第六話 花火
昏い空に光が弾ける。四方八方に、幾千幾万もの光のしずくが降る。穏やかな夜空は爆音と光の競演に包まれ、星明りの元、無数の華が咲き誇った。腹の底を揺らすような轟音。七色に煌き、美しい華を咲かす光。街の北の王宮より上げられる花火は、世界を見るも鮮やかに彩る。
空に咲く大輪の華のもとで、街は活気に満ちていた。市街地の中央にある広場では、一息ついたプレイヤーたちがこぞって天を眺めている。街の住人たちもそれぞれ盛大に着飾って、辺りはさながら祭のようだ。花火が上がるたびに、彼らの黄色い歓声が街を満たす。爛熟した熱気と浮ついた雰囲気が、街に流れている。
街がどんなに浮かれていても、仕事を怠けることのない聖堂の大時計。その生真面目な長針は、まもなく十時に差し掛かろうとしていた。花火はいよいよ最高潮。息つく暇もないほどの勢いで打ち上げられ、滝のように光が降り注いでくる。街全体を覆い尽くすかのような光。それに人々は興奮し、とめどない嬌声と歓声が怒涛のように街中を洗い流す。
溢れだす熱狂、空より伝わってくる熱気。街の人々は手に汗握る。ちょうどその時、機械仕掛けの鐘がきちんと澄み切った音を鳴らした。清浄な音がまたたく間に街の熱気を冷ましていく。爆発するような勢いで次々と空へ打ち上げられていた花火も、ぽつりと止まった。穏やかな闇が静けさを引き連れて、また街に帰ってくる。
「いよいよのようだね」
「ふふ、始まるわ」
遥か雲の上、語らう少年と少女。その背には夜空の結晶のような半透明の翼が輝く。白磁の肌をほのかに紅潮させ、ピジョン・ブレッドの瞳で彼らは街を見下ろす。冷徹な喜びに満ちた、鋭い眼。さながら全能を気どる神の視線か――。
「今度こそ、僕らのとこまで来る人はいるのかな?」
「さあ? でも私も戦いたいわね」
「君が戦うと、連中なんてあっという間にいなくなっちゃうよ」
「それもそうね……アハハ!」
狂気の笑みが空に染みわたっていく。心を石化させるような戦慄の波長が、大気を押し揺るがす。雲の上、宇宙さえ透けて見えそうな遥か天上の澄んだ空気が、さざ波のごとくざわめき始める。
しかしここで、その音を遮るように歌が聞こえ始めた。彼らは笑うのをやめると、その星が泣いているような悲しげで透明な音に耳を澄ます。深々と降る雪のごとく、歌はゆっくりと響く。
『光、流れて世界が生まれる。光、流れて命が生まれる
命は人は皆、光の子。世界は宇宙は全て、光の子
天より注ぎし光、それはすべてを示す。天より注ぎし光、全てはそれに従う。
光は高きにありて、世を表す。光は十に分かれて、理を表す……』
その後も歌は繰り返される。旋律は遥か地上に到達した。天より降り注ぐ、儚く美しい旋律に人々は耳を澄ませる。歌は人々の身体を突き抜けて、その奥底にある心にまでも分け入った。美酒に酔ったような、心地よい感覚。いつの間にかできた心の殻を取り払われるような、開放的な感覚。それが人々の魂に満ちる。
浮足立つ人々。恍惚に満ちた音の風が彼らの間を吹き抜けていく。やがて歌が終わった時、彼らは皆、背伸びをしていた。そのさまはまるで、天へと昇って行こうかとしているようだった――。
「…………相変わらず歌姫の歌はいい。あの歌、もっと聞けないかな?」
「無理よ、私が歌ってあげるからそれで我慢したら?」
「君、自分が音痴だってこと忘れてるだろ」
「あら残念、最近上達したのに……」
歌を聞き届けた少年と少女。二人の身体は、溶けていくように星明りに消えた。その場には二人の笑いの残滓と、僅かな残像だけが残される。ふわりふわり。波打つような風のざわめきと明朗な星明りが、誰もいなくなった空を満たした。
裏街の狭い路地裏。そこで直人は相も変わらず戦っていた。先ほどから空では歌が流れていたが、彼はそんなこと気にはしていない。芸術にはとことん無頓着、関心なし。それが直人の性格だ。たとえそれが、重要といわれていることであってもその考えは変わらない。
昼間の雪辱を晴らす――直人は歌などより、アニキへの復讐に燃えていた。彼はごろつき共を次々となぎ倒し、レベルアップに余念がない。そうして彼が数人のごろつきを倒し一息ついたところで、耳障りな機械音が響いた。
『メッセージが届きました!』
「誰からだ?」
なぜだろうか。直人は嫌な予感がした。虫の知らせとでも言うのだろうか。メッセージを開けてはいけない、なんとなくそんな気がする。彼の全身を冷たい電撃が走り抜けた。ウィンドウへ伸ばした指先が、小刻みに震える。やむ負えず直人は一旦、指を顔の前で揉むと再度ウィンドウへと手を伸ばした。
