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第七話 吸血鬼

 暗闇を無数の足音が駆けていく。頼りなく、ふらついているような音。それはにわかには信じがたいような勢いで闇を抜けていく。


「はあ、はあ……」


 走る男たちはみな、荒い息を漏らしていた。彼らの筋骨隆々とした身体からは、とめどなく血と汗が溢れてくる。彼らはかれこれ十分近く走り続けていた。プレイヤーとしての体力をもってしても、そろそろ限界だ。しかし、止まれない――。彼らは後ろから、死に追いかけられていた。


 血が止まらない腕の裂傷を手で抑えつけながら、一人の男は生へともがく。その後ろから、コツコツと硬い音が迫ってくる。その数はたった一つ。されどその足音の主に、十人からなる男たちのギルドは壊滅寸前まで追い詰められていた。


「うぎゃアァァァ!」


 絶叫、また一人死んだ。これで九人目。もはや生き残ったのは腕にけがを負った男、ただ一人だ。男は背後から聞こえてくるおぞましい水音に凍りつきながらも、足をばたつかせる。逃げろ、逃げのびろ!――。彼の生存本能が咆哮する。


「ああうまい……。うまい……うまい……うまいイィ!」


 闇に轟く悪魔の雄たけび。大気がどよめき、爆発したような衝撃が走る。男の心臓が一瞬、動きを止めそうになった。にわかに硬直した身体、止まった足。生ける肉人形となった男に、死神は容赦なく襲いかかる――。


「ぎゃあ……」


 月影に鋼が煌き、男の首が跳ね飛ばされた。刹那の出来事。悲鳴すら、碌に響きやしない。ゴトリ、と石畳に首が落ちる。男の身体がたちまち崩壊し、紅い液体が散らばる。バシャッと飛び散った液体を、忌まわしきPKは瑠璃色のグラスで掬った。赤ワインのような深い紅の血――アストラルボディの残滓――が、蟲惑的に揺れる。


「おい、居たぞ!」


「逃がすな! 追え!」


 路地に響いた勇ましい声。この街の護り手、騎士団の登場だ。


「チッ……木偶人形どもめ」


 PKは忌々しげに舌打ちすると、グラスを放り出して闇へと消えていく。まだ勝てない――騎士団は未だ低レベルのプレイヤーたちよりよほど厄介だった。PKはその骸のように細い全身を覆う黒いローブを翻して、素直に逃げ去っていく。


「また吸血鬼……。これで何件目ですか」


「さあ? 数えたくもない。寒気がする」


 飛び散った夥しい血液、粉々に砕けたグラス。騎士団の面々はそれらを一瞥すると眉をひそめた。今夜起きた殺人事件の件数は、考えるだけでおぞましい。さらに裏街ならともかく、この星王都全体でまんべんなく事件は起きている。


 星王都の闇をうごめき、人の生き血をすする殺戮者。それは何も知らぬ騎士団やNPCたちにとって、さながら悪魔の申し子のように思えた――。






 デスゲーム開始から三日。プレイヤーたちは未だ騒然としていた。ゲーム内に閉じ込められることを肯定的にとらえた廃人層も確かに存在したが、彼らでさえ『吸血機能』は想定外だった。トッププレイヤーからライトプレイヤーまで、今ではほとんどの人間が姿の見えないPKの影におびえている。自分以外のプレイヤーがPKかどうかを判別するためには、その人物とフレンドになる必要がある。つまりプレイヤーたちは今この瞬間、隣にいる人間が凶悪なPKでないことを証明することすらできない――。


 プレイヤーたちの現在のホームタウン、星王都は活気はあるがどことなく陰を帯びたような状態になっていた。広々とした円形の市街地を、どこか重苦しい空気が広がっている。プレイヤーたちの間で起こっているPKはNPCたちにも「不気味な大量殺人」として認識されている。そのためか街を歩く人々の顔はどこかしら陰があって、アパートメントのベランダにある観葉植物でさえ、生気に欠けているように見える。街を巡回する騎士たちの軍靴の音が、いやに大きく響いていた。


 街の中心部に聳える赤煉瓦の巨大な建物――冒険者ギルド。その中はどこかさびしい外とは打って変わって、さながら戦場のようだ。アメリカ西部の古い酒場のような造りをした窓口を、青い顔をした冒険者ことプレイヤーたちが埋め尽くしている。デスゲームの開始、跳躍跋扈するPKたち……。不安に苛まれた一般プレイヤーたちは、寄らば大樹の陰とばかりにギルドを訪れていた。ギルドに皆で集まれば安全――ある種の神話。それがプレイヤーたちの現在のよりどころだ。


「ホワイトローズ入団希望の方はここに並んでください!」


「ロイヤルナイトはこちらです!」


 口々に威勢のいい声を上げるプレイヤーたち。情勢が不安定になればなるほど、人は団結したがるもの。プレイヤーが運営するプレイヤーギルドは、デスゲーム開始やPKの横行の影響もあって、雨後の筍のように乱立している。


