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第二十七話 市庭の風景

 数日の日を跨ぎ、手塚石見守の言いつけに従い中貫(なかぬき)と言う地に立つ定期市へと足を運んでいた。

 この地は小田の東部、土浦や木田余の北部に当たり、すぐ北西には大掾家との最前線である上稲吉と言う地があり、そこにある後庵城と言う拠点に稲吉与郎と言う将が入りこれを守っていた。

 仏教の教えの関係で特定の日に参拝者が増える事から門前で始まった三斎市だが、門前でもないこの地で手塚石見守が市を開いたのには当然ながら訳がある。霞ヶ浦に続く川が流れており、物資の輸送の便もよく、湿地の多いこの地域に珍しく川べりに開けた平野があるという市を開く条件に加え、前線である後庵城への補給と言う観点から執り行われたのだ。


「銭を集めるだけの簡単なお仕事……なはずだよな?」


 八幡は太兵衛に語りかける様に話すが、手塚石見守の指示で太兵衛は手塚の配下と訓練を行うべく呼び出されていた。よって、八幡は一人で三斎市と言う月三回の定期市の中を歩き回っている。


「そうか、今日は一人なんだよな……連れがいないってのは、時と場所に関係なく心細いもんだなぁ……。あぁ、そこの主人」


 八幡は自分の担当する区画の徴収を行うべく一人の女主人に声をかける。

 女主人は三十路過ぎの程よく豊かな肉付きをしており、粗末な御座に大豆を広げて升による量り売りをしていた。


「なんだい、アンタは……お武家さん? これは馬粮には質が良すぎるよ」


「おいおい、口が旨いな。俺が馬持ちのお武家さまに見えるってかい?」


 女主人は、八幡と目線が有った途端に客にしようと興味を引くべく話しかける。

 八幡は軽く笑いながら歩み寄ると、小気味のいい女主人に調子を合わせて会話を弾ませる。単純に一言目から徴税と言うのはどうにもやりづらいものがあるのだ。


 女主人はからからとした心地よい笑いを見せながら、早速とばかりに話を商売へと引き込む。


「あっははは! 冗談だよ。今はうちで取れた蕪と大根も少し売ってるんだ。買ってくれないかい?」


「悪いな。俺は買い出しじゃなくてお役人だよ。役銭八文を出してもらえるかね」


「おやまぁ、随分若いじゃないかい。幾つになるんだい?」


 女主人は目を丸くしながら豆を升に取り分けつつ、暇があれば手元にある藁で草鞋を編み続ける。

 八幡は女主人の前にしゃがみ込むとこれに答えた。


「つい最近十九になったな」


「へぇ、でも言われてみればお似合いかも知れないねぇ。小役人って見た目してるよ」


「し、失敬な! こ、これから出世するんだよ!」


「あははは! 意気がいいね! どう? うちの娘を貰わない? 器量はいいよ。まぁ、出世できなければ返してもらうけどねぇ。それとも、何なら私がいいかい?」


 色目使いの女主人に、八幡は寒気を感じながら後退りして明確に拒否の意思を示す。


「謹んでご遠慮するよ。そんなこたいいから早く役銭払ってくれないか。結構幾つか回らなきゃならなくて余り暇じゃないんだ」


「ははぁ、そりゃ悪かったねぇ。ここの三軒は両隣の村に嫁いだ姉と妹でね。まとめて払っとくよ」


「となると二十四文か。いっぺんに払えるのか?」


 大豆売り程度の農民商売では八文は高額である。

 八幡も徐々に金銭感覚を掴んできたため、多少なりとごねる事を覚悟していたが、思いのほかスムーズに進む仕事に胸を撫で下ろす。


「馬鹿にしちゃいけないよお兄さん。商売上手な三人娘って言われてんだから。ちょっと手を出して御覧なさいな。馬鹿にせずにきっちり数えておしよ。一つ、二つ、三つ……十三、十四、ところでこの仕事はいつからだい? 見かけない顔だけど」


「今日はたまたま人手不足で助けに入ってるだけだよ」


「十五、十六、そうかい、しかしお武家さんも大変だねぇ、若いのに十七、十八、あれ、いくつだっけかね?」


「いや、十九だって。その年でボケてんのかおばちゃん」


「ボケてるとは失敬だね! 二十、二十一、まだまだ昼の仕事も夜の仕事も現役だよっ」


「や、やめてくれそういう話は……おばさんが言うと妙に生々しい」


「二十二、なんだい、負けてくれたら少しばっかし遊んであげてもいいと思ったんだけどね。二十三、二十四! はい、これでいいね」


「確かに受け取ったよ。それじゃな」


 八幡は銭を掴んで懐の袋に仕舞いこむと、足早に次の店、そのまた次の店へと足を運んで順調に仕事をこなしていく。この際、交流と見聞の為に会話を持ち掛けられれば雑談に都度付き合っていた為、最後の店を回る頃には日が傾き始めていた。


 最後は、川べりに幾つかの桶を置いて魚を泳がせた漁師の男からの徴税であり、厳つい体つきはどことなく威圧感がある。そして、八幡はふらっと通りを歩くと不思議とすぐに声を掛けられる。


