えた。
「雨では確かに作業は進められないかもしれないですが、訓練は出来ます。彼らの命に係わるのですから、訓練は彼ら自身のためにも軽んじて頂いては困ります」
「いや、軽んじている訳じゃないさ。だが、ここ最近無茶をさせ過ぎてるし、体を休める時間も必要だろう。雨の日に無駄に体力を消耗するよりは室内で技術を高めて居る方がいいと思わないか?」
太兵衛は武術を尊ぶ戦国らしい教育の所為か、幾分教養を軽んじている風であり、納得せずに渋々承諾となる。
そして後日、町外れの小村落の祀る鹿島神社を借り受けて寺子屋もどきが開かれた。