第四話 裏街
物事にはすべからく光と影がある。それは街とて同じ。どんな栄えた都市でも煌びやかな中心部だけでなく、アンダーグラウンドのような地区があるのは避けがたいことである。
星の大陸シャマインの中心都市である星王都にも、裏街と呼ばれる地区があった。ここは貧民街と闇市場を合わせたような場所で、脛に傷があるような連中が闊歩する場所である。強盗、密売、売春……およそ考えられる限りの犯罪行為が日常的に行われていて、治安を守る騎士団からもほとんど見捨てられている。巨大な掃き溜め――王都の住人たちからはそのように揶揄され、同時に恐れられてもいた。
薄汚れた建物が並ぶ裏街の目抜き通り。ほとんどの建物は壁がひび割れ、そこかしこに落書きがされていて、さらには倒壊寸前。まともなのは派手な看板を掲げた売春宿くらいだろうか。それでさえも、通りに面している部分以外は吹けば飛ぶような粗雑な作りであるが。
「よくまあここまでリアルにつくったな……」
裏街の入り口付近で、直人は呆れたように息をついた。VRMMOは、十五歳以上の者しかプレイしてはならないとされている。だが、だからといってこういう場所をここまで現実的に生々しく造っていいものなのか。直人は保護者でも何でもないが「子供の教育に悪い」という言葉が素直に頭をよぎる。
しかし、こうして裏街が現実的に造りこまれているのは彼にとっては好都合だった。
彼は興味の赴くままに視線を走らせながら、通りをゆっくりと進んでいく。直人は環たちと別れてすぐ、とある目的のためにこの場所へとやってきていた。彼はその目的を果たすべく、通りをできるだけ目立つようにする。肩をいからせ、顔はふてぶてしく偉そうに。歩き方はできるだけ態度を大きく見せるように――。すると早くもその効果が出た。
「おい、おまえ新入りか? ずいぶんと態度がデケーな」
「新入りは小さくなってろよ、ああん!?」
いかにも三流といった雰囲気のチンピラが二人、直人に絡んできた。すり減ってところどころ色が変わった革の鎧、腰には腐ったような錆だらけの剣。元冒険者の、現やくざのなりそこないといったところか。直人の眉が、軽い興奮で吊り上がる。だが、彼の口は固く結ばれたまま開かれない。彼は男たちがどれだけ恫喝しようと、無言を貫き通した。
「てめえ、舐めてんのか!?」
キラリ。白い鋼が光る。月夜に現れた刃は、まっすぐに直人の方へと向けられた。男たちの顔が急激に緩む。これでこいつも大人しくなるだろう――勝利への確信。暴力への絶対的信頼。
だが、彼らは知るべきだった。自分たちの獲物が草食獣ではなく、牙をもった肉食獣であるということを――。
「ふふ……」
口から洩れる笑みを、直人は抑えられなかった。その視線の先には、男たちのHPバーがある。もともとはそんなもの表示されていなかったが、男たちが剣を抜いた途端に表示された。つまり剣を抜いた途端、男たちは無害なNPCから正式な直人の敵になったということだ。
ウィンドウを展開、武器を選択。すぐさま重い鋼の感触が直人の手に現れる。彼は微笑みながらそれを握りしめると、男たちを睨みつけた。奥に煉獄の炎を秘めた、凶悪無比な猛禽の眼。鬼のような殺気があたりに迸り、男たちの顔が蒼白となる。しかし、彼らは戦いを諦めない。
獲物になめられるな――取るに足らない小さなプライドと肥え太った過信。それが彼らをつき動かしていた。
「ハードブレイカー!」
「ラッシュアタック!」
重なる怒号、放たれる二つの剣。男たちの剣は稲光のごとき直線を描き、直人の懐へと飛び込もうとする。ヒュウっと心地よい風切り音が響いた。男たちの筋肉が躍動しながら一直線に伸ばされ、剣先に極限までの力がこもる。
