想いを伝えに
久しぶりに夢を見た。
夢の中で、僕は笑っていて、大切な人も一緒に笑っていた。
だからかな、ほんの少しだけ感傷的になってしまって。
もう一度、会いたいと思って。
これまた久しぶりに、あそこへ足を運ぶ事にしてみたんだ。
ガタンゴトン、と緑色のラインが入った電車に揺られる。
元々利用客が少ない駅から乗ったからだろうか、それとも時期が時期だからだろうか。車両はすっからかんで僕以外の乗客はまばらに数人。
八人は優に座れる座席には僕しか居なく、何となく優越感に浸る。
そのまま気を大きくして、少しだけ体勢を崩した。窓枠に肘を乗せて、突き上がった手の平に顎を乗せ外の景色に目をやる。
田園風景、と呼ばれる光景が視界に突然現れてはこれまた突然に消えて行ってしまう。電車のスピードを感じながら、何も考えずぼんやりと目をやり続けた。
そんな、僕の耳元で……正確には脳内で、短い人生の中で一番聞きなれた声が鳴る。
『――こら、ユキ。いくら人がいないからって、そんな体勢はめっ!』
何とも今言われそうな言葉だ。ため息を零しながら「はいはい、っと」小声で答える。
ちゃんと座りなおして、誰もいない正面に目を向ける。そこで、声の主が腕を組んで目を閉じうんうん、と満足げに頷いている姿が見えた気がした。
その姿と、僕の関係は姉弟。
僕の様子を一番気にして、一番気を使ってくれて、一番に考えてくれた大切な人。
感謝してもしきれない姉さん。
そんな事を考えていたら、降車駅が次である事がアナウンスされる。
リュックを担ぎ直し、電車に乗る前に買った花を持った。ゆっくりと立ち上がって、開くはずのドアの前に立つ。
クーラーが効いた車内に、熱風が入りこんでくる。それを嫌だと思う事なく、むしろ歓迎しながら外へと足を踏み出した。
……歓迎したけど、やっぱり暑いものは暑い。
酷暑を通り越して炎暑と言われる日中。頬を、額を流れる汗はとどまる事を知らず、足を動かす事さえ嫌になってくる。
途中で木陰を見つけ、地面が熱い事を我慢しながら腰を下ろす。リュックも下ろして開け、中からペットボトルを出した。スポーツドリンクを勢いよく体内に流し込む。
「……ぷはっ」
冷たい液体がじんわりと広がって行った。少し動く気分になったので来ていたシャツをまくり上げて汗を軽く拭く。……この様子を見たら、姉さんはまた怒るだろうか。
きっと「ハンカチかタオル持ってきなさいって言ってるじゃん!」とか言って赤面するんだろう。何で赤面するのかはずっと疑問だったが。
……まあ、僕を養って行く為に大学も行かずに就職を選んだ姉さんだったから男慣れしてなかったんだろうなぁ。そう言う僕も女性相手は苦手だけど。
妙なとこで似てる事に気がついて、思わず笑ってしまう。目の色が母親譲りの青だという事以外似た所がなかったからこそ、貴重にも思えた。
火照った身体を冷やすべく、まだ冷たいペットボトルを腕につける。続いて首筋へ、最後に頬へ。余りにも気持ち良すぎて、目を閉じた。砂漠にあるオアシスだよこれ。
けど、ずっとそうしている訳にもいかない。名残惜しいものの、ペットボトルを保冷ケースに入れてリュックにしまう。目的地に着いてもひんやり感が残っている事を願いながら
「よっ、と」
掛け声を自分にかけて立ち上がる。ひざ下程度のズボンが揺れ動いた。そのままリュックを背負いなおし、スニーカーを見下げる。次いで右手に持った花に視線をやってから
「……んじゃまあ、行きますか」
姉さん達が待っているそこへ向かって歩いて行った。
――自分の人生を不幸だとは思わないけれど、人から見たら不幸な人生なのだろう。
歩きながら、そんな事を考える。
偶然に偶然が重なり、出来あがった僕の人生。
他人から見たらそこそこ不幸な人生。
たまたま祖父母の家に預けられている時に、両親は交通事故に遭って死亡した。
親族と疎遠状態だった姉さんと僕を引きとろうと思う物好きが、たまたまいなかった。
けれど、唯一気に掛けてくれた父方の祖父母がたまたま僕等を引き取ってくれた。
その後の人生は、幸せとも言えて不幸とも言えて。
姉さんは働けない祖父母の代わりに働く為バイト三昧の青春時代を過ごし、高卒で就職した。
僕は僕で、中学時代に必死に勉強して高校で奨学金を得。学校側を説得してバイトを許可してもらった。その後は姉の様にバイト三昧。