『プレイヤーの皆様への最重要通達事項 Mardock・Brain社ELプロジェクト推進責任者:神流 葵
本日22:00をもちまして、弊社の運営するEL-Onlineからのログアウトは事実上不可能となりました。
既存のログアウトコードなどはすべて破棄され、使用不可能です。
死亡による強制ログアウトは実施されます。ただしその場合、ログアウトしたプレイヤーは精神構造体(以降、アストラルボディと呼称)に99.999998%以上の確率で致命的な損傷を負うこととなります。
アストラルボディに致命的なダメージを負って、48時間以上生存した例は現在確認されておりません。
よって、ほぼ100%の確率でゲームの死亡=現実世界での死亡ということになります。
このゲームより安全にログアウトする方法はただ一つ、ゲームの完全攻略だけです……』
「……はあ?」
ここまで読んだところで、口から疑問が漏れた。ふざけているとしか思えない。意味がわからない、理解できない――直人はもう一度、ウィンドウの上から読みなおしてみる。だが、メッセージの文面はさきほどから一文字たりとも変わることはない。数百にも及ぼうかという文字は、一斉に直人に事実を突き付ける。
「うそだろ……。うそだろ!」
直人の拳がウィンドウを貫いた。ブウンとエアディスプレイにノイズが走る。しかしその忌々しい文字列は変わらない。直人は狂ったようにウィンドウを殴り続けた。拳が風を切る音、エアディスプレイがぶれるノイズが辺りに響く。
「チクショウ! クソったれ!」
悪態をつかずには居られなかった。情けないが、人の精神というものは意外と脆くできているようである。直人は絶叫しながら建物の壁を叩く。落書きだらけの粗雑な壁は、ドーンと派手に砂埃を立てた。直人の拳から、僅かながら『血』が流れる。その生温かい温度と水とは異なるわずかな粘性に直人は生を感じた。いま、確かにこの場で生きている――精神と肉体が一致する。直人は地球ではなく、この世界で生きていた。
血を見て落ち着く――さながら殺人者のようだが、直人はそういう性質を持っているようだ。彼の心のさざ波が、見えない力で抑えつけられるように消えていく。眼が虚ろになり、感情が消えていく。彼はゆっくり指を伸ばすと、ウィンドウをスクロールさせた。
『……。
これらの事象に連動して、固有スキル機能と吸血機能を解禁しました。
固有スキルと吸魂機能につきましては、下記に記載する通りです。
●固有スキル
各プレイヤーが保有する特殊能力です。
この能力は各プレイヤーが現実世界にて保有するESP能力と同等のものを初期能力といたします。
例としては現実世界において直径1mの火球を出せる人物は、この世界においても直径1mの火球を出せるということです。
なお、この能力はレベルを上げることにより上昇させることが可能です。
あくまでデータ上ですが、初期能力が低くとも最終的に強力な能力となる可能性についても指摘されています。
●吸血機能
プレイヤーが死亡した際に残る、血液状となったアストラルボディの残滓を吸収する機能です。
アストラルボディの残滓を吸収することにより、能力を飛躍的に上昇させることが可能となります。
なお、PK行為につきまして我々は特に規制を致しません。
PKを行ったプレイヤーの種族が『吸血鬼』として表示されるのみです。
吸血鬼になったことで見た目が変わる、弱点ができるなどの不利益はございません。
ただし、NPCによる現地政府などは原則として殺人を禁止しています。
彼らの取り締まり行為に関しては、我々は一切関知いたしません。
PKをする際はNPCの治安維持組織に捕縛される可能性があることを、頭の中にとどめておいてください。
最後に、この世界は現実世界と同様に『生きた世界』です。
このことが、ゲーム攻略に深くかかわることになるでしょう。』
戦えということか――直人の心が冷えた。彼の冷徹な知性と獰猛な闘争本能が、渦巻く恐怖を抑え込む。戦いが、今まさに生死をかけた戦いが始まろうとしている。飢えた戦士の前に、格好の餌がぶら下げられた。直人の心の中に潜む狂戦士は、それを迷わずにつかみ取る――。
「あははははははッ!!」
とめどない嘲笑。狂った戦士の高らかな笑いが、騒然とした街に響きわたる――。