システムに補助されたその動きに無駄はなかった。熟練の剣士が型を決めたとしても、なかなかこうはいかないだろう。洗練され、磨き上げられた機械じみた動き。だがしかし、今回はそれが災いした。
直人の足が地を擦った。その身体が、ほんのわずかに右にぶれる。距離にして五十センチもあるだろうか。だが、それだけの違いで剣は狙いを外れた。牙は不様に何もない宙を貫き、愚かな獣たちはその無防備な横っ腹を晒す。貪欲にして優秀な狩人はそのすきを逃さない。
「うッ……」
喉元に冷たい鋼の感触。刃を前にして、男は情けなく呻いた。EL-Onlineには急所というシステムがある。その中でも喉元というのは、もっとも無防備でダメージが通りやすいポイントだ。そこを貫かれれば男の貧弱なHPなど――やられずとも結果は見えていた。
「……このままで済むと思うなよ!」
「今日は見逃してやるだけだからな!」
もはや様式美。男たちは負け犬の鏡とでもいうべき捨て台詞を吐き捨てる。彼らは身体をよろめかせながら、一目散に通りの奥の闇へと消えていった。
『無名のごろつき:レベル1を2体撃破した! 200ポイントの経験値を獲得! レベルが3に上昇しました!』
響いた無機音声――勘が正しかったことの知らせ。直人は口元を歪め、ほくそ笑む。
「やっぱり。NPCと戦えるんだな」
ヒュウと口笛が響いた。狩人の狩りは、まだまだ始まったばかりだ――。
あれからしばし時が流れた。世界は未だ仄暗い。どうやら、この世界に昼はないようだった。その代わりに、地球では考えられないような星空が天を満たしている。無数の星が投げかける幾万もの光の群れが、街や人を穏やかに照らしている。そのおかげで、外灯がなくとも人の顔が認識できる程度の明るさは保たれていた。
華やかな街灯に彩られた表通りを、直人は唸りながら歩いていた。「狩り」はひとまず切り上げている。
「700シルト……。はじめが100シルトだから、まあまあの収穫か」
アイテムボックスから出したコインが、指の上でチャラチャラと鳴る。銀貨が一枚に、銅貨が二十枚。ごろつきたちが落としていった物を換金した結果だ。その結構な重量感に、直人の頬が緩む。
「さて、何かいい武器買えないかな?」
プレイヤーの初期装備は剣であった。だが、直人は剣がイマイチ手に馴染まない。やはり刀がいいのだ。三流のごろつき相手ならこれで十分だが、敵はそれだけではなくなってきている。狩りの最後の方では「無名のごろつき:レベル3」というものまで登場していた。無名のごろつき以外の敵が登場するのもすぐだろう。
ふらりふらり。直人は商店の立ち並ぶ地区へと差し掛かった。時刻は昼過ぎ、割合人出の少ない時間帯である。この商店街も現実と同じで、朝通りがかった時よりは幾分静かだ。しかし、直人と同じようにひと狩り終えたらしいプレイヤーたちの姿がそれなりに見られ、そこそこには繁盛している。道に半ばはみ出すように並べられたさまざまな商品やそれを見る人々が、通りを圧迫していた。その狭い中を、直人は視線をチラチラとさせながら進む。
直人が店を冷やかしながら歩いていると、一軒、変わった雰囲気の店があった。周りの店が軒先に商品をはみ出さんばかりに並べて必死に客引きをしているのに対して、その店はドアを閉めている。ただ「営業中」と書かれた小さな札がドアに掛けられているだけだ。しかも、店の建物自体も随分と洒落たもの。通りに面した小さなカフェ、といった趣か。格子のはまった上部がアーチ型の窓と、青さびの浮いたノブがついた飴色のドア。それらがどこか周りから宙に浮いたような雰囲気を漂わせている。
なんとなく、心惹かれた。直人の手が伸びる。そのまま手はノブをつかんで回しドアを引く。チリンと涼やかな呼び鈴が響いた。店の中から黴たような風が流れてくる。しかし、そのすえた様な匂いには不思議と不快感はない。むしろ、なにかしら懐かしいような感じがした。直人の足が、眼前に広がる薄暗闇の中へと踏み出される。