余り考えたくは無かったけど、祖父母が亡くなった後の事を考えて。
出来る限りお金は貯金して、切りつめて。
そんな時だった。姉さんがこの世を去ったのは。
高校一年の夏。丁度こんな風に暑かった日。
あとちょっとで夏休み、といった時に受けていたテスト返却と解説のみの授業中。控え目に開けられた扉の向こうには化学の先生が居て、顔を覗かせると僕を見つけ出して手招きしてきた。
不思議に思いながら廊下に出る。
『どうしたんですか?』
悪い事はしてない筈だ。かといって特筆目立ついい事もしていない。だったら何故呼びだされたのか、純粋に気になって問いかけた。
すると、先生は酷く青ざめた顔のまま
『君のお姉さんが――』
その言葉を受けた瞬間、視界が暗転した。
でもそれも一瞬で、すぐに光を取り戻した世界で急いで走り出す。後ろで叫ばれた静止の声を振り切っていらつくほど長くてまっすぐな廊下を駆け抜けた。
階段を数段飛ばしで駆け下りる。途中転げ落ちそうになった。けど体勢を整えて下り続けた。
運び込まれた病院の名前を何度も何度も繰り返す。聞き覚えのある病院だ、ここからそう遠くもない。革靴に履き替える時間さえ勿体なく感じてそのまま外へ飛び出した。
瞬間襲いかかってくる熱気、湿気が鬱陶しい。警備員のおじさんが声をかけてくる。大声で返事をしながら校門を走り抜けた。
……嘘だよね。
うぁ、と声が漏れる。涙が頬を伝って、走ってきた軌跡をなぞる様に後方へ流れた。
――お願いだから、嘘であって。
唇を噛んで目をつむり、慣れ親しんだ道を必死に駆け抜ける。目を開けて、曲がり角を曲がった。
――この世にいる、全ての神様。
慣れ親しんだ道から、慣れ親しまない道へ入って不安になる。それでも必死に、小高い丘の上にある病院へ向かって走り続けた。
――お願いですから、これから先の僕の人生を全て好きなようにしていいから。
坂を駆け上って、自動ドアをくぐりぬけた。受付へ走るとブレーキをかけてダン! と力強くテーブルに手を打つ。ビクッ、とした看護師へ向かって泣き叫ぶ。
姉さんの名前を叫んで、何処に居るんですかと必死に問いかける。
――大切な、あの人だけは。
言われた場所へ駆け抜けた。走り抜けた先で出会う看護師と医者が口々に注意を飛ばしてくるが、それら全てを無視してそこを目指す。
――どうか、僕から。
扉を開けた。その先で待っていた人間は、暗い雰囲気を纏った医者と子どもの様に泣きじゃくる祖父母、そして。
――奪わないで……。
……血の気の失せた顔で、真っ白いベッドに寝ている姉さんだった。
死んでしまった経緯を、事務的に、それでも微かに悔しさを滲ませながら言ってくる医者の声は右から左だった。光を失った目で、床を見下げる。
立ち慣れない床に、見慣れた上履きが妙にマッチしていた。上履きの上で、姉さんが書いた苗字が踊っている。
名前を書いていない上履きを見た姉さんが怒ってそれを取り上げ、苗字を書いてきた過去を思い出す。
新品の上履きにその字はどこか不釣り合いで不満げな顔をしていた僕に慣れたもん勝ちよ、と勝ち誇った笑みで言ってきた事を思い出す。
もう、そういうおせっかいを焼いてもらう事も出来ないし、笑顔を向けてもらう事も出来ない。
ここへたどり着いた時は暫く止まっていた涙が、また零れ出して上履きへ床へ降って行く。
そして暫くの間、人目も構わず、大声を上げて泣き続けた。
祖父母が僕を抱きしめてきて、必死に声をかけてくる。それに対して幼少期の様にいやいや、と首を横に振った。
僕が今一番欲しい声は姉さんなんだ。
『何泣いてんの。姉ちゃんが死ぬ訳ないでしょ?』
何時も通りけらけら笑って、現実を否定してほしい。そしてやり過ぎたね、ごめんね、って頭を撫でてほしい。
けど、投げかけてくる声は祖母の声。頭を必死になでる手は無骨な祖父の手。
――また、僕から大切な人が消えて行った日だった。
過去に思いを馳せている間、いつの間にか着いたらしい。たくさんの墓がある墓地に足を踏み入れる。
入口にあるバケツに水を汲み、柄杓も手に取る。ゆっくりと歩き出して、少しだけ迷いながら姉さんと両親が眠っている墓へと向かった。
あれから、何度も何度も考え続けた。
姉さんが居なくなった現実を生きる意味を。
