第八話 工房
直人が助けた少女こと、ココナの家は裏街にはなかった。直人は彼女に連れられて、星王都の工房地区まで来ている。ここは鍛冶職人から織物職人まで、星王都に住まうあらゆる職人たちが揃って軒を連ねる地区だ。
ココナの家はその工房地区の奥まった一角にあった。地区を南北に貫く大通りの、ちょうど北の端付近にある。鍛冶屋なのか、煤けたレンガ造りの家からは煙突が伸びていた。しかし中は火が消えたように人気がなく、およそ工房として仕事をしている気配はない。閉店中なのだろうか。
「ただいま!」
ココナが勢いよく家の戸を開く。すると中から大柄な男が出てきた。汚れのこびりついた作業着のようなものを着た男で、その腕は丸太のように太い。いかにも昔かたぎの工房の親父といった雰囲気だ。そんな彼は、さっそく直人の方を見ると少々訝しげな顔をする。その目つきは鋭く、顔色はあまり良くない
「おお、やっと帰ってきたか。……こいつは誰だ?」
「この人はカズトさん、私の恩人なの。だからそんな、睨んじゃだめよ」
「そうかい、それはすまなんだな。てっきり借金取りでも連れてきたのかと思ったぜ」
「そんなわけないでしょ。ほら、直人さんさっそく上がって」
ココナに誘われるまま直人が家の中に入ると、そこは広い土間となっていた。どうやら玄関と工房が直接つながっているらしい。そこかしこに鍛冶に使うと思しき道具が転がっていて、奥には炉がいくつか並んでいた。しかし炉の火は全て消えてしまっていて、転がっている道具は妙に小奇麗。およそ最近使われた形跡がない。
「狭いところだがゆっくりしてくれ。椅子は転がってるのを適当に使ってくれて構わん」
「ああ、どうも」
直人と男はちょうど向かい合うように腰かけた。ココナは「お茶を入れてくるね」といっていなくなる。土間には直人と男だけが残された。男は急に神妙な顔をすると直人の方を覗き込んでくる。
「俺はココナの父親のガルドだ。今回は、娘が世話になったようだな」
「ええ、裏街でその…………男に襲われているところを助けた」
「なるほど……」
ガルドは眼を細め、大きな身体を小さく縮ませた。額には深いしわがより、口からは大きく息が漏れる。まるで、こうなることを想定していたかのようだ。直人はそんな男の態度に眉をひそめた。
「……差し出がましいことを言うが、あんたがココナを裏街に行かせたのか? 裏街が危険だってことはあんたも知ってるだろ」
「どうしても裏街に用があって……行かせざるを得なかった」
「あんたが用を済ませるわけにはいかなかったのか? あんな可愛い女の子が裏街を歩けば、言い方は悪いがたちまち犯されちまう」
ココナはかなりの美少女だ。闊達な印象を与える整った顔立ちに、煌くサファイアブルーの瞳。短くまとめられた紅の髪は艶やかで、陽光に透ける様は錦糸のよう。さらに華奢な体つきの割に胸は非常に豊かで、吸い込まれそうな深い谷間を形成している。彼女をして犯すなとは、裏街の男たちには到底無理な話だ。そんなことぐらい、この星王都の住人であるガルドなら知っていて当然だろう。
直人の非難めいた眼差し。ガルドは太い眉を寄せた。眼が沈み、視線が下がる。肩も力なく落とされて、彼は考え込むように顎に手を当てた。
「実は情けない話なんだが…………うちの工房にはかなりの借金がある。だから俺がここを離れると、すぐに家財道具とかを全部持ってかれちまうんだ」
「もしかして裏街の用ってのも、その借金関連なのか?」
「ああ、俺が借金をしてるのは裏街のクーラって旦那でね。何とかもう少しだけ返済を待ってもらえるよう、頼みに行かせたんだ」
直人はふむふむとばかりに何度かうなずいた。彼はやや重苦しい生真面目な顔をする。
「そういうことか。……それで、借金ってどれくらいあるんだ?」
「百万だ。返す当てもほとんどない」
「おいおい、百万だって?」
直人の足が激しく床を蹴った。響く快音、立ちあがる直人の身体。彼の大きな眼が驚きで丸くなった。彼が買おうとしている刀と同じ額だけにわかる、百万シルトの価値。それはかなりの大金だ。一日に百シルトもあればこの星王都で普通に生活していける。百万シルトもあれば、街の一等地に家が建つだろう。小さな工房が抱える借金にしては、あまりに多い。
直人が立ち上がる音が聞こえたのだろうか。部屋の隅から、ココナが様子を窺うようにしてゆっくりと現れた。彼女はうつむき加減で直人たちに近づいてくると、話を聞いていたのだろう、その小さな口を開く。
「うちの借金は全部私のせいなんだ。今はこんなに元気なんだけど、昔、大きな病気をしちゃって……。私の病気の薬代を稼ぐために、父さんが無茶な事業を立ち上げたのが借金のきっかけなのよ」
「そんなことはない、悪いのは俺だ。俺が刀なんかに手を出したから……」
刀――心惹かれる単語。直人の心臓が早鐘を打った。彼はとっさに二人の間に割って入る。
「いま刀って言ったか?」
「ああ、言った。だが、それがどうした?」