「おいそこのにいちゃん、ちょっと見てけよ! 若いもんは良く旨いもんを食ったほうがいいぞ」


「あぁ……おっちゃん、ちょいといいか?」


「おぉ、なんだ。うちの魚はうまいぞぉ? なんせそこの川で取れたばかりだからな。幾ついる?」


 桶を目の前へと持ってくると、早速魚を取り出そうと網を持ち始める。

 八幡は慌てて両腕を突き出して首を左右に振る。


「いや、違う違う。客じゃなくてお役人よ。役銭頂きに来たんだよ。八文出してもらえないかい」


 八幡はどこか引け腰になりながらも笑みを浮かべながら頼み込むが、漁師の男は相手が下役人とわかるとまるで何事も無いかのように無視をした。

 もう間もなく日も暮れて市も解散である。そうすれば名簿があるわけでもなし、最後の魚を売って逃げればばれやしないと考えたのである。


「さぁ、よってらっしゃい見てらっしゃい! 今日は川の小魚五匹で二文! いつもより一匹多くおまけしちゃうよ~! さぁ、買った買った!」


「いや、おい、無視すんなよ。八文払うのは決まりだろ? ちょ、おい!」


「っち、うるっせぇなあ。ひょろ痩せは黙ってな」


「あだっ」


 漁師の男は掴みかかる八幡を片腕で払いのけると、八幡は尻餅をついて打ち付けた腰をさすりながら立ち上がる。

 すると、その騒ぎを駆けつけた厳つい風貌の破落戸が数名近寄り始めた。手塚石見守の配下の末端である。


「おぅ、なんだなんだ? 揉め事かぁ?」


「あ、いえ。ちょっとその男の声が小さくて聞こえづらかったんでさぁ。八文だったな。へいへい、只今用意いたしますよって」


(なるほど、こういう時の事もあって徴収役が手塚殿の配下衆に任されたりするわけだ。本当にショバ代ミカジメ料の世界だなぁおい)


 破落戸を見るや否や態度を変える漁師の男を見て、いつの時代もこの商売ばかりは変わらないのだと苦笑いを浮かべるのであった。


 一先ずどうにか仕事を終えると、手塚石見守の部下が合流し、その先導で各地の町にある手塚の屋敷の一つへと案内される。

 そして、手塚石見守の前に引き出されて腰を落ち着けると、軽く頭を下げて仕事の出来についての報告を行う。


「さて、よく戻られた。銭集めの仕事は如何だったかな?」


「どの人も盛んに話しかけるものですから無下にも出来ず、思いのほか時間がかかりまして申し訳ございません。ですが、お役目の方は何とか」


 八幡は時間がかかったことを咎められるかと思い、謝罪をしつつ仕事自体は問題なくこなしたと自信を持って答える。

 しかし、手塚石見守はじっとしばらく八幡の様子を見ていると、唐突に命じる。


「ふむ。では、その銭を数えて見られよ」


 八幡は意図が分からないまま、しかしながら都度きちんと数えながら集め、その上、現代人の自分にとっては計算ですらない数を数えて集めるだけの職務に失敗するはずもないと、まるで馬鹿にされているかのような心地になる。


 しかし、八幡は驚愕し、混乱する。


「……少し、足らない……なんでだ? え、そんなバカな!?」


 手塚石見守は首を左右に振り、諭すようにゆっくりと口を開いた。


「八幡殿はどうにも気が緩みすぎている。人を信じるというのは野放図に唯々諾々と話を聞き、確認を怠る事を言うのではないのだ。それに、よく見られよ」


 八幡は聞こえているのかも解らないような青ざめた表情で、顔面には大粒の汗を浮かべる。銭を掬い上げる手は震え、一枚一枚を観察するとさらなる嫌な発見が相次ぐ。


「……まだ何が……ん? あれ? これも、これも、これも! ぜ、銭が少し小さい……これなんて字面すらわからない! これは直径も厚みもまるで違うじゃないか! 申し訳ございません! 人を貸していただけますれば、今からでも市に押しかけて不届き者共をしょっ引いてまいります!」


「まぁ、慌てるでないぞ、八幡殿」


「しかし、偽造貨幣を野放しにしては大変なことに!」


「なに、それは贋金(にせがね)で在って偽金(にせがね)に非ず」


 混乱と焦りによって只でさえ鈍る思考に、矛盾を孕んだその一言は八幡の思考を完全に止めさせた。


「は……?」


「それは、れっきとした銭だ。十中八九私鋳銭だがな」


「……それは、どういう……?」


 八幡は私鋳銭程度であれば当然知っている。教科書にも載っているレベルで、庶民が勝手に鋳造した銭を指す。ただ、それが通貨としての銭であるというところが現代の感覚では理解し得ないものなのである。


 しかし、この時代は私的に鋳造された貨幣はなんと普通に流通するのである。誰が許可したわけでも無く、誰の証明があるわけでも無いそれは、何に対する信用貨幣というわけでもない。