あれから、何度も何度も想い続けた。
空の向こうへ、両親の居る所へ行ってしまった姉さんの事を。
バケツ、柄杓、花、リュックを通路に置いた。まず最初に、墓石に積もった土や何時ぞやの枯れ葉を手で払う。
墓石は痛いほど手に熱を伝えてきて、思わず「あつっ」声を上げてしまった。
けど……その熱さが眠っている三人分の体温なのかもしれない。そう想ってしまうと、邪険に扱った事が罪悪感となり「ごめん……」という言葉が自然と口を突く。
そっと墓石に触れ直し、熱を感じ取りながら口元を緩める。目を閉じる代わりに口を開き
「けど、そんなにずっと暑くちゃ堪えるよ。気休め程度だけど、水。かけさせて」
彼等に声をかけてから目を開きなおし、そっと柄杓に水を汲んだ。バケツを左手に、柄杓を右手に。上からそっと水をかけていく。
それらは幾筋も道を描き、字の上を、左を、右を、後ろを、角を、思い思いの所を流れて行った。
バケツから柄杓でそっと水を汲み、かける。この行為を何度も何度も繰り返して、全体的に水が行き渡った頃に手を止めた。
花を両脇に立っていた花瓶の中に活け、リュックの中から線香とライターを取り出した。火をつけると独特の匂いが鼻孔をくすぐる。それをそっと、長方形の石製のそれの中に入れる。
手を合わせて、目を閉じる。と同時に、まぶた裏に思い出が走馬灯のように駆け巡った。
両親が生きていた時。
よく連れて行ってもらったプラネタリウムの人工星が綺麗だった事。
熱が出た時、額に当てられた母さんの手が冷たくて気持ちが良かった事。
父さんに買ってもらった水鉄砲を姉さんに発射した事。そのあと反撃できた水風船。
母さんの後ろに隠れた所為で母さんがびしょぬれになった事。
怒られるかとびくついていたら、涼しいから丁度いいわ、と笑ってくれた事。
それが何か嬉しくって、姉さんと一緒になって父さんにも水鉄砲と水風船を発射し投げつけた事。
怒りながらも楽しそうにホースを向けてきた父さんから笑いながら逃げ回った事。
状況は変わり、両親が死んだ後。
姉さんと右も左も分からない状態で、必死に生き続けた事。
両親の遺品整理で辛くなって泣き始めた僕を抱きしめてくれた事。その時、姉さんの目から涙がこぼれて僕の頭を濡らした事。
気を使ってくれた祖父母の行動が温かくて、また泣いてしまった事。
姉さんが必死に母さんの手料理の味を再現しようとした事。それを隣で祖母が手伝っていた事。
祖父が教えてくれた将棋が意外と楽しかった事。姉さんと対戦してみたら全戦全勝で喜びまくった事。それを悔しげに見てくる姉さんの事。
プラネタリウムに行くお金がもったいなくて、祖父母が誕生日にくれた自転車をお互いに乗って、夜中に家を抜け出して小高い丘まで走った事。
丘の頂上、野原で寝転がって見上げた星空がプラネタリウム以上に綺麗だった事。抜けだした事がばれて、翌朝こっぴどく怒られた事。
高校を卒業して就職した姉さんが疲れ果てた顔で帰ってくる事。あんたはなにも気にしなくていいんだよ、と言って笑顔を向けてきた事。
高校で奨学金を貰える事になった、と言ったら本気で喜んで抱きついてきた姉さんの事。おめでとう、おめでとう、頑張ったもんね。って泣きじゃくりながら言ってくれた事。
初めて姉さんの役に立てた、って僕もその時一緒になって号泣した事。
それを見た祖父母も感極まって抱きついて泣いた事。
温かい家庭だった。人並な愛情、いやそれ以上の愛をくれた。
この年になるまで、愛情をくれた人は三人いなくなってしまったけれど。
その所為で人生を怨んだ時もあった。呪った時もあった。空の向こうへ行きたいって、手首に刃物を当てた事もあった。屋上から身を乗り出した事もあった。
けれど、それを止めてくれた友達が居て。姉さんが居なくなった後も、変わらず大切に愛情を持って接してくれた祖父母が居て。
こうして今を生きている。
それに……友達が居て、祖父母が居て。そして何より、生涯をかけて愛してくれた父さんと母さんと姉さんが僕には居て。
――不幸だなんて、思えない位。幸せな人生なんだ。
目を開けた。母さん譲りの青い瞳が墓石を映す。手を外して、ひざに当てた。その状態のまま話かける。
「父さん、母さん、姉さん。僕、奨学金貰えたよ。大学行ってるんだ。教育学部」
