第七話 土浦軍議
土浦城――それは、小田城の側を流れる桜川に沿うかの如く南東方面に進み、霞ヶ浦へと続くその注ぎ口に面する湿地を利用した関東有数の堅城である。河川水運に霞ヶ浦水運で物流は盛んになり、当時海であった霞ヶ浦からの豊富な海産資源にも恵まれた賑わいのある城下町を抱える小田家の生命線の一つとも言える要衝であった。
本日付で信太重成へと引き渡される予定であったが、突然の事態に保留となり、土浦城には新旧の城主である信太重成、菅谷政貞両名が揃って入城していた。
両家の対立の割には、この両名は当人同士の仲も特段悪くなく、それぞれが落ち着いた性格故か配下の兵も同じ本丸内で休息を取っているが、喧嘩や小競り合いのような騒動が起こる気配はない。
しかし、残りの信太家の兵は二の丸に詰め、菅谷家の政貞配下ではない兵、その他の兵は三の丸や腰曲輪に詰めた。家ごとに場所を住み分けて待機するのは、当時家の意識が強かった武士が、何かにつけて他家と対立して揉め事が起きがちであり、武家を束ねる大名は苦心して同様の手法を取るのは一般的であった。
「ごめん……またみんなに迷惑を掛けて……」
現在、大広間奥に隣接する一段高い城主の間には氏治が腰を落ち着けており、新旧城主はそれぞれ氏治の左右に腰を下し、平伏している。
「構いませぬ。他の部下も慣れております故」
「左様です。まだ状況は想定の範囲内。氏治様に置かれましては何を気落ちさせることがありましょう。まだ勝負が決まったわけではないのですよ」
菅谷政貞に続き、信太重成が声をかけ、二人は氏治を励まそうとするが、当人は幾度となく失敗する罪悪感に胸を痛め、気落ちした様子で両名に深々と頭を下げる。
「うん……小田城取り返したらしっかり褒美をあげるから」
「失地を回復するだけのことに褒美など求めようとは思いませぬ。それより以前お使いになった部屋をそのままにさせております故、一度休憩をなさいませ」
氏治が戦に負けるのは今回が初めてではなく、既に数度、戦を仕掛けては敗北し、小田城を失っているのである。
家督相続後の最初の宿敵は、隣国下総の結城城を本拠とし、かつては結城合戦などの歴史的な戦でもその名が知られる名門、結城家であった。
時の当主、結城左衛門督政勝は、家臣の水谷治持に調略をさせて小田家の中でも武名高い家臣、真壁久幹を引き抜き、小田領最北の城と領土を口先だけで崩して見せる。そして、予てより反乱を起こしていた家臣、多賀谷政経を降伏させることで支配体制を盤石にし、勢力を拡大させていた。
これを危惧した家臣の進言と、反逆した真壁家に対する個人的な恨みもあって氏治は軍を興し、年始の挨拶で当主不在の隙をついて結城城を強襲するも撃退される。
その後も度々結城家を攻めるも敗北。逆襲によって海老ヶ島城陥落、小田城も支えきれずに土浦へ退き、この際は菅谷政貞が小田城を奪還している。
しかし、これで懲りる氏治ではなく、再度結城攻めを敢行。初戦は戦力的優位もあって戦局を優勢に進めるものの、結城家の後ろ盾となった北条家から送られた援軍である江戸城軍の遠山景綱、太田資正、太田康資等の勇将、智将、猛将とそれぞれの率いる精兵部隊によって形勢は逆転。大敗を喫して小田城へと逃げ帰り、これまた支えきれずに土浦まで退いたのである。
そして無論、奪還するのは菅谷政貞である。
菅谷政貞が言い終えると同時に襖が開かれ「こちらへ」と兵士が氏治へ声をかけた。
「ごめんね、本当にみんなには助けられてばかりで……じゃぁ、少しだけお言葉に甘えさせていただきます」
氏治は両名に申し訳なさそうに小さく手を振ると、女中の案内で見慣れた廊下を歩き、前回の負け戦の時借りた部屋へと向かった。