 ギルドの中で大きな声を上げ、巧みにプレイヤーたちを勧誘する各プレイヤーギルドの人間たち。それを遠目で見ながら、環は深いため息をついた。華奢な肩が大きく下がり、表情がアンニュイになる。


「はあ……。これじゃしばらく攻略どころじゃないな」


 環は眼の前のディスプレイに視線を移した。そこには『ギルド:紅十字騎士団』と大きく表示されている。その太い文字の下には、膨大な数のプレイヤーたちのネームが表示されていた。その数、ざっとみて五十以上。たった三日ほどで、十名ほどだった環たちのギルドはここまで成長していた。それだけプレイヤーたちが不安を感じているのだろう。


「しょーがないですよマスター。今はギルドだけがー、信用できる人のつながりなんですからー」


「……ルナはいつみてものんきだな」


「これが個性なんですぅ!」


 環の後ろから現れた、幼そうに見える少女。ルナと呼ばれた彼女は、紅く小さな頬をぷくっと膨らませた。その背丈は環より頭半分ほど低く、せいぜい中学生ほどにしか見えない。だがそれでいて実年齢は十八歳で、しかも名門大学の学生だというのだから世の中意外なものだ。ちなみに、このEL-Onlineでは外見は申し訳程度にしか変えられない。


「わかったわかった。それよりルナ、直……カズトのことはわかったか?」


「まーたフィアンセの心配ですかー? 残念ながらさっぱりわからないのですよぅ。そもそもここに来た形跡がないのです」


「あの馬鹿、今日も来ないつもりなのか……?」


 明日になったらギルドへ行けよ――デスゲームが始まったあの夜、確かに環はそう言った。それ以来、丸二日が経過しているというのに直人は一向にギルドへ現れない。環がフレンドリストを使ってコールしようにも、システム自体が使用不可になっていた。そのため連絡を取ることすらままならない。


 ――もしかしたらPKされているんじゃないか。灰色の不安が環の頭をよぎる。街の情勢から考えると、あり得なくもなかった。いやな想像が環の脳裏を次々とよぎる。すうっとちらつく嫌な予感。環の口から、本日何回目かもわからぬ大きなため息が漏れた。


 すると、環のため息を聞きつけたのか長身の男が現れた。彼の名はディード。紅十字騎士団内では紳士と呼ばれている男だ。彼は優しげに笑いながら、環の肩に手を掛ける。


「大丈夫ですってマスター。そのカズトとか言うやつは必ず来ますよ。だって……」


「だって?」


 不思議そうに尋ねた環。ディードの眼が一瞬、キラリと輝いた。その視線は環の「ある部分」をすさまじい眼力でもって凝視する。


「俺がマスターの彼氏なら、絶対マスターの巨乳が恋しくなりますから!」


「ば、馬鹿もの! そんなわけあるか!」


「いえ、巨乳に惹かれるのは男の本能です! 間違いありません!」


「吹っ飛べ!」


 炸裂した環の鉄拳制裁。ディードは景気よく吹っ飛び、星になった。環はそんな馬鹿な男を横目に、不安げにつぶやく。


「直人……いま何をやってるんだ?」






 一方、そのころの裏街はいつもと変わらぬ様子だった。ここは世情がどれだけ荒れようとほとんど関係ない。すでに底辺まで下がってしまっている治安は、これ以上下がりようがないのだ。日ごろの事件によって鍛え上げられた住民の鋼の精神は、不気味な殺人が起ころうと小揺るぎもしない。むしろ、この程度のことで騒いでいる上町の住人たちの様子を肴に、噂話に花を咲かせている始末だ。


「今日こそ倒してやるぜ、アニキ……!」


 そんなある意味平和な街の大通りで、直人は決意を新たにしていた。彼は「レベル18」と書かれているディスプレイを前に拳を握る。あれから二日間。直人はアニキよりは弱いがごろつきよりは強い「無名のモヒカン」を相手にレベルアップを重ねてきた。その成果がこの数字である。初日のレベル上昇からすると少ないように思えるが、稼いだ経験値自体は初日よりずっと多い。単に、レベルアップに必要な経験値が指数関数的に増加しているだけなのだ。


 ゆっくりと、アニキの支配する領域へと足を踏み込む直人。一歩一歩、アニキが現れた場所へと近づいて行く。すると彼の眼に、忘れもしない褐色の巨体が飛び込んできた。しかもその巨体は、なにやら細い少女ともみ合っている。直人は瞬時にその意味を理解して、苦み走った顔をした。