 ただ、漠然とした普遍的な価値観という、曖昧な感覚を頼りに貨幣として存在し、これ故に土地や人によって価値が左右され、永楽銭が鐚銭四文にもなれば七文にも化ける。その一方で西国では永楽銭を嫌って取引はしない者も居るのだ。

 それだけではない。鐚銭同士だって様々で一筋縄とは行かないのだ。まず、正貨とは何か。これは、大陸の使い古された程良くすり減ったものが用いられた。年代物の貨幣が正貨であれば偽造するものは新造品であり、偽造が難しくなるからだ。しかし、すり減り過ぎたり、欠けたりすればこれはすぐさま鐚銭へと格を下げる。他にも、私鋳銭は元の銭より一回り鋳痩せするためこれもすぐわかり、鐚銭である。他にも新品の貨幣も鐚銭だが、他に比べればマシということもあり扱いはまばらであろう。よくできた私鋳銭は正貨として流通することもあったという。

 これらの鐚銭同士でさえ取引する際に個々人の価値観で都度交渉し、何枚で一文として認めるという了承を取り交わして取引が成立するのだから大変である。


 このため、時として領主は土地柄や文化にあった内実の違う撰銭令を出して価値基準を定め、通例として何割までは鐚銭を取引に認めるようにと言った内容のものを発布するのである。なお、信長の撰銭令のみ意を異にするがまた別の話しである。


 首を僅かに傾げ、真剣に学ぼうと唾を飲む様を見ながら、手塚石見守は内心で関心を抱きながら若干の厳しさを纏う口調で語った。


「貴殿の銭を語る言葉が余りに単調で、口にした数字に重みを感じないのだ。今回の一件でよく理解できたでしょうな。一文は決して一文に非ず」


「……つまり?」


「銭とはな、何か解るか?」


「か、貨幣です。取引するための基準とし、公平な取引をするための……」


「それは、当たらずとも遠からず。だがな、銭とは銭の形をした金属の塊ならば全て銭なのだ。そして、それは使う時や人によって常に価値を変える。好き嫌いで認められなければ銭ですらないが、認められるならば、その鐚銭も同じく一文である」


 八幡は手塚の言葉への理解が完全には追いつかず、一度うつむいて考え込む。そして、調子の良い解釈をして訪ねる。


「……難しくて理解しかねます。では、今回のお役目に問題はなかったと?」


「否。鐚銭は一文を一文と認められないことも多い。故に、本来であれば精銭と呼ばれる真っ当な銭を見定めて集めねばならんのだ。それがこのお役目の肝でもある。無論、銭を一文であろうともちょろまかされる様では話にもならぬがな」


 手塚石見守は、緊張と焦り、罪悪感で今にも倒れそうな八幡を気遣い、後半の台詞をからかうように軽い調子にする。

 しかし、八幡はそれを察する余裕など遠の昔に消えており、目眩を起こしながら息も絶え絶えに成りながら土下座で額を床に擦り付ける。


「なんと言う事を……誠に、言葉の尽くしようもございません……此度の失敗は肝に命じ、以降は二度と同じことを繰り返さぬように務めさせて頂きたく存じまする」


「八幡殿の雑談での金の使い振りが妙に大盤振る舞い、周囲はそれを持て囃す様、そして小銭を小銭として使った経験が少ないと見えたのでな。悪いとは思ったが試させてもらったのだ。すまぬな」


「そ、それは一向にかまいませんが……その、なんとお叱りを……」


「ぐくく、がっははははは! まぁよいよい! そう畏まるな! そう怯えるな! 聞けば氏治様の気にいられているそうではないか! 氏治様も年頃と言うのに年若く親しいものが傍に居らぬで心配であったのだ。これからもよろしく頼むぞ!」


「は! 寛大な処置、まことに痛み入りましてございまする!」


 手塚石見守も脅しすぎたと八幡を哀れみつつ、目の前の男はどうにも鑓働きには滅法向かなそうであると記憶に留めながら、今後の動きを注視しようと決めた。

 小田家臣団には、氏治を我が娘のように大切に思う者は多くいるが、特に手塚石見守にとっては芸能の弟子でもあるため一層可愛がっており、近くに侍る事になりそうな八幡という男をじっくり見定めようというのである。


 そんな手塚石見守の内心を知る由もない八幡は、破顔する手塚を見て危機は去ったのだと胸をなで下ろし、その表情には自然と笑みがこぼれる。


 そして、手塚石見守はピシャリと膝を平手で打ち鳴らすと、上機嫌になって大声で屋敷中に声を響かせる。


「そんな堅苦しいのは良い。さぁ者ども出てこい! 酒をもてぃ!」


「え、それは仕事を無事なし終えたらでは……」


「細かいことは気にするでない! 慰めの杯よ! 皆! 朝まで飲み明かそうぞ!!」

「うぉおおお!!」


(結局呑むんかーい!!)


 八幡の心の中の叫びは当然通じる訳も無く、手塚石見守とその配下たちによる盛大な宴会の犠牲者となり、二度目のトラウマをその身に刻むのであった。


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