返事は無い。分かっていたが、やっぱり寂しかった。それでもめげずに語りかけ続ける。
「……姉さんが何度か行きたかった、って零してた教育学部」
姉さんが、お酒が入ると何度かぽつっと零していた事だった。
『教育学部行って、先生になりたかったかな』
余りにもさびしそうに言うから、余りにも悔しそうに言うから。
「僕が、叶えてみせよう、って思って。姉さんが一番なりたがってた社会の先生」
それで、と言って目に手を伸ばした。青い瞳――姉さんと同じ色の瞳――を指しながら
「同じ色だから、通して見てほしい。見たかった景色、僕を使って見てほしいよ」
苦笑を零した。姉さんの事だから、きっと……
「『ユキの人生狂わせちゃった!?』とか言ってさ、慌てなくていいからね。元々公務員系になるつもりだったし、道が定まってなかった分むしろありがたいよ。ありがとう、姉さん」
こんな僕を支えてくれてありがとう。
こんな僕の為に大切な時間を割いてくれてありがとう。
こんな僕を、想ってくれて、本当に、ありがとう。
淡い、消えそうな笑みを零しながら、今度は父さんと母さんへの感謝を零す。
「父さん、母さん。僕が貴方達と一緒に居られた時間はビックリするくらい短かった。でもね」
一旦区切ると、思わず零れた涙を拭いながら
「……貴方達がくれた、温かい、あったかい記憶、幸せな思い出。ずっと大切に抱えて生きて行くよ」
こんな僕を――
「――愛してくれてありがとう」
こんな僕に愛情を持ってくれてありがとう。
こんな僕を大切に育ててくれてありがとう。
「父さん、母さん、姉さん。三人が居たから……今の僕が居るんだ」
次々と零れる涙と汗を拭いながら、言う。最後は拭う手すらも止めて、炎天下の中、ジリジリと体力を奪う日光を受けながら顔をヒマワリの様な笑みで埋め尽くし
「――僕を、育ててくれて、愛してくれて、温かい記憶をくれて。……本当に、本当に。言いきれないけど……ありがとう」
頬を生ぬるい風が撫でる。それが、何だか人の体温の様に想えて。
あり得ない話だけれど、本当に父さん、母さん、姉さんの三人が居る様な気がして。
けれど、現実にはありえないんだと再認識して、さびしくなって。
感謝だとか、寂しさだとか。ごちゃまぜになってしまった感情の所為で、ポロポロと涙が頬を伝う。
汗と涙が入り混じって、顔は相当酷い事になっているだろう。
炎天下の中、墓の前で泣きじゃくる大学生何てシュールな光景だ。
けれど、今くらいはいいよね?
今くらいは、泣きじゃくっても。呪文の様に、ありがとう、を呟き続けても。
どうか、今は。今だけは。
炎天下、炎暑と呼ばれる今年の夏。涙が止まった頃。僕は力任せに目じりを拭った。
ゆっくりと立ちあがって、リュックを背負う。次いで綺麗になった墓を見つめた。眠っている大切な家族を想った。今までを、そして未来の事を。
たくさん受け取って、たくさん守ってもらった。
だからこそ、今度は。
父さんの様に、笑顔を絶やす暇を与えない温かい愛情を。
母さんの様に、人を気遣いながら何かされても笑って済ませる寛容さを。
姉さんの様に、人の為に必死になる強さ、困難に負けない強さを。
誰かに、与える番なのだろうか。誰かを、守るために使う番なのだろうか。
思わず苦笑を零してしまう。あいにく、『今は』そんな存在が居ないのだ。
けれど、今後。そういう存在になる人がいるのだとしたら。
「――貴方達みたいに、できるといいな」
また来るね、と言い残してその場を後にする。
鼻をすすった。先ほど泣いてしまったから、顔は相当酷いだろう。
喉も乾いているし、肌は日光にジリジリと攻撃されている。全く持って状況は最悪だ。
けれど。
青空を見上げて、思わず笑ってしまうくらいには。
―――――気分は最高に、晴れ渡っていたんだ。
……と言う訳で、今日ぱっと思いついた話をがーっと書いた結果です。
結論:支離滅裂!!←
とはいっても、私自身は一瞬泣きそうになったんだけどね!
某バンドの曲永遠リピート再生で書いてたんですが、いいねやっぱあの曲←おい
すっごい久しぶりにこのタイプの小説を書いたので、自信はあまりありませんが、それでも全力を出し切ったつもりです。
失くしてから、亡くしてから気付く事ってありますよねっていう感じですねー……。
少しでも、心に残れば幸いです!
では、高戸優でしたーっ