「何やってるんだ!」


「うぬ? なーんだ、この間の奴じゃねえか。生きてたのか」


「今はな。あの世から戻ってきた」


「へえ、そうかい。でもまた送り返してやるぜ」


 アニキは乱れていた服装を整えると、少女を手下のゴロツキに任せた。彼はメリケンサックを指にはめると、ボクシング風のファイティングポーズをとる。


「来い!」


「おうよ!」


 アニキの身体が弾丸のように加速。拳が風を切り、ヒュウと音が鳴る。直人はそれを冷静に見つめる。


「加速眼」


 眼が血走った。白眼が一瞬、紅に染まる。これこそ直人に与えられた固有スキル――ESP能力の一端。世界が、時が急速に流れを緩める。加速――直人の思考と肉体が物理法則を超えて速まる。アニキの拳はたちまち止まったようになり、直人はそれを難なくかわした。彼は刀を構えると、反動を抑えられるギリギリの力で攻撃を加えていく。一発、二発……身体の中で最も弱い首筋を狙い、何度も何度も。


 アニキのHPバーがみるみるうちに減少を始める。筋肉の鎧を無数の攻撃が貫いた。傷口か深くなっていき、ゆっくりとだがとめどなく血が流れ始める。アニキの顔が憤怒と苦悶に染まり、直人の方を向く。あともう少し。HPバーはオレンジ色になり、残り二割を切った。しかしここで、スキルの制限時間が訪れる。


「クソッ」


 最後に後ろに跳びのき、アニキから距離をとった直人。その眼前を拳が横切る。


「ふん、どうやらさっきのはまぐれだったようだな」


「今のままで十分倒せるさ」


 アニキの拳を直人は間一髪触れるか触れないかでかわしていく。ヒュウ、ヒュウと耳元で音が響く。髪が拳圧で揺れた。アニキの拳は弾丸並み。加速しなければ、かわすのもなかなか至難の業だ。直人は持てる身体能力をすべて活用し、なんとか攻撃の間隙をついて反撃していく。


 アニキのHPはわずかずつ減少していく。残り一割。しかし、直人の身体は悲鳴を上げていた。加速眼は身体に非常に大きな負担をかける。それが今になって現れてきている。全身の筋肉が張り裂けるような感覚が、彼の動きを鈍らせる。脳も痛みのあまり思考速度が鈍ってきた。


「まずい……」


 口から苦悶が漏れる。先ほどからアニキの動きは鈍らない。体力は底なしのようだ。そろそろやられる――死の影がちらつく。するとここで、アニキは拳を大きく振り上げた。直人が弱ったのを見越して、一気に勝負をかけるつもりだ――。


「そりゃあッ!」


 咆哮するアニキ。拳が天を突く。直人は刀を捨てた。代わりにウィンドウから小さなナイフを取り出し、素早く右手に構える。彼はそのまま、一足飛びにアニキの懐へ飛び込んだ。


「グウッ!」


「ヤアッ!」


 拳が届くより前に、ナイフが先ほど傷口を穿つ。刃は傷口にめり込み、血が噴出。直人は刃を右に左に動かし、傷口にめり込ませていく。より激しく、血がアニキや直人を朱に染め始めた。HPバーはすでにレッドゾーン。アニキが倒れるのはもうすぐだ。


「ま、参った!」


 弱く、かすれた声が降参を示した。何も言わずに直人は刃を引く。もうアニキに戦意は残されていないだろう。直人にはこれで十分だった。アニキはナイフを収めた彼に頭を下げると、一目散に逃げ去っていく。


『無名のアニキ:レベル1を倒しました! 1000ポイントの経験値を獲得!』


 ポーンと響いた機械音に、直人は拳を握りしめた。勝った――勝利の感覚が直人を満たす。思考がふわりと軽くなり、直人は羽が生えたような開放感を覚えた。ここ数日、なかったことだ。


「よし、一旦帰るか」


 直人はくるりと踵を返すと、刀を回収してそのまま帰ろうとした。直人のHPもかなり減っている。ここは早々に帰らないと危険だ。彼はスタスタと路地から歩き去っていく。するとここで、いつのまにか自由になっていた少女が彼に近づいてきた。手下のごろつきたちは、アニキの負けを悟ると同時に逃げたようだ。


「あの、ありがとうございました!」


「俺はただ単にあいつと戦いたかっただけだ。礼はいらない」


「でも私を助けてくれたのは事実ですから。あの……お礼がしたいので家まで来てくれませんか?」


「駄目だ、俺は忙しい」


「そんなこと言わないでくださいよ!」


 少女は直人の手を握りしめた。細く華奢な手が、信じられないほどの力で手を握ってくる。直人は二三度手を振ったが、まったく離そうとする気配がない。


「はあ、仕方ないか……」


年端もいかぬ少女をまさか強引に振り払うわけにもいかない。仕方なく、本当に仕方なくではあるが直人は少女の家に向かうことにした――。


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