氏治が退室するのを見届けると、菅谷政貞は疲れた様子で一つ息を吐くと、信太重成へと視線を向ける。
「やはり、これは佐竹義昭殿の報復と考えるべきなのでしょうな」
「ですね。いくら、北条を後ろ盾にした結城家に敵わないからと言って、義昭殿には断りも相談も無く北条陣営に寝返ったのですから。しかし、そうでもしなければ小田城の奪還は厳しく、やむを得ない事ではありました」
菅谷政貞の問いかけに、信太重成は苦笑いを浮かべながら応える。
「義昭殿は今後も当家を攻めて来るとは思われますかな?」
「いや、どうでしょう。佐竹もまだ足場が緩く、我等が北条と結ぶに至ったのも元はと言えば義昭殿が同盟した我等に兵を貸せるほど余力が無いことにありますし」
「確かに。現に在地の領主と将兵である多賀谷政経を使わねば我等を攻めるには将兵が足りておらぬ様子。これならば、小田城を長く保つこともできますまい。いつも通り某が奪還して参りましょう」
「さすがは知勇どちらも名高き政貞殿。それにしても、結城政勝めもきちんと多賀谷政経の手綱を握っておればよいものを! まんまと佐竹に転がされて居るではないか。忌々しき多賀谷家め」
両者は父親同士、ひいては家同士の対立の下にある間柄だが、当人達は周囲が思うよりも良好な関係であった。
世代が近く、初めこそ互いの家を謗る言葉を親から聞いて育った為に良い印象は持たなかった。だが、賢く成長した両名は偏重した教育に頼らず己で学ぶことを覚え、家の事情を知ると噛み付き合う事の無意味さを悟り、殊更対立を煽る行為を控えるようになる。
「多賀谷家の抑えは引き続き豊田家にお任せするため、こちらで書状もやり取りしとりますし、支援体制を整えるべく岡見家にも依頼を出しております」
「ふむ、さすがですな。外交面はやはり貴方が一番手際よい。此方は支援体制のための兵員の選抜や物資の手配を行っておきましょう。それと、今は土岐家に背後を取られては厄介です。同盟とまでは言わずとも、どうにか不戦までこぎつけるようお頼み申します」
「なるほど、承知致した」
菅谷政貞は信太家で唯一菅谷家に一切敵対的言動をしない人物が居ることに気が付き、注目するようになる。
同じ頃、信太重成もまた、菅谷勝貞に引けを取らない活躍と忠節ぶりを見せ、同世代で且つ温厚そうな政貞に目を付けていた。
互いに家中で活躍に連れて名声が上がり、その実力と小田家に対する忠節ぶりを認め合うこととなる。そしていつしか、信太重成は菅谷政貞に対し忖度と便宜を図るようになり、これに気がついた政貞も重成に対して協力的な姿勢を見せ、両者は言葉や直接的ふれあいに頼らない交流を取っていた。
菅谷政貞は母屋を離れて西館へと移ると早速、小田城奪還のための軍議を開くべく主だった手勢とその主将を集めるように指示を出した。
また、各員が揃うまでの間、戦場で保護した謎の男について、世話を任せた女中にその様子を問う。
「さて、面妖なる者の方はどうだ?」
「はい、先ほどまで取り乱しておられたせいか、お疲れのようで今は休んでおられます」
「ふむ……そうか。あいわかった。二刻後にその者を此処にお呼びせよ。出陣前に氏治様へ御引き会わせをする」
菅谷政貞はその後程なくして集合した家臣と軍議を進め、小田城攻略の手はずを整え、赤松党を始めとし、幾つかの領主を束ね、その先祖を小田一族に持つ大志戸の甲山城主、小神野越前守経憲等に加勢を依頼する。
(そろそろ刻限だが、来ないな。氏治様をお助けいただいた上、御仏の使いかもしれんのだったな……こちらから出向くとするか)
そして、残りの細かな指示や作業を部下に任せると、菅谷政貞は現代から紛れ込んだ男を休ませている部屋へと足を進めたのである。