店内は異世界だった。闇に隔てられたその場所は、骨董の眠る墓場のようである。闇の中にさまざまな品がまどろんでいて、時が止まっている。その止まった時間の中においては埃一つ微動だにはせず、直人は自身の心臓の脈動が異常なものにさえ思えた。生と静は交わらない――それがこの小さな世界の理のようだ。
「へえ……」
直人は息を殺しながら、ゆっくりと店内を見て回る。この店には、実にさまざまな商品があった。壁に掛けられた怪しげな魔法陣から、部屋の端に鎮座する巨大な鳥の形の置き物まで、世界中のものを手当たり次第に集めたといったような状況だ。商品に統一感など欠片もなく、散らかった店内は整理整頓には程遠い。この店を見るには「慣れ」が必要そうだ。
こうして直人が足元や周囲に注意しながら歩いていると、キイという音が奥から響いた。普段なら聞きとることすらできないであろう、ささやかな音。されどそれが、この空間においては異様に大きく響きわたる。誰か来る――直人にはそれがわかった。
「いらっしゃい。なにか、捜しているのかぇ?」
しがわれ、枯れ果てたような濁った声が響く。しかし、それを発する声の主は見たところ若かった。蝋のようにいやに白くてつやつやとした肌、紅を差したような色っぽい唇に透き通るシルバーブラウンの瞳。そして、男には刺激的に過ぎる豊かな肢体。直人の眼がその身体、とくに先ほどからかすかに波打っている豊かな果実に奪われる。
「……か、刀を捜してる」
「刀かい。どれ、ちょっと見てやろう」
女が滑った。いや、厳密には歩いたのだろう。が、直人には確かにそう見えた。まるっきり足音もしなかった。
「なかなかいい体つきをしてるじゃないか。へえ、こりゃ剣術の心得があると見たね……」
舐めるような視線。淫らで、それでいて鋭い。こわばった直人の声帯が、警報音よろしく僅かな声を漏らす。
「……うッ」
「怖がるんじゃない。誰もあんたを喰おうなんて思っちゃいないよ。……別の意味では喰われたいと思ってるみたいだけどねえ……」
艶めかしく微笑む女。その笑みには凄惨な深みがある。足を踏み入れれば抜けられない、さながら底なし沼か。
「帰ってもいいか……」
「もう帰っちゃうのかい? せっかくあんたにちょうどいい武器がわかったってのに。うぶだねえ……」
「わかった? なら早速見せてくれ!」
「……よっぽど、戦いが好きなんだ」
眼の色を変えた直人。おやおや、とばかりに女は息をついた。彼女は一旦店の奥に引っ込むと、包みを携えて戻ってくる。一抱えほどもある、細長い包みだ。直人の視線が細くなり、燃える。
「ふふふ、うちでも自慢の一品だよ。ほれ」
「おおっ……」
漆黒の伸びやかな刀身。一切の無駄なく引き締まったその地金に、白の波紋が波打っている。砂浜に打ちつける荒波のようなそれは、この刀の力を象徴しているよう。光を跳ね返し乱反射を起こすそのさまたるや、まさに芸術だ。すべてが殺戮のために造られた至高の作品。刀匠が造り上げた殺しの申し子。究極の実用性は究極の美しさを兼ねる――直人はそう思わずにはいられない。彼は呆けてしまったように、宙ぶらりんの視線で刀を眺める。危ない薬でも飲んだかのようだ。
「気にいったね。だけどこいつは高いよ、あんたに買えるかい?」
「いくらなんだ。金ならなんとかする」
「ふふふ……」
女は指を一本立てた。直人は息をのむ。
「10000シルトか?」
「そんなに安く売ったらうちが潰れてしまうよ……。100万だ、100万シルト用意しな」
女の眼は真剣そのものだった。100万シルトという値段は、残念ながら冗談ではないようだ――。