「そんなことはいいから! 具体的にあんたは何をして失敗したんだ?」
とっさに口ごもるガルド。しかし、直人の剣幕はすさまじかった。眼から炎が滾っている。彼はその勢いにすぐさま押し切られた。いや、押し切られざるを得なかった。
「……刀ってのは普通、玉鋼っていう鋼を使って造るんだ。だが、俺はそれよりもっと硬い星結晶を使って刀を造ろうとしたんだよ」
「それで、星結晶で刀はできたのか?」
「できたよ、想像以上のがな。鋼でもスパスパ切れちまうようなすげえ刀ができた。だけど、ほとんど売れることはなかった……」
ガルドは大きく肩を落とし頭を抱えた。その態度に、直人の眼が疑問に染まる。
「なんで売れなかったんだよ。切れ味は凄かったんだろ?」
「そこが落とし穴さ。切れ味を求めすぎたせいで、驚くほど脆くなっちまったんだよ。そのせいで恐ろしく扱いにくい上に、モンスター退治とかには一切使えん。完全な人斬り専用の刀なのさ」
完全な人斬り専用――心が躍る、魂が震える。
手にしてみたい――渇望が心をかき乱す。
狂おしい精神が身体を突き動かし、気がつくと直人はガルドの肩を掴んでいた。彼はそのまま、ガルドの瞳を鮮烈な光に満ちた眼で見据える。ガルドは恐怖を感じたのか、額から汗を滴らせた。隣にいたココナも青い顔をして直人の方を見る。
「ね、ねえ……どうしちゃったのよ。あんた、さっきから様子が変よ」
「俺は至って普通だ。なあ、その星結晶の刀はもう残ってないのか?」
「の、残ってねえ。みんな溶かして売っちまった。出来のいい奴だけ三本ばかり取っておいたんだが、それもつい三カ月ほど前に全部売れちまった!」
「誰に売った?」
「最初の一本は騎士風の兄ちゃん。二本目はおかしな黒い服を着た中年の親父。最後の一本は古道具屋の色っぽい姉ちゃんだよ。最初の二人の居所はさっぱり分からねえが、最後の姉ちゃんの店ならわかる。たしか商業地区の通り沿いにある……」
ガルドの言った店は、先日直人が訪れた店のようだった。直人が買おうとしている百万シルトの刀――それこそが彼の作った星結晶の刀のうちの一本なのだろう。自分の体が震えるのが、直人にはわかった。
「もし……もし仮に俺がこの工房の借金をなんとかできたら、刀を一本造ってくれないか。その、星結晶の刀を」
「そりゃあもちろん構わねえが……。そんなことできるのか?」
「そうよ、百万シルトも借金があるのよ。なんとかできっこないわ……」
直人そっちのけで悲嘆に暮れ始めるガルドとココナ。その顔には根強い闇が息づいている。直人は眉を細めると、大きく胸を張った。
「大丈夫だ、任せろ。必ず何とかしてやる」
「信じていいのか?」
「もちろんだ。その代わり確実に刀を打ってくれよ」
「すまねえ、娘を助けてもらった上に借金のことまで……ううッ、泣けてくらぁ。約束するぜ、もしあんたが借金を何とかしてくれたら、俺はあんたに最高の刀をやる! クソッ、なんていいやつなんだ……」
「なにも泣かなくても……」
男泣きを始めたガルド。その頭をココナが優しくなでる。野獣のように泣きながら吠えるガルド。彼女は彼をどうにか大人しくさせると、直人の方を見返した。
「ありがとう。でも、さすがにあなたに任せっきりってわけにはいかないわ。私もついてく」
「駄目だ、足手まといになる」
「大丈夫よ。さっきは不意打ちだったからやられたけど、ホントは結構強いの。それに……」
ココナはガルドから離れると、勢いよく直人の腕に抱きついてきた。腕が柔らかいものに埋もれ、直人の顔が火がついたように紅くなる。どこまでも沈みこむ感触、滅多に味わえないほどの重量感。なんともいえない心地よさが直人の心を満たす。環ほどじゃないが、良い――直人の心がほのかに桃色に染まった。ここで止めとばかりにココナはいたずらっぽく笑うと、耳に残る甘い声を出す。
「こうやって、女の子にしか使えない武器もあるのよ。うふふ、これでもついて行っちゃだめ?」
「……わかった、連れていくから離れてくれ。理性が限界だ」
「やった!」
スーッと離れて行くココナ。直人は軽くなった腕に寂しさを感じた。柔らかな重みを思い出して、頬が僅かに緩む。が、すぐに元のキリリとした顔つきに戻った。
「それじゃ、行ってくる」
「おう、頑張ってくれ。俺は刀を打つ準備をしてるからな!」
直人は立ち上がるとドアを勢いよく開け、工房を出ていく。その後をすぐさまココナも追いかけていった。彼女はトトッと駆けて直人に追いつくと、輝かんばかりの眼を彼に向ける。
「ふふ、どこ行くの?」
「クーラの旦那とか言う人のところ」
「それからどうするのよ」
「……あッ」
間抜けな声を出して、直人が凍りついた。瞬間冷凍されたように、彼の姿勢が硬直する。ほぼ同時に周囲の時が凍った。ココナの顔も凍った。綺麗な石像――ココナが先ほどまでとは真逆の、熱のない冷え切った眼で彼を睨む。さきほどまでの熱い感情、それはどこかに消えてしまったようだ。
「まさか……何も考えてなかったの?」
「…………とりあえず、戦えばいいんじゃないか?」